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宋常星『太上道徳経講義』(34ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(34ー7) そうであるから聖人は、最終的に大いなる道を大いなるものであるとはしなかった。そのためによく大いなる道を実践できたのである。 これはまさに、広大で全てを備えている聖人の道を述べたものである。聖人は大いなる道の働き(用)として出現しているのであり、大いなる道は聖人の根本(体)である。つまり聖人と大いなる道は用と体の関係にあるのであって、それを偉大であるとすることもできよう。しかし聖人は通常は身を表すことが無いので、その名が知られることはない。また常に私を持つことはなく自分が主導して動くこともないので、偉大なことをなしたと知られることもない。偉大なことと認められるようなことはしていないと思って行う。それこそがまさに偉大なのである。名は知られていないけれど、これこそがあらゆるところに及ぶ程に「有名」となるのであり、永遠に廃れることはないのである。他人をどうこうしようとはしないけれども、相手は道理を外れるようなことをして来ることもない。誰であっても聖人の言うことを喜んで聞く。こうしたことが聖人の一般には分かり得ない偉大さなのである。天下の根本を立てて、天下の大いなる働き(用)をなす。そしてこの全ては「為さない」ということの中において行われる。こうしたことを実践していると、最終的には偉大なことをしようと意図しないで、偉大なことを為してしまうのである。道を学ぼうとする人は、よく性(本来の心の働き)のままにして命(本来の体の働き)を使うことができているであろうか。仁を持って義を行っているであろうか。自分一己の心をして、万物の性(本来の心の働き)とひとつになっているであろうか。自分の心はつまりは天地の心なのである。自分の性はつまりは万物の性なのである。天地は偉大であるが、我は天地と等しい。どうして天地のように偉大でないことがあろうか。 〈奥義伝開〉老子のいう「王」とは後世では「聖人」とされるものである。つまり「道」をそのままに実践した人である。「道」はこの世に普遍的に存しているが、往々にして人はそれがどのように働いているのかを知ることはできていない。それを知らしめたのが「聖人」であり、「王」なのである、。そうであるから「王」は政治権力を有する国王のようなものに限定して考える必要はない。文学や音楽などあらゆる分野で新たな「道」を示した人物は「王

宋常星『太上道徳経講義』(34ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(34ー6) (大いなる道は)常に無欲であり、そこにあって「名」は小さいものとされる。万物は大いなる道に帰しているので、万物の中心となることはないが、その「名」は大きなものとなる。 至道の本質を考えてみるに、それを「小」さなものであるとか、「大」きなものであるとかすることはできない。もし、そうしたことで道を限定してしまうと道の全てを表すことができないからである。もし、ある事を「大」きな事としたら、その物は「小」さな事と見なされることはなくなってしまう。もしある物を「小」さな物としたならば、それは「大」きな物ではなくなってしまう。こうした「大」「小」は特定の事物に限定して用いられることはあるが、「道」そのものをいう時には適当ではない。ここで「常に」とあるのは、他からの影響を受けることがなく変わることがないためである。「無欲」とは至誠であり、迷うことがないということである。「万物は大いなる道に帰している」とは、あらゆる事物がその根本(つまり大いなる道)である道と関係しているためである。大いなる道は自分では「万物の中心」となることはない。それは大いなる道が至公、無私であるからである。至道の本質は無欲にある。そうでなければ他の影響を受けないで、そのままであることはあり得ない。変わることのない(真常)大いなる道でなければ、至誠で無妄であることはあり得ない。無私でなければ、万物の根源(である大いなる道)に還ることはあり得ない。そうでなければ、至道の永遠性(真常」)は保たれない。こうしたことからすれば、変わることのない(真常の)無私は、至誠、無妄であり、名声や社会的地位に拘泥することは全くなく、その功績の兆しをも表すことはない。道の本質は、小さくは、それを視認することができない程であっても、必ずそこに「道」は存している。そうであるから一般に知られんることがなくても「道」は存しているので「名は軽んじられている」わけである。そうであるから「常に無欲」なのである。名声を軽んじているので「万物の中心となることはない」わけである。この宇宙のあらゆるところに存していて、古今を通じて見られる、これが「道」である。「その名は広く知られている」のは「万物は大いなる道に帰しているので、万物の中心となることはない」ためである。「その名は広く知られている」とされるのは、本来的

道徳武芸研究 「四把捶」というう秘伝(4)

  道徳武芸研究 「四把捶」というう秘伝(4) 八卦拳から扣歩による回身式が入る以前の四把では、中段突きを掴まれたら体を大きく反転させながら掴まれた腕を上段へと挙げる。当然、相手は抵抗するので、その抵抗する勢いのまま今度は反対に相手の下段へと腕を差し込む、そうなると相手は不意をつかれてしまう。すかさず腕を跳ね上げて反撃をする。これが四把の流れである。套路では反転をし下段、上段と蛇形の動きをする形になっているが、実戦では相手の方に向き直る(勿論、反転をしたところで相手の捕捉から離脱することも可能である)。さて最後に「鶏形」についてであるが、これは鶏形四把が基本的には三体式を敷衍したものであると分かれば容易に理解されよう。三体式では、始めの擺歩で相手の攻撃を受けると同時にそれを捕捉してしまうのであるが、これの変形が鶏形なのである。そうであるからこの動きは上への勢いが重視されなければならない。一部には下へ激しく打ち込む動きをしているが、それは形意拳の本来からすれば正しいとは言えない。ちなみ王樹金は鶏形で相手の攻撃を跳ね上げて、防御ラインを破ることを得意としていた。おそらく三体式が編み出されて、相手を掴んで攻撃の威力を得る方法が見出されてから、その「裏」技として四把が考案され、更に三体式を勘案して鶏形の部分が加えられたのではないかと思われる。こうし見れば単純な套路ではあるが奥深い教えのあることが理解されよう。

道徳武芸研究 「四把捶」というう秘伝(3)

