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道徳武芸研究 合気道と物部神道〜秘儀の系譜「振魂」〜(2)

  道徳武芸研究 合気道と物部神道〜秘儀の系譜「振魂」〜(2) 古代には武器庫であった石上神宮は「ふるのやしろ」ともいわれていた。つまり「たまふり」の社ということである。古代において戦いは物的な部分よりも霊的な部分がより重視されていた。そうであるから古代に軍事を司っていたのは物部(もののべ)氏であり、物部氏の「物」とは「霊」のことであるから、つまり霊をあつかう集団が、すなわち軍事集団でもあったわけである。ではどのように「霊」をあつかったのか。それは「ふるの社(石上神宮)」に見られるように「振る」働きが重視されたのであり、それにより魂を活性化させて戦闘意欲を高めるようなことが行われていたのである。物部氏は仏教の受容を巡って滅ぼされ、それ以降の大和朝廷の「神道」は中臣氏の系統となる。これが「鎮魂(たましずめ)」ではなかったかと思われる。それは物部氏が伝えていた「振魂」とは別の系統であったと理解される。現在、物部氏が伝えていたとされる「振魂」のような教えを「物部神道」として探求している人が居る。これはまた「裏」神道であるともいう。現在の「神道」に通じる「中臣神道」は「榊」を神の依代とするのに対して「物部神道」では「巨石」を中心とする磐座(いわくら)を用いる。物部氏の「神道」は民間に密かに伝えられており、そうしたものが川面凡児の行法にも取り入れられたことは十分に考えられることである。

道徳武芸研究 合気道と物部神道〜秘儀の系譜「振魂」〜(1)

  道徳武芸研究 合気道と物部神道〜秘儀の系譜「振魂」〜(1) 合気道の準備運動のようにして行われている「振魂(ふるたま)」については、前回の天の鳥船への考察を加えたところでも触れておいたが、「ふるたま」あるいは「たまふり」は古代から見られるものであり、天の鳥船のように新しく作られた語ではない。古代において「ふるたま」あるいは「たまふり」とされたのは人の霊魂を活性化させる方法であった。実のところこうした方法には二通りがあって、ひとつには「ふるたま」のように動かすことで衰えている霊魂に再び活力を与えようとする方法であり、もうひとつには「たましずめ」として霊魂の活動が衰えるのは霊魂が体から遊離するからであると考えて、それを鎮めようとするものがあった。現在は「ふるたま」や「たまふり」も「鎮魂」の読み方のひとつとされているが、「鎮魂」を普通に読めば「たましずめ」と読まなければならない。つまり、こうした漢字の選択の経緯からすれば古代の日本では「たましずめ」と「たまふり」の二つの系統があったものの最終的には「たましずめ」が「鎮魂」の方法として選ばれたことを知ることができるのであり、その失われた「ふるたま」こそが物部神道の系譜につらなるものと考えられることは以下に述べる如くである。

宋常星『太上道徳経講義』(12ー3)

宋常星『太上道徳経講義』(12ー3) 五音は人の耳をして聾(ろう)ならしむ。 「五音」とは、(中国の音階で)宮、商、角、徴(ち)、羽である。こうした音を聴くのは「耳」による。そうであるからこれを「耳根」という。人が五音を判別するのは、まさに「耳」の識別作用によるわけである。もし実際に音を聴くことがなくても、無音であっても、五音を正しくイメージすることはできるのであり、それで迷うことはあるまい。もし、よく聞き分けられないようなことがあるのは、静かに聴いてそれを識別する意識の働き(静聴の神機)が正常に働くことのできる環境にないからである。また内的な耳で「真空」を聴くことができなければ、珍しい(五音をして捉えることのできない)通常は聴くことのできないような音や肉体の耳を通しては聴くことのできない響きを聴き取ることはできまい。音が発せられれば、耳はそれに従って音を聴き取る。そして心もまた音によって動く。五音そのままであっても、時には正しく聴き分けられないこともあるが、それは聴いてはいても、聽けていないということになる。ここに「五つに分けられるような音だけが音であると思っている人は、それ以外の音を聴くことができなくなる(五音は人の耳をして聾(ろう)ならしむ)」とあるのはこうしたことを述べているわけである。もしよく肉体の「耳」だけが「耳」ではないことを認識できたなら、こうした五音のような一般的な「音」を音として捉えるだけではなく、清らかで静かな妙音が自然に聴こうとしなくても聴こえてくるようになる。肉体の「耳」によらない音を聴くことができるようになれば、我が「耳」があらゆる「音」を正しく認識できず、聴こえないようなことは生じない。 〈奥義伝開〉ここで宋常星は「音」には外的な音と内的な音があるとする。そして「五音」のような外的な音だけが音であると思い込んでいると、それ以外の内的な音を聴くことができない、とする。内的な音とは幻聴をいうのではなく、五音として捉えきれない微妙な自然の音のことをいっている。「五音」も前回の「五色」と同じく先入概念のことで、音が五つの種類だけと思い込むと、微妙な自然の音を認識することができなくなることを老子は言っている。老子が本当に言いたいのは、世の「常識」に捕われては本当の姿が見えなくなるということである。社会にはいろいろな慣習があり、個々人にも習慣がある...

