道徳武芸研究 なぜ形は実戦に使えないのか(2)
道徳武芸研究 なぜ形は実戦に使えないのか(2)
形とは何か、というならそれは「それを通して、ただ打ち合いをしていたのでは容易に気づくことのできないレベルの動きを身につけるためのもの」とすることができるであろう。形にまつわる伝説には戦いの中でなどで「偶然に生まれた優れた動き」が「形」となったとするものが少なくない。他にはいろいろな身体の能力を高めるために作られた形もあるが、そうしたものも長い年月の中で有効とされた形が残って行ったわけである。かつての中国では重い物を持ったり、ストレッチをしたりするのは基礎功、突きや蹴りなどは基本功、そして実戦における攻防を学ぶのが套路(形)とされている。そして更には相手を付けての形である対練や自由に打ち合う散打などもある。これらは言うまでもなく、いろいろな「手段」を通して学習を効率より高めることのできるシステムが模索されてできたものである。おそらくこうした過程を経ることがなくても、何百年も稽古をしていれば独自に形にあるような高度な原理を会得することはできるであろうが、そうしたことは現実的ではない。そこで時間を短縮するために形を学ぶわけである。