  道徳武芸研究 「四把捶」というう秘伝(3) 言うまでもないことであるが回身式は単に套路の練習において方向を反転させるためのものではない。形意拳においては拳を掴まれた時の対処法となっている。中国武術では相手を捕捉する方法が深く研究された。鷹爪拳などはその典型であるが、蟷螂拳の蟷螂捕蝉式も蟷螂が蝉を捉える時をイメージしたものである。他には八極拳の指を深く折り曲げる把手も相手を捉えるための手形であるし、酔拳の親指と人差し指とで盃を持つような形の手形も相手を捉えるために考案された。また形意拳自体が相手を捕捉することを前提にしていることも、それに対する技法を備える大きな動機づけになったであろう。形意拳では短い距離で相手を打つが、それは相手を掴んで打っているから大きな威力を発揮できるのである。かつて現在のような回身式の無かった頃に四把は相手を掴んで攻撃するという形意拳のいわば「表」の攻防に対して、掴まれた時の対処を教える「裏」の套路であったわけで、それ故に「秘拳」とされたのであった。

道徳武芸研究 「四把捶」というう秘伝(2)

  道徳武芸研究 「四把捶」というう秘伝(2) 四把捶という名からは「四動作の套路」という意味が読み取れる。形意拳では「中段突き」「回身」「手を下へ差し込む」「手を上へ跳ね上げる」の四つの動作がそれに当たる。その前には鶏形とその後に三体式が付いて鶏形四把の套路となる。つまり鶏形四把は他の形意拳の套路と同じく、三体式から始まり、三体式で終わるという構成になっている。そうであるなら何故、鶏形が四把に付されたか、という疑問が出てくる。心意六合拳では「鶏形」を付しては四把捶を言わないが、形としては類似のものを見ることができる。鶏形については後に論ずるとして、要するに四把の奥義は「回身」にあることを先に述べておこう。現在、五行拳にも十二形拳にも回身式はあるが、かつて形意拳には回身式はなかったとされ、これが充実したのは八卦拳の影響であるといわれている。八卦拳により扣歩が取り入れられて五行拳や十二形拳に回身式が付けられたのである。興味深いことに形意拳の系統の八卦掌では擺歩は殆ど見られず、主として扣歩が練られている。これは五行拳や十二形拳の回身式でもっぱら擺歩を使うことでも明らかである。

道徳武芸研究 「四把捶」というう秘伝(1)

  道徳武芸研究 「四把捶」というう秘伝(1) 一時期、心意六合拳の秘伝として「四把捶」が喧伝されたことがある。また少林寺に伝わる「秘拳」であるともされたれた。一方、形意拳には鶏形四把なる套路がある。他には紅拳で「四把捶」を称する套路がある。紅拳は洪拳の系統に属するもので、北方では広く練習されていて少林寺でも伝承があったようであるから少林寺の四把捶はこの系統のものかもしれない。また形意拳の源流は少林寺の壁の中に塗り込められていた『内経』と称される文献から編み出されたという伝説もある。イメージとしてはこの時に編み出されたのが「四把捶」でそれが少林寺と形意拳に伝わることになったと考えることも可能である。しかし何故「四把捶」がそれほ程、重視される套路であったのか、形意拳の鶏形四捶を詳しく分析することでその秘密の一端を知ることができる。

宋常星『太上道徳経講義』(34ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(34ー5) (大いなる道によれば)万物を愛し育てても、自分がやっていると思うことはない。 「愛し育てて」とは、例えば雨露が万物を潤すようなものであり、風や雷が万物を震わせるような広がりのあるものである。そうなるのは大いなる道が万物を「愛し育てて」いるからに他ならない。あらゆる気の働きは天において行われており、あらゆる物質の性質(質)は地に現れている。こうした気と物質の性質とが交わって、あらゆる物が生み出されている。これがまさに大いなる道が「育て」るということの意味なのである。大いなる道には「愛し育て」る働きがあるが、本来的には愛する心があるわけではないし、養おうとする心があるのでもない。「愛し育て」るのは無心で行われるのであり、決して心の働きをしてなされるのではない。そうであるから「万物を愛し育てても、自分がやっていると思うことはない」とされている。つまり「道」によって物は生まれているのであり、「道」は物によってそれぞれの働きを示している。物と「道」とは、少しの間も離れることはないのであり、物とは「道」であって、物のどこかに「道」があるのではない。何らかの意図をして「道」は物を生んだのではなく、自然にそうなったのである。「道」と物とは渾然一体で、それを分けることはできない。「道」のことをよく知ろうとするなら、こうしたところを理解していなければならない。 〈奥義伝開〉自然界における生成は何らかの意図をもって行われているのではない、と老子は考えている。道は「法則」であるからただそれによって生成が生じているに過ぎないのであり、そこに人格神的な存在を認めることはしていない。これが老子の考える「道」である。一定の温度になりれば水は氷結し、あるいは蒸発する、これが「道」であり、「水よ凍れ!」と祈ってもその現象が起こることはないのである。

宋常星『太上道徳経講義』(34ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(34ー4) (大いなる道によれば)何かを成しても、名を(世間に)留めることはなく、 天地は「道」によって生まれている。万物も「道」によって成っている。つまり天地も万物も、すべては「道」から生まれているのである。これらは全て「道」の「成し」たことである。「道」はその成したことにこだわることはない。それはどのような物についても変わることはない。そして「道」は限りなく大きなことにも、またあらゆる小さなことにも入り込んでいる。どのような物でも何一つ「道」によらないで成り立っているものはないのである。こうした「道」が「名を留めることはない」とあるのは、どういうことであろうか。それは「道」には一定の形も、シンボルとすべきものもないということが前提とされるが、そうであるから「道」は物により、物に従って変化をしているのである。「道」の現れる兆しを捉えることはできないし、「道」そのものを得ることもできない。そうであるから何を成したのが「道」である、とすることもできないわけなのである。「道」が成したことを限定的にいうことはできないのである。そうであるから「何かを成しても、名を留めることはなく」とあるわけである。「道」の修行をする者は、利己的な心を捨てなければならない。自分が「成し」たことに執着する心を持ってはならない。それが「道」を体得するための近道である。 〈奥義伝開〉「道」は普遍的な存在であるので、個々の生成においてそこに殊更な「道」の働きが認められることはない。生成は普通になされているからである。実際に「道」を体現した人が何かを行っても、それは全く自然な行為として行われているので、それがどれほど大きなことであっても、人々に知られることがない、と老子はしている。武術でも百戦百勝した人が最強なのではなく、全く争うことがなかった武術家を最強とする考え方が中国にはあるが、それはここに見られるようなことによるもので、百戦百勝した武術家はたまたま全勝したのであって、もし百一回目の戦いをしたなら負けていたかもしれない。優れた武術家は「争い」といった自然には生じ得ない「危うさ」から逃れることができた人物なのである。

