外伝10孫禄堂の「道芸」研究(39)
外伝10孫禄堂の「道芸」研究(39)
不要着力(雲手下勢学)
孫家では下勢を雲手の変形としている。これは呉家にも見られるもので、呉家では雲手を二度行って三度目は一旦、雲手の構えをとるものの直ぐに単鞭へと変化をする。一見すれば雲手は二度しか行っていないようであるが、これを三度と数える。呉家では「雲手三回、単鞭、下勢」と拳譜ではなっているが、実質的には雲手の三回目は雲手ではなく単鞭となってしまうことに疑問を抱く人も少なくない。ちなみに楊家では雲手を三回行って単鞭、下勢とする。呉家ではこうした楊家の影響を受けているので拳譜の上では「雲手三回、単鞭、下勢」としているものの初めに楊露禅から教えられた「用法架」が雲手下勢であったために後に班侯から得た拳譜との齟齬が生まれることとなったと思われる。つまりもともと呉家の雲手の三回目は雲手下勢であったのであるが、露禅の息子の班侯から本来の太極拳を教えられ、それが雲手、単鞭、下勢と分かれていることを知ってそれを改めて取り入れたために雲手の三回目が途中で終わるように形になったと思われるのである。不要着力(力を着〈ほどこ〉すを要せず)は無闇に力を入れないということで、雲手の動きの勢によって身を沈めるようにすることを教えている。