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道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(5)

  道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(5) 合気道も近世の柔術の流れを汲むものであり、そこに突き蹴りへの対処がシステムとして不充分であることは間違いがない。柔術システムには対剣術を前提とする技術と、相手を取り押さえる技術の二つの系統があった。前者は「入身」を中心とするもので、後者は関節技がよく研究された。こうした中で「柔」としての主流は「入身」技法において展開されて行くことになる。「入身」は剣術でも多用されおり、古くは「拍子」とされ、あるいは間合い、呼吸は相手として重視された。これは相手と接触する前にどのように対するか、が研究されたのであった。入身を使えば直接、相手の攻撃に触れることはないので、これを用いればどのような強い攻撃に対しても「無敵」であるということが可能となる。突きや蹴りに対する技も、入身を用いればその攻撃線を外れてしまうので、個々の攻撃に対応することを考える必要がなくなる。つまり合気道においては入身で、相手からの攻撃線から外れてしまうので、個々の攻撃のパターンに対応する技を練習しなくても良いのである。ただ確かに「入身」は必勝の方法なのであるが、必ずしも「入身」が何時も完璧に行えるわけではない、という大きな問題点もある。

宋常星『太上道徳経講義』(27ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(27ー4) 「善」なる計画においては謀(はかりごと 籌策)を用いることはない。 「籌(ちゅう)」とは計略を考えることである。「策」とは書付る物のことである。計略を考えなければその詳細を知ることもできないし、計略を記すものがなければその詳細を深く考えることもできない。しかし聖人はそうしたものを要しない。聖人の道は一貫している。聖人の心は無為の心である。聖人は一貫の道をして天下に用いるのであり、そうなればあらゆることが自然と分かって来る。無為を心として、それを天下に用いれば、あらゆる事の理は、何もしないでも自然に得られる。そうであるから聖人は道の理のまま動いているのであり、そこにあるのは自然の理や無為の働きそのままである。それは計略をしようとしてもし尽くせるものではないし、考えて他の道を取ることもできない。何もしないでもあらゆることが分かり、始めから終わりまですべてを見通している。そうであるからどうして策略を用いる必要があるであろうか。そうしたことを「『善』なる計画には謀(はかりごと 籌策)を用いることはない」と述べているのである。何時の時代であっても、よくよく心を尽くせば、それなりの名案も生まれて来るであろう。また重さを知るのに細かな単位を設ければ便利かもしれない。しかし結局は細かに単位を作るとしても限界があるし、細かなことまで決めるののも同様である。そうであるなら苦労して詳細を考えることと、自然のままの「善なる計画」とどちらが良いであろうか。 〈奥義伝開〉ここでは「善」は、予め細かに計画を立てて行うようなものではないことが述べられている。つまり「善」の実践は場合に応じて様々な対応の出来る状態でなされなければならないことが示されているわけである。それは自然というものが常に変化、運動をしているからである。つまり「善」なる計画は、実質的には計画そのものが必要のない、無為において為されることが、ここに教えられている。そうした「善」は我々の日々の生活において途切れることなく、あらゆる場面で実践されている。人も「自然」の動きのままに生きている。そうであるから本来的にはその行為は「善」なるものなのである。

宋常星『太上道徳経講義』(27ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(27ー3) 「善」なる言葉には欠けているところ(瑕)やよろしく無いところ(謫)は無い。 言葉について語る時、そこには「本(もと)」があるのであり、それは「善」なる言葉である。「瑕(か)」とは傷のことである。「謫」とはまちがいのことである。言ったことを顧みることがなければ、反省するベースも有されていないことになり、場合によっては「徳」を乱すことにもなってしまう。また不適切な行為をなすことにもなる。こうしたところには欠けているところ(瑕)やよろしく無いところ(謫)があるわけである。しかし聖人は非道な言葉を述べることはない。理のないことを語ることもない。言葉を軽く発することもなく、言えば必ず適切な言い方となる。それは天下の優れた規範であり、国家の手本でもある。聖人の言葉は簡単で難しくはないので、その言うところは明らかである。よけいな言葉の加えられることもなく、よく理を尽くしている。どのようなことが語られても、怨まれることも、悪まれることもない。そうした言葉は「善なる言語」というのが適当ではなかろうか。ここにある「『善』なる言葉には欠けているところ(瑕)やよろしく無いところ(謫)は無い」とあるのは、以上に述べたような意味なのである。 〈奥義伝開〉ここでは「善」の実行が誤りのないものとなることが示されている。これも無為自然のひとつの形である。ここで老子は始めには「行動」を例にして、ここでは「言葉」を例にしているが、それは単なる例えで「行動」や「言葉」に限定されるものではない。ここでは言ったことが間違いのないものとなる、とするが、これはあらゆる行為にも共通している。

