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宋常星『太上道徳経講義』(57ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(57ー7) 聖人は「(聖人である)自分は無為であるから民は自ずから無為となる。 これより以下に記されているのは、老子が古代の聖なる王の教えを引いているところであり、それをして今の世に警鐘を鳴らそうとしている。時代は異なるが、ここで示されていることは、余計なことをしない(無事)人こそが天下を「統治」することができるということである。それはつまりは私意によらないということである。かつての聖人の言うことによれば「自分は無為であるから民は自ずから導かれるである」とか「自分はよけいなことをしない(無事)から民は自ずから豊かになる」とか「自分は静であるから民は自ずから正しくなる」とか「自分は無欲であるから民は自ずから素朴(樸)となる」とか「自分は私意を持たない(無情)のであるから民は自ずから清らかとなる」ということである。これは全て聖人の言である。これらの根底にあるのは「古の聖人は無為であった」である。そうあることで道を実践して徳を施していたのであり、けっして私意によることはなかった。修行をして他人を導く聖人は、天の理の正しさと一体となっていた。君臣の間で余計なことがなされ(無事)なければ君臣の間は安らかであり、天のままに動いていれば他人もそれに応じて動いてくれる。間違った政治が行われることはなく、天下の民は自分が正しくあろうとする必要もなくなっている(自ずから正しくなっている)。そうであるから統治者は当面やるべきことだけをやれば良いのであって、そうすることで有為を行うことなく天下の人々を惑わすこともなくなる。そうなれば天下の民は、聖人を太陽の如くに崇めて、甘雨の如くに思うことであろう。こうなれば強制することがなくても民は自ずから「統治」に服するし、法令を決めなくても民は自ずからあるべきに在ることになる。そうしたことを「自分は無為であるから民は自ずから無為となる」としている。 〈奥義伝開〉ここでは「民」とあるから「聖人」による「統治」が想定されているのであるが「無為」や「無事」は「余計無いことはしない」ということであり「何もしない」ということではない。これはあらゆることに就いて言えることである。規制と自由のバランスが完璧であれば、民は不満を抱くことはない。そして人が本来、持っている「善」による行動を取るので、世の中は平和で安定した状態となる...

宋常星『太上道徳経講義』(57ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(57ー6) 天下に禁止事項が多くなればなる程、民はいよいよ貧しくなっているからであり、人が多くの便利なものを使うようになればなる程、国家はいよいよ混迷をして来るのであり、人が多く技巧に頼るようになればなる程、役に立たない物が多く生産されるようになって、法令が多くなればなる程、盗賊はますます多くなってしまうからである。 ここで述べられているのは、全てどうして「正」をして国を治めなければならないのか、ということである。それは民間におけるあらゆる利益行為を禁止するようなものであるからに他ならない。それは「やるべきではない」ことをやっているから起こっているのであり、それが見えないところにまで影響を及ぼすことになっているのである。つまり、それは余計なことをしたことによって生じているわけである。優れた君主が統治をしている時には「道」をして政治が行われている。「徳」をして民を導いている。そうであれば民が財を得ることは妨げられることもなく、人々はつつがなく生活をすることができる。そうなれば国が富まないということはない。不足を感じる民も居なくなろう。民の楽しみは妨げられることもない。ただ禁忌が多ければ民に患いが多くなる。しかしあまりに無軌道でも民は困惑してしまうであろう。そうなれば必ず民の生活の妨げとなり、民の生活は乱れてしまう。これでは良い生活をしていたとしても、豊かとはいえないのではないであろうか。そうであるから「天下に禁止事項が多くなればなる程、民はいよいよ貧しくなっている」とされている。「便利なもの」はそれを使えば、それが当たり前となる。人が力を持てば、それは「便利なもの」として使うことができる。一方で聖人は天の「理」をして天下の統治を行うのであり「便利なもの」であるからといって「力」に頼ることはしない。もしある人が大きな「力」を持ったならば、統治の主体がそちらに移ってしまうかもしれない。臣下が「力」を持てば、統治の主体は君主から臣下に移動してしまうことになる。あるいは法律や刑罰が無闇に出されてしまうと、これは濫用であり、それは誤った考えによるものということができる。こうなると君臣の道は、明らかでなくなり、君主と臣下は互いに争って国も乱れてしまうであろう。そうしたことを「人が多くの便利なものを使うようになればなる程、国家はいよいよ混迷をし...

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(8)

  道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(8) 八卦拳において八母掌は形式は一定の形を維持して円周上を歩くもので、それは「導引の形」ということができる。しかし歩法は「扣歩、擺歩」で構成されていて八卦拳の基本体な腿法を練る「武術の形」を有している。一方で両儀之術から四象拳、八掌拳、羅漢拳へと展開する直線の套路は外形は「武術の形」であるが、内的には呼吸を練るもので「導引の形」となっている。八卦拳では「気を練る」「力を練る」「気と力を統合させる」という稽古の段階があるが、こうした「統合」を生じさせるためにはひとつの套路の中に「気」と「力」の二つを練ることのできるシステムが内包されていなければならない。劉雲樵の八卦「掌」では、この「統合」を「武術の形」を用いる系統で統一した。それは程派の八卦掌と同じシステムである。その意味で八卦「拳」ではなく八卦「掌」を称したのは全く正しいし、劉は八卦拳のシステムについてよく理解はしていたいということでもあろう。

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(7)

  道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(7) このあたりで系統を整理しておくと八卦拳では両儀之術は四象拳、八掌拳と展開して行くが、劉雲樵は両儀之術を四象拳として「八卦腿」を編んだのであった。つまり劉は本来の四象拳を用いることなく両儀之術を変更して「八卦腿・四象拳」としているわけである。八卦拳では両儀之術で「呼吸」を練り、四象拳で「四肢」を練り、八掌拳で「縮伸」を練る。「四肢」や「縮伸」の身法を練ることで「呼吸」が練られるわけである。「扣歩、擺歩」は走推掌から八母掌へと展開する。一方、武壇では「八卦腿・四象拳」で「扣歩、擺歩」を練って、八卦硬掌では「四肢」を練るとしている。これは本来の四象拳がないために両儀の「扣歩、擺歩」が四象拳(八卦腿)として鍛錬するシステムとなっていることが分かる。

