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道竅談 李涵虚(103)第十二章 薬のレベル

道竅談 李涵虚(103)第十二章 薬のレベル 〈要点〉 西派では「薬」に三つのレベルがあるとしている。神仙道でいう「薬」とは心身の変容のポイントということである。これが三段階あるとしている。第一は「無から有を出す」もので、次は「有から無に入る」もの、そして最後は「無から有を産む」ものとする。最初の「無から有を出す」のは「後天の鉛火」の出現をいう。「鉛火」とは内的な「火」のことで、こうした内的な「火」は世界のあるゆる神秘行において重視されている。「鉛火」は腎にあるもので「腎の一陽」がそれであるとしており、つまり腎が活性化することで体内に熱を生じるようになる、この「熱」が「有」として出現するわけである。この内的な熱は実際の体温の上昇として現れるのであるが、これが内的か、外的かの区別は呼吸が乱れるかどうかにあるとする。呼吸が乱れることなく生ずる「熱」は内的なものとするのであるが、実際は呼吸が深くなっているということである。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(15)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(15) 形意拳が八卦掌から取り入れた扣歩は、八卦掌では「縮身」と関係するが、形意拳では「束身」としてとらえられる。縮身と束身はどちらも溜めのための動きであるが、縮身では上下前後の変化を含むのに対して、束身では前後を主とするところが違っている。「龍形八卦掌」の換掌でもやはり束身的なニュアンスが強い。ちなみに太極拳ではこうした身法はとらない。呉家の退歩跨虎も縮や束を前提とするものではない。今回、見て来たように「龍形八卦掌」は八卦拳、形意拳、呉家太極拳などの要素を含んでいるのであるが、絶妙なバランスでそれらを配して、独特の八卦掌を構成しているといえる。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(14)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(14) 形意拳の扣歩は八卦掌から取り入れられたものとされ、五行拳などでも見られるがそれは套路の方向を変えるだけのもののように考えられているが、実際はそうではない。劈拳なら劈拳を打った時にそれを受けられたら、更にそのまま打ち込む(硬打硬進)が形意拳の戦法であるのであるが、ただ押し込もうとしてもてきるものではない。そのために相手の前足を引っ掛けてバランスを崩すことで更なる打ち込みの機会を得ようとする。こうした時に扣歩が使われる。こうした「用法」が如実に示されているのが「龍形」の換掌となる。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(13)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(13) 八卦拳において「投げ技」への展開は、あくまで扣歩、擺歩の変化としてそういったものもあり得るということに過ぎない。そうであるから八卦掌を、ただ単なる「投げ技」に限定的に応用しようとするのはシステム理論上からも適切とはいえないのである。またそうであるから八卦拳・八卦掌の「投げ技」は中国相撲の投げ技とはまったく入り方の違うものであることが認識されなければ「用法」としての「投げ技」は何ら意味のないものとなる。また「龍形八卦掌」で示されている換掌の方法は形意拳における扣歩の用法を示すものでもある。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(12)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(12) 「龍形八卦掌」の換掌は八卦拳の八掌拳から形意拳の狸猫上樹の間に存するもので以下にそれらの「構造」を示してみよう。 八卦拳(扣ー動ー開ー後方へ) 呉家(扣ー止ー開ー後方へ) 龍形八卦掌(扣ー止ー合ー後方へ) 狸猫上樹(擺ー止ー合ー前方へ) 八卦掌にもとからあった「足を上げない扣歩」と形意拳の狸猫上樹の「足を上げての擺歩」をつなぐものとして呉家の退歩跨虎が取り入れられたのであろうが、これは本来の八卦拳・八掌拳の動きと「構造」上は変わらない。偶然にそうなったのか、何らかの情報があってそうなったのかを実証することは今はできないが、偶然とするにはあまにり出来すぎている。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(11)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(11) 呉家の退歩跨虎で扣歩をとるのは後方へと転身をする(転身迎面掌)ためである。