道徳武芸研究 手印と静坐(2)

道徳武芸研究 手印と静坐(2)

「敬」は山崎闇斎も垂加神道で重視しており、これを土金(どごん つちかね)の伝としている。土金の伝とは五行説で「土は金を生む」によるもので、日本神話に見られる「国土」の形成が土が締まってできたものと考えて、これは土が締まって鉱物(金かね)となるのと同じであるから「土生金」であり、「土しまる」つまり「つつしまる」そしてここから「つつしみ(敬)」を導き出す。つまり「敬」には不安定なものが安定する働きがあると考えるのである。ここでいう「国土」は静坐では「心身」のこととすることができるので、「敬」字は精神と肉体と整える働きを象徴するものと解することができる。山崎闇斎自身は伊勢神道など中世神道の「秘伝」も積極的に研究していたが、結局はそうしたものを静坐として大成することはできず、垂加神道ではかえって中世神道の「迷信」の中に埋没してしまった感も否めない。要するに静坐とは心身を「敬」の状態に安定させることに他ならないわけで、それに至る方法はどのようなものを使っても、あるいは使わなくても構わないのであるが、静坐ではただ坐ることのみでそれが果たされると考える。


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