宋常星『太上道徳経講義』(27ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(27ー2) 「善」なる行いがなされても、そのは痕跡を見ることは無い。 どのような車であっても車が通れば轍(わだち)の跡が残るものである。人が歩いて行っても足跡は残る。それは自分の過去が消せないのと同じである。人の行いは、意識をして為されるが、それは意識の世界だけに留まることはなく、なんらかの物による影響を免れざるを得ないものでもあるから、その行為の跡も消えることはなくなる。そして消えることがないのは善なる行いではないからに他ならない。そしてこうした行いは人や物を救うことはない。しかし聖人の行いは、車の轍の跡に比することのできないものである。あらゆるものと渾然一体となって我も彼も忘れてしまう。垣根を設けることなく、他人と自分を分け隔てることもない。行うべき事を行うべき時に行う。こうしたことが家や国において行われると、家でも国でもその行為の「跡」を見ることはできない。それを天下に行ったとしても、誰もそれが為されたことを知ることはない。「善」なる行為はそれが行われる範囲は山や海に限られることなく、鬼神もそれを知ることはできない。その始まりを見ることはできず、その終わりを知ることもかなわない。それが「『善』なる行いがなされても、そのは痕跡を見ることは無い」ということである。 〈奥義伝開〉以下、五つにわたって「善」なる行為の特徴が述べられている。ここでは「善」なる行為は、自然そのままなのであるので、他人から特にその存在が意識されることもないとが教られている。つまり「善」なる行為は無為自然において為されているのである。そうであるから例え「善」なる行為がなされたとしても、それは全く過不足なく自然の流れ、働きそのままであるので、そこに「善」がなされたとは気づかれないわけである。中国では「無敗神話」を持つ武術が「二流」とされるのも、武術の最高の境地が無為自然であって、不自然な争いを起こさないところにあると考えるからである。争いを生まなければ絶対に敗れることはない。こうした考え方は第五番目にも説かれている。

道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(4)

  道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(4) 韓国のハプキドーは柔術(真捨て身技と関節技が主体)に蹴り突きを取り入れたもので、これに欠けたものとして、突きや蹴りを導入している。同様の動きは日本でも近代以降は高まっていて、嘉納治五郎も空手を研究して「五方当」を編んだりもしている。空手では和道流が投げを取り入れようとした。そして戦後には日本少林寺拳法が考案されることになる。少林寺拳法も不遷流がベースになっているとされるが、基本的な技法の中に柔術の特色を色濃く残している。他には初見義昭の「忍術」からも、近代以前の柔術の姿を伺うことができる。かつての柔術師範は武田惣角のように各地を回って教えを授けていた。これは和歌や和算、占い、絵画などでも共通して見られたことであった。今でも各地の公民館を回って芸を披露している芸人や劇団は少なくない。これらは旅をして歩いていたかつての芸人の姿を留めているといえよう。ハプキドーの他にも海外では現在の日本で滅んでしまった武術の伝承を残しているものの存する可能性があるようである。実際にハワイには日系の移住者の伝えた武術を教えているところもあるようである。こうした中には沖縄の古い「唐手」を知ることのできる手がかりもあるかもしれないと考えている。

道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(3)

  道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(3) 韓国には武田惣角から大東流を学んで創始したとされるハプキドーがある。これは漢字では「合気道」と書いている。いろいろな動画を見る限りでは大東流や合気道とは全く関係がないように思われる。おそらく半島か日本かは分からないが、どこかで学んだ古いタイプの柔術がベースになっているようである。戦前、戦中までは日本各地にいろいろな柔術の伝承が少なからず残っていた。こうした中のひとつを学んだものがベースになってハプキドーが編まれていると思われる。加えて身法などは全くテコンドーと同じく朝鮮人独特の力の出し方をしている。世界には各地に独特の民族文化があるが、その中に身体文化もあり、これは武術、舞踊などに共通して見ることができる。空手なども形は中国南拳そのものであるが、演武の間合いは歌舞伎や剣術、柔術などと等しく「極め」を重視する(柔術では残心などという)。これに対して中国武術ではプロセスが攻防を行っている時であるから、そこが重要と考えて、それが終わったところの「極め」に特別な意義を見ようとはしない。これは日本と中国との「身体文化」の違いに起因している。

道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(2)

  道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(2) 現在、合気道の演武を見ると昔に比べて激しくなった、という印象がある。これは技を利かせようとするためであり、そのベースが関節技になっているからである。同じく関節技を使うシステムを取るものに日本少林寺拳法がある。少林寺拳法は、突きや蹴りから関節技、投げ技を行うが、こうした流れは伝統的な柔術と何ら代わりはない。違っているのは「当身」の充実で、ここでは日本拳法を参考にしたと思われる突きや蹴りが取り入れられている。それはともかく合気道における技を利かせるポイントは実はこうした関節技にはないのである。盛平は肉体レベルの技を「魄」の武術として、合気道の「魂」の武術とは全く別であるとする明確な認識を示していた。また大東流でも柔術と合気は別物である、との認識は広く共有されている。入身投げを動きの流れをコントロールして倒す技ではなく、首に腕を絡ませて投げる技と理解したのでは動きの本質が全く違ったものになってしまう。

道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(1)

