投稿

1月, 2025の投稿を表示しています

道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(2)

  道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(2) およそ人の動きには「魂」と「魄」が関係している。それは「意識」と「肉体」である。通常、武術の形の練習では「肉体」は一定の形を保つが、「意識」を特に働かせることはしない。投げの形で襟を取るのであれば襟を掴むことだけを考える。そして足を払われても、それに対抗して変化をすることはない。このように肉体の動きがベースとなっているのが「魄」の武道である。この場合、相手の練習しようとする技は決まっているので、それを予想して動いたのでは練習にはならない。つまり「魄」だけを使って「魂」を使わないのが一般的な武術の練習ということになるわけである。一方で合気道では相手の動きに合わせることが求められる。相手の意識に同調するわけである。植芝盛平はこの合わせるという過程を「合わせる」「合う」「合っている」と深めることを教えていた。つまり意図して相手の動きに合わせる段階から入って、自然に合うようになる、そして意識しなくても合ってしまっている、というレベルに至るわけである。この「合わせる」ことを主体とする練習であるために「合気道は『魂』の武道である」とされていたわけである。 *魄の武道、魂の武道は植芝盛平の言い方なので、そのままとする。他では適宜、武術を用いる。

道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(1)

  道徳武芸研究 魂の比礼振りとしての合気道(1) 「合気道は魂の比礼振(ひれぶ)りである」と言っていたのは植芝盛平である。この考え方は神話に出てくる蜂の比礼(はちのひれ)、蛇の比礼(おろちのひれ)から来ており、これを振って蜂や蛇の害から逃れえたとされている。ちなみに「比礼」はスカーフのようなもので、特殊な力の込められた布を振ることで大きな霊的な力が生じると考えられていたようなのである。こうした「振る」という行為は鎮魂に関係しており、その人の衣服などを振ることで、着ていた人の魂が活性化されると信じられていた。魂の比礼振りは「魂」を振ること、つまり合気道とは「魂を活性化させるもの」であることを示しているわけである。また盛平は「魂」の武道と「魄」の武道とを明確に分けており、合気道と大東流とは全く異なるシステムであるとしていた。つまり合気道は「魂」の武道であるとの認識を持っていたのである。しかし現在、多くの人は合気道を「魄」の武道として捉えている。ここに矛盾も生まれているようである。また「触れないで制する」ような技が生まれるのも合気道が「魂」の比礼振りであることに起因している。

宋常星『太上道徳経講義』(59ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(59ー3) ただ過剰とならない(嗇)ことを「早服」という。「早服」は「重積徳」でもある。 前回では「自分を修して天のままとなる。それは過剰とならない(嗇)ことである」とあり、その中で「過剰とならない」ことの意味は既に明らかにした。天のままに自分を修するには、特に過剰とならないことが重要であった。そしてここではそれに続いて「ただ過剰とならない(嗇)ことを『早服』という。『早服』は『重積徳』という」としている。「今までに無かったことを始める」のが「早」であり、また「体と心が一体となって離れることがない」のが「服」である。物欲がいまだ生まれない時、天の道と一体となった自己の本来の心(性)は汚されてはいない。完全無欠である。もし誠によってそれを養うことがなければ、どのような行為にあっても私欲が僅かでも影響することになり、そうなれば正しい行動をとることはできなくなってしまう。つまり天の徳によることがなければ、あらゆることが私欲に汚染されてしまうことになるわけである。そうであるから「過剰とならない」ことの効果は「早服」の前提としてあるものなのであり、積徳の大本でもあるわけである。こうして徳を養えば精神は安定して、私欲に汚される前の状態に戻る。これを修すれば、物欲が生まれる前の状態を得られるわけである。もし、こうした状態に入ることができれば、物事を行うより早くに徳に服することができるようになる。そうしてこれを深く養って行く。よくよく深く心に留めるようにする。そして道を得て徳と一体となる。つまり天地のあらゆる徳は自己と全く離れることがなくなるのである。人の心の至理は、あらゆる人に完全な形で備わっている。そうであるから物欲が生まれない前に、よく「過剰とならない」ようにする。物欲に汚されない完全なる精神に戻ることも「早服」であることも、日々それを養おうとしなければ、つまり修することがなければ得ることはできない。しかし少しでも「早服」であろうと思っていれば、つまりは天の道とひとつとなることができる。そうであるからこれをよく修するべきなのである。よくよく修して、ひとつひとつ私欲による誤りを正して行く。そうなれば次第に完全なる道と一体となった自己の本来の心(性)を取り戻すことができる。私欲をよく排することができれば、その分、天の徳が明らかとなる。そうして...

宋常星『太上道徳経講義』(59ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(59ー2) 自分を修して天のままとなる。それは過剰とならない(嗇)ことである。 心を正しくして、大義を明らかにする。そうして世の人々がそれぞれその生を遂げて、本来の心のあり方(性)のままに行動する。これが「自分を修し」ということの意味である。天の道のままに、その理に従う。それは本来の心のままに行動するということである。これが「天のまま」ということになる。「過剰とならない」とは倹約をするということである。心と意識(神)を外に拡散することなく、あらゆることにおいて妄動することがない。これが「過剰とならない」ということの意味である。一方、人を治める道を考えてみるに、法や罰で恐れを抱かせ、徳ということを考えさせない。こうした方法は一見すれば効果的であるかもしれないが、これでは人の恣意的な策略をもって国を治めて天の理を顧みることがない、ということになる。そうなれば人の心も正されることがないばかりか、安定した統治もできないであろう。人を治めるには天の道に則り、その表現としての礼楽や祭儀を疎かにすることなく、天の道のままに至誠で無妄となり、行為においても何ら恥じることはないようでなければならない。およそ正しい礼楽や祭儀は、道を表しているものである。もし単なる形式としてそうしもたことをしたなら誠の心の生まれることはなく、心の境地が道に達することもないであろう。気持ちが道に至ることがなければ天の道と一体となろうとしても、そうなることはない。そうであるから古の聖人は、他人をどうこうしようとする前に自分を修めようとしたのである。天の道につくことなく、人を操ろうとするのではなく、自己を修して「過剰とならない」ようになることである。心を外に散らすことなく、天の理のままに行動する。そうなれば心の徳は純粋なものとなり、その徳は太極と一体となる。自己の本来ある心のあり方(性)は、無極の大いなる道そのものである。それは自ずから広くあらゆるところに及び、徳の力は自ずから窮まることがない。天は高くあるが精神はその上にまで達する。世の人は多いが徳の力はあればあらゆるところに及んでしまう。こうした道を自己に修することがなければ、自分も他人も適切に存することはできない。自己も他人も正しくあるには、天の道につかなければならないのである。道を修する人は、あらゆる行為において天...