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(6)

  道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(6) 真息を得るには呼吸そのものに意図を加えてはならない。そうであるから両儀之術では動きを通して呼吸を練っている。これは太極拳や形意拳でも同様である。つまり両儀之術は呼吸を練る術であって「扣歩、擺歩」の展開を練るものではないのであり、劉雲樵の伝えた八卦腿は両儀之術とは全く違ったものになっているということができる。ただ興味深いことは八卦腿が四象拳と称されている点である。既に八卦拳における両儀から四象への腿法の変化については触れたが、その意味において八卦腿を四象拳とすることは腿法から蹴り技への展開ということにおいて、一定の意義があるとすることができるであろう。また劉の伝えた四象拳は、八卦拳の四象拳とも違っている。それは八卦拳の四象拳が両儀之術から派生しているからであり、その基本に「扣歩、擺歩」の展開というベースを持っていないからに他ならない。ちなみに「扣歩、擺歩」を練るのは円周上を歩く套路である。

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(5)

  道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(5) 両儀之術は植芝盛平のいう「呼吸力」を練るものである。これは形意拳の劈拳も同様である。劈拳は五行の「金」であり、それは「肺」にあたる。これを上下の動きである「起落」によって行うことで自然に吸息、吐息を練ることが可能となる。呼吸力は中国では「真息」であるとか「胎息」であると言われて来た。それは人が本来、持っている呼吸の状態であるとされている。ヨーガでも呼吸法はよく練習されるが、注意しなければならないことはヨーガの練法では「呼吸法や体位法が最終段階ではない」という点である。ヨーガでは呼吸法に習熟することを目的とはしていない。呼吸法はあくまで瞑想のための補助であって、瞑想が完成した時の呼吸こそが重要なのである。極論すればヨーガでは一旦、成就点とは反対のことをして、その結果として成就点を見出そうとしている。それは白い紙に一点の黒を落とすことで白さを認識しようとするのと同じである。あえて無理な呼吸法をヨーガで行うのはそうしたシステムであるためである。

宋常星『太上道徳経講義』(57ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(57ー5) 私はどうしてこれを知っているのか。それは、 ここでは、これまでのまとめをしようとしている。それは「正」をして国を治めることであり、「奇」をして兵を用いること、「無地」をして天下を取ることであって、これらは全て「無為の正」であり、有為の作為ではない。老子はどうしてこうしたことが分かったのであろうか。それは無為を行うことによって分かるわけである。そうしたことを老子は明らかにしようとしている。 〈奥義伝開〉以下に老子は「無事=無為」とは、どういったことなのかを教えている。それは老子が身近に経験したと思われる事例によって示される。そしてそれが国家や天下に敷衍されて適用が促されている。つまり老子が重視しているのは、あくまで「国家」より「社会=天下」であり、それは「天下=民」でもあるのである。「国」も「天下」も「民」の集合体である。現代では「主権在民」といわれるが、これは実際には民主主義国家においても、共産主義、社会主義国家であっても実現されてはいない。どうしても権力が一部に固定されることを避けることはできないでいる。老子は意識改革が必要であるとするが、多くの人にそうした意識の覚醒の時が来るのかどうかは分からない。

宋常星『太上道徳経講義』(57ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(57ー4) 「無事」をして天下を取る。 「正」をして国を治める。「奇」をして兵を用いる。これらは有為をして行われるべきことはでない。そうであるから有為をして天下を取ることなどできるはずもないのである。無欲、無為であり、道のままに、徳のままに行動をする。それは法律を用いて行うというのではなく、利益をして誘導しようとすものでもない。「聖人」の教化が天下に及べば、自ずから天下は「聖人」に服することになる。「聖人」の徳が天下に明らかになれば、天下は自ずから「聖人」に従うようになろう。天下はそれを取ろうと思わなければ、自ずからその人の手に落ちて来る。それを取ることができるわけである。そうであるから「『無事』をして天下を取る」とあるのであり、天下は無為であってこそ取ることができるのである。道の修行者は無為をして天の徳を養う。そうしたことの上で、あらゆることが実践されなければならない。 〈奥義伝開〉「無事」は後の聖人の言においては「無為=無事=好静=無欲=無情」として説明されている。ここで注意したいのは「取」であって、これは天下の統治権を得ることではない。「取」には「一体となる」という意もあるので、ここでは「天下」と一体となる、つまり「道」と一体となることであると理解されるべきである。「天下」とは今でいう「社会(共通した風俗習慣を持つ人たちの住む地域)」のことであり、「国」は「国家(政治体制)」のことである。古代の中国では黄河や長江のあたりで多くの「国」が生まれた。これらにおいては「社会」生活を等しくする地域が国家として分断されることも往々にしてあったのである。現在でもヨーロッパなどでは「社会」と「国家」の矛盾が対立を生んでいる。老子はこうした枠組みを「無事=無為」であることで超越せよと教えている。つまり「国家」などに過度にこだわる必要はないということである。

