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道徳武芸研究 なぜ形は実戦に使えないのか(5)

  道徳武芸研究 なぜ形は実戦に使えないのか(5) 語学の例文でいうなら中国武術や古武道の形が「わたしは京都に行きます」であるなら、現代の武道の「形」とされるのは「行きます」だけと言えよう。そうなれば当然「行きます」はそのままでいろいろな場面で使うことができるわけであるが、ただそれだけを覚えても文法や表現技法の習得に発展することはない。実戦はひじょうに複雑で、どこまで相手を制するべきなのかも考えなくてはならない。一方、試合ではルールがあるのでその中で戦えば良いのであるから、複雑な攻防の技術を習得する必要はなく、ポイントとを得られる「最後の動き」だけを主として取得していれば良いのである。また現代武道の「形」にしても、それすら皆が同じ「形」を使ってはいない。一本背負いは背負って相手を投げなければならないのであるが、人によっては膝を落として巻き込むように投げている場合もある。この方が背負うより確実に相手を投げて背中を床につけてポイントを得ることができるからである。つまり現代武道のような本来の形の一部を切り取った「形」でさえそれがそのままに使われていることは希れなのである。

道徳武芸研究 植芝盛平の神秘体験(1)

  道徳武芸研究 植芝盛平の神秘体験(1) 植芝盛平は大本教に居た頃に「黄金体化」とされる神秘体験をした。合気会ではそれを合気道の生まれた時とする。この神秘体験は天地から黄金の息吹が吹き出して盛平は、それに包まれ自身が黄金体と化し¥たという。そしてその時に「我即宇宙」「万有愛護」を感得した。カッパ・ブックスの『合気道入門』(植芝吉祥丸)では、この「体験」をウパニシャッドの悟り体験を引いて解説している。本来、仏像は金色であり、それはまさに「黄金体化」をしているわけで、インドでは黄金の光に包まれるのは悟りを開いた時であるとする考え方があったようである。つまり、この盛平の体験も言うならば「究極の悟り体験」であったわけである。空海は求聞持法を修して明星と一体化する神秘体験をしたが、これは釈迦が悟りを開いたのと同じ体験であった。これにより空海は密教を信ずるようになった。また道元は「心身脱落」の神秘体験をして、これは釈迦の体験とは違うが、道元はこれこそが真の悟り体験であると、ひたすら「正法眼蔵」を書き綴って證明しようとした。「身心脱落」の体験が悟り体験であると考えるのは道元以外には無いので、道元はいろいろな解釈の可能性を模索したわけで、そのために「正法眼蔵」は難解となった。本来は通らない道理を通そうとするから難しくなるのは当然であると言えよう。

宋常星『太上道徳経講義』(41ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(41ー3) 普通の人(中士)は「道」を知ってもどうしようとも思わない。 優れた人に次ぐのが普通の人(中士)である。そうした人は「道」を求める気持ちはあるのであるが、それがあやふやなのである。「道」の実践も長続きすることがない。例えばちょっとした「道」に関することを知って、心が安らかになったりするが、すぐに目先のことに心が乱れてしまう。つまり「天の理」も「人の欲」も、雑然として混在している状態なのである。そうであるから「天の理」を見ても信じ切ることはできないでいる。そうであるから「普通の人(中士)は『道』を知ってもどうしようとも思わない」わけである。 〈奥義伝開〉通常の常識とされる認識の他により深い物事の見方のあることを理解はするもののその真価を分かるところまでは行っていない、静坐の価値を知っても、すぐに止めてしまう、こういった人は多く居るものである。またよく見られるのは静坐・内省のような精神的な修行に「物足りなさ」を感じて肉体的な修行へと迷い込む人である。日々十分、二十分の静坐では「物足りない」と思って、冷たい水を浴びたり、結跏趺坐で長い時間足の痛みに耐えたりしようとする。しかし、肉体的な修行と精神的な修行とは全く関係がない。精神的な深みに入ろうとするのであれば、精神(心)を開くしかない。

宋常星『太上道徳経講義』(41ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(41ー2) 優れた人(上士)は道を知ったならば、熱心にそれを実践しようとする。 「道」に接した人には三つのタイプがあるとされる。優れた人(上士)の見識は群を抜いている。考えは深く、もし「道」を知ることができたならば、必ずそれを熱心に行おうと思い、決して怠ることはない。それは山を登る者が必ず山頂を目指すようなものである。水のあるところを渡るのに必ず深いところを避けるようなものである。「道」を知ったならば、更に深いところに至ろうとして、その歩みを止めることはない。つまり優れた人は、ひたすら熱心に「道」を究め続けるのである。 〈奥義伝開〉通常の表面的な認識より更に深い認識のあることが理解できたならば、それを得ようとするのが、優れた人であるとしている。これはシュタイナーが言う「超感覚的認識」なのであるが、簡単に言えば「深い洞察」である。実際にそれを得るためには、そのように脳の働きを鍛えなければならない。具体的な方法はシュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』に詳しい。これは瞑想法のエッセンスを明かした最も優れた文献であるが若干、薔薇十字の系統に傾いてはいる。重要なことは日々内省の時間を持つことである。そうすることで物事を深く考える訓練をすれば、より深い認識に達することが可能となる。