宋常星『太上道徳経講義』(12ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(12ー2) 五色は人の目をして盲(もう)ならしむ。 「五色」とは青、黄、赤、白、黒で、これは五行に配されてもいる(五行の正気)。物に在って、人はそれを「目」で見ることができる。「目」は六根の中の第一の根である。人が五色を見分ける時は、まさに「目」によっている。それはまた実際には見ることがなくても、無色の物であっても、それを識別することができることは言うまでもなかろう。もし「目」が塵に曇らされたならば、色を見ても本当の色を識別することはできない。物があればそれを見る。心はそれにつれて動く。もし、心で見たままを受け取ることができないならば、見ているものを正しく捉えることはできない。たとえ五色があって、それを識別することができないとしたら、それは見ても見たことにはならない。目が見えない人と何ら異なるところが無い。ここで「五色を正しく識別しようとしても、曇った心は人の目で正しく五色を見ることをできなくさせる(五色は人目をして盲ならしむ)」とあるのは、まさに心が正しく色を識別できていないことを言っている。修道をしている人は、もしどのような好ましい色の像を見たとしても、けっしてその形にとらわれてはならない。貪愛の心を起こしてはならない。特に好んではならない。「目」による捉われを忘れて、つまり光あふれる無極、そこに意識(神)を置いて十方を見る。そうすれば「目」による誤った認識を得るようなことはなくなる。 〈奥義伝開〉ここに「五色」とあるのは、先入概念のことを言っている。我々は既に「白」という概念を得ているので、白いものを見れば「白い」と認識するが、実際は「白」にもいろいろな白がある。グレーに近いものもあれば、クリーム色に近いものなどもあるのであって、これを「白」という概念でくくってしまい、分かったような気になってはならない、と老子は教えている。聞くところによればデジタル技術を使えば一万色が作り出されるらしい。こうなるともはや人間の認識を超えているかもしれないが、便利な先入概念は気をつけなければ微細な部分を見落として、本質を見失ってしまうことにもなりかねない。

宋常星『太上道徳経講義』(12ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(12ー1) 天地は大きく万物をよく包み込んでいるという。また百をもの川を受けいれている。それはまるでひとつの大きな「腹」のようでもある。さらには日月の光はあらゆるところを照らしているし、どんな遠いところにも光は及んでいる。それはあたかもひとつの大きな「目」のようである。天地は大きいといっても、もしそこに無極の「真」がなかったり、太極の「理」を有していなかったりしたなら、どうして総てを包含することができるであろうか。どうして総てを照らす大いなる光明となることができるであろうか。こうした妙義は人にあっては「腹」において有しているのであり、それは天地の「腹」と等しいものなのである。性命、陰陽を内に含み、五臓六腑を備えている。二つの目はつまり日月で神(意識)を通して外部と交わることのできる不可思議な部位(妙竅)である。人はたとえ「腹」を持っているとしても、「目」があるとしても、もし「性真の妙」を得ていなければ、五臓の気も乱れてしまうであろう。「目」を通して神はよく働く。もし物を見て心が動いたら、正しい性は本来の働きをすることなく、必ず迷妄を生じてしまうであろう。そうなると「目」は正しくものを見ることができず、耳も正しく聞くことができず、口も正しく味わうことができない。そうであれば適切な判断ができず誤った行動をとってしまうことになる。二つの目、耳と口の五の働きが害となるのであり、問題はそこから生じる。ここで述べられていることもそれである。 この章は「腹」について述べられているが、それは「人」そのものを表しているからである。迷いから真を知るには、通俗的な安穏にこだわってはならない。私欲に溺れてはならない。 〈奥義伝開〉「腹」とは後の儒教でいう「性」のことである。「性」とは人の今激的な心の働きをなすものとされ、それが働く時には「善」として現れるという。しかし、人は往々にして悪を為す。それは心が世俗によって曇らされているからで、「善」として現れているものが、悪へと曲げられているとする。老子は、そうした「世俗」からの影響を人は「目」によって受けるものとする。

道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(8)

  道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(8) ゆっくりとその場で腕を振るのに慣れたら、次には片足を前にして重心の移動と腕の動きが一致するようにする。この時、呼吸は腕を前に出す時に吐き、引く時に吸うようにする。これにもある程度の習熟が認められれば、手を掌から拳に変えて、やや勢いよく腕を突き出し、おおきく胸を開くようにして両拳を引く。この時の呼吸も拳を出す時に吐いて、引く時に吸う。よく行わているような掛け声は使わない方がよかろう。これを練ることで力を出すことのできる体を作ることが可能となる。中国武術でいえば「発勁」が会得されるのであり、合気道でいえば「呼吸力」が養成されるということになろうか。このように一見して価値がないと思われるような行法にも、実は学ぶべき多くのことがあることが理解されよう。九華派八卦掌の静坐の系統である居敬窮理学派の「居敬窮理」とは「敬(つつしみ)に居る」ということで、自分の浅い考えでかってに伝えられているものの価値を判断して捨てたりしてはならない、という教えであり、「理を究める」のはあらゆるものの価値を考えるということである。「居敬窮理」をベースにすればいたずらな迷信に陥ることもないし、伝統の表面だけをなぞって満足するような事態にもならないのである。

道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(7)

  道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(7) 天の鳥船と同じ通臂功は形意拳のスワイ手にも見ることができる。一般的なスワイ手は太極拳のもので腕を回すが、形意拳では前後に振る。ちなみに八卦拳や通臂拳では斜めに振っている。スワイ手はどのように体を開くか(緩めるか)によって、そのやり方を異にしているので練習に際してはよく注意しておく必要がある。それは形意拳や合気道が前後の動きを中心としており、左右にひねるような動きを主とする太極拳や八卦拳などとは異なっているためである。いうまでもなく合気道は剣の動きと深い関係があり、剣は上下に振り下ろす前後の重心移動がとなっていることはいうまでもあるまい。もし天の鳥船を合気道のスワイ手として練習しようとするのであれば、最初はその場で腕を前後にゆっくりと振る。天の鳥船の「鳥船」は、この世からあの世(霊的な世界)へと導く働きの象徴でもある。そうであるから天の鳥船を行なうことで特殊な意識に入ることを川面の行法では目的としていた。こうした「鳥船」は天鳥船(あめのとりふね)の神として神話にも見えるし、古墳の壁画には船の先に鳥の止まっている絵が描かれており、死者の魂を死後の世界に導いている。また、こうした意識の変容は太極拳の起式でも認められる。両腕を挙げて下ろす時に意識が変容して「太極」とひとつになるのである。そして最後には体も「太極」とひとつになる。そうであるから最後の動作を「合太極」と称している。このように腕を前後に振る動作は意識の変容を導くことと深く関係しているのである。

