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道徳武芸研究 八卦掌の「定、活、変」(3)

  道徳武芸研究 八卦掌の「定、活、変」(3) 八卦掌には八卦拳から派生した門流もあるし、形意拳で編まれた門流もある。これらは既に述べたように術理においておおきな違いがある(八卦拳の系統では扣歩と擺歩がベースとなるのに対して形意拳では三体式の変化として八卦掌を位置付ける)。八卦拳の系統と形意拳の系統の八卦掌を術理の上から見分けるには擺歩の有無がある。形意拳の系統では円周の外側の足は扣歩をとるが、内側は真っ直ぐに進める。一方、八卦拳の系統では扣歩と擺歩をとる。このような違いは形意拳があくまで五行拳を基本とするからであって、八卦掌は直線において攻撃した時に、変化する相手に対応してこちらも変化をすることを目途とする。八卦掌が入る以前の形意拳は劈拳なら劈拳を一定の回数打つと、終式をして、向きを変えて再び始めるという練り方をしていたとされる。これに扣歩が加わることで、回身式が考案されて、方向を転じて継続して練ることが可能となったのである。また扣歩を加えることで相手の反撃を避ける方法など多くの変化を行えるようになった。それはともかく八卦掌で変架子が必要であったのは、円周を巡って練る方法が相手の攻撃を避けるためのもので、もし八卦掌が武術のシステムとして完成しようとするのであれば、直線的な攻撃の技法を取り入れる必要があったからなのである。こうしたことは八卦拳が、八母掌を中心とする円周を練る套路と羅漢拳を中心とする直線的な動きの套路という二つの異なる系統のシステムによって構成されていることでも明らかである。

道徳武芸研究 八卦掌の「定、活、変」(2)

  道徳武芸研究 八卦掌の「定、活、変」(2) 八卦掌では六十四卦から八卦、四象、両儀へと動きを還元させることで拳術における門派の壁を超越することができた、つまり優れた動きを八卦掌の動きとして取り入れることを可能としたわけなのであるが、一方で形意拳における八卦掌の取り入れ方はこれとは違っている。およそ八卦掌が世に広まったのは形意拳によるもので形意拳天津派の李存義、張兆東によるところが大きい。また北京の孫禄堂は主として書籍の出版を通して形意拳と八卦掌、太極拳の三派を並習する傾向を一気に加速した。形意拳家が八卦掌を取り入れる場合には三体式の変化としてそれを取り入れたのであった。そうであるから必ず基本の「半身の構え」が素になっている。この「半身の構え」は八卦拳でも含機歩として変化の基本の構えとされて重視している。形意拳に伝わる八卦掌では動きとしては弓歩や馬歩も存しているが、あたかも「含機歩」のみ(半身の構えの三体式のみ)のように認識されているのは、これが三体式を基本とするものであるからに他ならない。このように三体式が重視されるのは、これが変化の基本であるからである。最もこの構えを基本とするのは槍法であり、そのために槍は「武器の王」と称されるのである。ちなみに呉家太極拳も形意拳と同じ半身の構えが中心としているし、九九(双辺)太極拳でも呉家の影響によるものであるが、この構えを基本とし諸技法を組立てている。

第二十四章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第二十四章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 聖人は自然なままで事に従うのみである。自分で求めることはないし、自分を正しい者とすることもなく、自らを誇る(伐)こともないし、自らを自慢する(矜)こともない。そうであるから、つまり争う者はこれと反対のことをしてしまうわけである。およそ、よく立つことのできないのに歩くことのできる人は居ないものである。またただ立つだけではいまだ歩けることにhならない。さらには爪先立つことなどできるわけはないであろう。また歩けもしないのに、さらには大股で歩こうとすると、そのバランスを失わない者は居ないであろう。自らが求め、自らを正しいとし、自らが誇り、自らが自慢するような人はまたこのようである。これを道の観点から見れば、食べ物を余らし、余計なことをしているに過ぎないことになる。ただ俗人は皆こうしたことを好むものである。そうであるから自分もまたこれを行おうとする。こうしたことが「食べ物を余らせる」ということである。ただ食べ物は多いから余るというものではない。時に余りが出るのは「(多く注文し過ぎるなどの)余計な行い」があるからである。食べ物を余らせるということにおける「余計な行い」は、実際に物が残されているのでそれを嫌悪されることが多い。つまりは道を有している者は(無為であるから意図して余計な食物を得ようとすることはないので)、こうしたことを行うことはないのである。 〔「無為」であるとは「自然」であるということである。それは状況(自然)に応じて適切な行動を取る(無為)ことであって、むやみな不安や欲望に左右されることではない。〕

第二十四章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第二十四章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 跂(つまだ)てる者は立たず。跨(また)ぐる者は行かず。 〔つま先立ちをしている者はそれ以上、高く立つことはできない。大股で歩く者はそれ以上、歩幅を広くすることはできない〕 踵を挙げていることを「跂」という。足を張っているのが「跨」である。立っていて更に高くあろうとするとひっくり返ってしまって、立っていることができなくなる。行こうとして歩幅を余りに広くしようとすればつまりは歩くなくなってしまうものである。 自ら見る者は明らかならず。自ら是(ぜ)とする者は彰(あきら)かならず。自ら伐(おご)る者は功無し。自ら矜(ほこ)る者は長からず。それは道に在(あ)るを「余食、贅行すれば、物あるいはこれを悪む」と曰う。故に道を有する者は処(お)らず。 〔先入観をもって物事を見ようとしても正しく見ることはできない。自分を絶対に正しいと考える者は物事を正しく理解することはできない。自分で自分の功績を誇る者は真の意味で高い評価を受けることはできない。自慢ばかりする者はついには見放されてしまうものである。こうした人は道というものを「余った食べ物が出るのは、食べ物が余る程あるからだ、と考えて、食べ物が多すぎることに不満を持つものである」と考えるのである。そうであるから道を体得している者は、(常に不都合な原因が物理的れべるではなく感情的レベルにあると考えるので)こうした見方をとることはないのである〕 「贅」とは無駄ということである。これが形をとったならば食べ物が余ることになる。人はこうしたことを必ず悪むものである。形が「贅」ならば人は必ずこれを見にくいものと思うものである。

道徳武芸研究 八卦掌の「定、活、変」(1)