この流れは八卦拳の八掌拳と同じである。「龍形」でも、そのまま転身をしても流れとしては成立するが、それをしなかったのは形意拳の狸猫上樹の変化であるという意識があったためと思われる。「龍形」では扣歩から擺歩になるところで狸猫上樹の動きとなる。それは「龍形八卦掌」が根本的には形意拳の龍形拳をベースとしたものであり、またそこでは狸猫上樹が意識されなければならないものであったためと思われる。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(10)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(10) また「龍形八卦掌」の動作を考える場合には呉家太極拳の退歩跨虎からの影響も見ておかなければならない。呉家でも片足をあげての扣歩が示されているからである。太極拳では退歩跨虎はその前の上歩七星と「ひとつの動き」と考える。 上歩七星(上歩ー合) 退歩跨虎(退歩ー開) となっており対の動作とされているわけである。ただ呉家では退歩跨虎ではただ一歩退くだけではなく体を横に転ずる動きを含ませる。これでは上歩七星と対とはならないと思われるかもしれないが、呉家では、 上歩七星(上歩ー合ー直) 退歩跨虎(退歩ー開ー横) ととらえて理論的に完全な「対」の関係としようとしているのである。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(9)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(9) 八卦拳では特に「投げ技」への展開が意識されることはないが、形意拳にあっても当初はあくまで入身の歩法を得るために八卦掌は取り入れられたのである。ただ興味深いことは、八母掌の羅漢拳システムでの展開である八掌拳において扣歩の変化としての投げ技が含まれていることである。そして八掌拳における身法は「龍形八卦掌」の換掌の身法とほぼ同じなのである。「龍形八卦掌」の片足をあげる換掌では本来は扣歩を十分に利かせるものであるが、これは八掌拳でも同様で、その違いは八掌拳が一連の流れで扣歩を用いているのに対して「龍形」では扣歩の構えで一瞬、止まるところのみである。こうして見ると、あるいは「龍形」で八卦掌の中でも特異な片足をあげる動作を取るのは八卦拳・八掌拳につらなる何らかの情報がベースにあったからなのではないかと思われるのである。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(8)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(8) 「四病」がなければ「中定」が得られる。「前進」は合気道などでは表とされる入身で前に進んで相手の死角に入る。「後退」は裏の入身で相手の動きを外して死角を作る。「右転」「左転」は転身をしての入身である。形意拳の連環拳では「前後」の入身までは完成していたが、「右転」「左転」の入身は十分な研究がなされていなかった。そこで八卦掌の歩法(扣、擺歩)が取り入れられることになったわけである。形意拳の創始者である李能然は師の戴龍邦から当初は連環拳の初めの幾つかの動作だけを練習させられていたとされる。これはおそらくは進歩と退歩の崩拳だけを練っていたということであろう(退歩崩拳ではなく退歩讃拳で行う場合もあるが、裏の入身を練るということでは同じである)。形意拳に高度な入身が八卦掌からもたらされるのは李能然の次の世代を待たなければならない。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(7)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(7) 形意拳は五行拳でも十二形拳でも単発の動きを基本としている。しかし、形意拳における連環性への希求は深いものがあり、初めに連環拳が作られた。ここで求められたのは「入身」である。太極拳の五歩(中定、前進、後退、右転、左転)は入身の歩法である。「中定」はバランスよく立つことのできる状態で、これがなければ前後左右に円滑に動く入身はできない。黄柏年もわざわざ「四病」として右、左、前、後に体が偏ることを戒めている(これは適切なバランスを保つということで必ずしも真っ直ぐに立つことを求めるものではない)。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(6)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(6) ちなみに黄柏年の『龍形八卦掌』では対練を相撲の意のある「角觝」としている。こうしたところからすれば黄柏年のあたりからは八卦掌を「投げ技」としてとらえることがあったと思われる。