  道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(1) 現在、合気道は第三世代に中核が移りつつある。第一世代は植芝盛平から直接に教えを受けた弟子が中心であった。そして第二世代も少なからざる孫弟子が盛平の演武を見ていた。そして第三世代においては盛平の姿を知らない人がほとんどとなっている。たとえ親が合気道の指導者や弟子であったりして、盛平の演武を「見た」としても、それはごく幼少期の「経験」であって、武術的な視点からそれを見て何かを学び得るものではなかったであろうと思われる。これは合気道に限ることではないが、第三世代あたりになると創始者の「雰囲気」が分からなくなってしまうことが往々にしてある。そして、それが革新的なものであればある程、「普通」のものへと退化してしまう危険をはらんでいるともいえる。一方で「普通」にならなったものは、多くの人の支持を得ることなく消えてしまうことが多い。こうして創始者のもたらした「革新」はその組織により「普通」と化し、「革新」はそれとは別のところで受け継がれて行くことになる。

宋常星『太上道徳経講義』(27ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(27ー1) 大いなる技(大方)とは特定の「技=方」をいうものではない。大いなる同一(大同)は特定の形をいうものではない。大いなる技は特定の技ではなく、それは過去にも未来にも限定されるものではないし、遠近や大小にも限定されることなく、それを限ることはできない。大いなる用法とは特定の用い方ではなく、あらゆる物事に体して適切に振る舞えるということである。それぞれに適切に対することができるわけである。しかし、その働きは顕著に認めることはできないし、それがどのように用いられたのか、その「迹(あと)」を知ることもできない。人は「一(完全であるシステム)」なる身であるから、天地の道を体している。「一」なる心を持っているので万物の理を備えている。それはそのようにしようとするのではなくそのまま有されている。それを開こうとしても開かれるものはなく、それを閉じようとしても閉じられるものでもない。それはどのようにしようとしてもどうすることもできず、結ぼうとして結べることなく、解こうとして解けるものではない。こうした奥深い「善」という視点から人というものを考えると、人には不適切なところは全くないことになる。物にあっても適当でないものはないことになる。「善」が働いていれば己をよく治めることができるし、他人をもよく治めることができる。「善」を用いれば善人となるが、それは己を善くするということでもある。そうした「善」の働きの個々を明らかに知ろうと(明)しても、それは限りのないものとなり、その限界を人はよく理解することはてきない。私的な欲に溺れることがなければ、「善」の大いなる働き(用)が、特定の働きとして限定することができないものであることが分かるであろう。つまり「善」の働きである大いなる「方」は、大いなる「方」そのままであり、それ以上でも以下でもないのである。この章では五つの「善」を明らかにしている。それは「善」が人を救い、物を救うのに最も適したものであることを教えている。 〈奥義伝開〉ここでは老子の説く「善」を実践する場合の特徴点が述べられ、それが「善」の説明にもなっている。次いで老子の時代に常用されていたと思われる「襲明」と「要妙」の語を「善」の立場から解釈し直す。こうした常用苦句へ独特な解釈を施すことは外でも老子はよく行っている。ちなみに「善」を実践す...

宋常星『太上道徳経講義』(26ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(26ー7) 「軽」であればつまりは「臣」を失う。「躁」であれば「君」を失う。 肉体はすべからく「身=全身」にあっては「臣」となる。そして「臣」は「君(精神)」を助けるものであるので、「君」を失うことはできない。また欲望を節することなく、危険を省みることがなければ、それは自分を軽くしていることになる。自分を軽くしていれば当然のことながら「臣(肉体)」を失うことになる。例えば国の君が自重することがなければ、臣下は礼をもって君に接することはなくなり、あらゆる人々の心は君を離れ、その徳は失われる。そうであるか「『軽』であればつまりは『臣』を失う」とあるのである。本来、体は「中=中庸」にある。これが「一」なる身の「君」である。「君」は肉体を主宰しているのであるから、それを失ってはならない。時に急いで事を行い、焦ってなんとかしようとする。こうしたことをしてしまうのは、物事の順序が順を追って為されて行くものであることを知らないからである。こうしたことが「躁」であるということになる。「躁」であれば必ず「君」を失うことになる。それは国君が自ら静を守ることができず、つまり「中」の局地に立つことができないのであれば、王宮を建ててそこでわずかに儀式を行ったりして王のまねごとをしたりするに過ぎないこととなる。そうであるから「『躁』であらば『君』を失う」とある。修行ということにおいてもこれは変わることはない。「君」としての心が安定していれば、根本である肉体が不安定になることはない。もし意識(神)が乱れれば、我が身の主人公である心は、必ず「中」を離れ、我が身も必ず乱れてしまうことになろう。我が身の「百官」たるいろいろな器官は、その「君」である心を欺こうとして、我が身である「国」を乱れさせ民を危うくさせる。そうなると我が身である「天下」も失われてしまうことになる。「軽」「躁」であれば、どうしても「重」や「静」であることはできないのである。 〈奥義伝開〉「万乗の君」は自分では自分を自重していると思っているが、これを社会的に見たならばその身を「軽」くしていることになる(本来、「重」や「静」をして身を処している人は大国の王になろとはしない)。そうなると臣下は離れて行くし、自身が「軽=軽薄」なのであるから、その行動は常に争いの中にある「躁」となる。そうなれば人心を失い...