道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(6)

  道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(6) 天の鳥船で両手を出すのは肩甲骨を開くという重要な意味がある。また両手を引くことで肩甲骨を合わせるようにすることも重要である。これに加えて腰の回転と重心の前後への移動が一致すれば大きな力を発することができる体作りの鍛錬が可能となる。また呼吸は腕を出した時に吐くのが良い。現在は「えっさ!えっさ!」と船を漕ぐニュアンスの声を出している(川面式がそうであったので)が、これは適当ではない。こうしたところは感覚的な選択の限界でもある。植芝盛平の身体感覚を通した時、川面式の天の鳥船に鍛錬法として重要な動きの含まれていることは直感されたのであろうが、それがどうしてそう認識されたか、までは詰めて考えられることがなかったので、それにおける合気道においての必然性を説くことができなかったわけである。結果としてそうしたもの(盛平が神道やいろいろな行法から直感的に取り入れた教え)の多くが有効に活用されることはなく、ただ形式的に踏襲されるか、次第に行われなくなっているかしているようなのである。ちなみに両手を出す動きは形意拳の十二形拳にも多く見ることができる。それは十二形が優れた鍛錬法の集大成である所以(ゆえん)でもある。

道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(5)

  道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(5) たとえば振魂は剣を上下に振って中心軸を感じた上で、それを緩めるというところに効果があるのであってむやみに手を握って振っても意味はないし、特段の効果も得られない。現在の合気道の練習において振魂を行なう必然性が感じられないのは当然というばそうなのである。また天の鳥船も同様で、これが肩甲骨を開き、腰の動きと重心の移動を一致させるものとして練習されなければ、武道的には意味のない運動となってしまう。太極拳には按という両手で前を押す動作が多いが、これは両手を前に押すことで肩甲骨を開こうとしているのであり、この状態が「含胸抜背」となっている。「含胸抜背中」は力を発する(発勁)の秘訣とされているが、全身(主に腰と背中)を使って生み出した力を腕に伝えるには胸を緩めて、背中に力を通すようにすることが求められるわけである。もちろんこれに慣れれば片手で打っても力を集中させることが可能であり、その典型は野球の投手の動きである。投手は大きく振りかぶって胸を開いて、体を折って背中を伸ばして球を投げている。これは最も効率的な体の使い方なのであり、「含胸抜背」はそのことを教えているのである。

宋常星『太上道徳経講義』(11ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(11ー5) 故にこれ有るをもって利と為し、これ無きをもって用となす。 「有」とは先に述べられた「車(車輪)」「器」「室」の三つのことである。実際に形有る物からは「利」益を得ることができる。それは形が有している絶妙な働きといえるのかもしれない。そうであるから「利」という言葉がここに用いられている。「無」とは「車」「器」「室」の中にある空間であり、虚であり、物の無いところであって、これは「用」を持っている。つまりこれら三つには妙用があるわけである。「車」「器」「室」について考えるに、これらは同じ物ではない。しかし同じであるのはそれらにはすべて「無」が含まれているということである。その「利」は「有」に発し、その「用」は「無」から得られている。つまり虚がどのようにして有に作用しているのかについては見ることはできない。それは実際に車輪を動かしたり、器に物を入れたり、部屋に出入りできたりするその「用」が虚(無)によるものであって、その「利」をもたらしている形に無いからに他ならない。つまり「妙用の用」は単に見てすぐにわかるようなものではないのである。もし「用」を見ようとするなら、それは「無」によらなければならない。「利」も「用」も「車」「器」「室」において天下万世にわたり人々を「利」してきたこと窮まりないものがある。そうであるから老子はこの三つをして「道」を説こうとしている。結局のところ「つまり有からは利をもたらすことができる。無からは用を得ることができる(故にこれ有るをもって利と為し、これ無きをもって用となす)」というのは、これをして老子は道を教えようとしているのである。さらに詳しく「車」「器」「室」を見てみると、すべては「無」において「用」が得られている。「無」とは「虚」である。「虚」であれば万物を容れることができる。「虚」であれば物を生むことができる。天地万物、すべてが「虚」「無」の中から生まれたのであり、そうであるからそれは「大道の本元」「天地万物の根本」なのである。人も形を有している。また心も有る。心の本体は「清浄光明」で、本来「無一物」で太虚とその体用を同じくしている。ただこうした天地とのつながりを忘れて「虚霊の竅」である性が塞がってしまうと「妙明の光」である心の働きにも陰りが生じることになる。そうなれば「霊明の体」である体も現れ...

宋常星『太上道徳経講義』(11ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(11ー4) 戸ユウを鑿(うが)つをもって室と為すは、まさにそれ無に室の用有るべし。 「鑿(うがつ)」とは空間を開くということである。一つのものをして空間を開くのが戸であり、次いで空間を開くものとして門がある。「ユウ」とは、窓枠のことである。戸の空間を開くことで、往来出入りができるようになる。「ユウ」(窓)を開くと、それをして天地日月の明りを通すことができるようになる。戸や窓(ユウ)のあるところは、これを部屋とすることができる。部屋はその中に虚がある。虚があるからこそ部屋の用がある。有巣氏(古代伝説の聖人で家を発明した)が木を折って部屋を作って、穴居生活に代わるものとした。そした部屋があれば体を安んじることができることを人々は知るようになったが、部屋の用が虚にあることが認識されることはなかった。虚があるからこそ物を容れることができるのであり、このことは造物において「太虚の妙用」といえるものである。両儀とは天地の門戸のことで、万物はその奥の一室の中でひつとつになっている。こうした天地と、ここで述べられていることには不思議な一致(妙合)がある。そこには運動があり、養育がある。ここでの「門戸」は、人であれば口や鼻であり、耳目は「窓」とすることができよう。性命の主はつまり虚の中の妙体である。すべての物の実用がここから発せられている。そうであるから老子は「戸や窓の空間を開けることで部屋とすることができる。それはまさに無の空間を作ることで部屋として使えるようになるということなのである(戸ユウを鑿つをもって室と為すは、まさにそれ無に室の用有るべし)」と述べているのである。 〈奥義伝開〉戸や窓があるからこそ部屋として、より多くの機能を有することができる。先の「器」では中の空間を「虚」として、それが有ることで器に水を入れたりすることが可能となることについて述べていたが、ここでは空間が「室」に人が入ったりすることができる働きを有することについて述べられている。部屋の壁に戸や窓を開けることで、内外の流通が生まれることを指摘するわけである。これはシステムにおいては開放系となるということでもある。内に空間があるだけで戸や窓のないものとしては古墳の石室などがイメージされる。これは遺体を安置するという以外では使いようがない。システムとしては閉鎖系といわなければ...