宋常星『太上道徳経講義』(59ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(59ー1) 長生久視の道において「深根固蔕」でが得られていなければ「安身立命」を得ることはできない。国を治め身を修めることの根本にあるのは徳を積むことである。そうでなければ人間関係を円滑にすることもできないであろう。またこうしたことにおいては、その「母」に従うことがなければ「国」の本を立てることもできない、とする。「安身立命」も、その「母」に従うことがなければ、大いなる道を実践することもかなわない。その「母」を得ているならば「子」である道は求めなくても得られているのであり、そうであるから古の聖人は、道を得ることをして他に求めることはなかったのである。徳を守って、あえて私に知恵を巡らせることもない。徳以外に用いることはないのである。これらは全て道を行うということになる。道は「母」の根本であり、それが「徳」として実践されもする。つまり徳を修するとは「母」である道の働きに従うことなのである。そうであるから「抱元守一」して終日、愚人の如くであっても、適切な行動ができ、他人とも問題なく共存できるのである。そうして徳を積んで行く。これが「母」に従うということである。そして、それを間断なく続ける。ここに「母」である道の働きは少しも減ずることなく、徳を積むことますます厚くなる。そうであるから「一」なる天地の理は、こうして日を重ねて行くとますます自己と一体となり物事の変化によく適応できるようになる。そうした人にあっては道を得て徳が行われているのを見ることができる。こうした境地に入ると身と道は一体となっている。徳と天もひとつになっている。世の人はこうしたことを知ってはいない。 〈奥義伝開〉ここでは当時、格言のようにして知られていたと思われる「早服(先入観を持たないで相手のいうことを聞く)」や「重積徳(とにかく徳を積む)」それに「深根固蔕(元気で暮らす)」「長生久視(養生をして長生きする)」といったことの根底にあるのが「嗇(過剰にならないこと)」であるとしている。何事においてもやり過ぎることがなければ(嗇)、相手のことをよく理解することができて(早服)人間関係も円滑となるし、養生をして元気で(深根固蔕)いることも可能となる。ちなみに「視」は「養う」という意味で「長生久視」は「養生」「衛生(中国では「生を衛(まも)る」という意味)」と同義として理解され...

道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(8)

  道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(8) 一霊四魂三元八力は、一霊四魂が「霊」で、三元八力が「体」とすることもできよう。そして「霊」は「禊」であり、「体」は「引力」そしてそれらをつなぐのが「呼吸力」ということになろうか。呼吸力は霊的には「気吹」、体的には「息吹」とすることもできるであろう(ともに「いぶき」)。そして「気吹吹」と「息吹」とがひとつになる時に「呼吸力」が生まれるとすることができるであろう。また四魂において「禊」をいうならば「荒魂」「奇魂」がそれに当たる。つまり非日常な時間と空間において既成の秩序は解体されて新たな秩序が構築されるわけである。これは合気道などの稽古の時ということができるであろう。こうした非日常の時間と空間を持つことで一旦、日常が断ち切られ、新たな始まりを迎えることができるのである。武術の稽古により荒魂や奇魂を発動させ、また日常の和魂や幸魂の世界へと帰って行く。そうすることで円滑な生活を送ることができるという考え方は古代の日本人が持っていたものでもある。国学は当初は日本固有の倫理観は儒教、仏教の渡来以前にあると考えて『古事記』や『日本書紀』などから儒教や仏教に説かれていない倫理観を探していたのであるが、それを見出すことができなかった。およそ人の倫理観は似たようなものであるのに、それをあえて儒教や仏教以外としたために見るべき倫理観を見出し得なかったのである。そこで本居宣長などは「道」なき「道」が日本の道であるとして特定の倫理観のないのが日本の特色であるとした。しかし、そこで唯一それらしいのが「禊」であると考えたのであった。これは「浄化」というだけで何をもって「浄化」とするのかの厳密な規定はない(古代では死の穢からの浄化が基本であった)が、「禊」は「生命力の回復=新たな秩序の回復」であるわけで、そうると「合気道は大いなる健康法」と教えていた植芝盛平の言葉も頷けるものがある。

道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(7)

  道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(7) ちなみに天照大神は「天=海(あま)」を照らす「太陽の光」を神格化した神で太陽神ではない。天岩戸神話では天照大神が岩戸に隠れて太陽の光が失われるといろいろな災いが生まれたとある。また天照大神を岩戸から導き出す時に「鏡」が用いられ、それに姿を映させるというシーンもあるが、これは太陽の光を鏡で受けていたことを示すものである。中国の史書には、卑弥呼も鏡を好んだとして百枚を送ったとある。また月読の命も月神ではなく、月の満ち欠けの示す時間を象徴する神である。また建速須佐之男の命は風で、この神が泣くと山が枯れ、川や海が干上がったとされるが、これは大風で山の木が倒れ、夏に熱風が吹いて川や湖(古代において「湖」も「海」とされた。近江は「大海」のこと)が干上がるようなことを言っているのであろう。また風が吹くことで昼と夜の交代が促されていると思われていたのかもしれない。三貴神では天照大神が最も重視されるが、これを生んだ伊邪那岐の神は「凪(なぎ)」の神であり、その妻であった伊邪那美の神(いざなみのかみ)は「波」の神で、ともに風が無くて海が凪いでいる時と、風があって海が波立っている時を表している。つまり伊邪那岐の神と伊邪那美の神から生まれた建速須佐之男の命は、いずれも「風」に関する神であり、つまり「気吹(いぶき)」の神ということになる。こうして見ると三元八力のベースにあるのは「気吹」つまり「呼吸(力)」ということになる。

道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(6)