宋常星『太上道徳経講義』(34ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(34ー3) 万物がこれ(大いなる道)によれば「生」が止むことはなく、 ただ大いなる道はあらゆるところに存しているだけではなく、万物もそれが母(大いなる道)と子(万物)のようにして存している。「道」とは万物の母なのであり、万物は「道」の子である。天は「道」に依らなければ成り立つことはないし、地も「道」によらなければ成り立つことはできない。人も「道」に依らなければ成り立つことはあり得ない。また物も同様である。天、地、人、物には、それぞれに根本となるもの(体=道)と、その働きとなるもの(用=生成)とがある。そして、その現れには剛柔などのような別があるが、その終始の全てを見たならば、そこには等しく「道」の働きが存していることが分かる。そうであるから「道」がなければ物はないのであり、物がないところには「道」も存することがない。「道」は物を生むが、それは風が物を動かすのと同じである。つまり風が吹いて水に波紋ができるように道(原因=体)があって物が生まれて(結果=用)いるわけであり、そこに何らの隔たりもないのであって、こうした関係性が止まることもない。「よる」とは頼るということで、万物は「道」に頼って生み出されている。また「よる」とは、全てが自然のままに成るということでもある。「生」とは自然に生まれるのである。自然であるからこそ適切に物が生み出されるのである。つまり「生」は特別なことをすることなくして生まれるわけである。それは自然に「よる」のであり、ただそれだけである。そうであるから「青、黄、翠(青黄色)、緑」や「小、大、曲、直」「有、無、虚、実」などあらゆる物は、全て大いなる道によって生み出されているのである。大いなる道の働きは天地の間に遍く広がっている。「清静経」には「大いなる道には名は無く、万物を長く養う」とあるが、つまりは大いなる道とはこうしたものなのである。そうであるから「万物がこれ(大いなる道)によれば『生』が止むことはなく」とあるのである。  〈奥義伝開〉老子はこの世のあらゆる存在は、生まれているから存在しているわけで、そうであるなら生成の働きは普遍的に存している、とする。そうなると生成の働きという法則、つまり「道」がそこにあることが認められるわけである。老子はこうした生成の道理を正しく認識することで、人が人として生きる生き方が分かって

道徳武芸研究 中国武術における誤解と迷信〜鉄砂掌と点穴〜(4)

  道徳武芸研究 中国武術における誤解と迷信〜鉄砂掌と点穴〜(4) 「点穴」には死穴などもあって、そこを打つと相手を殺すことも可能であるという。確かに人体の中心線あたりは弱いところがあり、そこを打たれるとおおきな衝撃を受けるものである。また「当たりどころ」というように、絶妙のタイミングで当たると思いの外のダメージを受けることがある。こうした偶然の現象を見て、そこに何らかの法則を見出そうとして生まれたのが「点穴」の考え方である。またこうした偶然のヒットは同じようなところを打っても、余り大きなダメージを与えることができないことがある。これらには何らかの原因、何らかの法則があるのではないかと考えたわけである。そこでその手がかりとなったのは「経絡」の身体観であった。同じようなところを打っても利くこともあれば、利かないこともあるのは、時間によってダメージを与えることのできる経絡が移動しているからではないかと考えたのである。ちなみにブルース・リーの『截拳道への道』には詠春拳に伝わる時間によって変わる経絡の図が載せられている。また自称忍者の藤田西湖は『当身活殺法明解』を著して死穴などにも触れている。ただその真偽の程は明らかではない。確かに身体にはコメカミや胃のあたりなど打撃に弱い部位はあるが、それは既に知られている以上のものではない。こうした部位の存在と偶然のダメージの生じることのあることから「点穴」という迷信も生まれたのであった。

道徳武芸研究 中国武術における誤解と迷信〜鉄砂掌と点穴〜(3)

  道徳武芸研究 中国武術における誤解と迷信〜鉄砂掌と点穴〜(3) 鉄砂掌が相手にダメージを与えるために鍛錬法と思うのは誤解であることは述べたが、もうひとつ鉄砂掌にまつわる誤解には「秘薬」を使って効果を高める、つまり骨を強くする、ということがある。八卦拳でも虎の髄液を塗るという教えが伝えられているが、これは迷信に過ぎない。本来、鉄砂掌における「秘薬」は固いものを打つ時に生じるケガの消毒を行うためのもので、最も簡単な「秘薬」としては塩水が伝えられている、。現在では良い消毒薬も出ているのでそれを使えば良かろう。このように鍛錬はよく目的をよく理解して行わないとかえって自分を傷つけてしまうことになる。また太極拳や八卦拳、形意拳で鉄砂掌の鍛錬を重視しないのは殊更に「強い打撃」を打つことを戦略として持っていないからでもある。強い打撃を行うにはある程度の「距離」が必要となるが、太極拳などではそれよりも「当たる」ことを重視して比較的短い距離での打撃を行う。こうしたこともあって鉄砂掌はあまり鍛錬されることがないわけなのである。

道徳武芸研究 中国武術における誤解と迷信〜鉄砂掌と点穴〜(2)

  道徳武芸研究 中国武術における誤解と迷信〜鉄砂掌と点穴〜(2) 「鉄砂掌」とは思い切り人を打っても、自分がケガをしないだけの鍛錬をするものなのであるから、やたらに鉄や石などの固いものを打っても意味はない。八卦拳では緑豆という小さな豆を桶に入れてそれで鍛錬をする。あるいは砂袋というサンドバックのようなものが使われることもある。これらは人体に近い衝撃を作り出されるように工夫されている。こうし人体を打った時の衝撃に慣れておくわけである。しかし一方では鉄砂掌を「掌を固くする鍛錬」と誤解して、むやみに固い石などに手を打ち当てて鍛錬をしている人も居るがこれは武術としては意味がない。同じく排打功という体を打って鍛える功法も余りに強く打っても効果は限定的であることを知っておくべきであろう。人の体の耐性には限度がある。過度に行うとかえって自分の体にダメージを与えることになる。