宋常星『太上道徳経講義』(11ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(11ー3) 埴(はに)をこねてもって器と為す。まさにそれ無に器の用の有るべし。 「埴」とは土のことである。適切な方法によって泥をこねれば陶土として使うことができるようになる。それが「埴をこねて」ということである。ここに述べれているのは陶器を作るやり方である。器の外側は実であり内側は虚となっている。外側は有であり内側は無である。製陶の方法を人にあてはめると、それはまったく道とひとつのものといえよう。それは「空をして用をなす」ということであり「無をして中とする」ということである。そうであるから「埴をこねてもって器と為す」としているのであり、これは「無にこそ器の用がある(無に器の用の有るべし)」ということになるのである。そうであるから「乾坤造物の道」は陶器を作るのと違いがないということが分かろう。「乾坤」とは「太極の太炉」のことで、その中では五行が煉られている。それがつまりは「埴をこねる」ことなのである。春は温かく、夏は暑いのは、「太極の炉」の火加減によっている。太虚は無体であるが、このことはつまり器で「空」間のあるところと同じであって、そここそが使える、ということの妙がある。天地のあらゆる「物」は、つまり有形の器の形と同じということになる。またあらゆる物には、つまり無による「大器の妙」がある。人はよくこの無の「用」を体している。製陶の用、つまり無が心身に備えられているわけなのである。製陶のやり方を性命において用いるならば、どうして大道が成就しないということがあるであろうか。製陶の方法を用いれば器を作ることができるし、同じく「道器」も作ることが可能である。そうなれば「天下の神器」が作られることにもなる。もし「道器」を作ることができなければ、これは「天下の敗器」となる。そうであるから君子は「道器」と称されるのであり、小人は「敗器」とされるのである。まさにここではこういったことを述べているのである。 〈奥義伝開〉自己の中の「無」つまり「虚」を知ることで、ひとつのシステムとしての「自己」が完結すると教えている。我々は「有」「実」の自己だけに執着をしてなんとかその適切な働きを得ようとしているが、それがかなわないのは、本当の働きの根底をなしている「無」や「虚」を知らないからなのである。そうしたものを知るには、心に静を得て、体には柔を養う必要があ...

道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(4)

  道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(4) システムとして合気道を考えた場合に天の鳥船と振魂は、正勝棒術と松竹梅の剣に対応している。これらは「開」と「合」の動きを有しているのであり、これにより肩甲骨を開き、その力を集中させて武術的に使うことが可能となるような体を作っていくことができる。本来、通臂功は腰や肩甲骨の開合による横の円と、中心軸(体軸)を確立することによる縦の円とで構成される。この二つの円つまり横と縦の円が組み合わされて力を発することを鍛錬するのが通臂功なのであるが、こうして発せられる力はまた「十字勁」と称する(二つの円の組み合せによるものであるため)こともある。横の円を開く天の鳥船は縦の円を開く振魂があってこそ武術としてのおおきな働きが可能となるのであり、このふたつはどちらか一方を欠くことはできないのである。振魂はその動きを上下に大きくすれば剣を上下に振るのと同じとなる。日本刀の素振りは、中心軸を確立するのにひじょうに優れた鍛錬法であり、加えて袴は紐の位置が巧みに作られていて、それをつけることで腰の位置を安定させることができる(振魂についてはまた稿を改めて述べることとする)。

道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(3)

  道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(3) 合気道における通臂功の重要性を認識していた人物に塩田剛三が居る。塩田は「臂力の養成」なる功法を考案している。これは天の鳥船とは違い、合気道の動きそのままであり、主として剣術の動作に近いものといえよう。確かにこの方が合気道の通臂功としては理解しやすいし、実際に塩田の系列の合気道では基礎的な力を養う鍛錬法としての認識もされている(重視とまではいえないであろうが)。ちなみに盛平が川面の行法から取りれたものに「振魂(ふるたま)」がある。天の鳥船も現在ではあまり指導されてはないであろうが、「振魂」はそれ以上に行われていないと思われる。「振魂」は両手を臍の前あたりで握って細かく振るわせる。こうなると準備運動としても意味が理解できない、ということなのであろう。また「振魂」をストレッチ的な準備運動と考えたとしても、両手を握っているので、体をほぐす効果はあまり期待できない。一般的なストレッチであれば両手を体側に垂らしてぶらぶらさせるのが普通であろう。このように天の鳥船や振魂は準備運動としても不十分であり、加えて見た目もあまり良くないという最大の弊害も存している。

道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(2)

  道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(2) 興味深いことに盛平は、大本教にしても、教義の影響はまったくといって良いほどその語り口には現れていない。確かに大本教で使われている言葉(松竹梅など)を散見することは可能であるが、それは前回に述べたような盛平独特のイメージによって捉え直されているのである。大本教については甥の井上鑑昭の一家が先に入信していたとされ、それによって盛平が北海道から和歌山に帰る時に大本教によったとされるが、盛平があくまで王仁三郎個人に私淑していたのに対して、鑑昭は大本教教団そのものとの交流を長く続けていた。それはともかく川面の行法からなぜ盛平は「天の鳥船」を取り入れたのか。それはそれが肩甲骨を開くのに有効であると感じたためと思われるのである。肩甲骨を開くことは中国武術でに特に重視されていて、これを「通臂功」と称する。この功法をベースとした拳術の体系も編まれていて、通臂拳は中国名拳のひとつである。現在の天の鳥船(船漕運動)は、通臂功としては練られていないが、いくつかの注意点を守れば、これはひじょうに重要な功法となり得るのである。