  道徳武芸研究 八卦掌の「定、活、変」(1) 八卦掌には定架子、活架子、変架子があるとされる。一般的な拳術は「基本」と「応用」で構成されているので、母拳と砲捶、死套路と活套路、小八極、大八極、歩法では定歩、活歩などに分けられる。これに八卦掌では「変」が加えられていることになる。ちなみに八卦掌では定架子で扣擺歩を練って基本的な力を養成し、活架子では八卦腿を学んで入身など実戦技法への展開を体得する。そして変架子では形意拳は太極拳などを学ぶのである。この段階では八卦掌を変化させて違う形にすることになる。こうしたことが可能となるのは八卦掌の構造による。八卦掌は両儀、四象、八卦(六十四卦)と展開されるが、この過程が「定架子」では扣歩と擺歩で「両儀」を練るものとされ、「活架子」では四肢を開くために、これを四象とする。つまり扣擺歩の両儀が四肢を開くことで四象へと展開されるわけである。ちなみに龍形八卦掌では定歩での鍛錬が「定架子」、活歩で練れば「活架子」となる(一般に知られているのは活架子の練法である)。さらにこれがいろいろな形に変化するのが「変架子」で、この段階で形意拳や太極拳を練ることが可能となるのであるが、それはあらゆる動きが扣擺歩と四肢の動きに還元されるからに他ならない。こうした考え方は八卦掌独特であり、八卦掌において他の拳術を取り入れる際の方法となるものであるが、これは古くは八卦拳で羅漢拳が取り入れられたという経緯がある。他にも高義盛の後天八卦六十四掌などはこの原則によっていろいろな拳術の優れた技法が取り入れられた。

第二十三章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第二十三章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 聖人であれば争うことはない。それはおそらく争わないのが天地の理であるからである。つまり聖人はただ自然であるに過ぎないのである。そうであるから自然の道は、それを述べるに多言を要することはない。つまり天地の理は「争わない」ということに尽きているわけである。世に希れにこれを信ずる者があって、喜んでそれを実践している。実践すれば必ず証のあるものである。しかし、どうして「争わない」ということが久しく続くであろうか。それは竜巻(飄風)やにわか雨(驟雨)のすぐに終わってしまうのと同じである。(いたずらに「争わない」ということに執着してもそれは長続きはしないのであり)そのようなものとして見るべきであろう。しかし物事を行うのに物事の動きに従って(無為で)行う者は、ひとつのものに執着することはない。物事の流れに従うのであって、そのような無為であるのは自然であるということができる。自然であれば、つまり故意に得るべきものもないであろう。そうであれば何を失うというのか。意図して得ることも無いし、失うことも無い。つまり世の得失の流れのままに従っているだけなのである。そうであるから得るのも、失うのも、困窮も、栄達も、すべてを自然のままにして、自然の流れを信じ切っているのである。そうなれば心に思い患うことも無い。このようにあらゆる存在において「自然」と同じでないものはないのであり、そうであれば「自然」と一体となっていれば楽しくないものは無いということになる。道を知らない者は、道を深く信じることがない。そうであるから道を失い、また道のあるのを疑うようになる。そしてますます道が信じられなくなってしまう。そうであるからただ道を信じる者は、後にただ「自然の道」だけを語るようになるのである。 〔老子が最後に述べている「信が足りなけければ不信となる」というのは論理的な言い方である。このようにこの世は「論理」つまり「道」によって成り立っていると教える。しかし、人間の社会では感情によりしばしば論理が超越される。ここに不幸があると教えているわけである〕

第二十三章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第二十三章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 言うこと希(まれ)なるは自然たり。 〔事実だけを言っている部分が。あるべき「自然」なのであり、そこに人為的なことを付け加えられると自然の真実は見えなくなってしまう〕 天地の理は本来、自然である。つまり「自然」のただ二字に過ぎないのである。そして天地の理はこれに尽くされているわけである。 飄風は終朝ならず、驟雨は終日ならず。これを為すは天地なり。天地なおよく久しからず。いわんや人においておや。 〔旋風は朝の間じゅう吹いていることはないし、にわか雨は一日降り続くことはない。こうした現象を起こしているのは天地、つまり「自然」なのである。永遠であるように見える天地もまた永遠の存在ではない。そうであるなら人において、どうして永遠であるようなことがあるであろうか〕 明け方から朝食の頃までを終朝という。早朝から夕暮れまでが終日である。飄風(つむじかぜ)や驟雨(にわかあめ)は何時までもあるものではないので、「よく久しからず」としている。 故に事、道に従うは、道なれば道に同じく、徳なれば徳に同じく、失うは失うに同じき。 〔そうであるから物質レベルで道と一体となっていれば、道を実践すればそれは道が実践できているといえるし、徳を実践すれば徳が実践できているといえる。また物を失うべき時には失ってしまうことになる〕 「道」とは行くところのものである。「徳(とく)」とは「得(とく)」であり、得るところのものである。ただ「事において道に従う」とは、よく無我で行うということである。そうであるから行くべき時には行くのであって、自分は道に違うことはない。得るべき時には得るのであって、自分にはまた道に違うことがない。失うべき時には失うのであって、自分は道に違うことがない。つまりは道に従って違うことがないのである。 道に同じきは、道もまた楽しみをこれ得る。徳に同じきは、徳もまた楽しみをこれ得る。 失うに同じきは、失うもまた楽しみをこれ得る。 〔道と一体となっていれば、道の実践からも楽しみを得ることができるし、徳の実践においても道を実践しているのであるからその楽しみを得ることができる。また例え何かを失っても、それは道を実践しているのであるから自分は楽しみを得ることができるのである〕 道によって行うべきことを行えば自分もまた楽しみを得ることができる。道によ...

道徳武芸研究 太極拳における「文」と「武」と(6)

  道徳武芸研究 太極拳における「文」と「武」と(6) 太極拳は「文武の合一」を目指す考え方の中の必然から生まれたものであるが、それは「文」をもって「武」を抑制しようとするものであった。そうであるから「文」を前面に出している太極拳においては「武」を中核とする練習体系を認めることはけっして好ましいことではないことになる。中国武術の発祥が少林寺とされるのも、寺という「文」において「武」が統御されているという形が「少林寺」としてシンボライズされている故と考えられよう。ちなみに形意拳も岳飛が少林寺で内経なるものを壁の中から発見したことで形意拳が考案されたと一部にいわれている。ここで「内経」としてイメージされているのは形意拳の三才式や三体式であろうが、これがあることで形意拳は文武の合一がシステムとして果たされることになる。つまり形意拳には十二形拳という動物の動きを真似た拳もあるが、それがそれほど元となった動物の動きに似ていないのである。常に半身の構えから大きく離れることがないためで、それは十二形拳が「動物」の本能(闘争の力)を「人」の本能(和合のチ力)において統御していることを示しているのである。つまり、ここにも「文=和合」をして「武=闘争」をコントロールしようとする考え方を見て取ることができるのである。またこの和合の力はホモ・サピエンスが生き残ることができた能力とされていることを最後に付記しておこう。

道徳武芸研究 太極拳における「文」と「武」と(5)