道徳武芸研究 中国武術における誤解と迷信〜鉄砂掌と点穴〜(1)

  道徳武芸研究 中国武術における誤解と迷信〜鉄砂掌と点穴〜(1) 基本的には中国の国民性は古くから合理性を重視する傾向があるので、一見して不可解なものにも、その根底には合理的な視点を見ることができる。中国武術でも、例えば「鉄砂掌」などは相手の骨をも打ち砕く力を得られるとされる、また特定の部位を突くと相手を死に至らしめてしまうとされる「点穴」等もある。普通に考えれば「荒唐無稽」の一語で済まされてしまうことであるが、なぜこうしたものが長く伝えられてきたのかを考えてみると、その根底には合理的な思考のあることが分かる。中国武術で鉄砂掌は広く行われている。よく太極拳や形意拳、八卦拳などでは鉄砂掌は行わないと誤解されているようであるが、これは個人の判断による。ただ鉄砂掌を鍛錬しても手そのものが鉄のように固くなるわけではない。鉄砂掌を鍛錬するのは相手にダメージを与えるためではなく、自分がダメージを受けないようにするためなのである。つまり相手を打った時の衝撃に耐えられるようにするための鍛錬が「鉄砂掌」なのである。よくボクサーが素手で相手を打って拳の骨を折ったとか、手首を痛めたという話を聞くが、そうしたケガが生まれるのはボクサーが常に具ブローブで拳や手首を保護、固定しているためである。もし素手で相手を打とうとするならば、それに耐えられる拳や手首の鍛錬をしておく必要がある。

宋常星『太上道徳経講義』(34ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(34ー2) 大いなる道は普遍的な存在である(汎)ので、それは右にも左にも存している。 天地は物的には、大いなる存在の最大のものである。万物には大小がある。大きなものは小さくはないし、小さいものは大きくはない。日が左にあれば、月は右に出ている。左にあるものは右にあることはないし、右にあるものは左にあることはない。これらは一方があることで、反対のもうひとつが現れていわけである。こうした相対的な判断によって物的な世界は成り立っているが、大いなる道はそうした相対的な存在ではない。大いなる道は計り知れないもので、小さくもないし、大きくもない。左もないし、右もない。そこで意識されるのは無限であり、造化の働きの普遍性である。大いなる道は個々の存在と離れることはないが、それに限定されることもない。あえて個々の物に近づくこともないし、離れようとすることもない。有にも無にも偏ることなく、どのような相対的な関係においてそれを言うこともできない。道そのものは特別な存在ではないが、時機に応じての働きは無限である。大いなる道は、天地にあっては「道」とされるが、人の心にあっては「理」とされる。つまり「理」のあるところには「道」があるのであり、「道」のあるところには、つまりは「理」が存している。そうであるからどのような微かなところにも、あらゆる運動(一動一静)においても、飲食、起居にあっても、喜怒哀楽にあっても、すべてに「道」や「理」は存している。『中庸』には「道は少しの間も離れられるものではない」とあるが、離れられるようなものは「道」ではないのである。そうであるから「大いなる道は普遍的な存在である(汎)ので、それは右にも左にも存している」としているわけである。 〈奥義伝開〉ここでは「道」の普遍性が語られている。実際のところこの世の全てが一定の法則である「道」によって成り立っているのかどうかは分からないが、老子は「道」が普遍的に働いていると考えていた。これは「神」や「天」と同様にその存在を証明することはできない。信ずるかどうか、である。そうであるから普遍的な法則である「道」が存していないと考える人にとっては、老子の言うことは何ら価値のないものとなる。

宋常星『太上道徳経講義』(34ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(34ー1) 第二十五章には「道は大いなる存在であり、天も大いなる存在で、地も大いなる存在であって、王もまた大いなる存在である。この世にはこうした四つの大いなる存在があるが、その中で王を第一する」と述べられていた。この「四つの大いなる存在」というのは、量的に比類ない程、大きいなどというのではない。道の偉大さをいっているのである。これらは存在世界において働きを持っているものであるが、その中でも生成の働きを偉大なるものと認めているわけである。「生成」は無為自然をして、あらゆる存在の「妙」を集めてなされているものであり、根本(体)と働き(用)とが常に存している。それは終始一貫しており、生成は自然となされている。こうしたことを「大いなる」といっている。また「天」や「地」が大いなる存在であるというのは、そこにおいて「大いなる」ものつまり「道」が行われているからである。そこには万物を等しいものとする道が行われており、無為の造化がなされている。万物は自然に育ち変化をしていて、生まれるにしても自然に生まれているのであって、けっして何らかの意図がそこに存することはない。これが「大いなる」ということである。あるいは「王」についても天下、国家を統治しているから「大いなるもの」とするのではない。軍事的な強さを持っているから「大いなるもの」とするのでもない。こうした量的なものではなく、ここでいう「大いなるもの」とは天地の働きとしての「徳」と等しい存在であるからなのである。「道」は古今を通じて行われて来ており、その「徳」は万民が享受して来ている。そうであるから「道」は「大いなるもの」なのである。こうしたことからすれば、「四つの大いなる存在」は古今を通して変わることはないし、その働きはあらゆる時を通じて見ることのできるものでもある。それは虚であり、空であるからであり、あらゆるところに存在していて、過去から現在に至るまで、あるいは現在から未来まで「四つの大いなる存在」よりも偉大なものは無い。もし、そうしたものがあると妄言する人がいたなら、それは全て誤りということになる。異端というべきである。この章では聖人が「大いなる存在」にこだわらないからこそ、それは真に「大いなる存在」であることを示そうとしている。つまり「大いなる存在」とはあらゆるものを包含し、あらゆるところに存在し

宋常星『太上道徳経講義』(33ー8)