宋常星『太上道徳経講義』(41ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(41ー1) 「道」は知るべきものであり、人の心の本質である「性」は欠くことのできないものである。もし「性」というものがなければ、目は正しく物を見ることはできないし、耳は正しく音を聞くことができない。鼻は正しく匂いを嗅ぐことができなし、口は正しく言葉を発することができない。もし「道」を知ることがなければ、身を修することはできないし、徳を立てることもできはしない。家は整わないし、国も治まることがない。そうであるから「道」は知られるべきなのである。ただ「道」を知ると言っても、そこには浅い深いがある。また「性」にも、それを賢明に働かせている人も居るし、愚鈍に働かせている人も居て同じではない。「道」を聞いて深く考え、努めて実践をする。そうして多くの場面で活かす。こうした人は深く「道」を理解して知恵のある人物(上士)とすることができる。「道」を聞いても専心することができない、心を決めかねているような人は普通の人物ということになる。これは、いまだ悟りを得ない人である。そして「道」をあまり信ずることなく、物事を深く考えないような人は愚かな人(下士)ということになる。また、これ以外にも二種類がある。それは感覚器官を通して認識を得る人と、感覚器官を通すことなくして認識を得る人とである。感覚器官には外には耳などがあり、それで得た情報を「性」を通して認識する。外的な感覚器官を通してのみ認識を得て、内的な感覚器官を用いることがない。これは「外的な認識」しか得ることはできない。一方では、外的な認識器官を通すことなく、内的な認識器官を用いるだけで得られる認識もある。それは外的な事象の認識ではない。妄念による誤った認識が生まれることがなければ、自分の「性」の声だけを聞くことができる。つまり心の声を聞くわけである。それは耳を用いることなく、よく声なき声を聞くわけである。そこには耳から誤った情報が入ることはない。つまり実際には聞こえないものを聞いているのである。そうしうたものをよく聞くことができても、多くの人はそれを聞くことができない。そうであるからこうしたことを「妙聞」と称する。こうした「妙聞」によってこそ「道」を聞くことができるのである。今「道」を聞こうとする人は、こうした「妙聞」のあることを知っているであろうか。「道」は兆しをして知るしかないが、それは一定の...

道徳武芸研究 なぜ形は実戦に使えないのか(4)

  道徳武芸研究 なぜ形は実戦に使えないのか(4) また「現代武道の形は使える」ということについては例えば柔道の「一本背負い」はそのまま試合に使えていると思われていることがある。ボクシングのストレートはそのまま試合に使えていると言う人も居る。しかし、これらは形ではない。形の一部にしか過ぎない。よく柔道では「崩し、作り、掛け」がないといけないと指導される(一般には「崩し、作り」で「作り」とされる)。つまり形とされるものにはこれらが全て含まれていなければならないわけで「一本背負い」は「掛け」だけということになり、形の一部であるに過ぎない。そうであるなら太極拳の進歩搬ラン捶の最後の「捶(右拳による突き)」は太極拳家が攻防をすれば容易に見ることができる。有名は呉公儀と陳克夫の試合の冒頭でも呉の進歩搬ラン捶が、陳の鼻に当たっているが、太極拳をよく知らない人は早い動きで、やや変化した動きの進歩搬ラン捶を進歩搬ラン捶と読み取ることはできないかもしれないが、それが右突きであることは分かるであろう。そうであるならこれを現代武道の「形」として解釈すれば、少なくとも太極拳の右突きの形(捶)は使えているということになる。勿論、他の場面でも右突きは何度も出て来ている。

道徳武芸研究 なぜ形は実戦に使えないのか(3)

  道徳武芸研究 なぜ形は実戦に使えないのか(3) かつて王陽明は「竹をひたすら見つめても何も得るものがなかった」とする体験を語っている。それは竹から情報を得るための準備が出来ていなかったからである。情報というものは漫然としていて得られるものではない。それには情報を得るための手段や方法がなければならない。もし王陽明が絵画での竹の表現技術を求めたいと思っていたら、絵画の技術という方法を通して得るものが多くあったであろう。また、もし植物学の知識があって顕微鏡などの手段が得られれば、これもいろいろな発見をし得たかもしれない。このように人が知識を効率よく摂取しようとするなら、それなりの手段や方法がなければならないのである。語学でも漫然と外国語を聞いていただけではそれを効率よく身につけることはできない。形の観点から言えば「例文」などを使わなければ文法、語彙などを効率的に学ぶことはできないわけである。例文で「わたしは京都に行きます」「昨日、わたしは夕食を食べました」とあった場合、「こんな文章をそのまま使うことはない」とこうした学習の方法に疑問を持つ人はいないことと思われる。それと同じで、どのような場合でも「わたしは京都に行きます」ということを常に使うことはないわけで「わたし」が「彼」となったり、行き先も「京都」ではなく「大阪」となったりすることは当前のことなのである。そのように武術の形もそのまま使うのではなく、それを状況に応じて微調整をして使うのは当然のことなのである。

道徳武芸研究 なぜ形は実戦に使えないのか(2)

  道徳武芸研究 なぜ形は実戦に使えないのか(2) 形とは何か、というならそれは「それを通して、ただ打ち合いをしていたのでは容易に気づくことのできないレベルの動きを身につけるためのもの」とすることができるであろう。形にまつわる伝説には戦いの中でなどで「偶然に生まれた優れた動き」が「形」となったとするものが少なくない。他にはいろいろな身体の能力を高めるために作られた形もあるが、そうしたものも長い年月の中で有効とされた形が残って行ったわけである。かつての中国では重い物を持ったり、ストレッチをしたりするのは基礎功、突きや蹴りなどは基本功、そして実戦における攻防を学ぶのが套路(形)とされている。そして更には相手を付けての形である対練や自由に打ち合う散打などもある。これらは言うまでもなく、いろいろな「手段」を通して学習を効率より高めることのできるシステムが模索されてできたものである。おそらくこうした過程を経ることがなくても、何百年も稽古をしていれば独自に形にあるような高度な原理を会得することはできるであろうが、そうしたことは現実的ではない。そこで時間を短縮するために形を学ぶわけである。