黄柏年は李存義の弟子である。八卦掌が形意拳に取り入れられたのが李存義の世代からであるから形意門における八卦掌第二世代あたりでは八卦掌を「投げ技」として位置付ける認識が深まっていたのであろう。ちなみに黄は形意拳における滾勁の研究を深く行っていたとされている。こうしたことからすれば滾勁と「投げ技」とが深い関係にあったのではないかと考えらえる。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(5)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(5) 龍形八卦掌という名称は形意門では黄柏年がその著書『龍形八卦掌』で用いている。形意門では十二形の龍形の変化として八卦掌を取り入れた。形意拳において「龍」が象徴しているのは滾勁である。ウネウネと途切れることのない動きを「龍」と見たわけである。これは十二形の蛇形でも良さそうであるが、龍は空中に居ることも出来るので上下と左右の変化がある。一方で蛇は地上を離れることがないため上下の動きがない。そうであるから上下左右の変化を共に重視する八卦掌を取り入れるには「龍」形でなければならなかったのである。これをより明確に示したのは陳ハン嶺が伝えた「龍形八卦掌」で、換掌の時に片足を上げる動作は形意拳の龍形に含まれる狸猫上樹によるものであるる(これはかつて指摘をしておいた)。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(4)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(4) 八卦拳では基礎的な心身の力を養う八卦「掌」のシステムと、攻防の力を養う八卦「拳」のシステムによって構成されている。興味深いことに高義盛派では同様のシステムを先天と後天に体系を分けて構築している。八卦「掌」の系統につながる基本的な功を養うシステムは先天として、八卦「拳」の系統のように力の出し方、打法を練るものは後天としてシステムを組み立てたのである。もちろん高派には羅漢拳そのものは伝わっていないので、高義盛の習得していた少林拳などが「後天」には取り入れられた。こうして見ると高派の八卦掌は八卦拳本来のシステムを踏襲する優れた体系ということができよう。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(3)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(3) 八卦掌のベースになっているのは八卦拳のシステムでいうならば八母掌である。八母掌は心身の能力を開くためのものであるので、そのままで攻防に使うとは考えない。スポーツでは走り込みがすべてのベースとされ、ボクシングなどでもランニングが重視されるが、それと同じく八母掌は八卦拳を練るためのベースを作るものなのである。八卦拳において打法は羅漢拳系統のシステムで習得することになっている。そうであるから八卦掌で「打ち方」が分からないのは当然なのである。八卦掌で「力の出し方」が分からないというのは八卦拳・八卦掌のシステム上そうなっているのであるから当然のことと考えなければならない。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(2)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(2) 一説によれば八卦掌の套路では拳を使うことがないので、それでは「打ち方」が分からない。力の出し方が分からない、ということとなり、そうであるなら八卦掌は打法ではなく「投げ技」なのではないかと考えられるようになったという背景もあるとされている。特に形意門では打法を主とする形意拳を補完するものとして八卦掌の「投げ技」がある、とする位置付けが定着しつつあるようでもある。これは後にも触れるように形意拳が八卦掌を取り入れた歴史的経緯からすれば一面において正しい見方ということができるのであるが、ことは打法を補うための「投げ技」として八卦掌が位置付けられるというほど単純なものでもない。

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(1)