宋常星『太上道徳経講義』(57ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(57ー3) 「奇」をして兵を用い、 兵を用いるのは、本来は朝廷に従わない者を討つ時である。それを用いるのは他に手段のない、やむを得ざる場合に限られていた。例えば二つの国が敵対している時には、どうしても戦うことになる。そうなればいろいろな術策が用いられ、互いが安定した状態にあることはできなくなってしまう。ただ殷から周への「革命」は仁義をして戦が起された。誰であっても自分の行っていることの全てを理解することはできないものである。「奇」とは一般的には兵は用いるべきではないが、それを用いている、と事実を示している語で、それは通常は用いられるべきことではない。そうであるから「『奇』をして兵を用い」とあるのである。「奇」を用いたがる人は多いが道の修行者はけっしてそうであってはならない。こうしたことの戒めとしてここで「奇」という語が使われている。 〈奥義伝開〉「正」による国の統治は「王道」によるものといえよう。一方、兵を用いるのは「覇道」とすることができる。軍事独裁国家などは覇道の国である。しかし、そうした国でもある程度は、民の自由が認められているので、「正」の部分が全く無いということではない。どのような国にあっても国家権力が人々を抑圧する場面はあるわけで、その意味においては「兵(警察なども含まれる)」を用いない国はないわけである。そうした現状において「兵」によって「抹殺」されないためには、どうしたら良いのか。それを老子は考えるわけである。形而下において「兵」を完全に超克することはできないが、形而上においては可能であることを老子は見出した。本来、「兵」という暴力装置を用いることはいかなる場合でも天の理からすれば正当化できないのであるから、そうした「力」からは逃げるより他にない。ただ逃げるか。それができなければ抵抗をして活路を見出すより他にない。そのどちらかである。こうした時にはやはり武術の心得が必要である。

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(4)

  道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(4) 武壇の「八卦腿」には北派拳法の基本的な蹴り技が取り入れられているが、八卦拳の「両儀之術」では蹴り技は全くない。これは大きな違いである。基本的な運動線は両儀之術と八卦腿では酷似しているので劉雲樵が宮宝田から両儀之術を習ったことは確実であろうが、それがどうして蹴り技の套路に変更されてしまったのであろうか。その答えは「両儀」という概念にある。八卦拳における両儀は前回に説明したように扣歩と擺歩であり、八卦拳の腿法の全て(蹴り技も含めて)はその変化であるとされる。そうであるから「両儀之術」を八卦腿として理解することも可能となる。しかし八卦拳では「両儀之術」であって「両儀拳」ではないことに注意が促される。八卦拳では両儀之術の他に四象拳、八掌拳、羅漢拳があるが、両儀之術はそうした外的な扣歩、擺歩を練るのではない。両儀之術で練るのは「呼吸」であって、この場合の「両儀」は「吸息、吐息」となる。この呼吸を実現させるには「縮、伸」の身法が用いられなければならない。両儀之術に「之術」といった変わった名が付されているのはそれが一般的な拳術とは違った内的なシステムであることを示すためなのである。

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(3)

  道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(3) そもそも「両儀」とは「陰」と「陽」のことであるが、八卦拳・八母掌における両儀は「扣歩」と「擺歩」をいう。これが根本となることは八卦拳、八卦掌の特徴ある稽古法が走圏であり、それにおいては専らこの二つの歩法を練っていることでも明らかであろう。また歌訣には「走をもって先となす」ともされていて、走圏は八卦拳における最も重要な稽古とされている。「両儀」は「四象」へと変化をする。四象とは「陰」と「陽」に「陰から陽」「陽から陰」への変化が加わる。「陰から陽」への変化は腿法では「扣歩から擺歩」への変化であり、これを「採腿」と称する。一方で「陽から陰」への変化は「擺歩から扣歩」への変化であり、これは「掃腿」となる。これらを働きの面から言うと「截腿」となる。截腿とは相手の出足を止めるもので、具体的には採腿や掃腿が用いられるわけである。こうした相手の出足を止める截腿は八卦拳独特のものではなく、空手の試合などでもよく見られるが、多くの人は経験として截腿を会得しているに過ぎない。ブルース・リーで有名なサイド・キックも截腿ということができる。

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(2)

  道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(2) 前回では劉雲樵の八卦「拳」から八卦「掌」の変更において基本の構えである「推掌」が「倚馬問路」とされたことに触れたが、ここでは両儀之術を八卦腿(四象拳)として教えていたことに関して論じてみたいと考えている。武壇の八卦掌の体系から類推すると劉雲樵が宮宝田から学んだのは円周上を歩くものとしては換掌四式、下穿掌、それに直線套路としては両儀之術、八掌拳、羅漢拳(砲捶)であったように思われる。この中で換掌四式は「小開門」となり、それが走推掌と組み合わされたのが「両儀開門掌」である。円周を反転する動きである下穿掌は八卦六十四掌に取り入れられている。また内修八掌は八卦拳の八母掌とほぼ同じ形とする人も居れば、武壇の八卦六十四掌と同じとする人も居る。つまり内修八掌と八卦六十四掌を同じとしている系統と異なるとしている系統があるわけである。八卦六十四掌は単換掌、双換掌で始まるなど全く八卦拳とは異なるもので、基本の動きは陳ハン嶺が台湾に伝えた龍形八卦掌とほぼ同じである。また八卦拳の八掌拳は「八卦硬掌」と称されている。システム上、八掌拳は八母掌と羅漢拳を融合させる役割を有しているのであるが、武壇ではそうしたものとはなっていないようで八卦腿(四象拳)から八卦硬掌、(武壇の)「八卦拳」へとつながる流れの上に位置している(武壇の「八卦拳」は八卦拳の羅漢拳とほぼ同じ動きである)。

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(1)

