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外伝10孫禄堂の「道芸」研究(46)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(46) 抱着皮球(弯弓射虎学) 「皮球を抱く」は両掌を前に構えた時に、下にやや押すような形となる。この時に皮の球を押すようなニュアンスを持つわけである。皮球は孫禄堂が太極拳に例えたものであることは先にも触れた。これはこの掌の構えが揺らぎを含むものであるということでどのようにでも変化をすることを「皮球」は示しているわけである。また弯弓射虎では両掌の間を見るとされている。これも左右に自在に変化をするためである。また足も伸ばさず、曲げずでなければならないとある。これは次の双撞の拳訣とも共通している。ともに変化のための拳訣である。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(45)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(45) 響発連声(転角擺蓮学) 転身をして擺脚をする時に左手、右手を打つのであるが、その時に音を連続して発するようにすることに注意を促している。孫禄堂は十字擺蓮では必ずしも手を打つ必要はないとしているが、ここでは手を打つことを求めている。この違いは転角擺蓮が身法による蹴りであるのに対して、十字擺蓮が歩法の変化によるものであるところにある。ために現在、多くの孫家ばかりでなく楊家でも十字擺蓮はトウ脚で行われている。ただトウ脚では変化が少なくなるので好ましくはない。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(44)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(44) 如按気球(下歩跨虎学) 孫家では両手で上から抑える形となる。これは上歩七星を「合」として退歩跨虎を「開」とする楊家などとは大きく違っている(孫家では「開」の動きではない)。「気球を按(お)すが如く」とは気は沈めつつも上へと向かう勢が足を上げることで生じることになる。この勢は片足をあげることで明らかにされている。ここで押す気球は大気球であるとされ、ために「鼓起」の勢が得られるとする。太極拳には「神は内斂、気は鼓騰」の拳訣がある。心は鎮まり、気は活性化するということである。そうであるから「如按気球」の拳訣は太極拳のすべてに通じるものであり、これにより「神は内斂、気は鼓騰」が得られることになる。孫家の「如按気球」は蹴りへの変化を行うための拳訣である。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(43)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(43) 収進懐裏(上歩七星学) 「収進懐裏(収と進は懐の裏〈うち〉)」は、十字に合わせた手の動きの拳訣で、「収」と「進」は一見して相反するようであるが、これらの勢はすべて懐の内にあると教えている。これを細かに言うなら「収」は手の動きで、「進」は体の勢となる。楊家では上歩七星と次の退歩跨虎は一連の技であるとされ、両手は前に推して、腰を引くことで次の動きの下がる勢を生じさせる。相反する勢が上歩七星に含まれていることには変わりはないが、孫家では次の下歩跨虎と特別な関係にあるという構成にはなっていない。上歩七星学だけで両腕で丸い勁の勢を作ろうとする。この拳訣は五行拳にも当てはまる。十二形拳では馬形拳や虎形拳などにも共通している。「収」とは相手の勢を吸い取るような感じで「合気」の働きとしても良い。五行拳は通常の拳術のようにただ突くのではなく、触れた腕で相手の勢を受けて吸収して、前に進む勢(跟歩)によって攻撃の勢を得るのである。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(42)

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(42) 一鳥在樹上(進歩指トウ捶学) 孫家の進歩指トウ捶は歩みを進めて最後に下段に突きを入れる。この時、樹の上の鳥のようであれというのである(一鶏、樹上に在り)が、それは樹上で下方に飛び去る獲物を見ている形であるとの説明がある。このイメージはまさに宮本武蔵の描く「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)」と同じであるとすることができるであろう。つまり獲物を捉えようとしてまさに飛ばんとする、その「未発」の機をここでは学べと教えているわけである。この技は決して歩みの勢を拳に使おうとするものではない。また直線に歩まなければならないこともない。下段を打たなければならないこともない。自然な歩みの中にあらゆる動きの変化を含む「未発」の機のあることを知らなければならない。  