道徳武芸研究 なぜ形は実戦に使えないのか(1)

  道徳武芸研究 なぜ形は実戦に使えないのか(1) 中国武術などの形の稽古を中心とするシステムにおいては「なぜ形は実戦に使えないのか」という疑問が持たれることが少なくないようである。これについては「そもそも形はそのまま実戦に使うべきものではない」のであるから、そうした疑問自体が誤りということにはなるのであるが、そうした疑問が根強くあるのは、どのような原因があるのかについて今回は考察をしてみたいと考えている。本来的に形は実戦での動きを抽象化してできたものであり、それを通していろいろな学びができるようになっている。つまり「教科書」的なものなのである。いろいろな運動において基礎体力をつけるのに重視されているランニングや腕立て伏せは、それがそのまま競技(実戦)に使えるのか、などと考えられることはあるまい。そうであるなら実戦への基礎となる技術を学ぶ形がそのままで実戦に使えない、ことへの疑問も存在し得ないわけなのである。また一方で「現代武道の形は使える」とする誤解もある。こうしたことは形というものそのものへの理解の不足から生まれている。

宋常星『太上道徳経講義』(40ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(40ー5) 「有」は「無」に生ずる。 「無」とはつまり無形であり、無色である。「無」が「無」であることには深い教えがある。それを人の根源的な心のあり方である「性」で言うなら、個人の「性」の中の「不壊の元神」が「無」とされる。大いなる道から言えば、つまりこれは「太極」「真静」「真無」の本体でもあり、造化の中枢であると言えよう。それぞれの物の根源を為すものでもある。そうであるからそこには奥深い「理」が存している。その「理」とは「気」や「動」や「用」の働きであり、これらは総て「無」の中から生まれているということである。そうであるから「『有』は『無』に生ずる」とされている。この章では、陰陽などが繰り返すことについて述べられていた。そして、そこには動静、体用の変化があるとされる。そして、そにには「意」がある。繰り返しでは同じことを重ねるのであるが、それにはそれが生ずる「機」がある。つまり、それは「風が吹くという機が生ずることで全てが混じり合う」ようなものなのである。つまり(地上の物が)混じり合うのにはそれが生まれる「機」がなければならないわけである。万物にあってこの「機」を有しないで働いているものはひとつもない。もし、こうした「理」がないのであれば、そこには大いなる道もないということになる。天地もまた存しないことになる。万物の根本とは、どこにあるのであろうか。万物が生まれ、育つ「機」はどこにあるのであろうか。ここでは「有」と「無」が述べられているが、それは見ることもできるし、聞くこともできるものである。そうしたものは「実有」といえよう。一方で見ることができず、聞くこともできないものは「実無」とすることができる。一般的には有とは、形や質のあるのが「有」である。無は、空であり形のないものである。そうであるが形や質を「有」している物の中にも「無」は存しているのを知らなければならない。形や質のないところにも「有」の存していることも知らなければならない。もし、よくこの「理」を明らかにし得たならば、繰り返しの「機」の奥義を悟ることができよう(あらゆる存在は「無」から生まれているのであり、この「無」は相反するものを内容する「弱」的存在であるということ)。そうなれば(真の「静」を開くことができるので)本来の自分の心の根源的な働きである「元性」が正しく働き...

宋常星『太上道徳経講義』(40ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(40ー4) 天下の万物は「有」から生まれている。 「有」とはつまり「道の動」である。そこには「理」もあるし「気」も存している。万物が生まれるのは、そこに「有」があるからである。そういったところに「有」の「理」があるわけである。またここには「気」も存している。「気」があるから「物」がある。天命は常に動いて止むことがない。そうであるから万物は生まれ生まれて止むことがない。もし、そうした「理」がないとすれば、そこには「気」も存しないことになる。天命が動いていなければ、万物に始めも、終わりもないことになる。そうであるから「天下の万物は『有』から生まれている」とされている。 〈奥義伝開〉「物」は一般には「有」るとして認識される。これは当然のことであろう。コップでも本でも、それが有れば「有」るとして認識される。人は無いものを認識することはできない。一部の瞑想法では本来的に「物は永遠に存在するのではない」ことを悟るために、ヴィジョンとして物を幻視して、それを消すということを行う。これは精神の正常な働きを誤作動させて幻視をするのであるから、そのままでいると精神病になってしまう。そこでヴィジョンを消す作業をしなければならない。この時に導師(グル)という絶対的な指導者が必要になる。ヴィジョンを幻視している時、修行者の精神は正常に働いていないからである。こうした幻視を消すには絶対服従の関係を予め作っておかなければならないわけである。儒教の静坐などではこうした精神にあえて誤作動を促すようなことはするべきではないと考える。

