第三十三章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】
第三十三章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では聖人の道について述べている。返照内観(自分の内側を見つめて)して、どのような状態であっても、不足を思うことがない。もし、そこに分別の心が除かれていなかったならば、いろいろな価値判断をしてしまうので、どのような状態であっても充分と思うことはできなくなるであろう。もし「道」による「常の明」を知ることができたならば、全ては自得されることであろう。力を使って闘って勝ったとしても、相手には勝つことができるが、自分に勝つことはできない。つまり克己の強さは、競争に勝つような力ではどうにもならないのである。貪る者は日々に不足を思うであろう。自分は足りないと思ったことはない。それは富んでいるからである。物を求めれば得られる。私は努力を怠らないが、たとえ物が得られなくてもくじけることはない。物を求めても、それだけで終わりにはしない。そうであるから物を失ったとしても、失ったと思ったことはない。失うことがなければ、どのような状態であっても、永遠に得ている状態で居ることができる。死生はおおいなる根源であり、(人の本質である)性は亡びることはない。亡びることがないので寿(ひささし)くあることが可能である。よく永遠であり得るのである。どうして生まれない者や死なない者が居ようか(そうした限り有る人生であるが、「道」を知ることで永遠なるものへの悟りを得ることができるのである)。このように至人の行うところのものは(「道」と一体となっているので)全てに欠けているところがないのである。 〔心の平安や満足は外にそれを求めるのではなく、自分の中に求めることで真に得られるのである〕