  宋常星『太上道徳経講義』(33ー8) 死でも亡びない者は、命長い(寿)といえる。 人には生死があるが、これは全て心の働きである。人は生死については内的には安心を得たいと思うし、外的には何時までも生きていたいと思うものである。しかし余りに長生きをしたいと思ってしまうと人の本来的な心の働きである「性」が正しく働かなくなってしまう。そうなれば、心は安定を欠いてしまい、死んで「無」となることに心迷って、生きて「有」ることに執着をしてしまう。つまり迷いを信じて真実を見失ってしまうことになるのである。つまり生があれば、必ず死は来るのであり、最期の時が来れば、四肢は分解して、気は散じて、神は体から離れ出てしまう。そしてついにはあの世へと行くのである。こうしたことはまったく自分ではどうすることもできないことである。修行者は、よく「殺機転倒の妙」を悟り得ているであろうか。自ずから「殺機」を知って(知)、それがどのようなものかを悟って(明)いるであろうか。そうして「殺機」に勝つことができているであろうか。つまり自分の体と太虚とは一体であり、そうであるから命の長い(寿)ことは、天地と等しいのである。「殺機転倒」とは、「心」が死んで「神」が活きているような状態であると同時に、「心」が生きて「神」が死んでいる状態でもあるのである。これが「殺機転倒」の実態である。これが「殺機転倒」の逆修の妙なのである。つまり「性体」が虚霊で曇ることなく、真の心が開かれて常に大道と共に存していれば「寿(命長い)」ということになれるのである。「赤文洞古経」に依れば「天はその真を得ているので長く存している。地はその真を得ているので久しく存している。人はその真を得ているので寿(いのちなが)く存している」とあるが、これはここで述べたことと同じである。或いは「無というところに入れば、死も無いし、生も無い。天地と『一』つである」とも記されているが、これもここで述べていることと変わりはない。老子はここで「死」と言っているが、それは「妄心」を死なせるということであり、「亡びない」とあるのは、その「法性(大道=法と一体となった本来的な心の働き)」が亡びないということである。妄心が死ぬと、「法性」は自然と真常(大道)と一体となる。そうであるから昔の聖人は、死をして死とすることなく、道の悟りを得ないことを死としていたのである。そ

道徳武芸研究 中国武術の漢字学(4)

  道徳武芸研究 中国武術の漢字学(4) 八卦拳では「ショウ泥歩」の問題がある。この「ショウ」は基本的には「尚」の字が用いられるのであるが、「足」偏の場合と、「走」偏(そうにょう)の場合がある。「足」と組み合わせた字は特殊であり、通常は用いられないので、「走」を用いることが妥当と考えられたのであろう。中国武術では特殊な意味で漢字を用いる時には手の動きであれば手偏を、足の場合は足偏を付けて「賛(形意拳)」「朋(太極拳)」なら賛に特別な意味のあることを示そうとする。「尚」も同様で通常は「希(こいねが)う」という意味で使われる「尚」であるが、ここでは「足」あるいは「走(中国語では歩く)」に関係するする意味で用いられていることが「偏」によって示されている。そうなると「尚」の別の意味である「高くする」を表していると理解できるわけである。そうなると「足」を用いるとしても、「走」でも、ショウ泥歩には何れにしても「足を挙げる」という意味があることになり、一般的な八卦掌で行われている地の上を滑らせるような歩法とは違ってしまう。ちなみにショウ泥歩は含機歩(八卦掌の構えと似ている後足に重心を置く構え)の変化であり、「機(巧みさ、秘密)」を含む歩法という意味であるが、その姿勢のままで足を滑らせるように歩む歩法が八卦掌であり、実戦を想定した足を挙げる歩法が八卦拳で示されているわけである。こうした二つの歩法を共に含んでいるので「含機歩」と称されるわけである。つまり八卦掌と八卦拳の一見しての歩法の違いは基礎と応用の違いに過ぎないのである。このように中国武術で使われている漢字を詳細に見ることでいろいろなことが分かってくる。「拳譜」研究の重要性もことしたところにあるわけである。

道徳武芸研究 中国武術の漢字学(3)

  道徳武芸研究 中国武術の漢字学(3) 形意拳には十二形拳にダ形拳がある。この「ダ」は、ヨウスコウ(揚子江)アリゲーターであるとされている小型の鰐であり、主として南方地地域に住んでいるという。そうであるとしたら形意拳の起源は、北方ではなく南方ということも考えられなけらばならなくなる。一方でこれは「ダ」ではなく「鼈(ベツ)」であるとする拳譜もある。「鼈」であればスッポンということになる。一般に技法名は口伝であるので、音が同じで漢字が違うというのはよくある(例えば形意拳では「サン拳」が「賛」「讃」「手偏に賛」などで記される)が、「ダ」と「鼈」のように字形が似ていて違う音(読み)というのは見られない。これは出版などを通して拳譜が広く知られるようになってから、限られた地域でしか居ない「ダ」よりも「鼈」とする方が妥当であると判断されたためのように思われる。手足を回すように動かして泳ぐ姿は「ダ」も「鼈」も似ているが、あえて「ダ」を「鼈」としなければならない理由はない。

道徳武芸研究 中国武術の漢字学(2)

  道徳武芸研究 中国武術の漢字学(2) また「猛虎爬山」と「猛虎『硬』爬山」の違いであるが、中国武術で「硬」は動きが変化しないことを意味する。八卦拳は硬手であるし、形意拳は「硬打硬進」の秘訣があるように技を受けられてもそれを変えることなくそのまま攻撃を行うのである。通常の武術であれば、中段の攻撃を受けられたなら上段あるいは下段への変化をさせることで、再び戦いの主導権を得ようとするのであるが、「硬」の術理を用いた場合はそうした変化をすることはない。ただ、まったくそのままでは攻防を転じることはできないので、例えば八卦拳では歩法を用いて相手との位置関係を変化させることで状況を変えてしまう。これは入身を使うということでもある。また形意拳では上下にずらすことで相手の体勢を崩してしまう。こうして出来たスキに乗じるわけである。さて「猛虎爬山」の「硬」であるが、これは腕ではたき落とすことをひたすら繰り返す、ということである。つまり「猛虎『硬』爬山」は「猛虎爬山」よりさらに正確にその技法名を示しているわけで、こうしたことからすれば肘による中段への攻撃は、まったく「猛虎爬山」とは違っていることが分かる。もし、この動作を入れるとしても、それはあくまで「猛虎爬山」に付随する技法に過ぎないといわなければならない。

道徳武芸研究 中国武術の漢字学(1)