宋常星『太上道徳経講義』(40ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(40ー3) 「弱」は道の「用」である。 この章で述べられている大いなる道の「動」については、その「機」が「動」くのは時を違うことがないのであり、あらゆるところを選ぶこともない。それは万物の「情」に順ずるものでもあり、物のあり方(用)そのままでもある。万物の本来的なあり方である「性」そのままなのであり、それはあらゆるところに及んでいる。そうしたことを「弱」と謂っている。つまり、その「用」は水の中にも、火の中にも入り込んでいるし、金石の中にも何らの支障もなく入り込んでいる。それは万物そのものであるし、そうでない物はない。当然のことに「剛」のみが「用」というわけではなく「柔」も「用」としての働きをなす。これが「易」でいう「群龍、首なきを見る。吉」なのである。そうであるから「『弱』は道の『用』である」とされている。つまり春や夏は温かく、万物が生まれ、秋や冬は寒く、万物がその活動を止める。その温かなのは「柔」であるが寒いのは「剛」ではない、とするなら、それは天地の理でないばかりでもなくなってしまう。こうした剛柔の変化は「柔」の(柔は剛へと変化するものとしての)「弱」における「用(変化)」なのである。人が生きて行く上で、(相手が強く出てきても)言葉は柔らかく、よく相手の言う事を聞く。何事にも寛容であれば、間違いはなく完璧であることができる。これも(剛に対するに柔をもってすることで剛を働かなくさせる)「弱」の「用」なのである。「弱」といってもそこに何事もなく、何物も生じていないのではないのである。 〈奥義伝開〉宋常星は文中に易の「群龍、首なきを見る。吉」を引いている。ここでの「群龍」は「剛」であり、それは陰陽や上下など変化するものを示している。そして「首」は「体」や「静」であって、それは、この世の働きとして我々が直接に見ることのできない世界にある。そこで、そうした根源をも視野に入れることができれば、認識として間違いのないもの、つまり「吉」といえる状態が得られるわけである。つまりこの世においては弱や柔、つまり謙譲(敬つつしみ)が重要であるということである。しかし、こうしたことの根源には「強」があるわけで、ただ相手に盲従するわけではない。

道徳武芸研究 二つの「猛虎硬爬山」(4)

  道徳武芸研究 二つの「猛虎硬爬山」(4) 李書文の強さを言う時には常に「二の打ち要らず」と称されていたことが取り上げられ、攻撃力の大きかった証とされるが、これは李書文の看板技であった猛虎硬爬山のことであろうと思われる。つまり猛虎硬爬山は始めに掌で打ち下ろして、相手の防御ラインを崩して、攻撃をする。しかし、劉雲樵の伝えた李書文のやり方であれば、これを同時に行うことができる。形の上では二度突きを入れて相手の防御ラインを突破することになっているが、李は一度の突きで相手の構えを破り、攻撃をすることができたわけである。それが「二の打ち要らず」と称された所以(ゆえん)であろう。つまり李書文の開発した猛虎硬爬山は、「不敗」とされた郭雲深の半歩崩拳のレベルまで達していたということであり、その術理があるために「二の打ち」が必要のない状況を作ることができたということなのである。

道徳武芸研究 二つの「猛虎硬爬山」(3)

  道徳武芸研究 二つの「猛虎硬爬山」(3) 上から打ち下ろす動作のない劉雲樵の伝承と、それを有する他派の伝承、この二つの「猛虎硬爬山」の違いの謎を解くには李書文が小柄であったことが起因していると思われる。本来の猛虎硬爬山は、既に述べたように相手の腕を上からはたき落として構えを崩すものであった。しかし小柄な李書文にとっては、上から打ち下ろすよりも、中段突きで入って、それで相手の防御ラインを崩す方が使いやすいわけである。こうしたことがあって劉の伝えたような動きに変化をしたものと思われる。相手の防御ラインを突破するという本来の目的は同じであるが、その方法が変化したのであるが、ここで注目すべきはそれが形意拳の半歩崩拳と同じ理合いとなったことであろう。半歩崩拳は相手の構えを崩すと同時に中段に突きを入れる。郭雲深はこの技をして天下無敵であったとされる。これと同じ理合いを李書文は発見したのであり、結果として他の八極拳には見られない強さを得られたのではなかろうか。

道徳武芸研究 二つの「猛虎硬爬山」(2)

  道徳武芸研究 二つの「猛虎硬爬山」(2) 猛虎硬爬山には「硬」を付さない「猛虎爬山」とする技法名もあるが、「硬」は「ひたすら、激しく」という意味で、これは「爬山」の動作の修飾的な意味合いがあるだけであるので、「硬」はあっても無くても動きそのものには変わりはない。この猛虎硬爬山は八極拳においては六大開の中に含まれている。他に八極拳では八大招があるが、字義からすれば「開」は相手の防御ラインを破るもので、「招」は相手の攻撃ラインを破るものである。簡単に言えば「開」は相手の構えを崩し、「招」は攻撃を防ぐものとすることができる。そうであるから猛虎硬爬山は相手の構えを上から打ち崩す技法ということになり、ますます打ち下ろす動作が欠くことのできないものとなるわけである。

道徳武芸研究 二つの「猛虎硬爬山」(1)

  道徳武芸研究 二つの「猛虎硬爬山」(1) 猛虎硬爬山は日本では、ある意味で最も有名は中国武術の技法名かもしれない。それはともかく「猛虎硬爬山」には実は二つの種類がある。これについてもネットでいろいろと話題にされている。それは劉雲樵の伝えるものと、その他の伝承者の伝えるもので、劉雲樵が伝えているのは「中段への突きを二度行い、肘打ち」をする方法、その他は「掌を上から二度打下ろし、掌で中段を打つ(或いは拳で中段を打つ)」やり方である。ここで問題となるのは「猛虎硬爬山」という技法名で、これは「猛虎が山を爬(のぼ)る」という意味になる。そうなると虎が山に登るような動作がなければならないわけで、それは掌で上から打ち下ろす動作として見ることができる。そうなれば劉の伝える技法の意味が分からなくなってしまうわけである(一部に劉はこれに続いく掌を打ち下ろす動作を始めは隠していた、と主張する向きもあるが、これでは全体としての流れとして不自然さがあることは否めない)。