  道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(1) 劉雲樵は宮宝田から学んだ八卦「拳」を八卦「掌」として教えていた。それは元の八卦拳からの変更があったためと思われる。台湾には宮宝田から八卦拳の教えを受けていた兄弟子の宮宝斎が居も居たので、それと異なる内容を八卦「拳」として教授することには遠慮があったものと思われる。劉の八卦「掌」は当時の八卦掌関係の資料をも参考にして八卦「掌」として新たに八卦「拳」を再編成したものであった。ちなみにかつては八卦掌関係の資料はひじょうに乏しく香港の系統に依拠した韓寿堂の『八卦拳』や形意拳の系統の姜容樵の『八卦掌』、孫禄堂の『八卦拳』それに程派の八卦掌を伝える孫錫コンの『八卦拳真伝』などが比較的容易に入手できるに過ぎなかった。劉の八卦掌では基本の構えを「倚馬問路」とするが、これは姜容樵の本に出てくるもので、套路の中での呼称であり、他では基本の構えにそうした言い方を取ることはしない。そうしたところをしても劉が八卦拳をそのまま踏襲していないのは明らかである。

宋常星『太上道徳経講義』(57ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(57ー2) 「正」をして国を治め、 「正」とは偏らない状況をいう。道徳、仁義を民が知ってそれに親しみ、重視をする。こうしたことは全て「正道」ということができる。古くから治国は「正」をもって行うものであった。君臣や父子の道は「正」をもって為されなかったことはないのであり、礼楽や尊卑の区別は「正」をしてそれが行われるべきである。民の心における天の徳は「正」をしてそれに復することができる。国家の風俗は「正」によってあるべき状態となるのであり、そうなれば道徳が広く行われるようになり、仁義は自然に国中に広まることであろう。そうしたことを「『正』をして国を治め」としているのである。 〈奥義伝開〉「正」については後の「聖人」の言で、聖なる王が「静」を好めば民は自ずから「正」されるとある。「静」は無為の修身のあり方をいうものである。中国武術で「静」を重視するのも「暴力装置」である武術を「正」しく用いるために他ならない。そしてその力は防御のために使われるべきである。もっぱら一人形を用いて、あまり相対練習をしないのは、武術の力を攻撃技として使わないようにするために他ならない。また一人形で攻防の動きを抽象化させるのは攻撃しようとする「思い」と「行動」が直結しないようにするためである。それにより相手の攻撃しようとする「思い」と「行動」のタイムラグのあることが体得されて、その間に相手を制することができるようになるのである。

宋常星『太上道徳経講義』(57ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(57ー1) 国を治めるのに求められるのは「正」であり、兵を用いるのに必要なのは「奇」であるが、これらは全て有心による作為である。有心の作為は、その用いられる「機」が完全に適正であるとはいえない。それは(普遍的である)「常」なるものとすることもできない。そうであるから聖人が国を治めるのには「正」をして「奇」を用いるのであり、兵を用いるのは「奇」をして「正」を用いるのである。そうであるから用兵は無形なのであり、国を治めるのは無為となる。余計なことを統治者がしなければ民は自ずから富むし、あまりに効率を求めることがなければ国は自ずから治まるものである。余計な法令を立てることがなければ、いろいろな場面で法を犯してしまう人の出てくることもあるまい。あまりに各地からの税が多く納められるようになると国はかえってよく治まらないものである。有為であったり、余計なことをし過ぎたりすると、道徳は廃れ、自分勝手なことをする人が多く出てしまう。正しく兵を用いることがなければ、国家は危うくなる。天下がそうであれば、日に日に余計なことが増えて行ってしまう。そうなると無為の正しい統治を期待することはできない。この章で述べられているのは「治国の道」である。それには修身がなされなければならない。「治国」と「修身」は同じものではないが、その「道」においては異なることがない。よく、そうした「道」のあることをわきまえて、それをよく知らなければならない。それが分かれば「治国の道」も「修身の道」も自得されることであろう。 〈奥義伝開〉ここでは老子の時代に格言として伝わっていたであろう「聖人」の語ることが最後に掲げられているが、それを老子が解釈して「無事」が最も重要であると教えている。「無事」とは「無為」のことであるが、なぜそれが「治国の道」として重要であるのかは、それにより自分と天下が一体となるからであると教えている。聖人による「無為=無事」の実践が民に感化を及ぼして、あるべき「自然」な世の中が生まれるというのが「格言」であったが、老子は「道」という「理」によって動いていることでは自分も天下(国を含めた社会)も同じなのであるから個人と社会、国家は等しいものとなり、国家や社会の拘束を受けなければならない必然性はないということになるわけである。

宋常星『太上道徳経講義』(56ー9)

  宋常星『太上道徳経講義』(56ー9) つまりは天下のあらゆる存在は「貴(き)」なのである。 ここで述べられているのは、この章の全体の総括である。「親疎」「利害」「貴賎」の全てがここにあると同時に全てがここには無い。それは天下の「至貴」であり、これ以上のものはない。その「貴」いことは無上であり、それに名を付することはできない程である。比べるものもなく、意図してそれを得ることもできない。このように「貴」いものであるから人はそれを見ることはできない。比類のない「貴」さなのである。これをそれとして知る人もなく世俗のどこにあっても聞くことも、見ることもない。これを強いて名付ければ「天下の貴」ということになる。「道」を修する者は、この「至貴」の理を知っているであろうか。この「徳」を修しているであろうか。この「徳」は天下と等しく、天下の造化と同じく変化をしている。それはまた「玄同」であることは言うまでもあるまい。 〈奥義伝開〉「貴」を「とうとい」と解したのでは親疎、利害、貴賤のない「玄同」と意味が合わなくなる。「貴」は「両手で物を持って贈っている」様子を示すものであるとされている。両手でとあるのは相手を貴んでいるからで、そこから「とうとい」という読み方が出て来た。ここで老子の言っている「貴」は後の儒学で重視される「敬(つつしみ)」と同じである。「相手を尊敬して譲り合う」関係が示されている。「親」も「疎」も互いが尊敬して譲り会うことができれば、それは根本において等しいものであることになる。これが「玄同」である。「貴賤」にしてもそれは社会における一面の状況に過ぎないのであり、人としての本質は平等であるから互いに「敬」の気持ちを持って接すればあらゆる人が人として等しいものとして認識される。そうしたことを「玄同」から導き出されるものとして「貴=敬」が示されているのである。