  道徳武芸研究 太極拳における「文」と「武」と(5) さて文武の合一といってもそれは具体的にはどのようなものとして「合一」されるのであろうか。これを考える前提として先ずは「武」の発見を知らなければなるまい。生物には生き残ろうとする「本能」がある。そのためにいろいろな動物は特殊な「能力」を持っている。そうしたサバイバルの能力を人間においても、潜在する能力であると考えてそれを開くことで、より攻防というサバイバルにおいて優位に立てることを「武」においては発見し得たのであった。そうでるから少林寺の五獣拳のように獰猛な獣の「能力=本能」を見出してそれを人においても開こうとしたのであった。しかし一方でそうした死闘が限りなく続くことは誰しもが永遠に安寧を得ることができなくなってしまう。そこで見出されたのは人間特有の本能である「協力をする」という能力であった。これが静坐である「文」において見出されたのであった。「武」の本能と「文」の本能はどちらが本質的かというと、おそらく動物一般には「武」の本能があるのでそれが根底にあるものと思われるが、中国では「文」が人としての根源にある能力つまり「性」であると考えられるようになったのである。そうであるから文武の合一は「文」をもって「武」を治めることにある。闘争ではなく和合を求めることにこそ人としての修練の根本が有ると考えたのである。

第二十二章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第二十二章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 「衆甫」つまり、あらゆるものの生成の中心となる、とはどういうことか、をよく理解したならば、つまりはそれが「一を抱く」ことであると分かるであろう。「一を抱く」ことができているものは、よく(物質的に)曲がっていたり、また(心が)枉(ま)がっていたり、窪んでいたり、敝(おとろ)えたりしていることであろう。物は曲がっているからといって捨てられるわけできない。そうであるから曲がっているものも、ある場合にはそれが「完全である」とすることもできるのである。心が枉っているからといって、そういった心は無用であるということにはならない。そうであるから枉っていると通常とは別の見方をすることが可能となるのであって、このことはものの本質を知ることがdけいる。つまり素直な心の働きであるとすることもできるのである。窪んでいるところは、ものを入れて盈たすことができる。敝えていれば、そこからは必ず新しいものが出て来るであろう。少なければ(余裕があるので)必ず得ることができる。多ければつまりは惑いやすいであろう。これは自然の理である。古の聖人は、このように逆転の発想をすることで万物の宗となることができたのである。つまり、それは「一を抱く」ということなのである。「一を抱く」とは、常に道と共にあるということである。そうであるから自分では見ようとしなくても、人によりそれを見ていることになっている。「自ら良し(是)としない」とは、自分は何もしないのに他人によって良いと評価されるということである。自分では功績に執着しないとは、人によって功績を認められるということである。自分の良いところ(長)を誇ることはないが、人がそれを認めてしまうのである。ただこうであれば他人と争うことはない。そうであるから天下において、自分と争うことのできるものは無くなってしまうのである。それは聖人が理によって動いているからである。まったく完全なる存在である(全)からである。加えてあえて自分は欠けているという逆転の発想で(曲)、自分をさらに養うのである。こうなれば完全なる状態(全)がさらに偉大なもの(大)となるのである。 〔あらゆる「価値判断」は立場によっては容易に反対となる。重要なことは「事実」であり、そこを基盤としなければ何事も進めない。そうであるから歴史から学ぶことが重要となる...

第二十二章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第二十二章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 曲がれるは則(すなわ)ち全かる。 〔曲がっているものは使えないと思われるかもしれないが、それも見方を変えれば全く問題なく使うことができる〕 聖人が動けばそれは必ず「理」に従ったものとなる。「理」の存するところであれば、曲がっていても、それを真っ直ぐなものと同じく使うことができる。物の形に煩わされることはない。全ては完全な存在なのである。 枉(ま)がれるは則ち直(なお)かりたり。 〔心が邪であるように見える人であっても、その中には素直な心の働きを見ることができるものである〕 「理」に準ずるところでは、普通とは違っている枉った見方であってもそれは本当の真実を知ることのできる「至直」となることもあるのである。 窪めるは則ち盈(みつ)る。 〔窪んでいるからこそ、そのにものを容れることができる〕 人々の帰するところは「下」である。そうであるから必ず空いている「上」ができるので、そこになんでも盈ることが可能となる。 敝(やぶ)るれば則ち新たなり。 〔壊れているからこそ、新しいものを構築することもができる〕 細かなことに振り回され過ぎるのは道に外れている。悶々としているのは、元気がないよう(敝)に見えるものである。こうした「破壊的状況」の中からこそ日々に新しいものが生まれて来る。 少なければ則ち得る。多ければ則ち惑(まど)う。 〔有り余るほど有することがなければ、さらに何かを得る余裕が存しているといえよう。有り余るほど持っていれば、それ以上は得ることができないので、新たに得ようとするならば捨てるかどうかか迷うことになる〕 「道」は「一」である。「一」を得ればつまり得られないところはない。多く学べばこれを「一」とすることはできない。つまり惑うことになるわけである。 これをもって聖人は一を抱き、天下の式と為す。 〔そうであるから聖人は「一」をだけ持ち、これを天下の基準とする〕 「一」は「道」である。「一を抱く」とは、常に道と共にあることである。 自ずからは見えず。故に明らかなり。 〔聖人は自分からは何かを知ろうとはしない。そうであるから本当に必要なことを深く知ることができるのである〕 天下がして見せているところのものを見るのであって、自分から見ようとはしない。そうであるから見ているもので理解し得てないものはないのである。 自らを是...

道徳武芸研究 太極拳における「文」と「武」と(4)

  道徳武芸研究 太極拳における「文」と「武」と(4) ではなぜ太極拳において「長拳」は砲捶たる地位を占めることができないのか。それは太極拳が静坐と拳術の統合において成立しているという大前提があるからなのである。老子もそうであるが、中国では「一」ということが重視される。これはいうならば「真理の普遍性」とすることができよう。真理は一つのものに還元されると考えるのである。それは「道」であり、北極星であり、それに象徴される皇帝であったりする。中国では「易」は陰陽の二元により世界を把握しようとする思想であったが、それでは座りが悪いと思われたのであろう。「一」たる無極が考え出されるようになる。そうなると陰陽は太「極」となり、無「極」へと還元されるシステムが構築される。五行も同様で、5つの要素の相関関係による世界観を五行説は持っているのであるが、これも「一」が求められ「土」が特別な意味を有することになる。さらには文武の合一であるとか、天人の合一などとにかく最終的な真理を「一」に求めようとする傾向は顕著であり太極拳もそうした思想潮流の中から生まれたので、それを体用に分けて砲捶(用)を考案するなどということは太極拳が成立している根本的なシステムにおいて成り立ち得ないことなのである。

