道徳武芸研究 柔術から柔道へ〜変容したシステム〜(2)
道徳武芸研究 柔術から柔道へ〜変容したシステム〜(2) 競技化により「引手」を中心とする強引な崩しが欠くことのできないものとなることは、嘉納も予想していなかったようで、これには苦慮していたらしい。そこで強引な崩しのない合気道にその解決の方途を求めようとしたのであった。嘉納は講道館から後に合気道の指導者ともなる望月稔などを派遣して植芝盛平に師事させた。こうした状況の頃に主体となって動いたのが三船久蔵である。三船は合気道からヒントを得て「空気投げ=隅落」を考案したが、これにおいてもかなり強い引手が用いられている。嘉納自身も柔道のシステムが変更されていることの理由に充分な認識を持ってはいなかった。そのために柔道と合気道が別のシステムであることの理由にまでは理解が及ばなかったようである。ただ結果として柔道が攻撃型となることは、他の柔術と試合を主導的に、つまり優位に進めることができることにもなったこともあり、柔道そのものに何らかの矛盾点を見出そうとする人も居なくなって行ったようである。柔道には古式の形として起倒流に由来するとされる形があるが、それは全く防御型であることからも本来の柔術が防御型であったことが分かる。およそ「柔(やわら)」が、強引な力を使わないで技を行い得るのは、相手の攻撃して来る力を使うからに他ならない。