道徳武芸研究 倭刀と苗刀〜照葉樹林文化論の周辺から〜(1)
道徳武芸研究 倭刀と苗刀〜照葉樹林文化論の周辺から〜(1)
中国で苗刀は広く伝承されている。またこれが倭寇から習った刀法であることも広く知られている。確かに実際にその形からして陰流の刀法の特色を色濃く残していることも明らかである。しかし、何故、倭寇の刀法が苗刀と称されているのか、いささか疑問でもある。かつて八極拳と心眼流との「類似」が話題となっていた頃に蘇昱彰一門と島津賢治一門との演武会を取材したことがあるがこの時、苗刀の演武を見た島津賢治は「陰流そのままですね」と言っていたのを覚えている(心眼流は「柳生」を冠して柳生心眼流と称されるように、陰流との関係が深い。余談であるが「柳生心眼流」という名称は「柳生新陰流」を強く想起させるものであり、その「柳生新陰流」が講談などで広まった流儀名であることからすると「柳生心眼流」という流儀名の発生も考究の余地があるように思われる。ちなみに柳生新陰流は「新陰流」が江戸時代に一般的に用いられた呼称で、柳生心眼流は仙台藩の記録などには「心眼流」として散見される)。史書によれば倭寇の刀法は明代の武器術を席巻して、中国の刀法はそれ一色になったとされる。また今では重要な武器とされる剣もその頃には武器術としての伝承は絶えてしまい(『紀効新書』)、それが復活するのは近代になってからという。