第二十一章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第二十一章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 物質にこだわること無く、知識に執することも無い。もしそうしたことに頑なであれば、つまりはひじょうな徳を持って、あらゆるものを受け容れることができる。それはどうしてなのか。ただ道に従っているからである。道は存在においては、ただあるがまま(悦)であって、あらゆる物を受け入れている。ただかすか(惚)であるので、そこには物が無いようにも見える。つまり、かすかである(惚)からこそ、受け入れる(悦)ことができるのである。あらゆるものを受け入れる(悦)ものの、意識は混濁する(昧)ことが無い。意識が混濁することが無いので、物があるのかどうかを疑うことになる。つまりその中には「象」があるだけなのである。「象」とは物それ自体はあるのではあるが、あくまでシンボルであるので、「象」だけを見ていると本当に物があるのか疑うことにもなる。これがまさに、受け入れ(悦)て、かすか(惚)たるものである。もちろん、かすか(惚)であれば明らかではない。明らかで無ければ、物が無いかと疑うことになる。つまり「象」があるところには、実際に物が有るのである。物が無ければ「象」も無いが、「象」だけを見ているとあたかも実際には物が無いのかもしれない、と疑うことにもなる。そうであるから、これを簡単に定めるならば、それは物が有るということになる。そしてその中には「精」がある。「精」とは純粋に道の「一」を得ていることである。天下の存在物は真理そのもの(真)であって、その本質が傷つくことはない。真実そのもの(信 まこと)であって違うことがない。常にして変ずることなく、これに加えるべきものもない。そうであるから昔と今では時代が異なってはいるが、道はそのままで存している。ただ永遠に存しているのである。そうであるから、もろもろの存在の始まりをも知る(閲)ことができるのである。そうであるから「万物の母」とすることができるのである。聖人はつまりは、よくあらゆる存在の始まりを見ることができるわけで、あらゆる存在のあり方を知ることができるのである。それは道というものを体得しているからである。 〔この世の「価値」はよく分からない幻想のようなところから生まれている。これを知ることを道(社会の根源となる法則)を知るとする。これについては『サピエンス全史』に詳しく書いてある〕

第二十一章  【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第二十一章  【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 孔(むな)しかる徳の容(い)るるやただ道これに従う。 〔虚であるこだわりのない「徳」を持っていれば、あらゆるものを受け入れることができる。それはただ「道」そのもののあり方であるということもできる〕 道を形容することはできない。「一」にしてあらゆるものを受け入れるだけである。つまり、これは別け隔てなくあらゆるものを受け入れるという「徳」に属することになる。つまりは大徳なのであって、それがあらゆるものを受け容れるのは全てが道から発しているからに他ならない。 道の物たるはただ悦(した)い、ただ惚(かすか)たる。惚たるや、悦うや、その中に象あり。悦うや、惚たるや、その中に物あり。 〔道における存在の傾向をいうならば、それはただ「従うもの(悦)」であり、「かすかなるもの(惚)」である。そうなのである。かすかであり、主体性なく存しているのであって、そこにはただシンボルとしての存在(実態を有しないものとしての存在)のみがあるのである。主体性なく存していて、かすかである、それこそが象(シンボル)としての存在なのである〕 「悦」や「惚」は有るようであるが、無いようでもあるものを表している。「象あり」「物あり」とは、つまり所謂「無状の状」をいうもので、(存在をシンボルとして示す)「物の象」があるだけなのである。 窈(おくふか)く、冥(くら)きや、その中に精あり。その精、甚だ真たり。その中に信あり。 〔奥深く、よく認めることができないもの、そうした中に道たる存在の教えのエッセンス(精)がある。そうした存在の教えのエッセンスは全く真理であり(真)、そこには真実がある(信)といえるであろう〕 「窈」や「冥」は深遠であり見ることができないという意味である。「精」とは、道なる「一」を得て、正しく存在を把握することができる、ということである。およそ「有」の中の「有」とは(単純に存在を認めるもので)、粗雑なる「有」である(それは表面的な捉え方に過ぎない)。ただ「無」の中の「有」こそが(存在するものを単純に存在しているとは考えないのであるから)、「有」の中の「真」といえる(存在の本質を知ることができる)。ただそれが「真」なのである。そうであるから存在をしている(有)から存しているのではない。存在していない(無)から、存在してい無いというのでもない...

道徳武芸研究 太極拳における「文」と「武」と(3)

  道徳武芸研究 太極拳における「文」と「武」と(3) かつては「太極拳は実戦的ではない」とされることもあった。それは太極拳がただゆっくりとした動きを練るだけであり、速い実戦的な動きが無いためであった。そのため激しい動きのホウ捶を含んだ陳家の方が実戦技として優れているとされていたのである。それでは楊家の系統の太極拳には快い動きの套路はないのか、というとそうではない。楊家では「長拳」とする套路がある。そうであるなら太極「長拳」は太極拳における砲捶かというとそうとはならないのである。一般的に砲捶は実戦に即した力を養うことのできる高級套路とされるが、太極「長拳」はそうした位置付けには無い。あくまでそれは別伝であって「公式な套路」として扱われることはなく、指導者によって個々に編み出されるものとされていた。楊露禅の「長拳」は武家や呉家などに見ることができるし、楊澄甫のそれは拳譜も残っているが、これは中央国術館で韓慶堂から交換教授をした教門長拳の技も含まれている。こうした経緯もあって韓の弟子には太極拳をよくする人も居る。ほかに澄甫の弟子の董英傑は独自の快拳を編んでいる。確かにゆっくりとした動きだけでは力の集中を学び得ない人も居るので、そうした人のための方便としてこうした「長拳」の系統に属する技法群が存しているに過ぎない。そうであるからこれを伝えられない人も居る。

道徳武芸研究 太極拳における「文」と「武」と(2)

  道徳武芸研究 太極拳における「文」と「武」と(2) 少林寺の易筋経は五獣拳(龍、蛇、虎、鶴、豹)となったとされ、ここに武術としての体系を有することになるわけであるが、それは華陀の五禽戯(虎、鹿、熊、猿、虎)と同じく導引的な行法の発展と見ることができる。ヨーガも瞑想を主体とするラジャ・ヨーガから心身の調和をはかる体操法(導引)を含むハタ・ヨーガへと発展している。少林寺でも経行という簡単な行法が五禽戯のような導引へと展開し、それが更には拳術へとなったとされるのである。一方で坐禅は立禅として展開された。この立禅は坐禅の手印(法界定印)のままでただ立つだけの行法である。これが拳術の馬歩の形となり馬歩トウ功となる。つまり坐禅から立禅そして馬歩トウ功(馬歩は拳術のもっともベースとなる形)へと坐禅が次第に拳術へと近づいて行っているわけである。一方、拳術では慢架というものが考案されるようになる。慢架で有名なのは秘宗拳の「長拳」や太極拳であるが、慢「架」以前に慢「練」という練習方法があった。これは少林拳でも一般的に行われいている。つまり通常の拳の套路をゆっくり練るのであるが、この時には全身に力を込める。こうした慢練が秘宗「長拳」のような特に力むことのないゆっくりとした慢架の套路となり、太極拳のような力みを捨てたものへと結実することになる。これは坐禅をする時に全身に力を込めないのと同じで、拳術の套路においても坐禅と同じ心身の状態を保つことを太極拳では完全に可能にしたのであった。