道徳武芸研究 形意五行拳における「土」について(4)

  道徳武芸研究 形意五行拳における「土」について(4) 形意拳のシステムから五行を考えるならば「土」は三体式とならなければならない。三体式は鷹捉を練るものであるが、これは形意拳の根本である。三体式の変化として劈拳や讃拳がある。また横拳もそうである。横拳が「横勁」を練るものとされるのは本来の形意拳のシステムである「老三拳」によるものである。つまり劈拳、讃拳、横拳は「老三拳」なのであり「老三拳」は三体式の変化なのである。ちなみに老三拳は「践、鑽、裹」で、踏み込み(践)の歩法を強調した形が劈拳、力の集中(鑽)を強調したのが讃拳(鑽拳と書くこともある)で、丸く力を使う(裹)のが横拳である。本来、横拳は「老三拳」として三体式の変化の中にあるものであった。これに姫際可が槍の技術を取り入れたことから崩拳、砲拳が編み出された。ここに鷹捉をベースとする「老三拳」と槍術に由来する崩拳、砲拳で五つの拳が揃うことになって五行思想と結び付けられるようになるわけである。その結果、三体式と「五行拳」がシステム上、分離してしまい、結果として「土」の拳である横拳の位置が不明確となって行くことになる。さらに八卦掌が取り入れられると横拳は「土用」のように「変化」を練るものと考えられるようになって大きく腕を横に振る形意拳としては特異な形に変化して行くのである。結果として今の形意拳には「土」が二つあることになり、五行の「相生」としての三体式と「土用」の変化を示す横拳とが併存する形になってしまっている。これをシステム的にいうなら古い形の横拳は「老三拳」につながる「相生」に属しており、新しい横拳は「土用」の変化につらなる八卦掌・滾勁であるということになる。

道徳武芸研究 形意五行拳における「土」について(3)

  道徳武芸研究 形意五行拳における「土」について(3) 五行思想の「土」はあらゆるものの根源であり、生成の根本でもあったのであるが、これはまた「土用」のように季節の変わり目、つまり「変化」を示すものと理解されるようにもなった。春(木)から夏(火)の間、あるいは夏から秋(金)、秋から冬(水)の変化の間が土用(土)とされるのであって「火」から「金」へ土用にある丑の日はよく知られている。しかし「土用」の間に「丑」の日が巡って来るのは、その時だけではなくあらゆる季節においてそれは存している。現在の形意拳における横拳はこの場合の変化の方法としての「土」である。直線的な動きに丸い力の運用を加えることで途切れなく技を出して行こうとしているわけである。しかし、そうなると五行拳が「金、水、木、火、土」と生成の関係で構成されていることと合わなくなってしまう。五行相生では「土」は一定の形を持つが、「土用」のように形を持たない「変化」の意とはしない。そうなると五行相生は成り立たなくなり、形意行拳はシステム的な破綻を有することとなってしまう。

道徳武芸研究 形意五行拳における「土」について(2)

  道徳武芸研究 形意五行拳における「土」について(2) 形意五行拳において「土」にあたるのは横拳である。横拳には前に出した拳を横に大きく振る形と、砲拳にように斜め前に出すだけの形があり、前者は八卦掌の影響を受けて変化したもので「横勁=滾勁」を強調した形とされる。形意拳は八卦掌から「滾勁」という丸い動きでの力の運用を取り入れた。大きな力を出すために直線的な動きが主となっている形意拳に丸い力の運用を取り入れることで、防御や連続性が深められてより高度なシステムとなり得たわけである。こうした形意拳の改革が大きく進められたのが天津派で李存義や張占魁などの有名な指導者が出て形意拳は全国に広まることとなった。しかしシステム上「土」拳は必ずしも五行拳のベースとなってはいない。むしろ、その動きは八卦掌に近いものがある。一方で「土」拳については「全体の根源」であり「形を持たず」「横の動き」であるとの教えも伝わっている。五行思想では、あらゆるものの根源としての「土」は当初の単純な「大地」とする考え方から、あらゆる存在の根源、中央にあるものとして特定の形を持たないと考えられるようにもなっている。

道徳武芸研究 形意五行拳における「土」について(1)

  道徳武芸研究 形意五行拳における「土」について(1) 形意拳の母拳である五行拳は「金、水、木、火」から「土」へと移っている。これは五行の生成をいう五行相生の関係によって構成されているためである。しかし五行思想において「土」は根本であり、そこから全てが生まれるとされる。それは古代中国の自然観によるもので大地(土)の中に金属(金)が生まれる。これは全てに共通する考え方であるが「土」の中に「金」として物質化する要素が含まれいたと考えるのである。金属は空気中の水分が液化して水滴となることがあるので、それを見て金属には水が内包されているとするので金から水が生まれるとする。水を撒くと木(木)が生えてくる。それは水の中に木となる要素があるからである(土の中に種があったことは考えない!)。木は燃えるので火は木の中から生まれると考える。燃えた木は灰になって土に帰る。こうした循環する自然観が五行思想のベースをなしている。ただ形意拳で五行がいわれるようになったのは後のことで、本来は「老三拳」といわれるように三つの拳しかなかったのである。

宋常星『太上道徳経講義』(56ー8)