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(41)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(41) 横着分開(十字擺蓮学) 現在、多くの孫家の演武では擺脚ではなくトウ脚を用いている。これは楊家でも同様で、新架(澄甫架)では十字トウ脚と称していることもある。それは前に出る勢のあるトウ脚の方が次の技につなげやすいからであり、また擺脚がやや難しい動きであることも関係していよう。十字擺蓮では「横着分開」が拳訣として挙げられているが、これは漢文調で読めば「横に分開を着(ほどこ)す」となる。また中国語では「横に分開する」と読むことができる。楊家では転身をする勢を使って腿法を用いるが、孫家では十字に重ねた両掌を一気に左右に開く勢を用いる。これは「合」から「開」の身法であり、また「縮」から「伸」への展開でもある。このように手(梢節)が全身の動きを導くのは形意拳の特徴といえよう。太極拳では「脚」が勢の基本となるので転身をする勢を利用するわけである。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(40)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(40) 用意縮勁(更鶏独立学) ここでは「用意(意を用いる)」が述べられており、そこでは下に向かう勢である「縮勁」と上へと向かう勢の「頂勁」が同時に行うよう求められている。縮勁は肩に、頂勁は心において用いられる。肩に縮勁を用いるということは股にも縮勁を用いるということであり、これは伸びようとする動作とは反対となるので、その拮抗するところに蓄勁がなされることとなる。更鶏独立は片手、片足を挙げる形であるが、これには手、足での攻撃が内包されている。ただ漫然と手足を挙げていたのでは更鶏独立の意味がなくなる。動きにおいては「縮勁」であるが心は「頂勁」を持っていて何時でも力を発することができる状態となっている。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(39)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(39) 不要着力(雲手下勢学) 孫家では下勢を雲手の変形としている。これは呉家にも見られるもので、呉家では雲手を二度行って三度目は一旦、雲手の構えをとるものの直ぐに単鞭へと変化をする。一見すれば雲手は二度しか行っていないようであるが、これを三度と数える。呉家では「雲手三回、単鞭、下勢」と拳譜ではなっているが、実質的には雲手の三回目は雲手ではなく単鞭となってしまうことに疑問を抱く人も少なくない。ちなみに楊家では雲手を三回行って単鞭、下勢とする。呉家ではこうした楊家の影響を受けているので拳譜の上では「雲手三回、単鞭、下勢」としているものの初めに楊露禅から教えられた「用法架」が雲手下勢であったために後に班侯から得た拳譜との齟齬が生まれることとなったと思われる。つまりもともと呉家の雲手の三回目は雲手下勢であったのであるが、露禅の息子の班侯から本来の太極拳を教えられ、それが雲手、単鞭、下勢と分かれていることを知ってそれを改めて取り入れたために雲手の三回目が途中で終わるように形になったと思われるのである。不要着力(力を着〈ほどこ〉すを要せず)は無闇に力を入れないということで、雲手の動きの勢によって身を沈めるようにすることを教えている。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(38)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(38) 一気串成(玉女穿梭学) 孫家の玉女穿梭は三通背などと同じ上段の構えをして前に進むことを繰り返す。孫家の特徴としては「前推去之(前に推しこれ去〈い〉く)が『太極拳学』に記されている。この後ろ足を寄せる歩法は形意拳の跟歩と称されるもので、跟歩には明勁、暗勁、化勁の三つの変化がある。明勁は定歩とされ、後ろ足を寄せないので一般的には跟歩とはいわないが、後ろ足を寄せようとして未だ寄せていないという未発の状態にあることを忘れてはならない。暗勁の跟歩がよく知られているもので、後ろ足を寄せた時に床を踏む音が出る。化勁は後ろ足を更に寄せて音を発しない。これらは明、暗、化の純で変化の多様性が増すことになる。一方で力の集中は明が最も容易である。