宋常星『太上道徳経講義』(40ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(40ー2) 「反」は道の「動」である。 大いなる道の奥深さは「動」や「静」の変化の「機」にある。つまり「動」の「機」は「動」から生まれるのではないのであり「動」が起こる「機」が熟して生まれる(「静」が熟して「動」となる)。それは「静」の「反」対である「静」よるのである。「静」が極まれば「動」の「機」が生まれるわけである。そうであるから「『反』は道の『動』である」とされている。天地の道は一定していて繰り返すものではない。つまり陰陽が消長し交代するようなものではないのである。例えば十月からは純陰(純坤)へと転ずるとされる。そして冬至になって一陽が生まれ、四月になればまた純陽(純乾)へと転ずる。そして夏至になれば一陰が生まれる。これは天地の造化の理であり、ここに陰陽の繰り返しを見ることができる(これは天地の道の「動」の変化として生じている)。また人の感情や欲望においても、喜怒哀楽の繰り返しを見ることができるであろう。このように静が転じることがなければ動も生まれないことになる。心であればこの動は妄想(感情の乱れ)と事実ということになろう。もし、こうした感情の妄想と事実の繰り返しを脱して真の「静」を得たならば、それは知恵の内省の力(静の力)を開くことなのであるが、それをして完全に妄想から脱することができるであろう。感情にとらわれることなく本来の心のあり方(性)に戻ることができるのであり、全く妄想が生まれることはなくなる。一度、内省の悟り(「静」への悟り)を得れば、「動の中に動が生まれる」ような繰り返しを断つことができる。そうでなければ自らの「性」の本来的なあり方を乱し、不適切な行為から、また不適切な行為を生み出すこととなり、自分の持っている本来の「徳」を損じることになる。修行を長くしていると、自分の「性」は自然に深い沢に映る月のように静かになり、我が心は自然に波のない水面のように静かになる。こうしたレベルでは、天地の間にある「動」の繰り返しは認められない。つまりそうしたものが働くことがないわけである(交互に変化する動静の静ではなく天地の道の根源と等しい「静」を得る)。道を学ぶ者はこうしたところをよく理解しておかなければならない。 〈奥義伝開〉ここで宋常星は第十六章にある「物は芸芸(ウンウン)、各(おのおの)その根に帰す。根に帰するを静とい...

宋常星『太上道徳経講義』(40ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(40ー1) 天地が生まれ滅びる道は「集まる(聚)」ことによって生まれるというだけでもないし、「変化する(化)」ことによって滅びへと転ずるというだけでもない。それは天地の道は「変化する」ことがないからである。そうなれば何かが「集まる」ことで天地が生まれるということはないことになる。それは天地の道においては気が「静」であるからに他ならない。「変化する」のは気が「動」くからである。「静」は気の本質であり「動」はその働きとすることができるが「静」と「動」はそれぞれが交互に生じているわけではない。つまり陰陽の変化は起こっていないのであり、万物が生まれる機はそにはない。(天地の道ではなく天地の間にあって)静と動、陰と陽などが交互に生まれるのは、そのはじめに「機」が生しているからである。「機」が生まれるのは「動」の働きで、それがなければ「機」の起こることはない。「静」の生まれる「機」は、まったく「静」にあるのであり、これは「動」の基でもある。そうであるから乾坤(天地の道)はひとであって、陰陽もそこに統合されるのである(天地の道は「静」であり、そこから「動」が生まれる。「動」においては陰陽、動静の交換が現れる。この場合の動静と天地の道としての「動」と「静」は同じものではない)。「動が生まれることにより星々は北極星を中心として巡っている。こうした交互に「動」く働きは(この世にあっては)きわめて重要である。そうであるから聖人はこうしたことの重要性をよく認識しており、人欲に溺れることがなかった。それは人欲も他のものへと変化をすることを知っているからである。そうして「妄想」にとらわれることなく、本来の「意識」を保っている。それは天地の理と同じで、それは物事の変化においても見ることができるわけである。そして自分を正し他人を正す。身を修めて国を治める。これらはすべてこの交互に変化することの理によっている。この章では天地には見ることのできない深い教えがあるのであり、これはつまりは大いなる道が交互に変化をする「動」の「機」にあるとしている。これをよく認識をして修行を進めなければならない。そして「有」より「無」へと入り、大いなる道とその働きを同じくするのである。 〈奥義伝開〉老子はこの世の法則(道)として「反」と「弱」のあることをあげている。これらはあらゆる存在...

宋常星『太上道徳経講義』(39ー11)

  宋常星『太上道徳経講義』(39ー11) つまりは「輿(こし)を数えようにも輿はなく」であり「求められないのは役に立たない玉」であり「ただ落ちるだけの石のよう」ということである。 ここには「謙譲」ということの意味をまさに見ることができる。「貴」や「高」という名に聖なる君主は拘泥することはない。それは車職人が車を作るのと同じで、車が組み立てられる前にあるのは、車輪であったり、軸であったり、横木であったり、軛(くびき)であったりする。この時点で「車」の数を数えようとしても、ただ部品があるだけで車として数えることはできない。これらの部品は車として完成するであろうと思われるものの実際に車となってはいないからである。これがつまりは自分が「貴」かったり、「高」い地位にあることを自認しないということの意味なのである(すべては相対的な価値観によるものであって、絶対的な価値をいうものではないのである)。また大いなる道の奥深さはこうしたところだけにあるのではない。例えば「仁」「義」「礼」「智」は、これを合わせれば「道」となるが、「仁」や「義」は実際の行動において、それをそうであると言うことができるが、「道」はそうはならない。あるいは「賞」や「罰」「刑」や「政」のようなことでも、これを合わせれば「治(世の中を治める)」ということになる。「賞」や「罰」も実際の行為を指して言うことができるが、「治」ということもまた特定の行為に限定して言うことはできない。こうしたことからすれば「求めないのは役に立たない玉」や「ただ落ちるだけの石のよう」の二つは、まさの「貴」「賤」のことを言っていると分かる。それはどいうことか。「玉」とは石の中でも「貴」いものである。「石」は山の石のようにどこにでもある「賤」しいものである。人は「貴」いものを得たり、「賤」しいものを得たりするが、こうした中で求めることがないのが「玉」であっても「役に立たない」ものである。あるいは「石」であっても「ただ落ちるだけ」の石である(「玉」は価値のあるものであるが、そうでない「玉」もある。「石」は価値のないものであるが、珍石などそうでない「石」もある。)。貴賤を共に忘れて、混合して一つにする。そこには貴賤の名は存しない。貴賤の区別もない。ただ「一」となるのである。まさにそれが侯王が「一」を得たということである。侯王は自分では貴い...