第二十章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第二十章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 道を知る至人は既に偽りの聖智、仁義、功利を捨てて顧みることがない。そうして自然のままの素樸な状態に帰るのである。それがあるがままのこの世なのである。これ以外に学ぶことなどあるであろうか。全く学ぶことなど無い。つまり「絶学」とは、ただ自然のままの素朴な状態にあることを知るに尽きている。そうなると物的な事柄において憂えを覚えるようなことは無くなってしまう。つまり心が欲望によって乱れなくなるからで、心が欲望によって乱れると憂いも多くなるわけである。これは執着を離れることができなくなるからである。善悪の区別はその最たるものであろう。そのために、「善は悪に勝(まさ)る」などと謂われるのである。更にこれはただ「善は悪に勝(か)つ」とも謂われる。これは善と悪との違いが遙かであるために言われているのであるが、たとえば「善悪」といったものはその相対関係においてとらえられるべきではないことを知ら無い。もし、善ということが言われなかったなら、悪も言われることは無く、心は善悪を気にすることもないので広く滞ることがないであろう。そうであるから聖人は、心を安んじて、欲望をほしいままにすることなく、意図すること無く行って、結果として「善」とされるようなことを為すのである。人の畏れるところは、自分も畏ろしいものである。畏れは他人と自分とで共有されているのであり、それ以外のところにはない。つまり畏れを抱かせるようなものも、それが単独で実態として存在しているわけではないのである。「荒れて尽きることがない」とは、まさに俗世を表すものであろう。美食の味わい(太牢の美)もそれを求めれば尽きることは無いし、春に高台に登って心地よい風に吹かれるような求めても捉えどころの無い楽しみということもできよう。しかし聖人はそうしたものを無闇に追い求めたりはしない。それは「静」にあるからである。欲望に淡白で、心安らかに過欲を守り、一念の欲望の萌え出ることもない。それは嬰児のいまだ成長して子供となって欲望を知らない時のようでもある。その「静」はただ静かであるだけではなく、また「動」をも含んでいる。「乗り乗り」て動いているようでもあるが、動かないようでもある。動いて帰って止まるところを知らない。つまり、ただ動くだけで、その迹(あと)を遺(のこ)すことが無い(動いて何かをし...

第二十章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第二十章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 学びを絶てば憂うること無し。 〔何事も学び尽くそうとするから、知らないことがあるのではないかと心配になってしまうのである。情報の収集には限りがないし、それだけに心を奪われるのは適当ではない〕 学んで学び尽くすところまで至れば絶学に至ったといえる。思って有為に行うことが無ければ、つまりはよく憂えることが無くなるのである。 ただ唯(い)と阿(あ)の相去ること幾何(いくばく)。善と悪の相去ること幾若(いかん)。 〔「はい」と丁寧に答えるのと、「何だ」と横柄に答えるのとでは大きな違いあるようであるが、ただ「はい」と「何だ」と言葉を発しているに過ぎない。善と悪も大きく違っているようであるが、善は容易に悪に転ずるし、悪も容易に善とされる。違いはないともいえる〕 「唯」と「阿」は共に発っせられた声である。「唯」は恭順であり「阿」は傲慢な対応である。ただ恭順であること(唯)は、横柄であること(阿)に勝っている。それは(道に近い行為であるので)遙かに勝っているということができる。 人の畏れるところは、畏れるざるべからず。荒れてそれいまだ央(つき)ざるや。 〔他の人が畏れていることを、必ずしも畏れる必要はない。無闇な行為はそれを終わらせる方法が見つからず、だらだらと続いてしまうことになりかねない〕 人の畏れるところは、聖人もまた畏れるものである。つまり、そうした畏れは、大きなものであって、限りがない。「昏乱して永遠に尽きることがない(荒れてそれいまだ央(つき)さるや)」とは、土地が荒廃して堺が分からなくなった状態(規矩を失った状態)である。 衆人、煕煕(きき)たるは、太牢を享(う)けるが如く、春、台に登るが如し。 〔多くの人は好むところに溺れている。それは美食に溺れるようでもあるし、それは春に高台に登って春の風に吹かれているような心地良さがあるものでもある〕 「煕煕」とは好むところに溺れることである。「太牢を享ける」とは、その溺れることを美味に溺れることに例えている。「春、台に登る」は溺れることを限りない心地よさにをして例えている。 我独り泊まるや、それいまだ兆(きざ)さず。嬰児のいまが孩(こ)たらざるが如し。 〔自分はただ独り静なる境地に留まっている。そして動揺の気配さえ無い。それは生まれて自然のままの赤ちゃんのようであって、成長し...

道徳武芸研究 太極拳における「文」と「武」と(1)

  道徳武芸研究 太極拳における「文」と「武」と(1) 少林寺はいうならば中国武術の象徴的な発祥地とすることができるであろう。そこで武術の淵源とされたのは易筋経と洗髄経であった。これは達磨が伝えたものとされている。こうした伝説が生まれる背景には洗髄経には坐禅、易筋経には経行(きんひん)があったのであろう。経行はゆっくり歩くもので、日本では坐禅の足のしびれをほぐすものとして行われるのに留まるようであるが、中国やその周辺各国ではこれをウォーキング・メディテーションとして坐禅に並ぶ行法としている。これと同じ構図が八卦拳に見られることは前回に触れた。八卦拳では静坐と走圏であり、八卦拳の場合は天台宗の止観の常坐三昧と常行三昧と深い簡易が見られることについても述べたが、こうした八卦拳の持つ修行体系が少林寺の洗髄経と易筋経(歩くということでは経行に同じ)に通じるものであることから閻徳華は八卦拳の用法書が少林寺の壁の中から発見されたとして『少林破壁』と題する本を出版したのであった。つまり八卦拳こそが失われた達磨の伝えた少林拳であると主張したい意図がこの書の最名には隠されていたのである。もちろんこれは妄想に近いものであり、少林寺の禅宗と八卦拳の天台宗とはおおきく違っている。