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(37)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(37) 円圏相套(野馬分ソウ学) 孫家の野馬分ソウ(髪の下が友ではなく宗の時。馬のたて髪の意)は両掌を丸く回す形となる。この時の両手の動きが円を二つ連ねたような形となるので『太極拳学』には◯が部分的に重なる図が示されている。「相套」は「相い套(かさ)ねる」で円が重なることを意味している。動きとしては雲手とほぼ同じであるが、雲手は横への勢いのみであるがので円が重ならない。一方、野馬分ソウでは右左、それに前後の動きが入るために円が重なりを持つことになる。あえていうなら孫禄堂は太極拳を「小円圏としての合手」と「大円圏としての雲手」で構成されており、その変化としていろいろな手形が派生していると考えることができる。また、これが滾勁の表現であることはいうまでもあるまい。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(36)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(36) 輪一円圏(披身伏虎学) 孫家では「円圏」の動きを両手の拳をして行うがこれは畳捶と称される用い方で比較的古い少林拳に見ることができる。太極拳で両掌で推すのもその名残りといえよう。孫家の「畳捶」は八卦拳の羅漢拳と非常に似ている。孫禄堂は八卦掌の程廷華から何らかの羅漢拳の情報を得ていたのかもしれない。かつては両手に手斧のようなものを持って戦っていたらしいその名残とも思われる。詠春拳の八斬刀なども、形としては洗練したものとなっているが、その動きはあたかも中華包丁を振り回しているような感じを受けるもので「畳捶」の古い形をうかがわせるのに十分である。翻身二起の小さな「円圏」が、ここでは大きな「円圏」として展開される。こうして勢が連環して「円圏」を通して伝えられるのであるが、「一小円圏」の「一」も、そうであるが「一円圏を輪(まわ)す」の「一」は共に「おおいなる」であるとか「根源」という意味で、これにはいろいろな大きさの「円圏」への展開が内包されている。ただ「小」だけに限定されるものではないことに留意しなければならない。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(35)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(35) 一小円圏(翻身二起学) 翻身二起では手の「円圏」の動きを身法へと反映させて、それを腿法へ伝える。腿法の動きは身法に及んで腕の動きとなる。本来こうした動きの連環性は他の太極拳にはないものである。二起(脚)といえば飛びながら左、右と蹴る二段蹴りのイメージが強いが、二起(脚)は連続して二度蹴るもので必ずしも飛び蹴りをする必要はない。八卦拳では体を斜めにして二度蹴るが、これには回し蹴りの勢も含まれている(実歩拳)。劉雲樵はこの蹴りが気に入ったのか大八極に取り入れた。劉の八極拳を受け継ぐ弟子の中にはこの蹴り方をする人も居る。楊家では左、右と連続して蹴る。一小円圏は勢を連続して伝えるための方法であり、太極拳には乱環訣なる拳訣もある。「乱」は「つなぐ」の意で環をつなぐのであるが、ここで具体的に用いられるのが「一小円圏」となる(以下「円圏」についての説明が続くので参考にして頂きたい)。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(34)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(34) 均要一気(践歩打捶学) 孫家の践歩打捶学は進歩搬ラン捶の入り方と同じで「捶」の部分が異なるだけである(搬ラン捶は中段の突き、打捶は下段の突き)。武家ではこのあたりはひじょうに激しい動きをする。これは陳家の動きとも違っている。楊露禅の「用法架」の特徴を残していると見ることができるのかもしれない。それはともかく転身テキ脚から打捶まで一気に行う「勢」は楊家でも変わりはない。孫禄堂は特にここで「均」ということを重視するように注意を促している。武家のような派手な動作では「均」がおおきく崩れてしまう。また「均」は太極拳のすべてに通じる拳訣でもある。「均」であるから「綿綿不断」が保たれるのであって、それが崩れると容易に「剛」へと転じてしまう。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(33)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(33) 気要下沈(右左起脚学、転身テキ脚学) 孫家の場合は両掌を開くのと同時に足を上げる。