第九十四話 龍形八卦掌における投げ技への展開(1) 現在、いろいろな演武を見ると八卦掌を「投げ技」のシステムとしてとらえる傾向が顕著であるように思われる。とりわけ「龍形八卦掌」では換掌の時に片足を上げる動作を示しており、これは足を掛けての投げ技と自然に解することができる。ただこうした動作は他の八卦掌では見ることはできない。それだけ「龍形八卦掌」では換掌において「投げ技」が意識されているということであろう。ただ本来の八卦拳では特に「投げ技」が強調されることはないので、八卦掌=投げ技という理解は八卦拳には存していなかったものである(ここでは陳ハン嶺の伝えたものを「龍形八卦掌」と表記し、形意門で伝わる龍形八卦掌には「」を付さないこととする)。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(15)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(15) 簡易式が鄭子太極拳といわれるのも、鄭曼青が孔子や孟子のように「道」を提示した「聖人」と見なされているという側面のあるためである。儒教では「聖人」は特別な存在ではなく、だれでも「聖人」であるが欲望などに曇らされて「聖人」としての実際の働きができないでいると考える。孔子も孟子も心の曇りを浄化して「道」を知ることができたのであり、これは鄭曼青においても同様であったと見なされている。もちろん張三豊も儒教でいえば「聖人」とすることができるであろう(張三豊は道士であったとされるので真人といわれることはある)。そうであるならその太極拳は「簡易」なものでなければならない。それを復活させようとしたのが鄭曼青であった。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(14)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(14) また「繋辞伝」には「簡易」について次のようにも説明している。 「易なれば知りやすく、簡なれば従いやすし。知りやすければ親あり、従いやすければ功あり」 ここでは「易」であれば理解しやすいとする。当然であろう。また「簡」であれば信頼をして任せやすいとしている。確かに簡易式を練習する人は多くが簡易式のみを台湾では練習していた。これは一種の「納得」が得られるためのようであった。いろいろと他の武術や太極拳を習っても結局は簡易式にもどってしまうようなのである。文章であれば推敲に推敲を重ねて結局は最初の形に戻ってしまうような感じなのかもしれない。つまり簡易式以上に「足すことも引くこともできない」と思うに至るようなのである。それはここにある種の「悟り」を実感するということなのであろう。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(13)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(13) 「簡易」な太極拳によって知るべき太極拳の核心が「盪」であると鄭曼青は教えていた。「盪」はすでに述べたように湯で皿を洗うことから来ている字で、陰陽が摩(す)れあって関係することであった。同様にこの世も変化をしていると考えるのである。春は突然、夏になるわけではない。徐々に暑くなって夏が実感されるようになる。これは春の中に夏が含まれていることになる。ひいては冬の暖かな陽だまりには「夏」が存しているのである。こうした自然の変転の理を知るためのエクササイズが太極拳なのであるが、それが「攻防」という用途に固執し過ぎることで十分に働いていないところが生じてしまっていた。それを改めたのが簡易式なのである。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(12)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(12) また「易」と「簡」については「繋辞伝」に次のようにもある。 「易簡にして天下の理を得る。天下の理を得て、位をその中に成す」 とある。「易簡」であるからこそ天下の理を知ることができるのであって、「中」つまり中庸で居ることができるとしている。「天下の理」とは「道(タオ)」であり「太極」である。つまり「太極」を知ろうとするのであれば、それは簡単で(簡)、分かりやすい(易)ものでなければならない。つまり108式まで増えてしまった太極拳ではすでに中庸を得ることは難しく、それを簡易にした簡易式でなければ「太極」に達することは難しいという考えが鄭曼青にあったように思われるのである。それは套路を通して直接に自分自身の「太極(小太極)」を悟ることは、つまりは森羅万象の太極(大太極)を知ることとなるということである。ここに大宇宙(大太極)と小宇宙(小太極)とはひとつのものとなり、天地と一体となることができるのである。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(11)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(11) 『易経』「繋辞伝」には「八卦相盪」を記した後に、 「乾(けん)は易をもって知り、坤は簡をもってよくす」 とも述べている。「乾坤」は陽陰であり、これは「易」と「簡」によることで知ることが可能となるとするわけである。つまり太極拳を知るには「易」と「簡」でなければならないのであり、それは陰陽を知ることでもあるわけである。