宋常星『太上道徳経講義』(26ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(26ー6) いかなる大国の王(万乗の主)も、自分の身より天下を軽いと見なしている。 「いかなる」とは感嘆を込めた表現で、大国の王は漏れることなく、ということを強調している。つまり王は「重は軽の根」であり「静は躁の君」であることを知っているのであり、それを「重」んじることで大国を維持し、「静」であることで国を守っているわけである。つまり「道」を「至重」として、これを軽んじていないのであり、「徳」を「至静」として躁であることを戒めている。そうであるから我が身より天下を軽んじて重きをなすことがないようにしている。我が身より天下を軽んじて社会のとらわれから脱すれば、我が身が害されることもなくなる。人生をよく考えてみるに、人生と天理とは一体となっている。三宝(精、気、神)はこの身にあって、貴いこと限りないので、我が身を大国とすることができるであろう(し、その主である我は大王ということになる)。もし我の気を大事にしないで、我が身の形を大切にせず、我が命を重んじ、我が神を愛することがなければ、自ら滅んでしまうことになろう。つまり天下よりも自分の身を軽んずることはないということである。修行者はこのところをよく考えてみなければなるまい。 〈奥義伝開〉ここでの本文は「身軽天下」とあるが、これには「身は天下を軽んずる」とすると読むのが一般的である。しかし馬王堆漢墓から出土した古いテキストでは「身軽於天下」とあり、「身を天下において軽んず」とある。つまり身を天下というフィールドにおいて軽く扱っているということである。個人的には後者の方が適切であると考える。つまり「万乗の主」である大軍を有する大国の国主は、いうならば「覇王」であり、こうした大王はもちろん贅沢豪奢を極める生活をしていて、自分を何よりも大切に思っている。しかし社会全体(天下)からすれば実はそうではない、と老子は教えているわけである。こうした大王自身は実は世の道理である「道」を知らない「軽=軽薄」な存在であるとする。そうであるからいかなる大国も遂には滅びて行くことになる。これが次に「軽」であれば臣下を失うというところに通じて来る。「軽」はまた落ち着きのない「躁」でもある。絶えず争いをして「躁(さわい)」でいるのは「軽」であるからに他ならない。権力者とはいづれもこうした存在なのである。一見して「...

道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(8)

  道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(8) 形意拳では「起、落、翻、讃」の秘訣がある。「起」は上への動き、「落」は下への動き、「翻」はネジリ、「讃」は集中である。これをあえて分けるならば、「起」「讃」は五行「拳」、「落」「翻」は五行「掌」で鍛錬されるとすることができよう。簡単にいえば五行拳で集中を学び、五行掌では放鬆(ゆるみ)を得るということもできる。大東流でも柔術と合気柔術が「別物」として理解さているのは、システムとして柔術では剛の合気を、合気柔術では柔の合気を鍛錬するのが理想であったのかもしれない(ただ大東流自体がシステムとして完成したものではないので、こうした見方はあくまでシステム論上の形式的な理論の展開に過ぎない)。形意拳に八卦掌が取り入れられた理由も、柔の合気の鍛錬法の充実ということがあったと思われる。よく形意拳の名人が相手の攻撃を受けたと見たら、相手は彼方に飛ばされていた、とされるエピソードがあるのは、瞬時に合気の「なじみ」を作っていたからに他ならないであろう。こうした合気を使うには剛の合気で体幹を鍛え、柔の合気で精妙な感覚を育てることが重要なのである。

道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(7)

  道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(7) 先に触れたが形意拳の「束」のように体幹を鍛える方法に八卦掌の「縮」がある。これも力を体の中心軸に集めるイメージのある「縮」が拳缺としてある。八卦掌では「縮」と「伸」、形意拳では「束」と「展」として体幹を使っての力の出し方の重要性が説かれている。日本ではよく「手ほどき」という語が柔術の稽古などで用いられ、強く掴まれた手を外すことが柔術練習の第一歩と見なされていたが、これは体幹が出来ているかどうかを見ていたのである。かつて台湾の公園で練習していると、半年に一回くらい「手を取らせてください」とか「手を取ってみなさい」と声を掛けられることがあった。大体、同年くらいであれば「手を取らせてください」と言われ、年配者は「手を取ってみなさい」と言って来たように思う。「手を取らせて」というのは相手の実力を見たいという意図であり、「手を取って」というのは外し方を見せるから何かを学びなさいということのようであった。当時は随分、煩わしいと思っていたが、これらはひとつの修練、学びの場であることに後に気がついた。

道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(6)

  道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(6) 歴史的に五行掌は形意拳が八卦掌を取り入れてから考案されたものと思われ、通常は形意拳と八卦掌をつなぐ練習法と見られることも多い。これは五行「掌」ではより腕のネジリが強調されるので、これが八卦掌のネイ勁に通じるためでもある。ネイ勁を全身に強く利かせているのが八卦掌で、これを「龍身」などと称するが、形意拳でも「龍身」の秘訣はある。ただ形意拳の「龍身」はネジリ・ネイ勁をいうのではなく、膝、腰、肩で体を折って力を溜める秘訣をいう。これにネジリが加わると八卦掌の「龍身」となるわけである。つまり形意拳の「龍身」では力を体の中心に溜める「束」を重視しているのであり、これより前に大きな力が発せられるのが「展」である。一方の八卦掌の「龍身」においては、体の中心に力を溜める(縮)のは同じであるが、これがネジリを利用して行われるので、この力が発せられる時(伸)には歩法の導きによることになる。身法の力が入身の歩法として展開されるわけである。よく「腰」を練るといわれるのは体幹を鍛えているわけで、これは門派にかかわりなく最重要視されているといえよう。形意拳では古くは三体式で「束」の鍛錬をしていたが、より身心がリラックスした状態で練る方が「沈=束」を感じやすいことが見出されて、形意拳の一部では五行「掌」が用いられている。これは太極拳や八卦掌で「掌」が多用されているのと同じ理由で、体幹を鍛える感覚を得るには身心をある程度、緩める方が入りやすいのである。