  道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(6) 前回、宇比地邇の神、須比智邇の神など八神について解説した。そしてそれらの神々が「国」の発生を説くものであることを述べた。そうなると八神と八力は全く関係がないように思えるが、垂加神道ではここに土金の伝のあることを示している。土金の伝とはこの八神のところで表されているのは五行でいう「土が金になる」働きであって、それは「土が締まる」過程をいうものであり、ここに「敬(つつしみ)」の徳が発生したと考えるのである。特に阿夜訶志古泥の神などでは「畏(かしこ)」さが生まれたことが示されtおり、これが実は「敬」のことであると考えるわけである。植芝盛平の岩間の部屋には垂加神道の本があったので、盛平がこうした考え方の影響を受けていたと見ることもできよう。つまりこの八神からは「締まる」働き「引力」の働きをうかがうことができるということである。そして、これら八神に続いて生まれるのが伊邪那岐の神(いざなぎのかみ)と伊邪那美の神(いざなみのかみ)である。これも男女神であるから対照力が働いていることになる。三元は伊邪那岐の神と伊邪那美の神が生んだ天照大神、月読の命(つくよみのみこと)、建速須佐之男の命(たけはやすさのおのみこと)で、これは八力の核となっている。

道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(5)

  道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(5) 三元八力そのものは神話には出ていないのであるが、この発想の元になったのは天地が開ける時に生じた「宇比地邇の神(うひぢにのかみ)、須比智邇の神(すひぢにのかみ)」「角杙の神(つぬぐいのかみ)、活杙の神(いくぐいのかみ)」「意富斗能地の神(おおとのぢのかみ)、大斗乃弁の神(おおとのべのかみ)」「淤母陀琉の神(おもだるのかみ)、阿夜訶志古泥の神(あやかしこねのかみ)」の八神と伊邪那岐の神が生んだ天照大神、月読の命(つくよみのみこと)と建速須佐之男の命(たけはやすさのおのみこと)であると考えられる。宇比地邇の神、須比智邇の神などはいずれも男女神と考えられるので、ここに対極にあって引き合う力としての対照力を認めることができる。ただ宇比地邇の神、須比智邇の神などがどのようなことを示す神であるのかは明確ではない。おおよそを言うなら「宇比地邇の神、須比智邇の神」は「地=砂」のことで、そこに「角杙の神、活杙の神」つまり神の依代(よりしろ)としての「杙」が生まれた。古代の日本では神は尖った棒状のものの先に降臨すると考えられていた(雷が木に落ちるイメージ)。そうなると「意富斗能地の神、大斗乃弁の神」の「斗」は「門」のことで祭祀の場とその他の土地が「門(後の鳥居)」によって区別されるようになる。そして最後の「淤母陀琉の神」は「面」は『古事記』に四国のことを「身一つにして面(おも)四つあり」とあるように「国」のことで一定の地域が一定の神の統治するところとして「国」と認識されるようになることである。そしてそれは同時に「阿夜訶志古泥の神」、つまり「畏(かしこ)」きもの支配する地域であり、これが後には「国魂」と称されるものである。これをまとめれば、土地があって、そこが特殊な場(神の降臨するところ)として意識され、神を祀る集団が生まれ、その地域が「国」として意識された、と解釈することができよう。これは物理的な土地があって、それが「地域」と認識されて占有が生まれ、集団が生まれる、という過程でもある。

宋常星『太上道徳経講義』(58ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(58ー6) そうであるから聖人は「四角なものを分かつことはないので四角なのであり、角はそのままであるから角であり、直線は分断されないから直線であり、光は影がないから光なのである」とする。 ここで述べられているのは、古の聖人の言であり、政治の妙が「善」にあるということである。これを詳しく言うならば「善」なる政治とは細かなところまで民を管理して住み難くするものではない。例えていうなら「四角なものを分かつことはないので四角なのであり、角はそのままであるから角であり、直線は分断されないから直線であり、光は影がないから光なのである」ということになる。つまり、このようにそのままであることが「細かな支配がなくなれば」ということなのである。まさにそれは「私」心を持たないからであり、知恵に依らず、心を正しく持つからである。「分かつ」というのは「害する」ということになる。あまりに手を加え過ぎると害してしまうわけである。あまりに手を加えてしまえば、政治は民を害するものとなる。聖人は四角は四角のままとするのであり、円は円のままに使う。四角は四角で、円は円で使えるところで使う。つまり、その場その場に応じて使うという「理」が保たれることになる。どのような場合にも四角を使うのではなく、時に応じて使う。円もそれにこだわるのではなく、場合に応じて用いる。そうであるから適宜である「理」が害されることはない。つまり、あえて四角を使わないという「理」に執着してしまっても、そこでは無為の政治が失われることになる。そうであるからここに述べられている「四角なものを分かつことはないので四角なのであり」とは、やりすぎないということであり、とらわれないということである。それはまた「角はそのままであるから角であり」ということであり「そのままで」ないと角を傷つけるからである。人は普通に生活をしていれば、その食が保たれていることを知っているので、そのために政治を必要とすることはない。聖人は民の心を心としており、貪りの賎しい心を心とすることはない。廉潔を元として、それを心としている。廉潔を政治に施す。そうすれば全てはうまく行く。全ては欠けることがなくなる。そうであるから中正の理を失って、己の「一」を守って欠けることがない。そして政治をあえて為すことを止め、その「理」を欠けることのないもの...

宋常星『太上道徳経講義』(58ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(58ー5) 「正」もまた「奇」となる。「善」もまた「妖」となる。ここに人は困惑してしまって、どうすることもできなくなる。 ここで述べられているのは、この世には絶対的に「正(法則に合ったもの)」なるものだけではない、ということである。先には「福」は「禍」へと転じ、また「福」は「禍」へと転ずるということで、絶対的な「禍」も「福」も存してはいないことが述べられた。それは全てが「上」にあれば「下」を知ることはできないという理である。絶対的に「正」なるものがあるわけではないというのは「正」なるものだけでは、それが「正」なるものであると認識することができないというだけではなく、また「正」なるものの中には同時に「奇(法則を超越したもの)」も存しているということである。「善」はまた「妖」でもあるということである。「正」と「奇」は根本的には同じではない。「正」の状態も、それが長く続けばそれは自ずから「奇」へと転じて行くのであろう。こうしたことにおいても一方が極まれば別のものに転ずるという理が働いているわけであり、君子はこれを知っている。そして、そうであるからどうして「正」であるのかを知っているのであり、あえて「奇」へと転ずることを考えはしない。あえて追究を行わなければ「善」も「妖」へと転ずることはない。しかし、一般の人はこうしたことを考えることもない。一般の人は、こうした「造化の理」を知ってはいない。「進退存亡の理」を知ることはないのである。「妖」や「善」が生まれる「理」を明らかにすることができないので、人々は迷ってしまう。それは一日で終わるようなものではない。ここで述べられている「『正』もまた『奇』となる。『善』もまた『妖』となる。ここに人は困惑してしまって、どうすることもできなくなる」とあるのは、こうしたことを言っているのである。 〈奥義伝開〉ここでは「禍福」「正奇」「善妖」などの相対的な関係にあるものが、互いに転ずることのあることが示されるだけではなく、そうした転換が生まれるのは「禍」の中に「福」が潜んでいるからであり、「福」の中にも「禍」が含まれているからであるとする。「攻撃は最大の防御である」というのも「攻撃」の中に「防御」が含まれているからであり、また「防御」の中にも「攻撃」は含まれている。太極拳や八卦拳などで「闘争」を学ぶのはその中...

