道徳武芸研究 太極拳の奥義「慢練」
道徳武芸研究 太極拳の奥義「慢練」 「慢練」とは、単純な意味をして言うならば「ゆっくり練習する」ということであるが、こうしたことは初心の段階ではどのような運動技術の習得においても見ることのできることである。しかし、太極拳であえて「慢練」という語があるのは、ただ「ゆっくり練習する」ということ以上の意味があるからに他ならない。 中国武術では攻防において「意」と「気」の二つの要素があると考える。「意」とは意識のことであり、これは「将軍」に例えられる。一方の「気」は肉体のことで、これは「兵卒」とされる。つまり肉体は意識によって動かされているということであるが、意のままに身体が動かないのは実戦のように突発的な対応を求められる時には往々にしてあることである。実戦はルールがないので何が起こるか分からない。そうした時に驚かされて「意」の働きを止められてしまうと、いくら身体を鍛えていても全くそれを使うことができなくなってしまう。またこれは相手の「意」を制してしまえば実際の打ち合いの起こる前にそれを止めることが可能となるということでもある。 「慢練」は「意」と「気」の統合を深めるためにひじょうに有効であることにおいて見出された練習法なのである。それでは具体的に「意」と「気」を統合させるにはどうしたら良いのか。それは感覚(意)で動き(気)を詳細に捉えることである。内的な目で自己の動きの詳細をできるだけ細かく把握することである。そうした感覚を養うことで、例え「意」と「気」が威嚇などによって分離をしても、すぐに修復できるようになるし、威嚇そのものが通じなくなってしまう。それは相手の「意」の働きがよく把握できるからである。ボクシングなどでは動体視力といって相手の動き、つまり肉体の動きを視覚で捉えようとするが、中国や日本の武術の中には感覚全般を観る(過度に集中しない)のが良いとされて「相手の全体をなんとなく眺める」のが目付けの秘訣とする派もある。そうしたシステムでは相手を倒すだけではなく、争いを回避する方法をも視野に入れている。 少林拳では「眼神」が重んじられ、集中した目つきが求められるが、これは攻撃型の方法で、ここにおいて「意」と「気」は攻防に集中される。これに対して太極拳などは自然な目つきが求められる。それは「意」と「気」の集中ではなく統合を良しとするからに他ならない。「意」と「...