道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(5)

  道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(5) 形意拳では接触したところから更に押し込むことで「圧」を得て合気を行い相手の体勢を崩す。この時、腕を擦るように使うのが秘訣で、これによって適度な「圧」を得ることができる。そして相手を上に崩して、下へ引き込むわけであるが、これは「引退落空」のひとつの形でもある。これに対して五行掌では腕をねじり、体を沈めることで相手との「なじみ」を得ようとする柔の合気を用いる。この方法は「抜き合気」と同じである。五行掌はただ五行拳を掌で行うに過ぎないが、それぞれの動作で腰を沈めることを意図的に行う。こうした鍛錬は前への勢いが強い五行拳を行うに際して腰が浮いて体勢が崩れないようにするための鍛錬ともなり得る。そのためには腰を沈める時に、充分に体全体が沈み込むような感覚がなければならない。これが沈身である。またこのような体勢を形意拳では「束」として拳缺で教えている。「束」は沈身において体の中心軸に力が集まるようにすることである。ちなみに形意拳では沈身よりも「束」の語を使うことが多い。

宋常星『太上道徳経講義』(26ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(26ー5) どんな立派な建物(栄観)があっても、清閑な場所に超然として居る。 これは天下を治める者はまさに無為で静かにあらねばならないことを言っている。「栄観」は派手な物欲を象徴しており、音楽や色事、金銭などの欲望のことである。人は皆こうした「世間の味」を争って得ようとして、大波、小波の人生を送っている。しかし、君子はひとり超然としている。世俗から離れて清らかで、とらわれのない究極的な境地に居る。自然の時の流れのまま、自然の理に準じていて、物欲に支配されることもない。欲望に引かれて盲動することもない。それは清らかな風の中に名月を見るようであり、常に安らかで居る。「清閑な場所に超然として居る」とはこうした意味である。修行者は、はたして富貴にあって、それにとらわれることなくして居られるであろうか。極貧にあって、それにとらわれることなく居られるであろうか。もし、こうしたとらわれから脱していないのであれば、それは超然とした君子たり得ていないということになる。 〈奥義伝開〉「重」や「静」による生活とは、世俗は離れた清閑なところに超然として居ることであることが示されている。「超然」としているのであれば、立派な建物である「栄観」に住んでも構わないように思うが、やはりそうしたものよりは自然の中の清閑なところが好まれる。中国では山の中の一軒家で一人、本を読んでいるような絵が多く描かれて文人墨客とされるような人たちの憧れであった。

宋常星『太上道徳経講義』(26ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(26ー4) つまり優れた人(君子)は終日、こうしたこと(「重」や「静」)を実践しているのであり、輜重(しちょう 軍需用物資)を離すことがない。 ここは例えを述べている。「君子」とは才や徳が一般の人より優れた人物のことである。君子は(道と一体となった)「一」なる身をして天下に臨んでいる。動と静、語と黙、こうした対立するものの関係性の中に天の理の働きの不思議を見ることができる。君と臣、父と子、これらでは変わらない関係性と倫理が重んじられる。事に応じて物に接するには、道徳や仁義がひじょうに重要となる。「一」なる語は静を主とする心から発せられる。そうであるから「一」なる行為は、静や「一」を重視することなくなされることはない。終日そうであり、終日怠ることなく実践されている。そうであるから「終日、こうしたこと(「重」や「静」)を実践している」とあるのである。そして「輜重(軍需用物資)を離すことがない」とあるのは、軍事行為におい物資を運ぶ車は軍隊を食べさせて行くのに放す(離す)ことのできないものであるからである。商売で物資を運ぶことにおいても、利益を得ようとするならば、それを運ぶ車を手放すことはできない。君子の立場を説明するのに「輜重」を持ち出しているのは、つまりそれを離すことがなければ自分の身を守ることができるからである。そうであるから「つまり優れた人(君子)は終日、こうしたこと(「重」や「静」)を実践しているのであり、輜重(軍需用物資)を離すことがない」とあるのである。 『奥義伝開)原文では「不離輜重」とあり、そのように訳したが、本来はそこは「軽重」とされるべきである。「軽」は古くは「輕」と書いていて「輜」とひじょうに似ているので書き写している内に誤ったのであろう。ここでは「君子」は常に先に述べたような「軽ー重」「躁ー静」のことを知って「重」や「静」を実践していることを述べようとしている。これは行おうと意図して(有為)行うべきことではなく、無為において自然に行っていることなので終日の実践が可能となるのである。