宋常星『太上道徳経講義』(58ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(58ー4) 禍は福があることで存している。福は禍によっている。それでは結局のところ根本にあるのは禍なのか福なのか。それは禍でも福でも、どちらかに定まったものはないのである。 「禍」とは、不幸であり、恐ろしい出来事を被ることである。「福」とは、喜ばしい良いことを受けることである。「存している」とは、ある事があることで別のことが生まれているということである。「よっている」とは互いが依存関係にあるということである。ここで述べられているのは、つまり禍福といっても、そこにはただ事象があるだけで、それが禍であり、また福であると評されているに過ぎない、ということである。それは禍福が互いに「存して」、それぞれが互いに「よって」いるからである。これを詳しく言えば世の人は、なんとかして福善を得ようとしているのであり、いろいろと策を巡らせてなんとか禍害を逃れようと思っているという背景がある。しかし実際のところ禍福がどのようなものであるのかを知ってはいない。外的なことからすれば禍福が分かれるのは個々人の心の判断によっている。心はあらゆる事を判断する中心であり、善悪の区別も心の判断によっているわけである。心が善と思えば、どのようなことでも善となる。心が悪と思えば、あらゆることが悪となる。これと同様に禍や福の判断も為されている。あることが「存する」ことがあり、それに「よって」禍福は生まれている。こうした視点からすれば、福が生まれる、その原因は心にあることになる。もし心が強く善であると思ったならば、どのような禍であっても福と判断される。そうであるなら禍の兆しがあっても、それを顕在化させないことができるようになり適切な行動がとれるようになる。福を禍に転ずることができないのは、禍の中に福が存していることを知らないからである。それが分かれば禍が福に転ぜられ、福もまた禍へと転ずることがある理由が分かることであろう。こうしたあらゆるものに通ずる「至極の理」は、これをあらゆるところに見ることができるのであり、どこにあってもそれのあることを知ることができる。禍福の根源を考えるに、それは固定したものではない。「定まったものではない」とは固定したものではないということである。禍は心によってそう判断されているのであり、福も同様である。禍が禍であり続けることがないのは禍が固定した...

道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(4)

  道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(4) 形式としては一霊の「直霊」の働きが四魂として展開されるということになる。この四魂においても「和魂、荒魂」「幸魂、奇魂」が対象の関係である。そして和魂と幸魂は秩序が保たれている日常(ケ)を表しており、荒魂、奇魂は混乱している非日常(ハレ)を示すものである。ただ神話ではこの四つが共に出てくることはない。大和系と思われる神話では「和魂、荒魂」が、出雲系では「幸魂、奇魂」が見られるのであり、これらは等しく「日常と非日常」「秩序と混乱」をいっている。古代の日本では日常が続くことで社会矛盾つまり穢が蓄積して行くと考えた。それを非日常の混乱状態に導くことで新たな秩序を構築しようとしていたわけである。この混乱というのは「祭」である。合気道でいうなら道場での稽古ということになろうか。こうした定期的な秩序回復のシステムが朝廷で儀礼化されたのが大祓であった。合気道を禊とするのは、こうした日常と非日常との関係において、非日常的な空間でかつては祓が行われていたことを想定してのことである。つまり合気道の稽古は非日常的な行為であるから「祓=禊」が可能であるとされるわけである(「祓」と「禊」は機能としては共に浄化を意味している。言い方が異なるのは時代や地域による差であろう)。

道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(3)

  道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(3) 一霊四魂三元八力は古神道家の本田親徳から出口王仁三郎を通して植芝盛平の知るところとなるのであるが一霊は直霊(なおひ)、四魂は和魂(にぎみたま)、荒魂(あらみたま)、幸魂(さちみたま)、奇魂(くしみたま)である。そして三元は剛体、柔体、流体で、八力は動、静、引、弛、凝、解、分、合とされている。この中で一霊四魂は神話に見ることができるが、三元八力は新しく考え出されたものである。植芝盛平はここに対照力を見ていた。そのために合気道の力のあり方を示すものとして一霊四魂三元八力が示されたのであった。対照力とは八力であれば「動、静」「引、弛」「凝、解」「分、合」のように対極にある力が互いに引き合い、反発し合う関係を持っているとする考え方で、これは全く太極拳の「太極」と同じである。対極にあるものが互いに円転して変化しているのが「太極」であり、そうした動きを促している力が「対照力」とされるわけである。そして対照力で重要なのは「引力」とする。「引力」はまた合気道の根本と教えられていた。また合気道を「禊(みそぎ)」とする教えも、一霊の直霊が「なおす」「なおる」という霊の働きであることと関係している。これは黄泉の国の穢を禊いだ伊邪那岐(いざなぎ)の神の行為の中で生まれている神直日の神(かんなおひのかみ)の働きをいうもので、穢を祓う働きがあるとされている。

道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(2)