  宋常星『太上道徳経講義』(56ー8) そうではないと見えても親しい関係になることもあるし、そうではないと見えても疎遠となることもある。そうではないと見えても利益になることもあれば、そうではないと見えても害悪となることもある。そうは見えないのに貴いこともあるし、そう見えなくても賎いこともある。 ここで述べられているのはまさに「玄同」である。それは無と有の奥深い教えである。動や静の奥深い教えである。心は(その本質として)「徳」を持っているが、それを明らかに知ることは難しい。「玄同」の奥深い教えも同様である。心と太極は(「徳」と「欲」のような相反するものを持っている点で)全く同じである。また心と鬼神とも等しく変化をする点では同じである。そうであるから計り知れないのである。それは説明の及ばないものであり、それにより利が得られると決まってはいないし、また必ず害を得ることもない。貴いとは限らないし、賎しいと決まっているものでもない。決まったものがないのが「玄同」の「徳」である。本当の知を持っていて大いなる道と一体となっている人は一方に偏ることはない。そうしたことが「そうではないと見えても親しい関係になることもあるし、そうではないと見えても疎遠となることもある。そうではないと見えても利益になることもあれば、そうではないと見えても害悪となることもある。そうは見えないのに貴いこともあるし、そう見えなくても賎いこともある」として述べられている。「道」を学ぼうとする人は、このような境地に至ることができているであろうか。「道」を得ることができていなければ「徳」も得られてはいない。玄(注 表面的なものの奥にある教え)も得られていないことになる。 〈奥義伝開〉相手と争っているような場合には親しくなることはないように思えるが、争うということは常に相手に接していることでもあるので、状況としては親しいのと違いがないともいえる。それは「疎(遠)」の中に「親」が含まれているからであり、また「親」の中にも「疎」が含まれていると考えられるので親疎は容易に反転すると考える。そもそも全く接触のない相手とは疎遠になろうとしてもなれない。合気道の「転換」とはこうしたことを言っている。攻撃しようと手を出す者も、握手をしようと手を出す者も、「手を出して触れて来ようとする行為」は等しいので、敵意を親しみに「転...

宋常星『太上道徳経講義』(56ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(56ー7) こうしたことを「玄同」という。 ここで述べられているのは、これまでの総括である。すでに触れられた「穴を塞ぐ」「門を閉じる」「行き過ぎを是正する」「混乱を正す」「光を適度に落とす」「塵は見えなくなる」といったことと「玄同」とは同じである。また「玄同」であるのは「聖人」が行っていることでもあり、それは世俗の人とは違っている点でもある。「聖人」と同じということは「道」と一体であるということである。混沌としていて一定の形容をすることのできないものである。そこには区別はなく、名も形もない。「道」ということからすれば天下のあらゆる存在は等しいものなのであり、「徳」ということからすれば全ての人はそうした意識を持っているということができる。一見すれば貴賤などの違いがあるように見えるし、賢愚の別があるようでもある。しかし聖人は「道」の視点からこうしたものを見るので、あらゆる存在に区別を見ることはない。「徳」をして人を見れば誰もが等しく「徳」を持っているということが分かる。また「道」と「徳」は同じであるから、結果として全ては等しいということになる。そこに「玄同」の妙があるといえよう。そうであるから「こうしたことを『玄同』という」としている。一般には世の人を見ると同じと見えることもあれば、違うように見えることもあろう。悪巧みと「徳」とは同じとは思えまい。そこには違いあると言わねばならないのかもしれない。こうしたところに「分別」という考えが生まれて来る。個々のものにこだわってしまうと、こうした考え方を捨てることはできなくなる。そうなれば世俗の人と同じである。そうなるとこれは「玄同」とはならない。そうなると、よく「穴を塞ぐ」ことができているといえるであろうか。考え方として「区別」があるのによく「門を閉じ」ているといえるであろうか。外的な影響を受けていて、はたしてよく「行き過ぎを是正する」ことができているといえるであろうか。内的なことだけに留まっていて、どうして「混乱を正す」ことができているといえるであろうか。「道」の理によることがなければ、はんたしてよく「光を適度に落とす」ことができているといえるであろうか。自己を「道」によって養うことができなければ、はたしてよく「塵は見えなくなる」ことができているといえるであろうか。物を通して「玄同」の境地...

宋常星『太上道徳経講義』(56ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(56ー6) 光というものを適度に落とすと塵は見えなくなる。 本当の知恵を持つ大いなる道と一体となっている人は「光というものを適度に落と(して)」いる人である。「塵は見えなくなる」とは、道徳や仁義は、詩や書、礼法や音楽に一体となっていて、そうした中に「塵=欲望」も含まれているのであるが、それが顕著になることはないということである。それは顕には見えなくても、およそ道徳や仁義が発動されるべきところであれば、それが発揮して見えなくるのである。こうした道徳や仁義はすべからく人においての「光」ということができよう。功を挙げ、名を高め、富や地位を得る、およそ人々が交わるそうしたところには全てそうした人の「塵」があるといえる。聖人は道徳を身に付けていて、それをよく養っている。心の徳の「光」も涵養していて純なるものとなっている。道徳というものはそれを養わなければならない。そうして人は道や徳と一体となることで悟りを得ることができる。つまり悟りは誰にでも得られるのである。そうであるが、それを得ようとしなければ得られることはない。これは誰においてもそうであるから、我が身においても同様に言えるわけである。ただそれも誰にでも起こるということに安易にこだわり過ぎてもいけないし、特定の個人に起こったということにとらわれ過ぎることも良くない。誰でもということと特定の個人とその他の人とを区別するものではないわけで、そこにおける「光」には何の違いもないのである。それは照らす火も、照らされる火も火に変わりがないのと同じである。これは「塵」も同じで「光」と「塵」の二つのものは混沌とした中に等しく存していて区別をすることはできないのである。そうした「塵」をあえて拒否しないことが「光というものを適度に落とす」である。聖人の心に「塵」が影響することはない。しかし社会と交わって行こうとするならば、世俗の「塵」と交わらないわけにはいかない。そうであるから世俗の「塵」を持っているからといってその人を切り捨ててしまうことはよろしくない。それは、なんとかして調整すれば良いだけのことである。世俗の人も丁寧に対して聖人と等しい善なる心を持っている部分で接する。物に対しても、それに関わらないのではなく、適度に世俗の「塵」にあまり汚されない程度に交わって、そこに誠のある範囲において接する。こう...