道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(1)

  道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(1) 合気道の準備運動のようにして行われているのが、「天の鳥船(あめのとりふね)」であるが、これは戦前に有名であった川面凡児の提唱していた行法のひとつでもある。戦前は心身の「鍛錬」ということが軍国主義の風潮もあって広く受け入れられていた。こうした風潮の中で川面の唱える「禊」は修験道などの民間の行法を神道的なイメージにより取り込み組み立て直したもので、これを「禊」として広めたわけである。それを合気道の植芝盛平は取り入れたのであるが、盛平のおもしろいのは情報を「文字」によらずに、「言葉」によって選別していたことであろう。それは頭の使い方が「論理」より「イメージ」に偏重したものであったことによる。このためよく幻視をもしていた。「天の鳥船」も、はやっているから取り入れたというより、「何らかの感じるものがあったからやるようになった」と考えるべきなのである。ここでは盛平が「天の鳥船」において、イメージとして見たものは何であったのかを考察しようとするものである。

宋常星『太上道徳経講義』(11ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(11ー2) 三十輻は轂(こく)を共にす。まさにその無に車の用、有るべし。 「轂」とは車輪の中心軸のことである。それは輻(や)を受けているが、「轂」自体には何らの働きもないように見えるので「空竅(空なる要)」ということができる。車輪を作ろうとすなら車輪の外の輪を作らなければならないが、その外の輪は輻によって中心である轂につながるようにしなければならない。そうであるから轂は車輪にとって重要である(竅)し、それ自体が動いたりするわけではない(空)ので「空竅」とされる。つまり車輪の「用」は、人々によってよく知られているが、その本当の働きである「妙用」がどこから来ているのかは知られていない。それは虚の中にあるのである。虚としての竅、それはたとえ小さなものであっても、その働きは大きい。無心の心は、無であるがそこには道が存している。これは車輪の「用」と同じである。「用」は有に属しているが、それは無がなければ「用」が働くことはない。そうであるから「三十本の輻も車輪が用いられるには、一見して働きの見えない轂によらなければならない(三十輻は轂を共にす)」とされている。まさにその無とは「車輪の働きはまさにここに有る(車の用、有るべし)」とされるところのもので、それは車輪の虚であるばかりではなく、天地の太虚でもある。また自分の体においては「心」が「車」である体を御している。「心」の根源である「性」はつまりは「車」における妙であり、無妙つまり有(である体)において用をなすものなのである。「性」と「心」と体の有無、利用の関係は周り周って始まりもなく、止むこともない。元気運行の妙の中にあるといえよう。こうしたことを「車」を通して悟ることができるのである。 〈奥義伝開〉人にあって具体的な働きをするのは「体」である。そしてそれを動かしている目に見えないものは「心」である。さらに「心」の働きを可能としている目に見えないものが人の本来の働きである「性」とされる。確かに「心」はその働きを一定程度知ることはできるが、「性」についてはそれ自体の働きを知ることはできない。これらは後天の世界では「体」と「心」、そして先天、後天の世界では「性」と「命(後天の心、体を含む)」という仕組みになっている。

宋常星『太上道徳経講義』(11ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(11ー1) 天地の道は、虚である。そうであるから陰陽の妙がある。聖人の徳はその心が虚であるところにある。そのために運用の妙がある。天地が虚でなかったならば、一日の流れが円滑に行われることはなく、万物が適切に育つこともない。鬼神も変化をすることができない。そうしたことからあらゆるものが虚の中にあることのが分かるのであり、それが生成の根本なのである。聖人の心が虚でなかったならば、天の理の微妙なところを知ることができないし、人の心を正しくすることもできないであろう。また何が正しいかを世に示すこともできないこととなろう。聖人が天下の「法」とされるのは、虚心であるためであることが分かろう。また虚心は道徳の本体でもある。こうした「法」によって「車(車輪)」は作られているのであり、「器」が作られるのであり、「室(部屋)」が作られている。つまり、それは老子の教える「物を借りて本に達する」ということなのである(つまり、有は無があることで本来の姿となり、無も有があることで本来の働きが得られるのである)。そこには「有」としては「利」があり、「無」としては「用」がある。道は本来その働きが「無」であるが、「器」は「有」としての形を持っている。しかしそこに「無」としての空間があることで「用」としての働きが生じている。もし、この「利」の中の「用」を知ることができたならば、「無」の中の「有」を知ることができるのであり、これによってつまりは道に近づくことが可能となるのである。 この章で、老子は物のあり方を知ることによって本質が明らかになることを教えている。「無」は「有」をもって「利」の「体」とする。「有」は「無」をもって「器」の「用」とする。人の幻身は、無形の性命を主体としているのであり、その理を得ていることが分かる。 〈奥義伝開〉この世に存在しているあらゆる物の利便性は、見えないものがあるからこそ可能になっている。これが大原則、つまり道である。そうしたことは以下に挙げられているように「車(車輪)」や「器」や「室」を見れば分かる。これらには空間がある。そのことで働きを持つことができている。同じく、我々の社会も見える部分だけが社会を動かしているのではなく、見えないところのものこそが、その働きを担保していることを知らなければならない。器であれば、それが四角でも丸でも...