第十九章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第十九章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 道を体得した者は、世の中が次第に道から遠ざかって行くのを観ている。そして、これをして「病」と言う。世に道が失われて「聖智」なる語が知られるようになる。そうなれば、天下においては「聖智」が失われたことを知ることができる。もし「聖智」なるものへのこだわりを捨て去ってしまわなければ、天下には「自分こそが聖智の持ち主である」とする利己的な風潮が蔓延することとなろう。「仁義」ということが声高に言われるようになれば、「孝」も本当の「孝」が行われなくなるし、「慈」も本当の「慈」が行われなくなってしまうことであろう。もし「仁義」なるものへのこだわりが捨て去られることがなければ、道は忘れられてしまうことであろう。つまり人が「孝」や「慈」を自然に実践するようなったならば、特別に「仁義」などといわれるようなことは無くなってしまうのである。「功利」ということが言われるようになれば、他人よりうまく世渡りをしたり、利益を得たりする人が出てくる。そうしたところに理不尽や不公平を感じて盗賊をする人が横行するようになるかもしれない。つまり誤った「功利」なるものへの執着が捨て去られることが無ければ、「功利」が万民を潤すことなく、それを求めることができなくなる人も出てくるわけで、不正に「功利」を得た人からそれを盗んででも得ようとするようになる。およそ以上の三つへのこだわりが無くなると、それらは正しく行われて「文」へと赴くことになる(訳注 本当の「聖智」や「仁義」「功利」が表れることをここでは「文」に赴くとする)。そうであるからあえてこの三つが示されているのである。道が行われているかどうかは、こうしたことを見れば分かる。つまりこうしたことが世に声高に言われるようになっているかどうかを見れば分かるわけである。ただ、それが言われる云々からは、道が行われている、行われていないが分かるだけなので世を主体的に生きて行くための助けとなることはない。もし人々が寄るべき(属さしめる)ところがあるとするならば、それは「素」を見て「樸」を抱く、「私」を少なく「欲」を寡(よわ)める、ということになろうか。そうなれば世の中の問題は自然と無くなる。まさに、それは太古の聖なる世と同じではなかろうか。 〔誰も反対できないような「正しいこと」が声高に唱えられるようになると、疑問を持...

第十九章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第十九章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 聖を絶ち智を棄てれば、民を利すること百倍たり。 〔聖なるものも無ければ、俗なるものも無い。智者も居なければ、愚者も居ない。すべての評価は一面的であることに人々が気づけば、それは実に生きて行く上で実に有益なこととなろう〕 聖なる智慧が無ければ、道を知ることはできない。そうであるが、人々をして聖なる智慧の名をのみを知らしめるのであれば、それは勘違いを促すことになり、ついには害をもたらすことになろう。 仁を絶ち、義を棄てれば、孝慈に復す。 〔特別に「これが仁である」と決めつけない。特別に「これが義である」と決めつけない。普通に人としてあるべきことをしていれば、それが孝慈の実践となるのである〕 仁義は大道の中にある。そうであるから人々をして仁義の名ばかりを知らしめて、自分勝手なことをさせていたのでは、必ず不孝、無慈悲(不慈)な者が出てくることであろう。 巧を絶ち、利を棄てれば、盗賊有ること無し。 〔他人よりうまくやって良い思いをしようとする誤った「巧」の使い方をする人が無く、他人より少しでも得になることをしようとする誤った「利」の使い方をする人が居なく成れば、不公平を感じて他人のものを強奪しようとするような人も出てくることはない〕 巧みであれば事をなすのに合理的に出来よう。利(益)を求めれば適切な利益を生み出すことができよう。このように正しく「巧」、「利」が使われたなら、不公平や不正を感じて盗みをする者の出ることもないであろう。盗賊が生まれるのは世の中で「巧」「利」が正しく使われていないからである。 この三者は、もって文となすに足らず。故に属するところ有らしむ。 〔以上に述べた三つへの説明だけでは、言葉が足りないであろうから、以下に文章を付することとする〕 「属」とは、付属するということである。そして以下の樸素(手を加えない生のままであること)であるとの「文」が付されている。「聖智」「仁義」「功利」の三つが正しく行われるのは以下の「文」のような場合である。そうであるから、ただ三つを言っただけでは説明が足りない(文となすに足らず)ので、以下の「文」を付け加える(故に属するところ有らしむ)とされている。ただ以下の「文」だけでは道に触れていないので天下を視野に入れての教えとしては充分ではない。つまり以下の「文」はより大きな道につ...

道徳武芸研究 八卦掌における「三才式」と「三体式」(下)

  道徳武芸研究 八卦掌における「三才式」と「三体式」(下) 八卦掌における「三体式」は走圏である。一部に八卦掌の構えをして形意拳同様に静止した状態を続けることも行われているが、それは好ましくはない。八卦掌の構えはあくまで「動」であり、これを「静」として練るのは適当ではないのである。八卦掌の「三才式」と「三体式」を考える上で重要なことが孫禄堂の『拳意述真』の「程廷華」のところに出ている。つまり八卦掌を練る時には「口の中で常に阿彌陀佛の念仏を唱えるが如くにする」というのである。これは八卦掌の走圏が天台宗の常行三昧と関係が深いことを示している。常行三昧は止観(瞑想)のひとつの行の形で阿弥陀仏の周りをひたすら巡るものである。止観にはこの常行三昧と並んで常坐三昧がある。これは坐っての仏教瞑想である。つまり八卦掌の走圏が止観の常行三昧と深い関係があることを前提とするならば、もうひとつの常坐三昧も存することが予想されるのであって、これが八卦掌では静坐であったと考えることができるのある。静坐と武術の形は少林寺に淵源すると思われるが、こもスタイルは日本でも近世あたりに剣術と坐禅というかたちで形成されることになる。日本での坐禅と剣術の併修は中国からの影響によるものではないようであり、自然に形成されたもののようであるから静坐と剣術・拳術の併修はあるいは人体のシステム上、自然であることなのかもしれない。

道徳武芸研究 八卦掌における「三才式」と「三体式」(中)

  道徳武芸研究 八卦掌における「三才式」と「三体式」(中) 八卦掌では形意拳の三才式や太極拳の無極トウに相当するようなものは見当たらない。それは八卦掌では「静坐」を用いるからである。静坐は武術とは全く関係がないように思われるかもしれないが、軽身功などでも静坐を重要な功法としている。九華派の八卦掌では勿論、居敬窮理学派を称することもあり静坐を重視しているが、これが本来の形であるとしている。孫禄堂の『拳意述真』では、董海川が壁のところで「趺坐静坐」をしていたシーンを記している。「趺坐」とは結跏趺坐のことで足を組んで静坐をしていたということである。壁とあるのは達磨の「面壁九年」で知られるように壁に向かって坐る方法がある。これを見ても八卦掌と静坐の深い関係をうかがうことができるが、また孫錫コンの『八卦拳真伝』においては最後に静坐を詳しく説明している。ただその静坐は千峯先天派の趙避塵から学んだもので八卦掌に伝えられていたものではない。孫は「八卦拳真伝』に「武学道功動静合一概論」なる一章を設けて、八卦拳(武学)と静坐(道功)が一体として修行されなければならないことを述べつつも、また第五章の「道功概論」では「(八卦拳において)道功は失伝して久しい」として、趙避塵から学んだ千峯先天派の静坐を紹介している。こうしたことは八卦拳の真伝をいうのであれば、やはり静坐を欠くことができないという共通認識がその背景にあったことを伺わせている。