  道徳武芸研究 中国武術の漢字学(1) 中国武術では漢字を用いて技法名が記されている。そのためかつては「拳譜」が秘密にされていた。漢字であるから「拳譜」を見れば大体の技のニュアンスが分かってしまうからである。例えば白鶴亮翅なら「両手を丸くして上に上げた形」であるし、白蛇吐信は「掌を突き出す形」である。八極拳には「猛虎爬山」という技があるが、これは李書文の得意技として知られている。これにはまた「猛虎『硬』爬山」とされる場合がある。「爬山」は「山に登る」ということであるので、これは「猛々しい虎が山に登っている」ようなイメージの動きであることを技法名は示している。実際には腕で相手の攻撃をはたき落とすもので、これによって、その防御ラインを突破するわけである。つまり上から下へと両腕ではたき落とす動作が、猛虎が山に登る動きに例えられているのである。ただ一方でかつて武壇の技として発表されたものが、ただ中段への肘打ちであったことに疑問が呈せられている。中段への肘打ちは技法名からしても、ととも「猛虎爬山」とすることができないのは明らかである。後に腕ではたき落とす動きが加えられたものが公開されたが、これは技の順序としては逆である。相手の攻撃をはたき落としてから肘あるいは拳で打つ、というものでなければならない。

宋常星『太上道徳経講義』(33ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(33ー7) 居る所を失うことがなければ、久しく居るということになる。 ゆっくりと休める所が安住の地である。もし、そうした場所が得られたならば、それは魚が水を得たり、鳥が巣を得たりしたのと同じで、暮らしやすいし、心身ともに快適である。これは、至善の地に住んでいる、とすることができる。至善の地であれば、虎の爪に傷つけられることもないし、一角獣の角に突かれることもない。軍隊に襲われることもない(『老子』第五十章)という「無死の地」とすることもできる。こうした「無死の地」はどうしたら長く保つことができるであろうか。或いは出家をして、あらゆる俗縁を断つことで出来るであろうか。「至道の真常」を守って、山林の中に住んで、清虚たらんと志せば良いのであろうか。或いは暗いうちから起きて来て香を焚き灯明を灯して、読経に勤めるべきであろうか。または儒教や道教の教典をよく読んで、それを極めると良いのであろうか。こうして人々が有為の功徳を積み、心身を修行に労するのは全て「至善の地」に逗まるためであり、それを失わないためである。こうして修行に一定の成果を得ることができたならば、人や天からの助けを受けることができる。そして次第にそれを深めて行き、天地と一体となれる。そうなれば永遠に「至善の地」を得ることができるであろう。もし、よくここに述べた四つのこと(出家をする。山林で修行をする。読経に勤める。教典を研究する)を行ったならば、それは「居る所を失うことがなければ、久しく居るということになる」ということになれるであろう。 〈奥義伝開〉ここでも老子は「ずっとひとつの所に居るのは『長く居る』ということである」と述べているに過ぎない。これは次の「不死」があり得ないことを述べるための前段とあんる説明である。次には「死んで亡びない」というやや分かりにくい設定になるので、どのような論理が展開されているのかを分かりやすくするために、長く居ることの例を先にあげている。このように老子は「当たり前のことを当たり前にする」ことこそが「道=道理」にかなった生き方であると教えているのである。

宋常星『太上道徳経講義』(33ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(33ー6) 強いて行う者には志がある。 強い思いがあれば、それは実現される。勝つこともできるし、充分であると思うこともできよう。これらは全て強いて行っているからであり、志のある人であるからである。強いて行えば、止めずに実行することができる。それは川の流れが滔々と止まることがないのと同じで、昼夜を問わず、少しの時も途切れることがない。つまりこういった人が、強いて行う意志のある人なのである。そうであるから「強いて行う者には志がある」とされている。志は徳を行うもととなる。道に入る門となる。志のおもむくところ遠くても到達できない所はないし、志が向かえば堅くて穴を開けられないようなものでもついには穴を開けることができるであろう。こうした志を強く立てれば、山もそれを阻むことはできないし、水もそれを遮ることはかなわない。人も奪えないし、物を与えても気持ちを変えることはできないであろう。そうであるから孔子は「大軍に守られている司令官でも、それを打つことはできるが、普通の人であってもその志を変えさせることなどできない」(『論語』)といっている。それがここで言われていることである。 〈奥義伝開〉ここも気持ちがしっかりした人は困難なことでも実行できる、という当然のことが説かれているに過ぎない。困難なことを行うには呪術などの助けは必要ない。その人の気持ちがあれば行えるのであり、なければたとえ呪術の助けがあったとしても(そうしたものがあると思うのは迷信に過ぎないが)、実行することは叶わないわけである。修行も同様で一定の方法もあるが、最後は日々行うということに尽きる。そうであるのに日々実行するための「方法」ばかりを探していたのでは、何時までたっても成就には至らないのは当然のことである。

宋常星『太上道徳経講義』(33ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(33ー5) 充分であると思って(知足)いる者は「富」んでいるとすることができる。 それぞれの境涯に応じて生きて、心の貪りの思いを抱くことがない。これが「知足」である。そうなれば人はあまり欲望にとらわれないでいられる。欲望に振り回されないでいられるわけである。たとえ貧乏をしていても、気持ちには余裕がある。たとえ生活は困窮していても、道にある人が困窮するということはない。道はどのような時でも休むことなく、とらわれることもなく働いている。そうであるから、道と一体となった人は常に足りないと観じることはなく、充分に「富」んでいると思っている。そうであるから「充分であると思って(知足)いる者は『富』んでいるとすることができる」とあるのである。どのような人であっても重要なことは、自分は充分に得ていると思うことである。社会を乱し、道から外れ、どのようにしても貪り、いくら富んでも不義を覚えている。そうなれば必ず災いが降りかかるであろう。どうして「知足」によって「富」むことができることを知らないのであろうか。修行者は、その「精」を保全し、「気」を保全し、「神」を保全している。これらをよく保全していれば、道の徳がおおいに身に付く。徳が盛んに行われるところには道が存している。この世の本当の富や本当の尊さにおいて精、気、神を十全に保全する以上のものはない。もし金玉が部屋に満ちていようとも、どうしてそうしたもので満足することができるであろうか。 〈奥義伝開〉ここで老子は、自分が富んでいると思える人が富んでいるのであって、あくまでそれは心の問題であるとする。第九章では、部屋一杯の金玉を持っていたとしても、それが何時盗まれるか心配でならないようであれば、その人は本当に富んでいると言えるのであろうか、との疑問を呈している。ここでも同様で、つまり物的なものはいくら求めても精神的な満足とは直結しないということである。