道徳武芸研究 鄭子太極拳起式六変と合気上げ(4)

  道徳武芸研究 鄭子太極拳起式六変と合気上げ(4) 「五変」の腕全体の重さを感じる段階では相手との「むすび」が完成し導きの段階に入る。合気道の合気上げでは相手の腕と自分の腕で「大きな輪」ができた感じになり、大型車両のハンドルを回すようにして相手をコントロールするニュアンスといえようか。自分で練る時に「重さを感じる」のは、相手が居る場合には、その力の状況を感じることになる。こうして相手と自分とがひとつの輪の中にある状態が「周天」である。相手と自分の間で気が巡っているイメージである。これがあるとコントロールすることが容易である。そして「六変」である。太極拳では腕を下ろすが、合気上げでは上げることになる。上げるか、下げるかはコントロールの方向の違いであるだけなので問題ではない。この段階では完全に相手と一体となってコントロールできる状態にある。ただ抜刀を前提とした大東流では腕を下ろすことは刀があるので腕を下げることができないというだけである。ただ徒手武術の傾向が強くなると大東流でも「合気下げ」などがいわれるようになる。

道徳武芸研究 鄭子太極拳起式六変と合気上げ(3)

  道徳武芸研究 鄭子太極拳起式六変と合気上げ(3) 太極拳起式の六変を合気上げでいうなら「一変」は相手が腕を掴んで来た時である。この時に相手が掴んでいる状態をよく把握する。これが一人であれば自分の腕の重さを感じることになる。要するに腕の状態を感じるわけである。最も狭義の合気はこの段階である。そして「二変」であるが合気上げでは指を立てることで手首に関係する力の状態を変化させる。大東流では力を抜くというより集中させるといった方が妥当であるが、要するに手首の周りの力の状態を変化させれば相手の力を導くことができるようになる。合気道は大東流ほどアクセントを付けない。それはアクセントを強くつけてしまうと外されることがあるからである。大東流では抜刀を前提としているので相手が手を外すことの危険性は想定していない。もし外せば抜刀して切るだけである。一方、徒手の時代の武術である合気道では手を外されると返し技をされる危険があるので一定程度の警戒をしている。「三変」「四変」では肩、肘の力を抜くのであるが、これにより相手の力が肘や肩を通して自分に影響することがなくなる。

道徳武芸研究 鄭子太極拳起式六変と合気上げ(2)

  道徳武芸研究 鄭子太極拳起式六変と合気上げ(2) 鄭曼青のいう六変は起式という腕を上下させるだけの運動において示される。先ず腕の重さを感じて腕を肩の高さまで上げる(一変)。そして手首の力を抜く(二変)、次いで肩の力を抜き(三変)、肘の力を抜く(四変)。さらには腕全体の重さを感じて腕を下ろす(六変)。これが六変である。そして、いろいろな動作を用いて気を上下させるのが太極拳であるということになる。「捨己従人」とは通常は先入観を持たないで相手の意図することを理解しようとする、という意味で使われる。武術的には相手と一体となるということであり、これはまさに「合気」そのものであるといえよう。こうして太極拳では相手と一体となって(粘)、相手の力を変化させて(化)、コントロールする(走)に導くのである。そうした合気とコントロールを含めて植芝盛平は「引力」と称していた。「合気道は引力の鍛錬である」と教えていたのである。言うまでもないことであるが、六変は太極拳の最後の「合太極」でも行われている。ちなみに起式を「開太極」という場合もある。「太極を開く」と「太極に合う」である。これは太極拳が太極拳の一連の動作行うことで上昇、下降する気の流れ(周天)が整うことを意味しており、その流れは天の日月、星々の周天と流れを等しくすると考えるわけである。

道徳武芸研究 鄭子太極拳起式六変と合気上げ(1)

  道徳武芸研究 鄭子太極拳起式六変と合気上げ(1) 鄭曼青は起式に六段階の変化があるとして、特にそれを「六変」と名付けて重要性に注意を促している。何故、この六変が重要かといえば、それが太極拳で最も重視される「捨(舎)己従人」を実現する方法であるからに他ならない。鄭曼青は太極拳修行の第一に「捨己」を挙げている程である。この「捨己従人」はひとつには「己を捨てて人に従う」であり、もうひとつには「己を捨てて人を従える」でもあるが、これらにおいて重要な鍵となるのが「捨己」なのである。六変はこの「捨己」の方法を具体的に説明したものに他ならない。よく「太極拳は一気の昇降」であるともされる。つまり太極拳のいろいろな動作は全て気の上昇と下降で尽きているというのである。これは仙道では「周天」とされていることである。つまり「太極拳は一気の昇降」であるとするならば、起式の六変はまさにそれだけで太極拳の全てを示すものということも可能なのである。