第十八章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第十八章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では、世の末になると道と遠く離れてしまうことが述られている。道が形のなものとして隠れてしまう。そのように道の実践が普通のこととなれば、どうして仁義などと言い立てられることがあるであろうか。殊更に仁義が重んじられたり、殊更に仁義が特別なものとされたりする社会状況が生まれると仁義ということが言われるようになるのであり、そこに大道は廃れてしまっているわけである。道が廃れてしまえば智慧を用いる人も出てくる。智慧が用いられるようになると、人を騙そうとするする人たちが出てくる。そして互いに欺き、互いに自分が有利になろうとする。ここにおおい9なる偽りが日々生まれることになる。こうなると世の中は、親も子と不仲になるだけではなく、子も親と仲良くできなくなってしまう。六親が和することがなくなるわけである。そうなると親を親として接し、子を子として接すると慈父であるとか孝子であるとか言われたりするようになる。こうして慈父や孝子が出てくるのは六親が和していない社会状況があるためである。大道が当然のこと(公)となれば、君主と臣下は一なる徳で結ばれている。どうしてそうしたところに忠臣が出てくることがあるであろうか。つまり忠臣が出てくるということは、国家が昏乱しているからなのである。そうであるから忠臣が出れば出るほど、昏乱が激しくなって行っているということになるのであり、道を去ること日に遠くなっているのである。 〔両儀老人漫語 世の評価などはあくまで見せかけのものであるから気にすることはなく、適当に利用すればよい〕

第十八章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第十八章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 大道廃れて、仁義有り。 〔世の中が乱れると、仁義など道徳が強調されるようになる〕 大道が盛んになれば、殊更に仁義をいうことも無くなる。当然のこととして仁義が実践されるからである。しかし、大道が廃れてしまうと、仁義は特別なものとして知られるようになる。 智慧出て、大偽有り。 〔大智慧者などて言われる人は、大体がそう見えるだけである〕 「智」とは、認知するということである。「慧」とは、洞察するということである。物事を認知してさら洞察を加えようとするところに正しく無いもの(偽)が生まれることになる。 六親和せず、孝慈有り。 〔一族が不仲になると、普通にていると孝行であるとか慈悲深いとか言われるが、特に不仲でない時にはそうしたことを言われることが無い〕 「六親」とは、父子、兄弟、夫婦のことである。この「六親」が仲良くすることが無くなれば、孝子や慈父のような存在が認められるようになる。 国家昏乱して、忠臣有り。 〔国が乱れる前と同じことをしていても国が乱れると、忠臣とされることになる〕 君臣が心をひとつにして、共に徳を行うと、忠臣が出てくることもない。国が乱れて忠義が行われないようになると忠臣なるものが特別に認められるようになる。

道徳武芸研究 八卦掌における「三才式」と「三体式」(上)

  道徳武芸研究 八卦掌における「三才式」と「三体式」(上) 三才式、三体式は形意拳の練習法であるが、これと同様の過程は中国武術に普遍的に存しているということができうよう。もちろん門派によって「三才式」「三体式」の扱いは同様ではないが、大体において「三才式」は「静」を得て「気」を養う方法であり、「三体式」は「柔」を得て「勁」を養う方法とすることができよう。ちなみに三才式の「三才」は天、人、地であり宇宙全体を象徴する。またこれを人体にとれば上丹田、中丹田、下丹田となる。これに対して「三体」は梢節、中節、根節で、形意拳では「梢節」からの動きを重視する。ためにとりわけ三体式を寝る必要が存することになる。太極拳では無極トウなどとして、ただ立つだけの練法があり、これは形意拳の三才式と変わりがない。しかし太極拳では「三才式」「三体式」を歩法(五歩)の練法としてひとつのシステムの中に入れている。つまり中定、前進、後退、右転、左転である。この中の「中定」が無極トウで、「中」は中庸、「定」は瞑想を意味するので、中庸を得るための瞑想が「中定」ということになる。次いで前進を提手上勢、後退を手揮琵琶、右転は単鞭、左転は左単鞭(これは套路にはない)で練ることになっている。また提手上勢、手揮琵琶は「合」、左右の単鞭は「開」と位置付けられている。このように太極拳では変化を内包した中庸である「中定」から、その展開としての歩法と開合をベースに「三才式」や「三体式」を練るているのである。

第十七章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】

  第十七章【世祖 解説 〔両儀老人 漫語〕】 この章では、世俗にあることの弊害について述べている。道を知る者はあるがまま(自然)を貴ぶのであり、道が実践されている大道の世では無為であることも忘れられてしまう。いまだかつて統治をするという意図を統治者が持つこともなく、民もどうして世の中が治まっているのかを知ることがない。後に大道が行われなくなると民は統治する人の居ることを始めて知るが、それに親しみ、尊敬をする気持ちが生まれてくる。それから更に大道が廃れて 来ると統治者を畏れる気持ちが生まれるようになる。さらにひどくなれば、統治者を侮る気持ちが生まれるようになる。また上に立つ人に誠信が足らなければ、民はついには統治者を信じられなくなる。しかし聖人はそうではない。道をして天下を統治するのであり、そこには誠信が満ちている。そしてそうした誠信から発せられる言葉は貴ばれることになる。軽々に口にされることはなく、無為を言うこともなく、民に見えないところで恩恵を授ける。その功が既に成れば、物事は順調に行われ、民の暮らしは日に日に善くなって行くが、それが誰によってなのかを知ることはない。全ては「自分が自然である」からそうなっているのである。つまり「帝の力がどうして我に及んでいようか」ということである。そうなればどうして世の中が栄えないということがあるであろうか。 〔両儀老人 漫語 相手に勝つのは上々の方法ではない。攻防が起こらない前に制するのが最上である。スポーツなどでいたずらに勝敗を争うのは愚かなことである〕

