道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(2)
道徳武芸研究 通臂功としての天の鳥船(2)
興味深いことに盛平は、大本教にしても、教義の影響はまったくといって良いほどその語り口には現れていない。確かに大本教で使われている言葉(松竹梅など)を散見することは可能であるが、それは前回に述べたような盛平独特のイメージによって捉え直されているのである。大本教については甥の井上鑑昭の一家が先に入信していたとされ、それによって盛平が北海道から和歌山に帰る時に大本教によったとされるが、盛平があくまで王仁三郎個人に私淑していたのに対して、鑑昭は大本教教団そのものとの交流を長く続けていた。それはともかく川面の行法からなぜ盛平は「天の鳥船」を取り入れたのか。それはそれが肩甲骨を開くのに有効であると感じたためと思われるのである。肩甲骨を開くことは中国武術でに特に重視されていて、これを「通臂功」と称する。この功法をベースとした拳術の体系も編まれていて、通臂拳は中国名拳のひとつである。現在の天の鳥船(船漕運動)は、通臂功としては練られていないが、いくつかの注意点を守れば、これはひじょうに重要な功法となり得るのである。