  道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(2) 国家神道に「神道」を付すのは、それ以前の仏教系の両部神道や山王神道、儒教系統の垂加神道などと比べて不整合なのであり不適当なのであるが、また国学神道ともいわれる復古神道についても国学で見出そうとしたのは神道ではなく「神道」以前の「古道」であったことを考えなければならない(「古道」については第8回で改めて触れる)。国学ではこの太古の日本人の倫理観である「古道」から神道をはじめ政治システムなども含めたあらゆる文化が生まれたと考える。しかし平田篤胤は「古道」を神道として確立しようとする志向性を持っていた(神社を中心に国学を広めようとした)が、体系化には至らなかった。こうした方向性の影響の下に古神道も生まれてくるのである。しかし、そこには思想としては仏教、儒教、道教、キリスト教が、そして行法としては仏教や道教(導引)などが取り入れられて行った(ちなみに導引は近世に日本に入り文献を通して知られるようになっていた)。こうした動きは近代人の嗜好に合うものを作ろうしたためで、ただ供え物をして儀礼を行うだけでは全く不十分であったからである。「一霊四魂三元八力」も伝統的な神道そのままの考え方ではないことは充分に留意しておく必要があろう。

道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(1)

  道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(1) 一霊四魂三元八力は、植芝盛平が合気道の力のあり方を説明する時に用いた概念であるが、これは古神道で作られたものである。古神道は近現代になって考案された神道で「古」がついているからと言って「古い神道」であるというわけではない。ただ古神道を唱える人は通常の「神社神道」以前の「本来の神道」というニュアンス(形式化した儀礼だけではない思想や行法をそなえている)で古神道を用いてはいる。古神道という言い方は国学神道を復古神道とするところから来ていると思われるが、復古神道という語は国家神道と同様に適切ではない。ちなみに国家神道は「宗教ではなく慣習儀礼」という立場なので、これに神道という宗教を表す語を付すのは好ましくないわけである。明治時代になって当初は神道の国教化を政府は考えたが、キリスト教を制限するわけにも対外的に行かないので、それは諦めて初詣のような慣習儀礼と位置付けたのであった。つまるところの目的が天皇を中心とするファシズム国家の建設にあったのであるから神道云々は問題ではなかったわけでもある。

宋常星『太上道徳経講義』(58ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(58ー3) 政治が民を細かく支配しようとすれば、民は統治の不完全さを感じるようになる。 「細かく支配しよう」とは、知恵を尽くして法を使うことであり、善悪を区別すること峻厳であることである。それが「細かく支配しよう」とすることである。「不完全さを感じる」とは、為政者のやり方を驚き恐れることであり、恐れてしまうことであって、そうなればその国の政治と距離を置きたく為る、ということである。それは政治に「不完全さを感じる」からである。民の行う細かな事まで是非を決めつけたり、法令で民をコントロールすることばかりを考える。民情を考慮することもなく、時期をも考えずに、自分だけの考えを押し付けようとする。いろいろな手段を用いて無闇なことを行おうとする。何時でも思いついたらすぐに行う。こうした為政者の行為は「不完全さを感じさせる」政治となる。そして、こうした政治が行われるようになってしまうと、天下の民は、どうにかしてこうした政治の支配から離脱しようと思うようになる。どうにかしてがんじがらめの支配から逃れようとするわけである。まさにこうした事態に遭遇するのは、赤ちゃんが母親を無くしたのと同じであり、道を歩いていて悪者に出くわすようなものである。その時の驚き恐れる気持ちは、自分から発せられたものではない。当然のことに、こうした状況下では統治の「不完全さ」を感じることであろう。つまり民が「統治の不完全さを感じる」のはまったく民ではなく統治者によっている。「細かく支配しようと」すればする程、そこに「不完全さ」が生まれるわけである。そうであるから「政治が民を細かく支配しようとすれば、民は統治の不完全さを感じるようになる」としているのである。 〈奥義伝開〉統治を厳格にすると、つまり有為であればある程、本来の人の「善」は発揮されなくなるのであるが、こうした視点は儒家と道家でのおおきな違いとなっている。儒家も道家も人は本来「善」を持っているという点に変わりはない。しかし儒家ではそれを発揮させるために「礼」法がなければならないと考える。一方で道家はそうしたものがない方が良いとする。ただ儒家の中でも「礼」は決まった形にこだわるべきではない、とする考え方も根強くある。道家でも無為自然に発生している「礼」法を拒むものではない。孔子は周にあった「礼」法が最も自然であると考え...

宋常星『太上道徳経講義』(58ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(58ー2) 政治の細かな支配がなくなれば、民は誠実となる。 「細かな支配がなくなれば」とあるのは規制を厳しくしないということで、政治的に寛容であることをいっている。もし、このように為政者が明らかに慎むことがなければ、それは「細かな支配がなくなれば」ということにはならなくなる。「誠実」とは悪く思うこともないし、良く思うこともない状況であって、それは無為を楽しんでいる状態でもある。ただ誠実に慎み深くあろうとするのであれば、それは「誠実」を意図して行っていることになる。詳しくいうならば古くから「国」があれば「民」があったわけであり、また「民」があれば必ず「政治」があったのである。そして「国」に「政治」があれば善事は賞せられ、悪事は罰せられる。こうした統治は古くから存している。古の聖人は、あえて為さないということを行っていた。有るものも使わないでいた。聖なる君主と賢い民は、あえて事を行わないでいる。道徳を行うことで満足をしているのである。上は自分だけの思いで統治をすることなく民を養うことを第一とする。おかしな政策をして民を治めようとすることはなく、ただ徳を修して行いを慎むだけである。余計なことをして民を労させることはないのである。これがあるべき政治というものである。広く民の自由を受け入れて良し悪しを細かに決めることもない。それを見ている者は、あるいはどのように統治をして良いのか分からないでいるようかのように見えるのかもしれない。ここに「細かな支配がなくなれば」とは、大体はそうした意味である。「細かな支配がなくなれば」とあるものの実際はただそうした現実があるだけではない。聖人はあえて余計な事をなさないで必要な事だけを行う。それが「細かな支配がなくなれば」という状況といえる。これは善い統治が行われているということでもある。こうであれば、民は「誠実」となる。それは民の本来の心のあり方(天性)がそうであるからである。しかし泰平の世でなければ、寛容な統治は行われないであろう。なんとか策を用いて統治を行おうとするであろう。しかし政治を取るのは、はたして道徳による以外に為すべきことがあるのであろうか。仁義を天下に行って、寛容な恩寵を下す。そうなれば寛容さは天下に及ぶことになる。その無為の徳は自然にあらゆるところに至る。天下の民は大いなる導きの中にあっ...