宋常星『太上道徳経講義」(10ー11)

  宋常星『太上道徳経講義」(10ー11) この章では始めに「抱一」が述べられているが、それは「抱元守一」の道ということである。もしよく「抱元守一」することができれば、「営魄」は自然であり、自然を離れることがない。そうであれば、自己の先天の真気は、必ず「一」となる。そうなればその気は必ず柔和になる。そうなればこれを「嬰児」の状態とすることができる。こうして「嬰児」のようであれば、「徳性」は一体となり、至淳、至善、無欲、無為となって、道と一体無二となるのである。 〈奥義伝開〉「抱一」とは魂魄を「一」つのものと捉えることである。この場合の「魂」は霊的な体で、「魄」は物質的な体のことである。武術の混元トウはただ立っているだけであるが、それは「抱一」つまり霊的体と物的な体の統合を行おうとしている。これが馬歩トウ功のように両手を胸のあたりにあげる姿勢となると肉体が意識化されて魂魄を分けることになる。こうして「魂」と「魄」とが分けられることで、武術の修行(用)に入ることが可能となる。このように具体的な目的を持った修行をしよとするなら「一」から「二」へと展開がなされなければならない。老子は「一」は「二」を生み、「二」は「三」を生んで「万物」が生まれるとするが、「三」は魂魄の分離を「体」として「用(技術)」を加えることである。武術であれば攻防の技術を加えることで、あらゆる形、動きを作り出すことが可能となるのである。

道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(8)

  道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(8) 「柔順利貞」の「柔」は乾卦で説かれた「心」の自由さであり、「順」はそれによって可能となる「体」の動きのことである。それは「貞(ただしい)」動きであり、そうであるからこそ「利」が得られるとするのが「貞(ただ)しきに利あり」である。坤卦では規格化、定石化ともいうべき動きのパターンを学んで力を集中させることを習うことの重要性を教えると共に、先の乾卦にあった心の自由さがそれに加わらなければ、いたずらに「戦」へと導かれてしまうことになることをも警告している。以上が乾坤たる先天の両儀の大原則となる。最後に八卦の解説をまとめておけば、八卦は八つの卦をそのままに並べても意味が分からない。確かに先天八卦、後天八卦とする図もあるが、それらはいずれも八卦をそのまま並べているだけに過ぎない。以下に示したように乾坤と坎離はひとつの軸にあるように示されないと八卦の図の意味がないように思われる。ちなみにこの上半分の兌、離、巽はいずれも二陽一陰で、兌や巽は「離」の変化となっている。下半分の震、艮、坤は「一陽二陰」で「坎」の変化である。またこれはそのまま太極双魚図そのものであり、双魚図にある黒い目の魚は「二陽一陰」、白い目は「一陽二陰」を表している。                   乾(陽陽陽)先天の両儀           離(陽陰陽)後天の両儀 巽(陽陽陰)                   兌(陽陽陰)     ⇓                        ⇑ 艮(陽陰陰)                   震(陽陰陰)                    坎(陰陽陰)後天の両儀           坤(陰陰陰)先天の両儀  

道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(7)

  道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(7) 坤卦では「永貞(えいてい)に利あり」とも教えている。この「永貞」とはまた「柔順利貞」ともあるように具体的には「柔順」を得ていることをいうのであり、それはさらには「先んずれば迷いて道を失い、後るれば順って常を得る」とも説明されている。つまり相手より早く動こうとすると「道」が失われるのであって、相手より後れて動くこと、つまり「順」であることが「常」なる「道」を得ることになるというのである。これはまったく太極拳でいう「舎己従人」と同じであるとすることができる。この拳訣は「己を捨(舎)てて人に従う」と「己を捨てて人を従う」の二つの意味がある。つまり「己を舎てる」ことで相手の動きを完全に把握して「順」となり、それを行うことで相手をコントロールすることも可能であると、この拳訣は教えている。「常」なる「道」とはこの場合には「常に相手の攻撃を制することのできる方法「(道)」ということになる。また別の拳訣では「合えばすなわち出る」(打手歌)とも教える。「合」が「己を舎てる」ということで、それと同時にこちらが積極的に相手をコントロールする(出)ようにしなければならないという攻防の間合いを示しているわけである。ちなみに「舎己従人」は一般的な諺としては「(相手の考えていることを正しく知るには)自分の考えを一旦、捨てて相手のいうことを聞かなければならない」という意味で、これが太極拳の拳訣として転用されているわけである。日本でいうなら「合気」となるが、これは打手歌の「合」えば、とするニュアンスに近いといえるであろう。

道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(6)

  道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(6) 坤卦では乾卦に出て来た「龍」が「野」において戦うことが記されている。そして、その「血」は「玄黄」であったとする。「玄黄」は「天地玄黄」という語でも知られるように「天」は玄(くろ)で、地は黄であるとされている。つまり「龍」は天地が一体となっていることのシンボルというわけなのである。ではなぜ天と地が合一している「龍」が戦いをしたのか。それについては「その道窮まれればなり」とある。坤卦の「技」においてそれをあまりに極めようとすることによって本来は向かうことのない「戦」へと「龍」は導かれたのであった。それは「力」を求めすぎたことによる。過度に「力」を得たらどうしてもそれを使いたくなるものである。かつて少林拳では体を徹底的に鍛える方法がいろいろと考案された。掌を鉄の如く固くすれば有効ではないかと考えて、砂や小さい豆の入った袋を打つことから初めて最後には鉄の玉を桶に入れて打つようなことまでもが試みられたが、どうしても掌は鉄のようには固くなることはなく、かえって指などの神経に異常をきたすことが多いことが分かって、こうした過度な練習は次第に行われなくなった。そこでやはり太極拳のような過度に陥らない「中庸」を心得たシステムの重要性が改めて認識されるようになるのである。

道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(5)