道徳武芸研究 一箇条の不思議(8)

  道徳武芸研究 一箇条の不思議(8) 近世には「座り相撲」なるものが流行していた。これは『北斎漫画』にもそのイラストが出ているし、民俗行事(石上神社・兵庫県、荒神さん相撲・佐賀県、ねまり相撲・青森県など)として今でも行われているところもある。また遊戯としても親しまれているところもあるようである。こうした「座り相撲」のようなものとして大東流の座技は修練されていたという側面があるように思われる。これが純粋に武術の座技であるなら竹内流に見られるような脇差しを用いた技が想定されなければならないであろう。脇差しを用いた技が皆無であることは、大東流の座技が近世の柔術とは全く別のところから発想されたものであることを示している。要するに「一箇条」は中段の構えの変化を練るものであり、それ故に中国武術でも「基本」とされている。また、大東流や合気道にあってはその成立をよく考えて「技」として適切に修練されるべきことを指摘しておいた。伝統的な「遺産」はその伝承において多くの錯誤が含まれている。そうしたものによく留意しなければ、価値ある「遺産」を充分に活かすことはできない。

道徳武芸研究 一箇条の不思議(7)

  道徳武芸研究 一箇条の不思議(7) ラン雀尾が「太極」拳の総手であるなら通常、言われているように「ホウ」と「リ」、「擠」と「按」が陰陽の関係になっていなければならない。つまり「ホウ」は上への崩しで、「リ」は下への崩し、そして「擠」は前へ「按」は後ろへとなれば陰陽=太極の理が表現されているということになるのであるが、前回にも説明したように「ホウ」から「リ」への変化は右手が相手の腕の下にある関係でうまく行かない。また「擠」の前への崩しに対して、「按」は後ろではなく下への崩しとなっている。またラン雀尾の前には「ホウ」の動きがある。そのため「左ホウ」に続いてラン雀尾は「右ホウ」から始まるので左右のホウを行うようになる。これは太極拳でホウが、太極拳独特の力の使い方である「ホウ勁」の基本であるからに他ならない(重要な技は套路に何度も取り入れられて繰り返し練習できるようになっている)。それはともかくラン雀尾において陰陽の形が完全でないのは、太極拳は本来は「太極」ではなく、ただ十三の基本動作を集めだだけの十三勢であったことをよく示している。太極拳もあまり「太極=陰陽」にこだわると本質が見えなくなってしまう。

道徳武芸研究 一箇条の不思議(6)

  道徳武芸研究 一箇条の不思議(6) 太極拳における「一箇条」と似た動きは活歩推手(大リ)に見ることのできることは冒頭でも指摘をしたが、これは套路でいうとラン雀尾の「リ」の動きがそれである。ラン雀尾は「太極拳の総手」と称されるように太極拳の全ての動きの基本的な原理が含まれている。その原理というのは「ホウ」「リ」「擠「按」の崩しである。こうした崩しは太極拳では「靠」と称される。「靠」についての詳細はここでは述べないが、これは単なる腕による攻防ではなく全身を用いたもの、体重の移動により生まれる力(勢)を用いるものであることだけは付言しておきたい。一般的にはラン雀尾では「ホウ」で上に相手の体勢を崩した時に、相手が反発したら「リ」で下へと崩すと説明される。「ホウ」の時には右手は相手の腕の下にあり、左手は上にある。ただ、このままで「リ」を行おうとしても、右手が下になっているので、うまく下への相手の勢いを導くことはできない。ここに「太極」拳としての問題点がある。

道徳武芸研究 一箇条の不思議(5)

  道徳武芸研究 一箇条の不思議(5) 江戸中期あたりから正座が人々の生活の中に根付いて行くようになるのであるが、それと並行して武術においても座技が広く行われるようになる。思うに大東流や合気道の入身投げ、四方投げのような技は、それが単に武術の攻防の技から生まれたものとは考えにくい。確かに一箇条のような捕り方は他の流派でもよく見ることはできる。例えば四方投げは、他では腕搦として転身をしないで相手の腕を搦めて投げる形となっている。こうすれば相手が転身をして逃げることはできない。そうであるならどうして四方投げは転身をする形になったのか。それは座技での「鍛錬」を目的としているからに他ならない。あえて転身をすることで体の安定を練ることができる。また入身投げは相手の中心軸を制する鍛錬であるし、一箇条は中心軸を制して、安定した転身をするための鍛錬である。つまり一箇条には中心軸を制することや安定した身法といった大東流、合気道の基本となる身法が含まれているのであり、それ故にこの技が重視されるわけなのである。

宋常星『太上道徳経講義』(33ー4)その6

  宋常星『太上道徳経講義』(33ー4)その6 「徳力」とは、心も体も穢されることのない本来的な心の働きである「性」の自ずからなる善なる働きをのことである。「徳」は「道」によることなくして成り立つものではない。「道」は「徳」がなければ成立しない。そうであるから「徳」のあるところには、つまり「道」も存しているのであり、「徳」の失われているところでは、つまりは「道」も存していないのである。「道」と「徳」とは、元はこれは一つなのである。それが「道」と「徳」の二つになったのであるが、この二つが本来的には一つであることは知っておかなければなるまい。よく「徳」を修することができれば「道」の体現も完璧なものとなる。そうなれば身を修めることで、国が治まり、天下が平らかになるようになる。そうしたところに善でないものはない。 以上の十力は、修行の本道である。人の歩むべき道である。よくこれを得ることができたなら、自ずから勝つことのできる強さを得られることになるであろう。 〈奥義伝開〉最後に「徳力」が出ているが、これは「慧力」「道力」とも深い関係にあることは前回でも説明をしている通りである。仏教では初めは「慧力」のみが重視されて、その実践である「徳力」は「業」を作るものとして忌避されていた。しかし大乗仏教が出てからは、社会的な実践も「菩薩行」として、積極的な悟りへの階梯に取り入れられるようになって来る。これは古代よりある中国的な考え方ともよく合うものでもあった。中国では思想は必ず社会実践を伴うものであったのである。