道徳武芸研究 武田惣角から学ぶ「合気」のトリセツ(4)

  道徳武芸研究 武田惣角から学ぶ「合気」のトリセツ(4) おそらく武田惣角は抑制的に合気を使うことを意図して巡回指導をしていたわけではないであろうが、結果としては良かったのではないかと思われる。剣術では技に掛かるのは上位者である。それは適切に技に掛かることが重要で、そのコントロールは実はかなり難しいからである。どうしても武術の形稽古では予定調和的な要素が入ることになる。しかし、そうした「手順」を全く排しては、技術を安全に学ぶこてはできない。こうしたところのバランスによく注意しないと武術で最も追究すべき、彼を知り、己を知る修行は全く失われてしなうことになる。特定の相手、特定の条件でしか利かない技には全くの価値がないし、自分の状態を見失うことは孫子も教えるように相手も知らないで常に危うい状態になるということなのである。

道徳武芸研究 武田惣角から学ぶ「合気」のトリセツ(3)

  道徳武芸研究 武田惣角から学ぶ「合気」のトリセツ(3) 武田惣角のような巡回指導は江戸時代の終わりあたりからは特に盛んになっていたようであるが、松尾芭蕉の『奥の細道』なども巡回指導の記録である。生産性が上がって地方でも豪農、豪商とされる層が形成されて行き、こうした人々の生活の余裕が文芸を学んだり、武術や絵画、算術などの学びを促進させたのであった。また武田惣角は指導記録として「英名録」なる冊子を持って教えた相手にはその名を記させていたが、本来「英名録」とは有名な武術などの師範の名簿(道場案内)で、例えば武術に興味があれば、それを見て有名な師範に弟子入をするわけで、こうした本は幕末あたりには多く出版されている。惣角の「英名録」は多少、こうした本来のものとは異なるが、各地のある程度、地位のある人物の名を記した多くの指導経験がある証でもあった。巡回指導で初めての相手に教えるには一定の説得力があったものと思われる。それはともかく、合気が掛かりそうな相手を選んで掛けて、何日かすればその相手から離れてしまう。こうすることで過度な合気の掛かることを適度に制御することが可能となったわけで、こうすることで自分の技の実際を見失わないで居ることができたわけである。

道徳武芸研究 武田惣角から学ぶ「合気」のトリセツ(2)

  道徳武芸研究 武田惣角から学ぶ「合気」のトリセツ(2) 小さな特別な価値を共有する集団は悪く言えば「カルト」であるが、好く言えば「クラブ」と称することができよう。欧米では趣味志向を同じくする人が集まって忌憚なく自分の考えを述べることのできる「クラブ」の伝統がある。それは文学であったり、政治であったり、芸術であったり、いろいろな分野に及ぶが、そうした「心地の良い空間」を持つことがよりよく生きて行く上での生活の知恵でもあったわけである。ちなみにフリーメーソンなども、そうしたクラブのひとつで主として政治思想(王政ではない近代国家的な政治思想)が語られることが多かった。また今日ではこうした「クラブ」的な存在はサードスペースとして家庭、仕事場以外の息抜きの場所を確保することが重要とされる。こうした「カルト」や「クラブ」的な場所を持つことがなかったのが武田惣角で、巡回指導を中心としていたことはよく知られている。また指導するに当たって人選を厳しく行っていたようでもある。これは常識的に学べる人、合気に掛かりやすい人を選んでいたと思われる。

道徳武芸研究 武田惣角から学ぶ「合気」のトリセツ(1)

  道徳武芸研究 武田惣角から学ぶ「合気」のトリセツ(1) 孫子は「彼を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず」(謀攻編)と教えている。相手の自分をよく知った上であるなら戦いにおいて間違いの生ずることはない、というのである。これはもちろん「勝てる」ということではない。相手が強く「勝てない」と分かったならば戦いを避けなければならない。こうした適切な選択が可能となるという教えである。このため八卦拳では「彼を知る」ために武術を練り、「己を知る」ために静坐をする。日本の武術での坐禅がよく行われているのは武術だけであれば「己を知る」ことにおいて不十分である懸念を考慮してのことである。またこうしたことが武術の稽古をして攻防だけではなく、修養としての側面を持たしめることにもなった。とりわけ合気の修行では「彼を知る」ということが重視される。そこにおいて、最も注意されるべきは相手つまり弟子にある。師が亡くなって自分が教えるようになったら急に合気が使えるようになった、という話も聞くことがあるが、それは自分の合気に掛かる人物しか「弟子」として残らないからである。こうした環境にあっては「合気」(とされる現象)はどんどんエスカレートして行く。そうなってしまうと、どれくらい技として利いているのか、弟子も師も分からなくなってしまう。そして武術など何も知らない人に不用意に腕を取らせて、全く「合気」が利かないことに驚いたりすることになる。この時に、それを認めてやり直すことができれば良いが、大体においてはこの「珍事」は「無かったこと」にして、師弟共にこれまでの夢想空間を保持しようとする。