  道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(5) さて坤卦に「習わざれば、利ならざるなし」とあることは前回に紹介しておいたが、その一文の前には「直、方は大(すぐ)る」ともある。つまり直線的であったり、四角であったりするものを「大(すぐ)」れたものとしているわけである。これを武術でいうなら四角は安定であり、直は力の集中ということになろう。中国では天円地方という世界観があるので、「方」は地を意味する。つまり気が地に落ちている安定している状態を「方」は示していると見ることが可能なのである。「体が浮いていいない」ような状態はあらゆる高い運動能力を有するアスリートに普遍的に見られるものであり、武術ではこうした状態を「沈身」や「沈墜勁」などと称している。太極拳では「曲中求直(曲れる中に直を求める)」の拳訣があるが、そこで言われている「直」が重要であることを坤卦でも教えていることが分かる。また「曲」は曲がっている、つまり螺旋が作る円形であり、先に触れた天円地方でいうなら「天」となる。つまり天=乾卦で教えていた心の自由さをいっているわけである。こうして見ると「曲中求直」が、ただ「曲線の動きの中に真っ直ぐな動きを求める」というだけのものではないことが分かる。つまり「曲中求直」は先天の中に後天の動きを求めるという意味が奥義としてあることを知らなければならない。

宋常星『太上道徳経講義」(10ー10)

宋常星『太上道徳経講義」(10ー10) これを玄徳と謂う。 「玄徳」とは「天徳」のことである。天の徳は玄玄(奥深く)として測りがたいものである。そうであるから「玄徳」という。聖人の道が天と同じであるということを詳しく考えてみるのに、「徳」とは生み育てるということであり、その恩はあらゆるものに及び、その深いことは測り知れないほどであるが、それを誰も見ることができない。その広さも極まりないので、誰もそれに名を付けて現敵的に理解することができない。そうであるから、そうした徳はただ玄玄としており、天に唯一無二のものとする他ないのである。そうであるからこれを仮に「玄徳」と呼んでいるのであって、それは以上に述べたようなことによっているのである。 〈奥義伝開〉「玄」とは「暗い」ということである。漆黒の闇が無限の空間の深さを感じさせるような感覚を老子は「玄」であり「道」であるとする。「玄徳」は「玄」の「徳」であるから、これを「道」の「徳」つまり道徳ということも可能である。そしてそれは無為自然ということでもあった。ここで重要なことは玄徳、道徳が常に人々との関わり、社会実践において実行されるという点である。これは陽明学などの生活実践こそが修行の場であるとする「事上磨練」とも共通している。また仏教の菩薩道(善なる行為の社会実践)などが、中国や日本で広く受け入れられたのも、老子の教えのような「土壌」があったためと思われる。  

宋常星『太上道徳経講義」(10ー9)

  宋常星『太上道徳経講義」(10ー9) 為して恃(たの)まざれば、永くして宰(つからど)らず。 聖人の心は天地と変わりがなく、物をも自己をも共に忘れて執着を持つことがない。天下の民と共にあって意図することなく道徳を実践して、無為の境地へと入らしめる。こうして人が人を治めるべきなのであり、それは有為にしてなされるべきものではない。聖人は「あるべき」を万民に示しており、それはあらゆる存在に先んじている。そうであるから「天下の長」とされる。つまり道と天地は同じなのであり、道の恩を施すことは父母のようでもあるとされる。天下のあらゆることを忘れて自然のままにあって、意図的に為すことはない。自己と他人の区別はなく、上下の違いも存しない。そうなればどうして「主宰」する気持ちの生じることがあるであろうか。そうであるから「何らかの行為をしてもそれに執着しなければ、永く中心にあって活動していてもその地位にこだわることはない(為して恃まざれば、永くして宰らず)」とあるのである。 〈奥義伝開〉これも前回と同様に行為やその結果に執着しないのが「自然」であり、それがあるべき状態であると教えている。たとえ永く中心的なポジションにあっても、その地位に執着することがないのが好ましいとされている。ただ現在の社会においては、肩書があった方が便利なことも事実であろう。そこで老子は「恃(たの)まざれば」として、自分は肩書などに執着しないが、そうしたもので判断をする愚かな人には肩書を示して納得させるがよい、と教えている。こうしたところが老子のおもしろさである。

宋常星『太上道徳経講義」(10ー8)

  宋常星『太上道徳経講義」(10ー8) これを生み、これを蓄えるは、生みても有(も)たず。 「生」とは、育てるということである。「蓄」とは、養うということである。天は陰陽五行をもって万物を生み育てている。聖人は道徳、つまり五常(父子の親、君臣の義、夫婦の 別、長幼の序、朋友の信)をして万民を育み育てる。天地はあらゆる形を作り、万物を育み育てている。本来的には、心のあり方によって生成の働きは促されている。あらゆる物を自分のもののように考えて「仁」を施す。万物はこれによって生まれ育てられる。すべては天地の「有」であり「不有」でもあるが、聖人は天地を父母として、その心を体しており、人々を教え育てている。そうであるから人々に利を得させることをして人々がよく生きられるようにすることはあっても、けっして利を自分のために得ることはない。また教えを立てて民の本来の心の状態(性)に復させる。それは物質的に人々の生活を豊かにすることで教えを垂れるのであって、このように民を育むことは「自然」の働きそのものなのである。このように聖人は天地が無心であるのと同じく人々を教化しているのであって、為すことなくしてつまり明らかには分からないところで徳を施している。そうであるから「生みて育てる」も「生みて有(あ)らず」つまり聖人の働きは見えて来ないというのが、ここでの意なのである。 〈奥義伝開〉ここでは「生而不有」を冒頭では「生みて有(も)たず」と読んでおいたが、宋常星は「生みて有(あ)らず」と解している。万物を生み育てるのは天地の働きであると同時に、聖人の働きでもある。そしてそれは生むという現象は知ることはできるものの、育てるという「道徳」の部分については一般には見ることができない、という意味となる。それは天地や聖人の働きが無為であり、自然であるからである。一方「有(も)たず」は生み、蓄える行為に執着をしない、ということで、これも基本は無為自然であるためにそうなる。無為とは何もしないことではなく、行うべきことを行って、それに執着しないことにある。

道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(4)