宋常星『太上道徳経講義』(26ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(26ー3) 「静」は「躁」の君である。 無為を守るとは、自然であるということである。これを「静」という。無為を守ることがなければ、物事が不安定となる。これを「躁」という。よく天下を治め得る人は、無欲、無為であり自然の道に順じている。もしそうでなく意図的に行うところがあれば、それは必ず失敗してしまう。そうであるから無為をして、行うべきことの行うべき時の来るのを待たなけばならない。ただ静かにしていて、その機の熟すのを待つのである。世の「躁」なる人でも、「静」を得たなら畏れ慎んであえて盲動しようとするようなことはなくなる。そうであるからこれを「『静』は『躁』の君である」としている。 〈奥義伝開〉「躁」とは騒がしいことで、これは外の様子に左右されて自己を省みることのない状態である。あるべき生き方をするには外的な状況と共に内的な状況をもよく把握しておく必要がある。そして外的、内的な状況を把握するには「静」を得なければならない。そうであるから「静」を「君=君主」としている。静坐により「静」なる境地を得て「重」なる行動を実践する。そうすればまた「静」の気づきがあり、「重」の行動も深いものとなって行く。こうした過程を繰り返すのが修行となる。

道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(4)

  道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(4) 「抜き合気」を明確に行ったのは堀川幸道であるが、これは「御信用の手」の柔的な展開のひとつでもある。興味深いことに、堀川は腕を取りに来た相手の手の中に積極的に入る合気の方法も教えていた。通常は充分に腕を取らせることで「なじみ」を得て技を掛けるが、堀川は積極的に相手に触れることで強い反応を引き出して「なじみ」を得ようとする。弟子の岡本正剛は「合気」の一人での練習法として、自分で自分の手でを掴んで「なじみ」の圧を作って、その瞬間に掴まれた手を開くような方法を教えていたが、これらいづれも剛の合気そのものである。合気上げを基本に、より剛の合気を明確にしたのが積極的に相手の手に触れる方法であり、抜き合気はその反対に柔の合気を強調したものといえよう。堀川は合気の剛的な側面と柔的な側面をより明確に示したということができる。また合気道では完全に相手との圧を利用することなく、力の流れのままに相手を導く方法を主とするようになる。これが「呼吸力」である。合気と呼吸力の違いをいうなら相手との間に「圧」があるかどうかにあるとすることができよう。こうした呼吸力の延長線上に「触れないで倒す」ようなことも起きてくるが、これは既に武術を逸脱した「勘違い」が生み出した幻想に過ぎない。

道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(3)

  道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(3) また本来、大東流は私見では合気上げの「御信用の手」を起源とし、これに柔術的な技法を加えて展開させた「大東流柔術」となり、さらに合気の語を付して「大東流合気柔術」といわれるようになったと考える。あえていうなら「御信用の手」は抜刀術の範囲にあり、「大東流柔術」からは柔術へとそのシステムを変容していったとすることができる。さらにそれに「合気」の語が付されて柔のイメージも持たれるようになって行くのは柔術的な展開として当然のことであったとすることができよう。これは「御信用の手」で見出された「なじみ」の利用が、剛的な展開からより柔的な展開へと変容して行ったことを表すものとも考えられよう。また大きく言えば「柔」のイメージは日本の柔術の基盤にあるものであり、「御信用の手」を柔術的に展開しようとした場合に、その動きが「柔」の傾向を帯びてくるのは当然のことであったとすることもできる。こうした中で「剛の合気」であった「御信用の手」が次第に柔の合気となり、最後には合気道において「呼吸法」として柔のシステムに組み入れられることになった。ちなみに剛の合気でも柔の合気でも武術的にはどちらに優劣があるということはない。

道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(2)

  道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(2) 大東流の合気上げは「剛の合気」であるとしたが、もしこれを「柔の合気」で行ったとするならば、腕を上げるのではなく、後ろに引いたり、左右に流したりするのが一般的な対処法となろう。これは堀川幸道のいう「抜き合気」でもある。また太極拳では「化(相手の力を受け入れる)」や「走(相手の力をコントロールする)」として多用される。大東流で「合気」をかけると、相手は後ろに体をそらすような体勢で崩されるが、これは剛の合気を使っているためである。これに対して合気道では力を流すようにする「柔の合気」が基本となるので相手は後ろに崩されることになる。合気上げと、合気道の呼吸法はどちらも、両手を取らせて相手を崩すものであるが、大東流では膝の上に手を置くことが多いのに対して、合気道は胸の前で取らせることが多い。こうした傾向は大東流の剛の合気から合気道の柔の合気への変化を示しているともいえよう。本来、大東流の「合気」は抜刀術から出たもので、刀を抜こうとする時に腕を抑えられた状態が基本となる。相手を「合気」で崩してそのまま抜刀に持ち込むには、後ろに崩すよりも前に崩した方が動きの流れとして適当であることは言うまでもなかろう。合気道のように後ろに流すように崩す「合気」へ変化して行ったのは柔術的な展開が、抜刀を前提としていないからに他ならない。

道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(1)