宋常星『太上道徳経講義』(56ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(56ー5) 行き過ぎ(鋭)を是正すれば、混乱は解消される。 本当の知恵を持つ大いなる道と一体となっている人は、「行き過ぎ(鋭)を是正す(る)」ものである。そうすることで自己の内面を治めている。また「混乱は解消される」ことで外から受ける混乱の影響を正している。「是正」とはあるべき状態にするということである。「行き過ぎ」とは過剰にやってしまうことである。人には機智があるし、刀には切れる刃が付いているものである。しかし、それが鋭過ぎてしまえば、切れすぎて良くないし、機智も過ぎれば正しく行動することはできず、徳性も失われてしまうことになる。そうであるから聖人はただ虚心であらゆることに対応する。そこには全く不適切な言動は見られない。こうして機智を捨てて愚劣であるかのように振る舞うことで行き過ぎを自ら治めて自らを養うのである。これが「行き過ぎ(鋭)を是正す(る)」である。「解消される」とは解きほぐすことである。「混乱」とは紛糾していることである。いろいろと絡み合った物事、整えることができない状態である「混乱」にあって、もしそこに物欲が介在しているならば根本的な認識に誤りがあることになる。そうなれば心の働きを根本的に司っている「性」にも好ましくない影響を与えてしまい、心も乱れるわけである。しかし、道を知る人は、心に欲を持つことはない。性が情に流されることもない。常に虚であり空である。物そのものは欲望に関与することはないのであり、それは心によっている。心を自然のままにしていれば欲望は沈静化する。そうなれば外に欲望によって混乱させられた状態があったとしても、それに紛らわされることは全くなくなる。そうしたことを「混乱は解消される」としている。もし、よく内的な思いを消すことができたならば、外的な係わりを断つこともできよう。そうなれば常に清らかであり、常に静かであることができる。つまり、よく混乱を解消するのは、心身を練ることをよく知る人なのである。 〈奥義伝開〉ここでも老子は単に過度であることによって生じた混乱はそれを無くせば是正されると教えているに過ぎない。過度であることを戒めるのは老子に一貫した考え方である。鋭過ぎる刃を戒める教えは第四章に出ていて、鋭過ぎる刃は折れやすいとしている。またこれは次の「和光同塵」の教えとも共通している。明る過ぎる光もよ...

宋常星『太上道徳経講義』(56ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(56ー4) 穴を塞ぐには、門を閉じるべきである。 もし、修行の功というものを本当に知ろうとするのであれば、それは厳密なものとなろう。処世の道においても世俗と妥協することなく、余計なことを喋ることもない。これが「穴を塞ぐ」ということである。余計なことを言わないで無為で居る。これが「門を閉じる」である。口はいうならば人体の門である。そこから言語が発せられる。そうなれば必ず心や意識(神)が動くものである。もし口を閉じて余計なことを言うことがなければ、余計な言葉が発せられることはない。人体の門である口から言葉は発っせられるわけであるが、大いなる道を深く知る聖人はそうしたことについて慎重である。そうでなければ余計な言葉が発っせられるのを止めることはできない。それを「穴を塞ぐ」としている。人の六根の眼根は見る働きがある。耳根は聴く働きがある。鼻根は息の出入りが行われる。舌根では味わいを感じる。身根からは動きが起こされる。意根は意識をする働きがある。この六門が、適度に閉じられることがなければ、そこから余計なものが入ってくることになる。そうなると六根が汚される。こうした状態で六根からもたらされた情報で意識が形成されると、心の状態は清浄であることはあり得ない。心の本質である「性」と心が分離して、適切に物事を知ることはできなくなる。そうではなく正しい認識を通して大いなる道に入っているのが聖人なのである。そこでは心と性が一体となっていて、妄想が生まれることもない。そうでなければ、あるらゆることを正しく認識することはできなくなってしまう。外的な事柄を正しく判断することができなくなってしまうのである。心が清らかで、性が静を得ていれば、常に門は閉じられている。これは修行をする上で重要なことである。そうしたことを「門を閉じる」としている。修行をする人が、もし本当に六門を閉じることがなければ、神や気を適切に整えることはできない。眼が見ることに過度に執着することがなければ魂は自然に肝に静まるであろう。身体が余計な動きすることがなければ、その意識は自然に脾に鎮まるであろう。意識がもしむやみに働くことがなければ意識は自然に統一されるであろう。そうなれば気も整えられる。そうなれば元精は化して元気になる。元気は化して元神となる。そして元神は混沌へと回帰する。これが三花聚...

宋常星『太上道徳経講義』(56ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(56ー3) 余計なことを語ろうとする者は、本当のところを分かってはいない。 世間で道を語る人の多くは、本当は道を悟っていない人である。そうであるから多く語ろうとする。そして語れば語る程、道の本質が見えなくなってしまう。それは道が形がなく、例えることもできないものであるからである。そうであるから言語をして道を形容しようとしても、決してその本質を言うことはできない。それをあえて語れば間違ったところにそれてしまう。または枝道に入ってしまう。それは真の意味で道が分かっていないからである。そうであるから「余計なことを語ろうとする者は、本当のところを分かってはいない」とされている。 〈奥義伝開〉物事の本質は簡単であり、分かりやすいものであるとされる。儒教でも「簡易」が本質をいう場合に用いられる。それは水が上から下に流れるのと同じで多くの人の経験則と一致するように感じられるからである。ただ何が「余計なこと」であるのかの判断は難しい。ここで述べられているのは「自分が疑問に思ったことは疑って良い」である。権威や専門性をして説かれていることでも「疑問」があれば、それを疑うことはけっして誤りではない。それは後に権威とされた考え方が否定されることは多くあったことをしても明らかであろう。「素朴な疑問」の重要性を老子は説いている。

道徳武芸研究 八極拳雑感「把子拳」と癩伝説(4)

  道徳武芸研究 八極拳雑感「把子拳」と癩伝説(4) 現在、伝えられている八極拳の套路を見る限りでは大八極が主として「掌」を使っていることからすれば、これは癩の伝えた「把子拳」につらなるものと考えられる。一方で老八極とされる小八極は拳や肘による攻撃が顕著である。おそらく癩は一般的な拳術の技術展開をしている小八極を改良して「把子拳」を使える大八極としたのではなかろうか。そして「把子拳」がどれくらい重視されていたかは小八極が「死八極」とされ大八極が「活八極」と称されることでも分かろう。また「八極拳」とのみいう場合には「大八極」を指すようである。八極拳では基本的な拳術の身法を小八極で習得して、八極拳独特の「把子拳」で実戦を学ぶものと思われる。八極拳であえて「癩」が伝えたとする必ずしも名誉とならない「伝説」を持つのは、そこに「把子拳」の秘密があるからに他ならない。