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宋常星『太上道徳経講義』(42ー10)

  宋常星『太上道徳経講義』(42ー10) 吾はそう教えているのであるから「教えの父」といえよう。 「父」とは始めということである。柔和は生であり、ただ強いだけの梁は死である。こうした教訓を天下に示すが、自分は謙って、教え導く等とする振る舞いをすることはないが、実際は教えを示しているのであるから「吾はそうであるから『教えの父』であるといえよう」としている。老子は殷周の時代に、「一」なる身体は全天理の和」であり、「一」なる心は「教父」の化したものであるとする。それは一時的には統治を助けるものとはならないようでも、こうしたことは必ず王の定めた綱領の基本となるものであり、必ず乾坤の理と合致するものなのである。 〈奥義伝開〉おそらく偉大なる教えの父(教父)は、物事は中心さえしっかりしていれば失敗することはない、という教えを「梁が強ければ、死ぬことはない」として説いていたものと思われる。ここで老子は「梁が強ければ、死ぬことはない」と自分も同じことを言ったのであるから、偉大なる教えの父と同列であるとする。同じ情報であれば、誰から聞いても同じである、ということである。「一」は「一」であって、それ以上でも以下でもない。「人」は「人」であってそれ以上でも以下でもない。「情報」は「情報」であって、それがどのように伝えられても、その価値、内容は同じである。つまり、あらゆるものは究極的には平等なのである。こうした思想を荘子は「万物斉同」という語を用いて表現している。

宋常星『太上道徳経講義』(42ー9)

  宋常星『太上道徳経講義』(42ー9) 人の教えることを我もまた教えよう。「梁が強ければ、死ぬことはない」と。 古の聖人が、天下に教えを垂れたのは、特に「強いものを避けて弱くあれ」ということであった。「剛」を去って「柔」を用いるのであり、人々をして「冲和の気」をして心を涵養せしめることであった。そうして「謙譲の理」のままに生きることであった。こうした人は「強梁の徒」とすることができよう。ここに強さは自然に化して柔順となる。そうであるから老子は今また自分はこれを教えるとしている。「人に教える」とはこうした意味なのである。つまり「人の教えることを我もまた教えよう」である。ただ、広い天下や後世の人にあっては「柔和の道」が「生の道」であることを知ることなく、あるいは声望に頼り、あるいは強権的なことを行うことが「強梁」であると考える人も居るかもしれない。こうした「強梁」は「死の道」である。そうであるので「梁が強ければ、死ぬことはない」とされている。今の世を憂い、古を思って嘆くばかりである。 〈奥義伝開〉「梁が強ければ、死なない」というのは当時の格言であろう。家の梁が強ければ地震などで倒壊することはないという教えである。これは何事にあっても中心となるものがしっかりしていなければ、その大系は容易に崩壊してしまう、ということである。

宋常星『太上道徳経講義』(42ー8)

  宋常星『太上道徳経講義』(42ー8) そうであるから物はあるいは損することがあれば益することがあろう。また益することがあれば損することがあることになる。 ここでは損益の道(道理)について述べられている。「物はあるいは損することがあれば益することもある」とは、王公が「孤」「寡」「不穀」を謙遜して自称するようなもので、これは「損」であるということができる。そうすることで国は安泰で民も安らかで居ることができるのである。そうなればそれは真の「益」であろう。もし「王公」が奢って自分だけのことを考えていたなら、これは一見しては「益」であるが、政治は乱れ民は苦しむことになる。そうなればこれは真には「損」ということになる。こうしたことからすれば「益」と見えることが実際は「損」であることもあるし、「損」と見えることが本当は「益」であるということもあるわけである。つまり「満つれば、必ず損する」のであるし「譲れば必ず進められる」ものでもあるのである。これは一般的に見ることのできる道理といえるであろう。修行をしようとする人は、必ず慎まねばならない。そうしたことを「あるいは損することがあれば益することもあるであろう」と述べているのである。 〈奥義伝開〉ここも同じく「損」という概念を得たならば、自ずから「益」という概念も得ることになるのであり、それは反対に「益」という概念を得たならば「損」ということも自然に認識されるようになるわけである。こうした例を老子はよく用いている(第二章)。武術でも攻撃力を得ることは自らを守る「益」にもなるが、同時に自らを「損」することにもなるので注意が必要である。力を持てば使いたくなる。そうすると武術を使わなくても良い場面で使ってしまい、自らを傷つけることにもなり兼ねないわけである。重要なことは「益」と「損」とのバランスである。武術でいうならあまり強くなり過ぎないことが好ましいとされて太極拳のような練習法が最も優れていると見なされている。