これは楊家や呉家が初めに手を開いてから蹴るのと大きく違っている。この間合いは手を「開」とする勢に乗じて、足も「開」となる形といえよう。これに対して楊家などでは先に手を開くことで、体に溜めを作って、それを開放することで足を上げる。ただどちらにおいてもこの時に気が浮いてはならない。一方、少林拳でも同様の蹴りは多用されるが、これはむしろ気を上げることで蹴りを放つ。気を沈めるのは転身をして蹴りを放つ転身テキ脚でも同様であるとされる。こうした少林拳と太極拳の違いが、ひじょうに明確になるのが転身テキ脚を大きくした飛んで回し蹴りを放つ旋風脚であろう。これは少林拳では体を伸び上げるようにして気を上げて蹴る。一方で八卦拳などではむしろ体を沈めるようにする。中国武術には同じような動きでも内的な心身の操作がまったく反対となるものもあるので注意を要する。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(32)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(32) 抱一大圏(高探馬学) 孫家では両掌を合わせて上下、左右と回転させる。この両掌で作られる円を「一大圏」とする。こうした合手は孫家では多様されるし特徴的ということができるであろうが、動きの勢からすれば形意拳十二形拳のダ形拳とほぼ同じで、両手で気のボールを抱えている感じとなる。孫禄堂は太極拳を皮のボール、形意拳を鉄のボール、八卦拳を鉄糸のボールと形容した。「皮のボール」とは柔らかで弾力に満ちており、押しても中心を捉えることが難しい。まさに太極拳はそうしたものである。一方で形意拳は五行拳では体の中心軸を安定させて、相手の攻撃力を跳ね返す(もちろん技法を用いるのであって、まともに跳ね返すのではない)ので鉄球のようであるが、十二形拳ではダ形拳のように太極拳に近い動きをするものも含まれている。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(31)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(31) 重心至善(雲手学) 孫家の雲手は両手で円を描くもので「環圏」が循環して止まない形となる。ここで重要なのは重心の移動であることはいうまでもあるまい。楊家の雲手の勢は後へ向かうが、孫家では「横」になる。また鄭曼青の簡易式も「横」の動きをベースとする。ただ太極拳には「横」の歩法は存していない。太極拳の五歩は前、後、右転、左転と中定であって、「横」への動きはない。また太極拳の套路には中定は最初と最後にとるでけである。そうしたこともあって孫家や簡易式では雲手で「中定」をとることとした。これは孫家の単鞭でも同様で、現在では多くの人が左足に体重を移動した形が完成形であるとしているが、実際は馬歩(中定)となった時が単鞭の完成形なのであり、そして体重が左へと移動する。馬歩になるもののそれに留まることなく体重を移す。これが重心至善とされることである。また雲手では特に神と気が丹田に集注することが重視されていることは雲手と同じといえよう。呉家も単鞭では馬歩を取り入れいている。雲手は外形は「揺動」するものの腹内は「鬆空」でなければならない。腹内を「鬆空」とするには腰が浮いてはならない。腰が浮くと重心がぶれてしまう。「至善」の状態でなくなるわけである。「至善」は老子がよく使う言葉でこれは「無為」であるとか「自然」であるということでもある。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(30)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(30) 節節相串(三通背学5) 腰に置いた両拳を前方から一回転させて再び腰にとる。この時、前に進むために左右の足は逆になる。これも蓄勁の体勢である。前に出る歩法、回転する腕の動き、そうしたものが間断なく協調していなけれならず、それを「節節相串」とする。ちなみに「節」とは梢節、中節、根節のことで、それぞれ手、腕、体幹をいう。これらが協調して動いていなければならないのである。こうした全身の「部分=節」が協調した動きにはゆっくりであっても勢が生まれる。ためにこの動作を「一気串成」ともいう。太極拳が実戦に使えるようになるか否かの分かれ目はここにある。「節節相串」でいうならば合理的な心身の使い方をゆっくりと習得するわけである。どのようなスポーツでも始めはゆっくりと動いて「正確な動き」を学ぶが、太極拳ではその求められる正確さが限りなく高度であるために常にゆっくりと動く練習をしている。