宋常星『太上道徳経講義』(39ー10)

  宋常星『太上道徳経講義』(39ー10) 要するに「貴」くあるには「賤(いや)」しさが基本になければならず、「高」くあるには「下」となるものがなければならない。そうであるから「侯王は自分で『一人では生きていけない』と言う」とされているが、これは自分を「賤」しい者としていると見ている良いのであろうか、そうではない。 ここでは「侯王」について述べている。侯王は高く貴い位にあるのであるが、その「高貴」なるものの基本となっているものを考えないわけにはいかないということである。「(統治国家である「天下」を統治する方法としての)天下の道」にあっては、そこには必ず君主が居なければならない。また君主には必ず臣下が居なければならない。そして君主は「尊」く、臣下は「賤」しいとされる。「天下の道」にあってこの関係は変えることはできない。例えば天が「高」く、地はその「下」にあるのと同じで、こうした関係は不変なのである。こうした「理(=道)」があるので、「貴」さは絶対的に「賤」しさが基になっているのであり「貴」さがそれ単体で「貴」くあるわけではない。そこに「賤」しさがなければならないのである。侯王は最高位にあるとしても、それは単体でそうであるのではない。そこには謙譲の心がなければならない。例えば「天の道」にあっては物を受け入れ、「地の道」にあっては物を養い、「聖人の道」にあっては物を得るということがある。「天の道」の「物を受け入れる」とは天が虚であるからである。地の道で「物を養う」のは地の気が虚であるからである。聖人の道にあって「物を得る」のは聖人の心が虚であるからに他ならない。よく心を虚にすることができれば、天は必ず物を与えてくれるものであり、人は必ずそこに帰するものなのである。天が与える物、人はそれを得ることができるが、それは「賤」しくひり下ることで得られるようなものではないのである。そうであるから「『貴』くあるには『賤(いや』しさが基本になければならず、『高』くあるには『下』となるものがなければならない」とされている「高」とは、その功績の高いことが天下に認められているということであり、「下」とはそうではないもののことである(つまり「高」と「賤」は対の関係にあるのではなく個々別々なものなのである)。侯王はその地位にあって高い功績のあることは天下に認められているが、心の中ではそう...

宋常星『太上道徳経講義』(39ー9)

  宋常星『太上道徳経講義』(39ー9) 天の秩序が乱れれば、崩壊してしまう(裂)ことであろう。地が寧(やす)らかでなければ安定を欠く(発)ことであろう。神が不可思議な働き(霊)をしなければ何の働きもないことであろう。谷(に気)が盈(みつ)ることがなければ生命力が失われてしまうことであろう。万物が生きていられなければ滅びてしまうことであろう。侯王が貞(ただ)しくなければ重臣たちは離れて行ってしまうことであろう。 ここで述べられていることも先の文章の意味を繰り返したものである。そして次(の諺の解説)へと繋いでいる。また(あえてこの一文を入れたのは)後の世の人への警告でもあろう。先の文では「天の道」「地の道」「神の霊」「谷の盈」「万物の生」「侯王の貞」が挙げられており、それらは「一」を得ていて秩序を持って、寧(やす)らかで、不可思議な働き(霊)をしており、(生命力に)盈(み)ちており、貞(ただ)しくあることが示されていた。つまり「一」を得るとは天地の根本となるものを得ることなのである。もし「一」を得ることができなければ、天も地も人も正しく存することはできず、星々の運行も不適切で、五行は乱れ、時の流れは狂ってしまう。それは天から秩序が失われたからである。「裂(崩壊してしまう)」とは、星が特異な場所に移動して、天の秩序が崩壊してしまい不吉な予兆をもたらすことで、それを「天の秩序が乱れれば、崩壊してしまう(裂)ことであろう」といっている。山は崩れて河は枯れ、思いもよらない時に干ばつや長雨が起こり、万物は生きて行くことができなくなる。万民は生活できなくなる。これが「地が寧(やす)らかでなければ」である。「発(安定を欠く)」とは地が揺れて山が崩れることである。海が荒れて海岸が侵されることである。それが「地が寧(やす)らかでなければ安定を欠く(発)ことであろう」である。神がもし「一」を得ていなければ、決して不可思議な働き(霊)をなすことはできない。そうなれば集散、開閉、昇降、縮伸における「理」は存しないことになる。それらは適切に変化することはない。例え変化をしても時宜を得ないものとなるのである。そうであるから「神が不可思議な働き(霊)をしなければ何の働きもないことであろう」とされている。谷がもし「一」を得なければ、谷には決して(気が)盈ることはない。そうなれば生成、運動が為...