  道徳武芸研究 「抜き合気」と五行掌〜束と縮〜(1) 「合気」とは何か、というと、これは「相手の力をコントロールする技術」ということができるであろう。この時に前提となるのが相手との「なじみ」である。この「なじみ」というのは、相手の攻撃する力をうまく受けて、適度に反発することで「密着」状態を生み出しすことである。そして、それを利用して相手をコントロールすることで武術的な展開を可能とする。相手の力を反撃の力に変換できるようコントロールするわけである。一方で、相手の力を完全に遮断して、こちらの攻撃を加える方法もある。多くの武術はこの方法を取っている。また「なじみ」を使う「合気」も剛の合気と柔の合気がある。中国武術でいうなら剛の合気の代表は詠春拳で柔の合気は太極拳ということになろうか。「なじみ」とは相手の力を引き出してそれに適度に反発することで作らるのであるから、こちからら押し込んで相手の反応を得ても相手の力を引き出すことができるし(剛の合気)、こちらが柔らかく対して相手の力を受け入れても「なじみ」を作ること(柔の合気)が可能となる。大東流の「合気」は合気上げを見ても分かるように、相手に力を押し込むのが基本で、それはどちらかと言えば「剛の合気」となる。

宋常星『太上道徳経講義』(26ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(26ー2) 「重」は「軽」の根である。 軽挙することなく、盲動することがないのを「重」とする。そうであるから軽挙盲動は「軽」となる。かつてよく天下を治め得た者は、法を軽くは扱わなかった。よく考えないで事を行うことはなかった。もし軽い気持ちで法を行えばそれは守られなくなるし、よく考えないで行動をすれば、それは必ず悪い結果を招くことになる。そうであるから自「重」しなければならないのであり、そうなれば世の中全体にあっても軽挙は戒められ、盲動は為されなくなる。「軽」を捨てて「重」を取る。たとえ「軽」にあってもそれは自然に「重」へと至ることになる。そうであるから「『重』は『軽』の根である」とされている。 〈奥義伝開〉老子は「重」である自重は、思いのままの行動である「軽」の「根」にあるものとする。つまり、欲望のままの行為である「軽」は、その根元にある「重」を含んでいるわけである。そして、人の根源的な欲望として「重」があるとする。つまり「重」は人が学んで得るべきものではなく、誰もが「重」を持っていることを自覚することが重要なのである。それには次に触れられる「静」を得る必要がある。もちろん「静」も誰もが生まれながらに有しているものであることは言うまでもなかろう。

宋常星『太上道徳経講義』(26ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(26ー1) 上古の聖賢は「重」は自重することであり、最も尊ぶべき「道」を重んじることであるとしている。「静」は「道」を養うもので、それは社会において普遍的価値を持つ「徳」を養うことであるとする。心は太極の実理と一体であり、身は陰陽の和気を有している。その根底には「徳」の実行があり、これを用いることが行為の「道」の実践の結果となる。「本」あれば「枝」が生まれる。「源」があれば「流」が生まれる。これらの働きは風が起これば雨が降るのと同じである。そしてそれはまた良い日(瑞日)には幸運を示す雲(祥雲)が出るのと同じでもある。天下の人々が、そうした「徳」を受け入れたならばこの世は間違いのないものとなろう。どのような時でもそうしたことをよく体していれば迷うこともない。そこには「重」があり「静」がある。そしてそこに「徳」が行われていることは明らかであろう。修道の人は、よく「道」「徳」により「重」や「静」を得ているであろうか。それとも「軽(軽薄)」で「重」を失ってはいないであろうか。「躁」で「静」を失ってはいないであろうか。もし身に道徳が修せられることがなければ、どうして行為においてそれを行うことができるであろうか。この章では「重」「静」は「軽」「躁」となれば失われてしまうことが述べられているのである。 〈奥義伝開〉ここでは「重」と「静」の重要性を説くと共に、それらが「軽」や「躁」と無関係ではないことに触れられる。「重」というのは「自重」といった意味で、後には儒家において「敬(つつしみ)」と称されるような行動原則と同じである。また「静」も実際的には「重」と同じであるが、あえていうなら「重」は外的な行動をいうもので、「静」は内的な心境を表しているとすることができよう。これは「徳(道を実践したのが徳)」と「道(合理的な思考による行動原則)」ということでもある。

宋常星『太上道徳経講義』(25ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(25ー6) 人は地を法とし、地は天を法とする。天は道を法とし、道は自然を法とする。 地の徳は「安静」にある。安静にして(むやみにいじることなく)種を植えておけば五穀は実る。地を掘れば良い水を得ることができる。地はどのように使われても、それを怨むことはない。そして良いものを惜しみなくもたらしてくれる。あらゆる物を乗せて、あらゆる生き物を育てている。そしてそれは安静を基本としている。もし、よく安静の徳を得ることができれば、心に妄念を抱くことなく、身は妄動することなく、意は妄思することもない。事は妄りに為されることなく、真静の本体が得られるであろう。そうであるから聖なる王は無為、無欲の道を修しているのであり、それによって教化されない民はいない。治まらない国はない。これは諸事において地の道である安静によっているからである。それが「人は地を法とし」である。天の徳は「軽清」であり、天は高かく明らかで、活発で勢いがあり、とらわれのない静けさを持って極まるところがない。そうであるから三光(日、月、星)は常に輝き、四時(四季)は順調に巡っている。これは地が天の徳を法としているからである。天地は共に関係をし、陰陽は互いに交わっている。そうであるから万物は形を成すことができている。まさに万物の性質は、全てが天の変化によっているのであり、全ての地に生えているものは天の徳によって生育している。そうであるから「地は天を法とする」とある。道は形を持たないし、名を有することもない。音もないし、臭いもない。至虚で至妙である。天、地、人、物すべてが、道から生まれている。すべてが道によって成り立っている。そうであるから「天は道を法とし」とある。もし天が道を法とすることがなければ、陰陽は昇降の運動をすることもないし、造化も陰陽が観応して為されることがない。つまり三才(天、人、地)を巡り、運動、変化をすることが万物の根本を為しているのである、また万物の命でもある。万物は終われば、また始まる。これはすべて天が道を法としているからである。そうであるので「天は道を法とし」とあるわけである。自然であるとは、特に意図的に運動をすることもなく、特に意図して何かをする必要もない。ひとつも加えるべきものがない、ひとつも削るべきところがない。道は男女を生むので、男女には人としての倫理が自...