陽陰は剛柔でもある。つまり簡易とは陰陽・剛柔を知るための方途なのである。鄭曼青は太極拳の陰陽をより明確にしようとした。例えば初めに出てくる左ホウはかつては楊家と同様に右掌を抑える形にしていたが、晩年は手首にアクセントを入れなくなった。これは前に上げる左手の「陽」と、動きを持たない右手の「陰」を際立たせるためである。ほかにも細かなところは多くあるが、目立って楊家と違っているのは雲手や斜飛である。これらも同様に左右の手の陰陽をより明らかにする動きになっている。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(10)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(10) 剛柔は陽陰であり、これにより八卦としても展開される。もちろん八卦も摩(こ)すれあう関係にあるのであるが、これを八卦では「盪」と表現している。「盪」は湯で皿を洗うということであって、これは摩するということでもある。太極拳でいうなら「八卦」はいろいろな動作ということになる。陰陽が展開していろいろな動作になる。起式は上下で陽と陰、それに左右の動きが加わり四象となり(左ホウ、右ホウ)、前後が組み合わされ(セイ、按)て八卦となる(上下 ×左右×前後 2×2×2で8通りの展開が得られる)。ラン雀尾が太極拳の総手と称されるのは陰陽から八卦への展開がここに示されているからに他ならない。またこれらの動きはどれも密接な関係にあり、途切れることはない。そうであるから太極拳には「綿綿不断」の拳訣がある。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(9)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(9) 「盪」という語が出ているのは『易経』(繋辞伝)であり、 「剛柔、相い摩(ま)し、八卦、相い盪(うご)かす」 とある。つまり「剛柔」が関係をするのであるが、それは摩(こ)するような関係においてそれを持つというのである。こうした関係を「陰陽互蔵」という。剛柔はまったくの剛と柔で別にあるのではなく、剛の中に柔を含み、柔の中において剛を含むことで関係をしている。それが「陰陽互蔵」である。これを示しているのが太極双魚図の魚の体と目で、例えば魚体が黒であれば目は白で示される。魚体が白であれば目は黒となる。これは剛の魚体に柔の目が存しているということで、柔の魚体にも剛の目があることになる。またこうした状態は「綿中蔵針」と称されることもある。綿は柔で針は剛である。一般的に太極拳は柔を表とするのでこれが太極拳を練る場合の秘訣となっている。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(8)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(8) 鄭曼青も簡易式の制定は多くの人が学びやすいように短い時間で練習できること、また重要な技を選んでそれを繰り返すことで学習効果をあげやすくしたことを意図したと述べている。しかし、実際はそれは表面的な理由であって、鄭曼青は「太極拳の本来の形」を簡易式で示そうとしたのであった。それを証しするものとしては「盪」という概念を重視したこと、また著書に『太極拳十三篇』とあること、鄭曼青は自身の制定した太極拳を「簡易式」と称していたことなどがあげられる。十三篇とは張三豊が創始した「太極拳」が十三勢と称されたことに関係している。つまり簡易式は「十三勢」であるとをこの書名は暗に示しているわけである。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(7)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(7) 現代になって簡易や簡化の太極拳が考案される要因としては一般への普及があった。かつての武術は限られた人だけが練習するものであって、技術が広まることは「手の内」を知られることになり攻防において不利となると考えられていた。ただ現代になると武術の攻防の術としての意義はしだいに希薄になって、健康法や楽しみのひとつとして学ばれるようになる。太極拳も二十世紀の初めころは結核に有効であるとして広まったという経緯がある。簡化は日本でいうならラジオ体操のような「国民運動」として制定されたようであるが、当初は必ずしも広く受け入れられることはなかったらしい。むしろ日本人に人気が出てそれによって中国でも見直されたような経緯があるようである。これは意拳も同様で、日本で沢井健一が太気拳として意拳を紹介してから中国でも再評価されるようになった。ただ中国で出されている本に出てくる沢井のエピソードは日本で語られている以上のものが見られないのは不思議なように思われる。