宋常星『太上道徳経講義』(57ー4)
宋常星『太上道徳経講義』(57ー4)
「無事」をして天下を取る。
「正」をして国を治める。「奇」をして兵を用いる。これらは有為をして行われるべきことはでない。そうであるから有為をして天下を取ることなどできるはずもないのである。無欲、無為であり、道のままに、徳のままに行動をする。それは法律を用いて行うというのではなく、利益をして誘導しようとすものでもない。「聖人」の教化が天下に及べば、自ずから天下は「聖人」に服することになる。「聖人」の徳が天下に明らかになれば、天下は自ずから「聖人」に従うようになろう。天下はそれを取ろうと思わなければ、自ずからその人の手に落ちて来る。それを取ることができるわけである。そうであるから「『無事』をして天下を取る」とあるのであり、天下は無為であってこそ取ることができるのである。道の修行者は無為をして天の徳を養う。そうしたことの上で、あらゆることが実践されなければならない。
〈奥義伝開〉「無事」は後の聖人の言においては「無為=無事=好静=無欲=無情」として説明されている。ここで注意したいのは「取」であって、これは天下の統治権を得ることではない。「取」には「一体となる」という意もあるので、ここでは「天下」と一体となる、つまり「道」と一体となることであると理解されるべきである。「天下」とは今でいう「社会(共通した風俗習慣を持つ人たちの住む地域)」のことであり、「国」は「国家(政治体制)」のことである。古代の中国では黄河や長江のあたりで多くの「国」が生まれた。これらにおいては「社会」生活を等しくする地域が国家として分断されることも往々にしてあったのである。現在でもヨーロッパなどでは「社会」と「国家」の矛盾が対立を生んでいる。老子はこうした枠組みを「無事=無為」であることで超越せよと教えている。つまり「国家」などに過度にこだわる必要はないということである。