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(29)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(29) 縮回丹田(三通背学4) 上段に構えた両掌を下りながら拳にして腰のところにもって来る。この時に「縮回丹田」となる。孫禄堂はすべての勁は「意を用いるのであり、拙力を用いてはならない」と教えている。この動きは形意拳の劈拳の蓄勁の動作と似ている。両拳を合わせるようにしての蓄勁は呉家にも見ることができる。この呼吸は「合気」そのもので引くというより合わせる感覚を持たねばならない。ために両拳を合わせているわけである。この感覚を得るには肘と拳、肩の位置関係に留意しなければならない。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(28)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(28) 両相互感(三通背学3) 次は転身をして左構えから右構えに入れ替えるだけであるが、この時に両手の勁は前に伸びるも、肩は伸び切らず(回縮)、腰は少しく沈むような感じとなる。いうならば単純な左右を入れ替えるだけの動作であるが、ここには転身の妙が含まれている。また合気道でいうならば入身転換であり、動きとしては四方投げに近く、ここに示された拳訣は入身転換を行うための奥義でもある。およそ四方投げは実戦技法としては無理の多いものであるが、合気道でよく練習されているのは、これが入身転換の基礎を養うに最も優れた動きであるからに他ならない。四方投げを奥義として練習するためには、ここに記したような手、肩、腰の拳訣をよく知っておく必必要がある。こうした拳訣を守ることで転身をしていても全身の内外の勁と神気が「収斂」して乱れることがない。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(27)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(27) 分明清楚(三通背学2) 腰を折った状態から両手を上段に取る。この時「内外開合」が「分明」でなければならず、「虚実動静」は「清楚」でなければならないと教える。つまり一気に下から上へと体勢を変えるので全身の協調が乱れてはならないということである。一毫の混淆もあってはならないことが強く求められている。太極拳では「虚実分明」がよく知られた拳訣であるが。ここでの「虚実」には、先に触れたような「内外」「開合」「動静」が含められている。そうした中で重要なことは神気が錯乱しないことであるとする。またこれらは通背功の奥義でもある。通背功では「胸が開いて背(肩甲骨)が閉じる」あるいは「胸が閉じて背が開く」などと開合が明らかでなければならない。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(26)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(26) 虚空鬆開(三通背学1) 三通背は『太極拳学』には特に詳しく記してあり五枚の写真が載せられている。それは、 1、体を折った形 2、両手を掲げた形 3、両手を掲げた形(2の反対) 4、腰に拳をとった形 5、腰に拳をとった形(4の反対) この「三通背1」では1の体を折った形の拳訣について触れることとする。孫禄堂は体を深く折り曲げる動作について「体は折り曲げる形をとるが、腹内は虚空鬆開となっていると意識されなければならない」としている。簡単にいえば腰が浮いた状態となってはならないということである。ここでの勢は体にねじりが入ることで形意十二形拳の蛇形拳にきわめて近いものとなっており、これは一種の蓄勁の動きでもある。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(25)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(25) 全注丹田(倒輦猴学)下 ちなみに台湾で孫家の八卦掌がまとめて紹介されたのは秦浩人の『中国仙道房中術』であった。同書の内容は取るに足りない妄説ばかりであるが、台湾で「仙道」に近いところで孫家の拳が伝えられていたことは事実でもある。秦はこうした「仙道」のルートからの何らかの情報を得ていたと思われるが、書かれていることから推察すると実際に八卦掌はやっていないようである。一貫道の幹部であったとされる王樹金も「仙道」には関心があったようであるから何らかの孫派の情報を得ていたと考えれなくもない。また王樹金が陳ハン嶺に師事していた頃は雷嘯天など「仙道」を深く修する人たちが集っていたということも考慮して良いのかもしれない。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(24)