道徳武芸研究 易と太極拳(8)

  道徳武芸研究 易と太極拳(8) 本来「静」をベースとする太極拳は、陳キンによって「動」を強調する「太極拳」となる。そして陳家太極拳なる名称が生み出される。当然のことであるが、張三豊の十三勢を太極拳とした王宗岳の頃には十三勢と易との関係が説かれることはなかった。それが太極拳の陰陽論に、変化を示す易を融合させることで、陰陽つまり太極を変化としての「動」を示すものとして捉え、そこに更には螺旋の動きである纏絲勁が見い出せるとしたのである。こうして陳キンは陳家砲捶の纏絲勁が普遍的な真理であることを証明しようとしたのであった。結果として同じ太極拳といっても陳家と楊家では全く別の「太極拳」であったわけである。またその動きからも分かるが陳家の「動」と、本来の太極拳の「静」の動きの特徴は明確であり、その有する理論も実は全く異なっていたわけである。

道徳武芸研究 易と太極拳(7)

  道徳武芸研究 易と太極拳(7) もうひとつ纏絲勁と太極拳を結びつけるものとして「太極双魚図」がある。これは白黒の二匹の魚が互いに追いかけるような姿を示す図で、円環する運動を示している。太極図は周濂渓によって十一世紀頃に世に出る。この時の太極は陰陽が互いに分かれているだけであるが、これが後には二匹の魚が互いに追いかけ合うような運動を示すものとして扱われるようになる。それは八卦の「変化」を強調するもので、それを日月星辰の動きである周天によって見ることができるとする考え方による。陳キンはこれを更に渦巻きの動きと同じものとして捉えようとする。このように陳家「太極拳」としての名称が確立するまでには幾つもの「飛躍」や「付会」を経なければならなかったわけである。また陳キンは技術の説明においても如何に陳家砲捶が「螺旋」の動きで成り立っているかを事細かに説明している。

道徳武芸研究 易と太極拳(6)

  道徳武芸研究 易と太極拳(6) 現在、古い卜は甲骨文に見ることができるが、そこに残されているのは問いかけだけであり、例えば亀の甲羅には「甲申、卜。雨」などと記されている。これは「甲申の時に卜(うらない)をする。雨が降るか」ということで、その甲羅のひび割れで雨が降るかどうかを占ったのである。そして、その結果は別のところに記録されて残されたと思われる。そうであるから「問い」と「答え」がバラバラに残ることになったのであろう。そしてこの「答え」は神託として、似たもの(龍に関係するものは乾卦に集められた等)がそれらしい「卦」のところにまとめられて易が成立して行ったものと思われる。そうであるから「卦」と「爻辞」とが合わなくて意味が分からないというのは当然のことなのである。儒教では古代人の神界からのメッセージ、ぞれはシュタイナー的には超感覚的世界からのメッセージ、アカシックレコードのリーディングともいうべき情報であるが、これを捉えて、それらを通して宇宙の実相を知ることができると考えたのであろう。そして、儒教ではこうした「真理」の中に身の処し方を知ることができるヒントがあると考えた。これは『詩経』などでも同様で、古代の素朴な、つまりは簡易なものの中には「真実」を見ることができると考えられたのであった。

道徳武芸研究 易と太極拳(5)

  道徳武芸研究 易と太極拳(5) おおよそ易は陰陽を記号で示す「卦」と、卦のひとつひとつの陰陽をに付された「爻辞」とで構成されている。これに後に儒教的な解説としての「伝」が付されて、儒教の経典としての『易経』が成立する。易の全体を見ると、おそらく「卦」と「爻辞」は全く別に成立していたのではないかと思われる。「卦」は陰陽をして森羅万象は成り立っているとする宇宙観で、これは五行思想などと同じようなものである。一方「爻辞」は甲骨文などと文体も似ており、おそらくは占いの「結果」つまり神託を集めて編集したものと思われる。本来は問いかけの文があって、「爻辞」のような「結果=神託」が存していたのであろうが、問いかけのところはなくなり、「神託」の部分だけが残されたのであろう。それは「神託」が格言的な一種の普遍性を有する言辞と見なされていたからであると思われる。また易が成立するには卦と爻辞が繋がらなければならないので「象」という解説が付されている。本来、ひとつにならない卦と爻辞を繋ぐ努力は後々にも延々となされることになる。