  道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(4) さて「易」の全体の解説はここまでとして、ここでの本来のテーマである「坤卦」についての説明に移ろうと思う。すでに述べたように乾坤は「先天の両儀」つまり「虚」の存在であるために、その働きが直接、具体的なものとして現れることはないが、それは未出現の「原理」として存在している。乾坤つまり天地の循環は「水」をもってイメージされる。池や川など地にある「水」は天の太陽の熱などで、熱せれれると水蒸気になり、天へと至るが、冷やされると雲になる。雲はさらに雨となって地上へと水を戻すことになる。このような循環がイメージされていたのであり、坤卦でも「霜を履(ふ)む」とか「堅氷至(いた)る」と水に関するイメージが見られる。つまり液体から気体、粗大なものか微細なものへと変じた「水」が再び固体となることをいっているわけである。微細な感覚が開けて自由な心の働きを得ることを乾卦では教えていたが、坤卦ではそれはまた技という形を持つことがなければならないとするのである。こうしたことを「習わざれば、利ならざるなし」としている。つまりただ自由な心の働きがあるだけでは「利」を得ることはできないのであって、武術であれば適切な動きを学ばなければ、習わなければ不利であると教えているのである。

道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(3)

  道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(3) 八卦の変化でいえば一陽が兆して震(陽陰陰)となり二陽となって兌(陽陽陰)となるが、これを「進陽火」とする。さらに三陽になると乾(陽陽陽)が生じるのであるが、これは先天の両儀(虚)なので、理論上は存在するが実際には乾となることはない。これは紀元0年がないのと同じで紀元前一世紀は次は紀元一世紀につながっている。このように兌から一陽が増えると同時に一陰が生まれて巽(陰陽陽)となる。そして二陰が生じて艮(陰陰陽)となる。これを退陰符とする。さらに三陰となっても坤(陰陰陰)は実際には現れることがなく、同時に一陽が生じて震となる。こうした循環を実際に促しているのは坎と離で、また震(陽陰陰)と艮(陰陰陽)、兌(陽陽陰)と巽(陰陽陽)は互いに対の関係にある。以上が三つの陰陽による八卦のシステムであるが、現在の「易経」は六つの陰陽を使っている。例えば乾であれば(陽陽陽 陽陽陽)で八卦の乾(陽陽陽)が更に重なる形になっている。この六十四卦は、八卦はまた別のシステムとして九華派では考えており、八卦は先天の両儀の乾坤と後天の両義の坎離を中心に震、兌、巽、艮から成り立っているとする。このように本来は陰と陽だけの単純な世界観を示すものであった両儀が、四象へそして八卦へと複雑化が進んで最後には六十四卦へと至ることになるわけであるが、いろいろな異なったシステムをひとつに重ねようとするのは中国文化の特色であり、よろしく無いところでもある。真理は一つであるから、あらゆる正しいシステムは一つに統合できるとして、八卦から五行、干支などいろいろなシステムが一つに統合されることで個々においては有効であったシステムも単なる迷信と化してしまうことになっている。

道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(2)

  道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(2) 初めは「陰」と「陽」だけであった「易」は、次に四象が見出されるようになると「陽陽」から「陰陽」となり「陰陰」から「陽陰」となるとする変化、循環が考えられるようになった。このシステムにおいては永遠に陰から陽へとの循環が存しており、昼夜や日月などの運行を見てもそうした永遠なる巡行(周天)が分かると見なされた。ではこのような変化や循環はどうして生じるのか。ここに「陰陽互蔵」という考え方が生まれる。「陽陽」と「陰陰」ではつながりが全く無い。そこで変化の軸は坎(陰陽陰)と離(陽陰陰)といった互いに陰陽を持っていてしかも対になっているものにおいて結びつきが生まれるのではないかと考えられるようになるのである。九華派では坎離を「後天の両儀」として、これを変化の基軸とする。また後天の両儀は乾坤である「先天の両儀」に還ろうとするので、坎(陰陽陰)は坤(陰陰陰)へと還るために「陰」を求め、離(陽陰陽)は乾(陽陽陽)へと還ろうとするので「陽」を求める。ここにおいて離の一陰が動き、坎の一陽が動くことになり、こうした陰陽を表現するには三つが必要となった。それによって先天(不易 変わらない)と後天(流行 変わる)が共に示されることとなるのである。八卦の残りの震(陽陰陰)から兌換(陽陽陰)は陰から陽へと向かう「進陽火」を示しており、巽(陰陽陽)から艮(陰陰陽)は陽から陰へと向かう「退陰符」を表すと考える。

道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(1)

  道徳武芸研究 九華派八卦掌 坤卦解(1) 先に乾卦については触れたが、ここで九華派における「易」の理解について簡単に述べておこうと思う。現在「易」とされているのは「易経」で、これは古代の周のい国で行われていた「易」であるとされ、他にも「易」を用いて自然の深奥を知ろうとした体系は存していたようである。その中で最も優れたものとして儒教では「周易」が選ばれ研究された。九華派では易の根本は乾坤であって、「易」が八卦となる前の最も古くには陰陽によってこの世は構成されている世界観があったとする。この時には今日の易のように乾(陽陽陽)ではなく単に「陽」と「陰」だけであったと考える。確かにこの世は「天地」や「男女」「上下」「左右」など対になるものによって構成されている。九華派では乾坤を「先天の両儀」とする。これは変化のないものである。さらに時代が下ると、この世の中には対になって変わらないものだけではなく変化をするものがあることが認識されるようになった。これが四象である。四象では陰陽・乾坤の他に「陽から陰」「陰から陽」への変化を示す必要が生じて来た。そのため「陽から陰」は「陰陽」で示さなければならなくなり、「陰から陽」は「陽陰」で示す必要が生まれた。そうなると乾坤・陰陽も「陽陽」「陰陰」となり、二つが用いられるようになった。こうして時代を追って「易」が複雑化して行ったと考えるのである。