宋常星『太上道徳経講義』(33ー4)その5

  宋常星『太上道徳経講義』(33ー4)その5 「慧力」とは、心の光で自己の内面を照らすということであり、そこには智慧の光が常に点っていなければならない。内には穢をもたらす塵の生ずることもないし、滅することもない。外には穢をもたらす俗なる塵そのものを受けることがない。そうしたものを遠く離れて、本来的な認識作用である「識性」があらゆる世界を正しく認識している。それはひとつの「霊光」による「妙覚」ということができる。つまり全ては空であると悟るのであり、あらゆる存在が虚であることを悟るのである。道を学ぶ者で、もし「慧力」が生ずることなく、智慧の光を得ることができなかったならば、認識作用は穢れたものとなってしまい、そうなれば「有」とする認識も、「無」とする認識においても共に正しいものではなくなってしまう。こうした中で煩悩が出てしまったり、あるいは捨てたりといったことが正しい認識を経ることなく行われてしまう。まさにこうした時、認識作用は心によっているので、それが穢れて妄想が生まれてしまえば、意識が働いても正しい認識を得ることはできなくなってしまう。そうなるとあらゆる感情は乱れて、心は「魔物」にとらわれてしまうことになる。それは明るいところを避けて暗いところに入るようなものであり、けっして光明に輝く大道に入ることはできない。そうであるから「慧力」を使って修行者は自ずから勝つようにするべきなのである。 「智力」とは、智慧の光が滞りなく照らされるということである。そこには智慧の光が瞑想の中で現出することになるが、これには「大定」に入らなければならない。そうでなければ智慧の光が現れることはない。智慧の光が現れて、それによる認識(慧性)が得られることはないのである。そうなれば本来的な智慧(真智)も得ることはできない。この「智慧」の「智」とは真水のことであり、「慧」とは真火のことである。もし「智慧」の力、つまり真水や真火の力を使うことができれば、これは本来的に有している大道に通じる心の働き(真如の妙性)を開くことになる。道を学ぶ人は、はたしてよくこの「智力」を用いて迷いを絶ち、妄念を断じているであろうか。愚かさにとらわれることなく、執着から離れているであろうか。「智力」も「道力」も、どちらが優れているというものではない。 「道力」とは、大道の「体」と「用」とに働く力のことである。「道力」

宋常星『太上道徳経講義』(33ー4)その4

  宋常星『太上道徳経講義』(33ー4)その4 「定力」があれば、心は乱れないし、邪な思いを意識することもない。雑念を生まない力が「定力」である。つまり瞑想(定)における種類は三つに分けることができる。一は妙定、二は円定、三は大定である。「妙定」とは「妙」を観じて定に入るということである。つまりこれは「真入」の観(大道と一体となった感覚を得た瞑想)ということになる。もし、念も自分をも共に忘れ得るそうした「妙処」を観じることができたなら、自然と乱れた心は澄んで行くことになる。これを「妙定」という。「円定」とは、欠けたところも、余分なところもなく、動き過ぎるところも、静か過ぎるところもない瞑想の境地で、山や川、大地などはすべて、こうした瞑想状態そのままを表している(定中の定体)といえる。どのような境地にあっても、一定の安定した瞑想状態があるが、「円定」では本来の捕らわれのない境地に入っている。こうした完全なる境地をして「円定」というわけである。「大定」とは、本来の心の働きと誤ったそれとを区別することなく、聖なるものも、俗なるものも等しくして、太虚無体の瞑想に入ることである。瞑想にあってはいかなるものにもとらわれることがない。これを「大定」という。これら三つは、世間から離脱した大聖でない聖と俗とを有している者にあっては、得ることのできない境地でもある。修行者は、感情にとらわれ過ぎることなく、欲望を断じて、心身を乱れさせることなければ、日々において神と気とがわずかではあるが一体となるようになって行く。こうした状態は瞑想に入る(入定)と称せられるが、本当は神と気とを共に忘れる境地のあることを知らなければならない。神と気の一体を感じている境地では、本当のとろをいまだ得ていないといえよう。そして、そうした状態は完全なる瞑想状態ということはできない。ここに「順」と「逆」の二つの境地がある。一つには触れたところに本来的な認識作用(識性)が生ずることである(順)。これは原因があって結果があるという因果関係によるものであり、意識や心の深いところに穢があるから(外的なものに反応してしまうの)である。こうしたところからすれば「妙定」「円定」「大定」の境地は、修行者が自分で自分でそれを得たとするべきなのであろう(逆)。ただ老子が、つとに教えているのは、大いなる安定ということである。これを後の修

道徳武芸研究 一箇条の不思議(4)

  道徳武芸研究 一箇条の不思議(4) 合気道の一箇条で問題となるのは、立技では相手を下まで崩すことが実際はできないという点である。演武では床まで崩されて、まさに一箇条とされる抑え方で制せられる形になるのであるが、少し相手が逆らえば腰より下に崩すのは無理である。これは一箇条が座技として考案されたものであるからである。同様なことは入身投げなどでも見ることができる。入身投げも相手がステップバックすると掛からない。また四方投げも、動きに合わせて相手が転身をすると掛けることが出来なくなる。つまり、これらは座技の技法を、立技で使おうとするところにこうした無理が生じてしまっているわけである。一箇条も正座であれば腰まで崩せば相手を床に抑えることができるし、入身投げや四方投げも正座で歩法が使えなければ問題はない。江戸時代の中期以降、畳が日常の生活に用いられるようになると武術の世界では正座での鍛錬が多く考案されるようになる。武士は基本的には正座をとるので、その鍛錬として膝行やこうした正座での柔術が考案されたようなのである。抜刀術でも正座からの抜刀(大森流)が広まって行った。江戸時代における正座は鍛錬のひとつとして武術に取り入れられたのであった。こうした時代背景が失われてしまい立技で一箇条が稽古されるようになっているのが現状である。ちなみに既に触れた中国武術では床まで相手を倒すようなことはしない。動きの基本である一箇条を正しく練るには立技では下まで抑えないようにするのが適当であろうと思われる。