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(24) 全注丹田(倒輦猴学)中 孫家の倒輦猴の形は王樹金の形意拳の構えと似ている。通常、形意拳の半身の構えにおいて下の掌は斜めにするが、王樹金は真横に近いところに置いている。これは倒輦猴の形と極めて似ている。ちなみに孫禄堂は形意拳においては一般的な構えである掌を斜めにしたものを取っている。晩年、王樹金は八卦掌の套路を多く考案したが、王の形意拳の構えが孫家の倒輦猴と似ているのは、それが「滾」勁をベースとしていることを示すものと考えることが可能ではなかろうか。 倒輦猴=滾勁=八卦掌=王樹金 という図式が考えられるのではないかと思われるのである。滾勁は形意拳において八卦掌を取り入れることで大いに研究されたことはここでも縷々述べて来た。王は「四連拳」という双辺太極拳に似たものを双辺を学ぶ前に習得していたとされるが、あるいはこれは孫家太極拳(かその一部)であったのかもしれない。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(23)

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(23) 全注丹田(倒輦猴学)上 孫家の倒輦猴は斜め後方にロウ膝ヨウ歩を繰り替えすもので、これには「一気串成」の拳訣がある。この形は楊露禅の伝えた套路にあったものと思われ、武家や呉家でも等しくロウ膝ヨウ歩の形を見ることができる。なぜ倒輦猴で「全注丹田」となるのか。それは「滾」勁が養われるからと孫禄堂はしている。つまり孫家の倒輦猴の動きは「円球」に等しいものであり、「一周圏」を練るものとする。つまり途切れることのない「円」の動きを練ることで周天が生じて全身の気が下丹田に鎮まることになるわけである。また孫禄堂はこうした状態は静が極まる点においては坐功(静坐)と同じであるとしている。つまり滾勁は丹田に気が鎮まることで自然の周天が生ずることで養われるものなのである。  

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(22)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(22) 伸縮一気(肘下看捶学) 孫家では腕は伸ばしたままにして、足を後ろに回縮させる。腕の「伸」と足の「縮」を同時に行うところに伸縮一気の妙がある。ただ楊家でも、呉家でも、肘底(下)看捶は前への「勢」となる。それが大圏から小圏へと変化をする。太極拳では「伸」と「縮」を同時に行うことはないが、双辺ではこれを明確に行い形意拳の讃拳を下がる「勢」をもって行う。こうした意味において孫家のひじょうに特色にある肘下看捶を双辺太極拳は受け継いでいるとすることができるであろう。孫禄堂はこの勁を「虚霊の情」において行われるものとしている。これは太極拳の拳訣である「捨己従人」と同じで、「虚」は「捨己」で相手の動静に合わせること、「霊」は「従人」で相手をコントロールしながら動くことをいう。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(21)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(21) 鬆開勁(抱虎推山学) 鬆開勁は腰の勁であるとする。またトウ住勁(トウは榻の木偏ではなく土偏の字。沈めるの意がある)とも称される。腰によけいな力を入れないで寛やかにして沈めるということである。ここで重要なことは全身の協調である。周身内外の気と勁がひとつになって動いていなければならない。楊家ではこの両掌で推す動作は如封似閉へ含めている。ラン雀尾の按も同様であるが、楊家では両掌で推す動作は按や如封似閉に付随するもので必ずしも推すことを重視することはない(按は下に抑える動き)。鬆開勁を用いるのは、形は止まるものの「意」は止まることのないことを実現させることで、そのためには腰に溜めを作らなければならない。この溜めは腰が沈むような感覚を得ることで習得できる。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(20)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(20) 一気撤回(如封似閉学) 如封似閉は左右に掌を開くのと同時に一歩下がるが、楊家などでは歩法を用いることはない。その意味で孫家は手と歩の協調が難しいために、ここで一気撤回の拳訣を示しているのであろう。