宋常星『太上道徳経講義』(58ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(58ー1) 中正の道は、天下の大本であると言えよう。それはあらゆる法の基本でもあり、修身とは「中正」を修することである。道も「中正」にある。家を整えるのも「中正」でなければならない。家が整わなければ、国の治まることもない。国が治まるには「中正」でなければならない。国が治まるのには必ず中正の道によらなければならない。そこには機智の巧みさを見ることはできないし、私欲が生ずることもない。それが「中正」である。過ぎることなく、足りないところもない。そうであるから聖人が「聖」であるのは、まったく「中正」の道にある故なのである。上位の仙人で道を得ているとされるのは「中正」の理を得ているということである。そうでなければ「中(庸)」は失われてしまい、好ましくないことが生ずることであろう。そうした混乱が必ず生まれることになる。社会で「上」の者であれば統治も失敗してしまうことであろう。「下」の者であれば過酷な搾取を受けることになろう。そうなれば世の倫理は日に衰えて行くことになる。民心は正しきを失い、国を統治することも困難となる。為政者は私的な好みにとらわれることがなく、細かなところまで民を縛ろうとすることなく、中正の道を行う。この道を我が身に行えば、自らを修することができるであろうし、国において行えば世を治めることが可能となろう。中正の道を実行すれば、どのような国でも治めることができる。これがここで述べられていることである。この章では老子は「上」にある者は、あまりに細かなところまで民を規制をしようとしてはならない、と教えている。民が生きることを楽しめなければ、いろいろな不都合が生まれるであろうし、禍福が適切を得ることなく生まれてしまうことにもなろう。つまり為政の眼目とは、まさに愛民、愛国が根本となのである。 〈奥義伝開〉老子は、強く人々の生活を規制するような政治は失敗する、と教えているが、これは共産主義国家において現実のものとなった。国家が暮らしの細かなところまで「計画」を立てて規制し、最も合理的な社会が運営されるはずであったが結局、民はそのシステムがうまく働かないことを実感する。そうなると為政者は益々管理を強化しようとする。結果として民の不満は更に増大する。よく共産主義は「二十世紀の失敗」とされるが、その原因を老子はすでに見通していた、とも言える...

道徳武芸研究 形意拳と合気〜束身と中心軸〜(4)

  道徳武芸研究 形意拳と合気〜束身と中心軸〜(4) 中心軸にエネルギーを集約する場合、有効なのは「拳」を用いることである。そうであるから形意拳の回身式では両拳を合わせる形になっている。呉家太極拳は特に中心軸にエネルギーを集めることに意を用いている。かつて香港であった呉家太極拳と鶴拳との試合で、最初に呉公藻(太極拳)が陳克夫の鼻を拳を打ち砕くことができたのは、呉家のスタイルが中心軸から力を出すことを重視していたためである。ちなみに「掌」は力を拡散する働き「鬆」を導くものであり、楊家の太極拳で「掌」を多く使うのは「鬆」を第一としているからである。ただ、そうした中でも上歩七星は両拳を中心軸で組み合わせる形となっていて中心軸にエネルギーを集める動作となっている。これに対して「拳」を多用する呉家は中心軸を重視する攻撃形のフォームということができるであろう。八卦拳では八母掌が「掌」を中心として、羅漢拳が「拳」を中心とする。これにより拡散と集中を練ることができるようになっている。形意拳は「拳」が中心であるが、三体式や劈拳では「掌」を用いている。合気道や大東流で合気をなかなか体得できないのは「拳」による鍛錬が欠けているからかもしれない。かつては剣で鍛錬していた部分が欠落した現代にあっては改めて剣術の基本を稽古に取り入れるか、拳を用いて中心軸を養う方法を取り入れるかすることで、容易に「合気」の感覚が得られるものと思われる。

道徳武芸研究 形意拳と合気〜束身と中心軸〜(3)

  道徳武芸研究 形意拳と合気〜束身と中心軸〜(3) 要するに「合気」を得るには、形意拳の「束」身、太極拳の「合」、そして八卦拳の「扣」掌において共通して見られるような中心軸に心身のエネルギーを集約する鍛錬が必要なのである。これは「合気道は剣術の間合い」などと言われることとも関係している。両手で持つ日本刀はその構えが全く八卦拳の扣掌などと共通している。つまり「合気」のベースとなる心身の状態は剣術の基本と共通するものであったわけである。それは塩田剛三が考案した臂力の養成においても顕著に見ることができるのであり、両掌の間隔をひじょうに狭く(日本刀を持ったのと同じ)しているのが特徴である。そして、その状態で腕を上下させることで中心軸を作ろうとしているわけである。

道徳武芸研究 形意拳と合気〜束身と中心軸〜(2)

  道徳武芸研究 形意拳と合気〜束身と中心軸〜(2) 形意拳の「束」に似た身法は、太極拳では「合」、八卦拳では「縮」と称される。これらに共通するのはこの動きが力を蓄えるためのもの(蓄勁)であるという点である。植芝盛平は「合気道は引力の鍛錬」であると教えていたが、この「引力」はどのようにしたら得られるのであろうか。「引力」を発生させるためには「中心軸」ができなければならない。形意拳の回身式ではまさに体の中心軸に力を集める形になっている。太極拳の場合には孫派が両掌を体の中心で合わせる。こうした手を合わせる形をとるのは形意拳の影響でもあるが「合」で力を中心軸に集めるという点では他の太極拳には見られない動作であり、そのために孫派を「開合太極拳」と称することもある。八卦拳では扣掌がその典型である。扣掌は通常よりも更に掌を狭くした構えである。これが「扣」と称されているのも興味深く、そこに「合気」的な「引力」のニュアンスのあることが分かる(扣はボタンをかけるという意味)。八卦拳では扣掌を練ることにより特に中心軸を養うことができる。

道徳武芸研究 形意拳と合気〜束身と中心軸〜(1)

  道徳武芸研究 形意拳と合気〜束身と中心軸〜(1) 形意拳では「束」身の秘訣がある。これは体の中心軸に力を溜める教えであり、次に一気に力を出す発勁の準備動作でもある。つまり束身は一種の発勁のための身法ということもできる。体の中心軸にエネルギーを集約させる働きが明確に示されているのが回身式で、両手の拳を合わせるような形となる。これで掴まれた腕を引き寄せて体勢を崩すわけである。同じように両手の拳を合わせて相手を引き付ける身法は呉家太極拳にもある。呉家においても、これは相手を引き付けて体勢を崩すことを目的としている。つまり「引力=合気」がそこには働いているわけである。同じく拳を用いて「合気」を行ったのが砂泊諴秀で、合気道では一般に掌を用いて相手を導くが、砂泊は拳でそれを行っていた。これは拳の方がやりやすいからである。形意拳や呉家太極拳で見出していたのと同じ「秘訣」を砂泊は体感として会得していたようである。