第十七章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕

  第十七章 【世祖 注釈】〔両儀老人訳〕 太上は、これ有るを知らず。 〔相手をコントロールする時に理想的なのは相手がそれを全く気づかない状態である〕 「太上」とは、最上のことをいうものである。「これ有るを知らず」とは、忘れてしまい言及することもないことである。知らないからそうなるのである。 其の次、これを親しみ、これを誉める。 〔その次は、相手が感謝をしたり、褒めてくれたりする状態であるが、これは容易に憎悪に転ずることがある〕 道徳が隠れてしまえば仁義がこの世に表れる。つまり人々が仁に親しんだり、その義を誉めるからである。 其の次、これを畏る。 〔好ましいといえないのは、相手が自分を恐れているような状況である。こうなれば何時、足をすくわれるか分からない〕 仁義が行われないで、政治制度や刑罰を作る。そうなると民はその威を畏れる。 其の次、これを侮る。  〔最悪であるのは、相手が自分を侮るような状態である。こうなれば全くガバナンスは利かなくなってしまう) 刑法をもってしても、人の心を制御することはできない。つまり意図をもって民を導こうとしても侮られるだけである。 信、足らざれば、信ぜざること有る。 〔普通に信用されて無ければ、特定の相手からも信じられることはない〕 ただ上が信じられていなければ、よくいろいろな統治法を用いても、民は始めは上を信ずることはないのである。 猶(ゆう)たるは、その言を貴ぶ。 〔謀(猶を「謀(はかりごと)」と解した)のような危険のことを企てる時には、互いに言うことが信じられなければ危なくて謀議などしていられない〕 「猶」とは、疑い、迷うことである。聖人は、どうしても自然に人から信じられるものである。そうであるから言うことを重んじるのである。言を口に出せは、人々は自ずからこれを信ずる。 功成りて、事遂ぐるは、百姓、皆、我は自然たりと謂う。 〔理想的な形で謀が成功して、思いを成し遂げることができたなら、人々は皆、自分のことを「ただ自然のままに流れに任せて居ただけだ」と言うこといで、自分がコントロールをしていたとは知ることが無いであろう〕 民はその身を安らかにしていれば、功は成る。道が栄えていれば、事は成るものである。

道徳武芸研究 站トウ、試力、試声と自衛(下)

  道徳武芸研究 站トウ、試力、試声と自衛(下) 王キョウ斎の「意拳正軌」には「トウ法換勁」の一節がある。これは站トウを行うことで攻防の力である「勁」を得ることが可能であるということを論じているのであるが、この考え方は形意拳独特と言っても良いのかもしれない。一般的にはトウ法を練った後に套路などで「勁」を練る。「トウ法換勁」は形意拳では三体式の秘伝となる。王は三体式に触れることなく「トウ法換勁」を説こうとするので、いまひとつ具体性に欠ける説明となっている。いうまでもないことであるが三体式は形意五行拳の劈拳と同じである。そうであるから他の拳術で套路を使って「勁」を練らなければならないのに対して形意拳は「トウ法」である三体式をして「勁」を練ることが可能となるのである。こうして見ると三体式は実はひじょうに優れた方法の発明であったと言わなければなるまい。もちろん「トウ法換勁」を行うには具体的な方法がなければならないわけであるが、それが「翻讃」である。「起落翻讃」は形意拳の原則ともいうべき拳訣であることは先に述べたことがある。その中で三体式では「翻讃」を練る。これに「起落」が加わると五行拳となる。三体式における「翻讃」は手首の「蓄力」を使う。たとええば半身の構えのまま掌を拳にして内側にねじると劈拳の始めの動作の鷹捉となる。また手首に力をためて掌を打つと劈拳の掌打となる。こうしてトウ法から勁を練り出すのであるが、これに先にも述べたように「起落」が加わることで五行拳による精緻な攻防(自衛)が展開される。さらに重要なのは形意拳の「梢節」(体の末端)から動く、その基礎練習がここに述べた「翻讃」となっている点である。この練習を経なければ往々にして足を出す勢いで動いてしまうことになる。そうなると跟歩の時に体が残されて半身の構えが崩れてしまう。
  道徳武芸研究 站トウ、試力、試声と自衛(中) 站トウについて、王キョウ斎は「基礎練習」としていたわけであるが、実は站トウは簡単な功法ではない。多くの形意拳の指導者は始めから半身の構えを練ることを指導するが、これは少なくとも既に武術の経験がある人でなければ適当であるとはいえない。また初心者にもこうした練習が行われるのは形意拳の三才式と三体式が混同されていることに原因があるとも考えられる。形意拳はフォームのバリエーションを少なくしているので、それぞれの練習の方法と意味をよく理解していないと混乱が生まれることになる。形意拳では三才式を始めに練る。三才式は、膝を少し緩めてただ立つだけのフォームであるがこれを一シュ(火に主の字。禅宗などでは「チュウ」と読ませることもある)行う。一シュは「線香が燃え尽きる時間」とされている。禅宗では20分、あるいは45分くらいとする。始めは三才式を20分くらい立てるようにすると良かろう。そして内的、外的な気の流れを感じるのである。なかなか20分じっとしているのは難しいかもしれないが、一年二年と毎日練習をしていると楽くに立てるようになる。これを大体、三年くらい行う。そして高い姿勢での三体式(半身の構え)を練る。これもあまり無理をして低くしないで高い姿勢で左半身、右半身を繰り返す。また三体式は短い時間で動きを変えないで耐えることが良しとされるが、あまり無理をするのは好ましくない。適度に体勢を入れ替えて「静」が失われないようにしなければならない。心身が「静」を得れば気血の流れが適切になるので「柔」が得られる。そして沈身功が深まり腰も沈んで姿勢が低くなる。これも無理をしないで3年くらいで一応の習熟を見るようにする。形意拳以外では「三体式」のレベルを馬歩、弓歩、虚歩を続けることで練る。これも姿勢を変えて20分くらい練ると良い。

第十六章【世祖 解説】

  第十六章【世祖 解説】 道を保つには、盈(みつ)るを欲しないことである。それはまた致虚を貴ぶということでもある。虚とはつまり静でなければならない。致虚が極まったならば、守静はひじょうに深くなっている。こうした境地にあっては万物のすべてを、ありのままに観る状態(観照)にある。つまり「虚」や「静」の中に生成の働きがあるわけである。その生成の働きの経過を観ると、そこでは物が生まれていることが分かる。それは止むこと無く活発に行われている。そして生成の終わりには、それぞれの「本来の地」に帰することになる。そうであるからこれを「帰根」という。すでに「帰根」となったならば、そこは動が極まって静となっている。至静の中に本来備えられている道理(本然の理)によれば、生成は復たここから始まることになる。そうであるから「帰根」を「復命」とも称するのである。「復命」に至れば、これは常であり、久しくあって、変化をすることはない。よく常であり、久しく変化をすることのない道を知ることができる。そうであるからまさにこれを「明」というのである。人は決してこの常であり久しい変わることのない道を知ることがない。そうであるから妄想を抱いたり、妄動をしてしまったりして、すべからく道を見失って凶事を引き寄せることにもなるのである。「常」を知れば、つまり心は天地と同じく広大となる。心には何も入って無くても、そこにはあらゆるものを容れることができる。つまりあらゆることが「公」となるわけである。「天下に王たる」とは、つまりこの「公の道」を行うということである。「公の道」を行って「王」であるならば、それは「天」と等しくなる。「天」とはつまり「道」のことである。つまり「天の道」とされているのは「道」のことなのである。つまり常であり、久しく変わることのない道なのである。人はよくこの常であり、久しい道を得たならば、ついにはその身にあって道に外れたものは無くなってしまう。そうなるとどうして危機を恐れることあろうか。