道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(4)

  道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(4) これは武術に限ることではないが、あらゆる運動の練習は目標とする一点に、その成果が収斂されるようなシステムが組み立てられている。水泳でも、野球でも、練習の全て特定の能力を高めるためのものとして為されている。もし、そうした観点からして必要とないと見なされた練習は、当然のことながら為されなくなってしまう。武術においてもあらゆる練習は「実戦」という目的の一点に向かうものである。今回、考察を加えた「頂肘」の用法が見えなくなってしまっているのは「頂肘」だけを八極拳というシステムから独立したものと考えるからである。重要なのは、これを鉄山靠をも含めた練功をも視野に入れた解釈がなされなければならないということである。その大きな要因として「把子拳」という視点が抜けてしまっていることに問題があるように思われる。ただ相手を掴んでの攻撃は非常に危険なもので、殴打などによる死亡事件の多くは相手を掴んでいた、とが報じられることが多い。そうしたこともあって今日、ほとんどの武術では相手を掴んでの攻撃を伝えていない。ショー格闘技で上着を付けさせないのも、グラブを用いるのも、共に掴んでの攻撃をさせなくさせるといった意図が一方にはある。

道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(3)

  道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(3) 八極拳の「鉄山靠」は体当たりであるが、体当たりは実戦ではひじょうに有効で太極拳では「靠」として用法の秘訣にもなっている。太極拳の中でも「文人拳」として知られる鄭子太極拳(簡易式)であるが、それでも非常に「靠」の練習が重視されていて八極拳と同様に壁に背中を打ち付ける練習をよく行う。また八卦拳でも対練で体を打ち付け合う練習をする。日本の剣術にも体当たりはあって、以前は竹刀剣道でも体当たりは盛んに行われていた。私見によれば「頂肘」は体当たりに導くためのものであると考えている。つまり、これは柔道でいう「釣り手」ではないかと思うのである。相手の胸のあたりを掴んで引きつける。この場合に左手はこれも柔道でいうなら「引き手」ということになる。釣り手と引き手で相手を捉えて体当たりをする、これが八極拳の実戦における基本的な戦法でなかったのかと思われる。

道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(2)

  道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(2) 八極拳では小架でも大架でも始めの「頂肘」の動作があるのは、この技が重要と考えられていたからに他ならない。しかし「頂肘」を肘打ちと解釈したなら実戦性には大きな疑問が生じて来ることを前回、指摘しておいた。およそ八極拳でも、太極拳でも、それらにおいて一個の技・動きはシステムの一部として機能している。そうであるなら一個の技・動作はシステム全体から解釈されるべきであり、そうした中で矛盾なく理解されるものでなければならないわけである。「頂肘」の用法を解き明かす鍵は「把子拳」と「鉄山靠」にあると思われる。「把子拳」は八極拳の古い名称とされるが、これは八極拳の用法を示すものであり、この名称が用いられなくなったのは、重要な用法を隠すためであったとも考えられる。「把子拳」とは指を折り曲げるようにした「拳」で、これは相手を掴むことを意図している。同様なものに鷹爪手などもあり、相手の服などを掴むための指功が重視される。また「鉄山靠」は体当たりである。

道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(1)

  道徳武芸研究 八極拳「頂肘」を考える(1) 八極拳といえば始めに出てくる「頂肘」の動作が有名である。ただ肘を高く上げる動きは他の武術では余り見ることのできないものでもある。そうしたこともあって「頂肘」は八極拳を特徴付ける動きともなっている。そして、これは肘打ちであると説明される。しかし攻防の観点から言うなら「頂肘」を肘打ちとすると、余りにも無防備な技であると言わなければならない。攻防を形通りとして、相手に対して横向きになって肘で攻撃をする、ということになるようであるが、それでは体側・脇は大きく空いてしまう。つまり体の後ろも前も共にほぼ無防備で相手の攻撃を容易に許す形になるわけである。そうしたこともあって、実戦での解説となると肘を体の前に上げる形にする、と説明していることもあるようである。この形であれば体側や背中のスキは無くすことができるが、肘打ちは近い間合いでないと使えない。つまり肘打ちをする間合いまで相手に近づく間に容易に反撃を許すことになってしまうわけである。多くの武術で肘打ちはあるが、特別な場合の用法(相手に抱きつかれるなど)とされているのは、通常に用いるには危険が余りに大きいためなのである。