宋常星『太上道徳経講義』(57ー11)

  宋常星『太上道徳経講義』(57ー11) (聖人である)自分は無情であるから民は自ずから清らかとなる」と言っている。 喜、怒、哀、楽、愛、欲は、全て情の動きによるものである。情が理のままに動けば、それは正しい行動となる。しかし無闇に働いたならば全く正しい行為は取れなくなってしまう。ただ聖人の情においては分別が加えられることはないし、好悪が生じることも全くない。自分の感情に振り回されることは全くないのである。そうであるから情は、それが徳から生まれた情であるならば、そこに私的な欲望の動くことは全くないのである。天の理からすれば私欲を用いることはできない。理という観点からは自然にそうなる。内的なことでは無為による悪事は、無為であれば情が働いて私欲による考えが生ずることはないのであるから、無為であれば悪事は行われ得ない。外的に無為が働くと、それは外的な行動は内的な思いに呼応しているのであるから、無為であれば情が私的な欲望によって働くことはないので外的にも悪事は生まれない。こうした内外の呼応は聖人の情でも人々の情でも同じである。人々の情と聖人の情は共に真から出ているのであり、そうであるから民の心も本来は清らかなのである。それは聖人の無欲と等しいものなのである。ここで述べられている「自分は無情であるから民は自ずから清らかとなる」は、こうしたことになる。ここで聖人の言っている、とされる発言は、老子が古くから伝えられている「聖人」の言を引用しているのであり、「正」をもって国を治めることと同じである。国政を預かる者はここで述べられていることをよく知っておくべきである。 〈奥義伝開〉「清」も「善」のひとつの現れである。「無情」とは過度な欲望による感情を持たないということである。喜怒哀楽に振り回されないということである。静坐では喜怒哀楽のあることは否定しない。それに過度にとらわれなければ良いとする。喜怒哀楽はそれがあるからより良く生きることができるという側面もある。あらゆる人のもっているもの内的なものも、外的なものも、生きるに必要なものと考える。それは儒教でも道教でも変わりはない。重要なことは「欲望」を適切に使うことにある。そのための秘訣が「無為」「無事」「静」「無欲」「無情」なのである。

宋常星『太上道徳経講義』(57ー10)

  宋常星『太上道徳経講義』(57ー10) (聖人である)自分は無欲であるから民も自ずから素朴(樸)となる。 私念の生ずるのは欲においてである。「樸」とは、心がそのままに働く状態にあることであり、聖人はそうした境地にある。それは日月が天に輝いているように、あらゆる物に及んでいる。つまり、あらゆる物は空なのであり、天下は広大であるとしても、その理は聖人の有している理と何ら違いのあるものではない。いろいろな人が居たとしても、その理は聖人の持っている理と同じである。つまり無欲をして己を修めているに過ぎない。つまり聖人は無欲をして人を導くのである。農事をして食べ、井戸を掘って飲水を得る。これら全ては意識することもなく、思いを及ぼすこともなく当たり前のこととして行われる。民は倫理を守り、天の秩序のままに居る。いろいろと思いを巡らせて利を得ようとすることもなく、何かを企むこともない。ただ「樸」で居る。つまり聖人は無欲(=樸)であるということである。ここで述べられている「自分は無欲であるから民は自ずから素朴となる」とはこのようなことである。 〈奥義伝開〉「樸」とは加工されていない木のことである。無欲であれば、人の本性である「善」が発現される。つまり「樸」であれば「善」であるということである。武術において「静」から「柔」を得て心身が「樸」を得ると争う気持ちが無くなってしまう。そこにこそ本当の武術の意義がある。一方で格闘術としての「武術」も世界には存している。中国や日本ではそういったものとは違う方向で武術が発達させられて来た。これが「武芸=格闘術」と「道芸=修養術」の違いとされる。「武芸」は人が後天的に得た欲望に発するものであり、「道芸」は先天的に有している「性=善」によっている。自然であるのが「道芸」であることは言うまでもあるまい。

宋常星『太上道徳経講義』(57ー9)

  宋常星『太上道徳経講義』(57ー9) (聖人である)自分は静を好しとしているから民も自ずから正しくなる。 古い時代の聖人は、虚心であり恬淡(てんたん こだわりがない)としていて、よく無為を守っていた。天下とはそもそも無声、無臭な存在である。そして天下には「目」も「耳」もないのであるから見ることも、聞くこともできはしない。そうであるから「天下」は静なのである。つまり天下の造化は静をして為されているのである。あらゆる物は静から生まれている。そうであるからあらゆる人の善悪は静によって正されるのである。天下は静であるが、天下そのものが静を選んでいるのではない。静は静であろうとしてそうなるのではなく、自ずからそうであるのである。これが静の理である。こうした理がそのままに行われていれば、天下の理もそのままに行われることになる。そうなれば天下の民は天の理のままに正しくあるようになる。そうしたことを「自分は静を好しといるから民も自ずから正しくなる」と述べている。 〈奥義伝開〉「静」であると人の本来の心の働きである「善」が発現するようになる。そして民も静に同調したなら等しく「善」が現れるようになるので、その生活は「正」しいものとなる。冒頭の国を治めるのに「正」をもってするとあるが、そうなるには統治をする者が「静」でなければならないわけである。「静」を好むような人物でなければならないということである。武術では「静」であれば心身の緊張がなくなり「柔」が得られる、とする。これが心身のあるべき状態であるから、こうした状態からは「善」なる行為、「正」しい行動が生まれることになる。

道徳武芸研究 「道芸」修行試論〜肥田春充の場合〜(4)