この技は両手の間隔、下がる幅などが完全に一致していないと完成しない。こうした動きの間合いについて孫禄堂は船に立っていて、顔は西を向いているが、船は東に動いている感じであるとする。つまり「意=顔」と「動作=船」とが逆になっているということである。逆であるが協調して動いていなければならない。意も動作も共に前に出れば逆手のようにあいてを封じることができるであろう。また共に下がれば相手の攻撃を断つことができる(閉)であろうが、封じるでもなく、断つでもなく、また封じ断っているというところに太極拳の妙であり醍醐味があるといえる(これには返し技をさせないという意図もある)。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(19)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(19) 身式中正、意気和平(進歩ハンラン捶学)下 中段突き(太極拳ではハンラン捶、形意拳では崩拳)の交差法について形意拳では「傍若無人」の拳訣がある。これは相手を意識しないということで自らは「こう打とう」とか「こう受けよう」と思わないでただ「意気和平」であり続けるのである。また「身式中正」で、こちらから意図をもって相手の動きに対することはない。こうした心身の状態のベースになるものとして孫禄堂は「精神貫注」の拳訣をあげている。これは肉体(精)と意識(神)が一貫して乱れることがないということで、どのような攻防においてもこうした心身の状態が保たれるようにしなければならない。そのためには力を込めて意図的な突きをする「硬垂勁」をけっして用いてはならない。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(18)

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(18) 身式中正、意気和平(進歩ハンラン捶学)上 ここでは特に捶法(突き)の動きによって拳訣を教えている。ハンラン捶の突きはただ拳を出すだけで、腕の力を込めて拳を突き出すようなことはしない。これは形意拳も同様である。ただ往々にして形意拳では突き出すように打つ人も居るが、これでは歩法と一体となった形意拳の突きの特徴が得られない。孫家では形意拳の跟歩をそのまま取り入れている。半歩崩拳が天下に無敵として有名となったのは、ここにあるような化勁による突きが見い出されたからに他ならない。化勁による突きとは相手の攻撃の力を流しながら(化)、こちらの突きを入れるもので一種の交差法といえる。  

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(17)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(17) 神気穏住(手揮琵琶学) 「神気穏住」とは神(意識)と気(動作)が一定の安定を得ている状態をいう。穏やかに安定しているといっても、その中には動きが暗蔵(外には現れていないが、内には確実に存している)されている。これを孫禄堂は「周身軽霊」としている。全身軽やかに動き得る状態に手揮琵琶はあるのである。孫家はつま先を付ける形となり蓄勁の色彩が強いが、楊家では踵を付けて、体の勢いとしては下がりながら、前に出ようとする勢いを歩法に含ませている。動こうとする勢いを内に秘めて見せず、すぐに動ける状態にあるためには「不偏不委倚」でなければならない。これは真っ直ぐに立っているということである。また孫禄堂は「懸空」の語をして「不偏不倚」を例えているが、太極拳では同じことを「頂頭懸」とする。これは頭の頂きを糸で吊られているような感じとされる。つまり「頂頭懸」であれ「周身軽霊」であり、それは「神気穏住」の状態になって初めて得られるものなのである。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(16)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(16) 周身無虧(ロウ膝ヨウ歩学) 周身無虧とは全身において欠けることがない、ということである。これは「円満」を用いることにおいて果たされる。いわゆる「円」の動きを連続させることで断絶の無い動きを行うわけである。「円満」については「円満虚空」の教えも『太極拳学』には記されている。そして「虚空」は「腹内鬆開」のことであるとする。つまり気が下丹田に鎮まることで、自ずから途切れる(虧)ことの無い「円」の動きが得られるわけである。つまり「円」の動きが欠けるのは、動きに「勢」がないためである。「勢」の余韻があることで「円」の動きが連続して行えるようになるのである。