道徳武芸研究 合気道と物部神道〜秘儀の系譜「振魂」〜(2)
道徳武芸研究 合気道と物部神道〜秘儀の系譜「振魂」〜(2) 古代には武器庫であった石上神宮は「ふるのやしろ」ともいわれていた。つまり「たまふり」の社ということである。古代において戦いは物的な部分よりも霊的な部分がより重視されていた。そうであるから古代に軍事を司っていたのは物部(もののべ)氏であり、物部氏の「物」とは「霊」のことであるから、つまり霊をあつかう集団が、すなわち軍事集団でもあったわけである。ではどのように「霊」をあつかったのか。それは「ふるの社(石上神宮)」に見られるように「振る」働きが重視されたのであり、それにより魂を活性化させて戦闘意欲を高めるようなことが行われていたのである。物部氏は仏教の受容を巡って滅ぼされ、それ以降の大和朝廷の「神道」は中臣氏の系統となる。これが「鎮魂(たましずめ)」ではなかったかと思われる。それは物部氏が伝えていた「振魂」とは別の系統であったと理解される。現在、物部氏が伝えていたとされる「振魂」のような教えを「物部神道」として探求している人が居る。これはまた「裏」神道であるともいう。現在の「神道」に通じる「中臣神道」は「榊」を神の依代とするのに対して「物部神道」では「巨石」を中心とする磐座(いわくら)を用いる。物部氏の「神道」は民間に密かに伝えられており、そうしたものが川面凡児の行法にも取り入れられたことは十分に考えられることである。