  道徳武芸研究 「道芸」修行試論〜肥田春充の場合〜(4) 肥田春充は「聖中心」を発見したことで「自然」に姿勢が変化をした。これは無為自然による「技」の誕生と同じプロセスである。先に「無為自然」の感覚があって、それが動きとして出てきたのが「技」なのであるから、「無為自然」が体得されれば固定した技を覚えておく必要はなくなる。たとえ、それが「技」として示されているものときわめて近いものであっても構わない。無為の技と有為の「技」は一見して同じようであってもその内実は全く異なっている。かつて鄭曼青は太極拳の初めのいくつかを教えただけの人に後年、遭ったら正しく全ての套路を習得できていた、とする経験をしたという。その時、鄭曼青は「誰に習ったのですか」と聞いたら「本を見て習得しました。わたしの動きは間違いのないものですか」と聞かれた。その人物は太極拳のいくつかの技を練ることで「無為自然」を体得したわけである。その上で形としての動きをとれば、それはひじょうに正確な太極拳になっていた、のは当然であろう。ここで重要なのは「(正確な太極拳に)なっていた」という点であり、これが「無為自然」であるということなのである。「道芸」の修行において「技」に執着してはならない。それはあくまで無為自然を得るための方途であり、「逆修」の方法であるから最後に「技」は「捨てられる」ことになる。それがたとえ初めに習った動きと同じような動きであっても、無為を得てからの技においては、有為により学んだ「技」は完全に捨てられているのである。

道徳武芸研究 「道芸」修行試論〜肥田春充の場合〜(3)

  道徳武芸研究 「道芸」修行試論〜肥田春充の場合〜(3) 肥田春充は「肥田式」と称する心身を開発する方法を提唱して知られていた。その過程で注目するべきは肥田が「聖中心」を発見してからその姿勢に大きな変化が生じた点である。一般的には下丹田と称される「聖中心」を発見することで心身の充実を実感した肥田は「胸を開き腰を反る」ような姿勢をとるようになった。日本で肥田を再発見したのは甲野善紀であるが、それはまた中国武術の黎明期でもあった。当時、太極拳では「含胸抜背」が猫背のような姿勢と誤解されており、その観点からすれば肥田の姿勢の改変は「改悪」ではないか、とする疑問が呈されたのであった。なぜ心身の充実を得て姿勢が「改悪」されたのか。実は、それは「含胸抜背」の解釈に誤りがあったのであり、肥田の姿勢は「改悪」ではなくやはり「改良」であったのである。「含胸抜背」を誤って理解している人は今も多いようであるが、これは発勁のための秘訣であり、通常はこれと反対の姿勢をとって勁を蓄える。弓でいえば弦を張っているのが「蓄勁」であり、矢を放っているのが「発勁」であって、この時の姿勢が「含胸抜背」となるわけである。こうした身体の操作は野球の投手のフォームには如実に現れている。

道徳武芸研究 「道芸」修行試論〜肥田春充の場合〜(2)

  道徳武芸研究 「道芸」修行試論〜肥田春充の場合〜(2) 普通、人には無為である行為(行動と思考)と有為である行為とが混在している。こうした状態は「自然」であるとすることもできるが、それは本来の自然ではない。「道芸」にあって有為のように見える行為も、それが無為から発せられたものであるならそれは無為自然な行為ということになる。簡単にいえば意識が無為にある時、どのような動きもそれは無為と認められるということである。そうであるから太極拳でも八卦拳でも「静」や「柔」を重視している。「静」や「柔」の状態で発せられる動きが無為自然なものであるからである。王向斉はいろいろな文章を書いているが時には完全に「技」を否定しているが、別な文章では一部を認めていることもある。王向斉も「虚=無為」から発せられる動きを求めていた。その過程で「技」をどのように評価するかに苦慮していたようなのである。それは最も合理的な形を追究して行くと、最後にはもとの形意拳の技に戻ってしまう、ということがあったからのようである。結果として現在の意拳の継承者で形意拳を取り入れている人も少なくない。

道徳武芸研究 「道芸」修行試論〜肥田春充の場合〜(1)

  道徳武芸研究 「道芸」修行試論〜肥田春充の場合〜(1) 中国武術では「道芸」と「武芸」の区別があるとされる。「武芸」は攻防の一定のパターンを「技」として習得し、それが何時でも再現できるように繰り返し訓練をする。これは他の学習と同じであるから分かりやすい。一方「道芸」では「技」となる「動き」は本来、自己の中にあるものであるから、「技」を学ぶ必要はない、と教える。これは道家の基本的な考え方でもあり神仙道などでもいわれている。つまり導引や静坐などの「方法=技」を覚えるのは「逆修」であると言うのである。「技」を学ぶことは本来的に無為自然の道とは「逆」であるというのである。それでは、どうしてあえて「逆」の修行をしているのか。それは「順」である無為自然に気づくためという。周りがすべて白だけであれば、それが「白」であると気づくことはできない。そこであえて「黒」の一点を落とすことで「白」を気づかせる、それが「逆修」であるとされている。「道芸」において「技」を学ぶのは本来、自己の内にある技に気づくためなのである。

宋常星『太上道徳経講義』(57ー8)

  宋常星『太上道徳経講義』(57ー8) (聖人である)自分は無事であるから民は自ずから富むことになる。 「無事」とは民の力を消耗させないということである。あえて財を得ようとすることもなく、欲望のままに行動することもない。かつての聖なる王は保身を考えることはなかった。人々の農事を妨げることはなかった。そして民の思うようにさせていたのである。そうして民を養うことを考えていた。天下の民は、農事をして食べ、井戸を掘って飲水を確保し、建物を建てて住み、食器を作って使っていれば、家の外には生活に困る人は居らず、家の内にも困難を覚える人は居ないであろう。凍え飢える者は居らず、人々は管弦の楽を楽しむこともできよう。こうなるのは聖人の徳が国中を潤しているからであり、それは「無事」の結果でもある。ここにある「自分は無事であるから民は自ずから富むことになる」とは、このようなことなのである。 〈奥義伝開〉「無事」であれば「富」を巡って過度な奪い合いが行われない、ということである。「富」を過度に他人と奪い合わないのが「無事」である。そうなれば共に過不足のない状態になることができる。争っている時よりも豊かになれるのである。それは争いに「富」が消費されないからである。武術を習得したばかりにかえって「無事」で居られなくなる人も居る。あえて闘争を求めようとする人である。これでは意味がない。「富」とは安全性に富むという場合にも当てはめることができよう。勝つことより、争いを回避する。そうした視点において武術は学ばれるべきである。