それはともかく国交が正常化してもしばらくは日本人が大陸を訪れるには「訪中団」という形式でなければならず短期間で学ぶことのできる簡化は教える側にも教わる側にも便利であったのであろう。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(6)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(6) 簡易式も簡化もともに楊家の太極拳(108式)から動きを採っている点では共通している。また「簡易」も「簡化」も中国語としては一般的な言葉である。ただ「簡易」は簡単であるという状態を示すのに対して「簡化」は簡単にしたという経緯を示す意がある。たとえば簡易住房は仮説住宅のことである。仮設住宅は仮設で完結しており、本当の住宅を簡単にしたものではない。一方、簡化漢字は簡体字のことであるが、本来の漢字があってそれを仮に簡単にしたものということになる。つまり簡化太極拳では本来の太極拳の存在が想定されているわけであり、簡易の方は必ずしもそうではないという違いある ’(すでに述べたように簡化は本来の太極拳に帰るべきものなのであるが、実際の簡簡化太極拳は形意拳の原理によるものであるから楊家の太極拳に帰ろうとしても帰ることはできない)。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(5)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(5) 日本で美乃美が出した『中国太極拳』には簡化を演ずる李天驥の貴重な写真がある。簡化は本来の太極拳をやさしくした「簡化」とは称しているものの太極拳としてのセオリーからは逸脱している。これについてはここでは詳述しないが、起式からいきなり野馬分ソウに入るなど通常の太極拳ではあり得ない構成になっている。これには形意拳の三体式の影響がうかがえる。また足を寄せる動作も同様であるし、トウ脚から下勢への流れは形意拳の燕形の呼吸そのものである。簡化のベースになっているのは李天驥が最も深く体得していた形意拳であるといえよう。興味深いことに『中国太極拳』で李天驥が見せている推手は形意拳の滾勁の秘伝の使い方そのものである。太極拳としては必ずしも評価の高くない簡化であるが、これを「形意拳の太極拳」としてみた場合にはおもしろい発見がある。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(4)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(4) 楊名時の息子の楊進は簡化太極拳を編んだ李天驥に師事して、結局は楊(名時)「家」としては正統的な簡化の伝承系譜につらなることになった。こうしたことは現時点で直接に「楊名時太極拳」と李天驥の簡化とを関連付けるものとは認識されてはいないが、おそらく百年ほども後になれば楊名時の家系は簡化の正当な継承家系ということになるのであろう。こうした時間感覚は日本人にはない中国人独特の「百年先」を見据えたものなのかもしれない。李天驥の功は相当に深いが文革の頃に炭鉱で働かされて体を悪くしたという。若いころは体格も良かったらしいので、そのまま功を深めて行くことができれば、どのような境地を開拓したであろうかと思うと残念ではある。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(3)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(3) 太極拳の動きは「中指」を中心としなければならない。一方、空手や剣術は「人差し指」を中心に動いている。楊名時の演武は明らかに「人差し指」をベースとしてるのでこれは空手の動きに近いとせねばなるまい。太極拳で「人差し指」にアクセントを置かないのは、肩に力が入ることを避けるためである。肩をひじょうに柔らかく使う通臂拳などでも「中指」を少し立てる拳を用いているが、これは肩にアクセントを置かないで振り回すように拳を使おうとするためである。ちなみに使い方は異なるが八卦掌、形意拳でも「中指」を中心に動くことになっている。

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(2)

第九十三話 簡易と簡化の太極拳(2) また楊名時のプロフィールには「楊家の太極拳の正統な継承者」といった類の紹介がなされてあたかも楊家太極拳との関係性を思わせるような書き方がされていることも、ますます師承の系統についての混乱を助長させているようにも思われる。こうした経緯もあってか楊名時は次第に「楊名時太極拳」として独自路線への傾向を見せるようになる。楊名時が本を師として太極拳を学んだのか、大陸の師に就いていたのかはわからないが、その動きは太極拳の本来のものとは異なっている。