宋常星『太上道徳経講義』(39ー8)

  宋常星『太上道徳経講義』(39ー8) 「一」を得るとはこうしたことなのである。 これはここまでに述べられたことのまとめであり、天の理の極地ということができる。総てはここに尽きている。先には天の秩序が整うこと(清)が述べられ、地の寧(やす)らかさ、神の不可思議さ(霊)、谷が盈(みつ)ること、万物が生きていること、侯王が正しく天下を治めていることが挙げられていた。それらは個々の事柄を、もし天下の理をよくわきまえた人が見たならば、結局は「一」を得るている、ということに尽きることが分かるであろう。ただそれぞれで具体的な事柄は違っているが、それらは総て「一」を外れるものではない。それぞれで違う分野のことであるが、それらは総て「一」によっているのである。つまり理においては自然に等しく「一」へと帰するわけである。そうであるから「得る」とあるのであり、人は「一」を得るように努めなければならないことを教えている。 〈奥義伝開〉老子の重視するのは「調和的統一」としての「一」である。そしてあらゆる存在は過度に干渉し合うことなく存していると考える。またそうあるべきと教えている。老子の言う「一」では統一といっても、個々の自由を制限するものではなく、個々の自由さを最大限に活かすためにあるものであった。そして、それが実践されるフィールドが「一」の働いているところであるとする。個々の自由さのベースとなるのは成長である。成長が阻害される社会は最も好ましくないものとする。そうであるから戦争は最もよろしくないものであった。日本の縄文時代には戦いの痕跡は少なく弥生時代になると一気に増えるがそれは人と人との「距離」が小さくなったためである。稲作ができる地域が限られているということも、そうした「距離」を縮めてしまうことになったのであろう。老子は隣の村の気配が感じられるくらいで人の交流が殆ど無いくらいの「距離」が良いとしている(第八十章)。縄文時代の日本のムラはそうした「距離」にあったのであろう。

道徳武芸研究 八卦拳における「暗腿」について(4)

  道徳武芸研究 八卦拳における「暗腿」について(4) 入身には「直(正)」と「曲(奇)」とがある。合気道では「表」と「裏」で、形意五行拳では「劈、讃、崩」が「直」の入身、「砲、横」が「曲」の入身となっている。この違いを簡単に言うなら、「直」は相手を動かすことで入身をする余地を作り出すのであるが、「裏」は自分が動くことで相手の横から後ろへ回り込もうとする。形意拳は鷹捉という相手を捉える技法を考案することで「直」での入身が可能となった。一方「曲」は七星歩そのままである。形意拳に取り入れ等た八卦拳(八卦掌)では、八卦拳本来の歩法である「扣歩」と「擺歩」の擺歩がなくなって俗に言う「裡直外扣(裡進外扣)」となっている。これは形意拳では三体式による鷹捉が総ての基本であるからに他ならない。三体式から劈拳、三体式から讃拳へとつながるわけである。そして三体式では始めに擺歩を用いて鷹捉を行い、直線的な歩法で攻撃をする。それがうまく行かない時に扣法を用いて次へと繋げる。形意拳における八卦掌の役割としては、三体式(擺歩ー直進・五行拳など)から八卦掌の歩法が続いて扣歩で角度を変えて相手を追いかけるところにある。形意拳ではあくまで「直進」による打撃力を保持しようとしたために擺歩と扣歩が分離する形になってしまったのである。

道徳武芸研究 八卦拳における「暗腿」について(3)

  道徳武芸研究 八卦拳における「暗腿」について(3) 八卦拳の暗腿を考える場合には歩法が重視されるわけであるが、武術における入身では、すべからく歩法が重要視されていて、特に七星歩はよく知られている。七星歩とは相手の攻撃を横に避けて、相手に対して真っ直ぐに間合いを詰めて攻撃をするものである。これが三角形の動きであるから三角歩とも言われるが、この動きを更に円滑に円の動きに乗せて行うのが玉環歩であった。そして玉環歩を連続して行うのが八卦拳の歩法である。歩法の変化として蹴りが組み込まれることを可能にしたのは、玉環歩を連続して行うことで勢いを得ることができたからである。こうした歩法の勢いを利用して蹴りを放つために八卦拳での蹴りの練習は単独でも移動しながら、歩法の勢いに乗せて行われる。

道徳武芸研究 八卦拳における「暗腿」について(2)

  道徳武芸研究 八卦拳における「暗腿」について(2) さらに八卦拳の暗腿について述べれば、八卦暗腿には「暗腿」と「截腿」とがある。これらは共に套路に含まれている。その意味ではこの二つは共に「暗腿」ということになる。また「見えないところから放つ蹴り」という意味では截腿と区別することもできる。截腿は入身を行うために発することが多く、こうした蹴りは太極拳の採腿としても存しているし、形意拳には狸猫倒上樹、龍形拳に見ることができる(形意拳では套路に暗蔵されてはいない)。また截腿は直線的な動きをベースにしており、八卦拳では截腿で入身への道筋を作って、相手の背後に周り込んで、その回り込む勢いを利用して暗腿が放たれる。そのためにも走圏で円い歩法で腿法に勢いが得られるように練習されなければならない。八卦拳の蹴りが腿法として歩法と区別されることがないのは、それが総て歩法に含まれているからに他ならない。こうした歩法の秘訣を知るには足を高く挙げる鶴(行)歩を練らなければならない。

道徳武芸研究 八卦拳における「暗腿」について(1)

  道徳武芸研究 八卦拳における「暗腿」について(1) 八卦拳では「見えない蹴り」としての「暗腿」がよく知られている。ただ暗腿には二つの意味があって、ひとつは套路の中に「暗蔵」されているという意味での暗腿がある。これは太極拳などでも採腿は暗腿となっていて、あらゆる動作にそれが含まれている。八卦拳でも歩法は蹴り技に変化するので、これも暗腿を有するとすることができる。それに八卦拳では加えて相手の背後に回り込んでの蹴り、見えない蹴りということで暗腿と称することもある。見えない蹴りを特に重視するのは八卦拳の特徴でもある。こうした特徴があるのは八卦拳が入身を最重視しているからに他ならない。八卦拳といえば走圏がよく知られているが、それは入身の練習をしているのであり、基本的な入身の歩法を繰り返すことで結果として円周上を歩く形になっているに過ぎないのである。