投稿

4月, 2023の投稿を表示しています

道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(4)

  道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(4) 「速さ」と「威力」のバランスを考えた「母拳」に対して、砲捶はあえてバランスを欠いた動きとなる。より「速さ」を重視してより短い距離から攻撃をする(寸勁)ものや「威力」を重視してより長い距離から攻撃をするもの(踏み込んで、その勢いを利用する)などがそこに含まれることになる。こうして攻撃の起点から終点まで間における「変化」を習得する。つまり起点から終点までの「線」をより長くしたり、短くしたり、あるいは曲げてみたりして予想外の動きをしようとするのが砲捶なのである。しかし太極拳では動きを「点」の集合と考える。熟練する程その「点」の間隔は狭くなり、その関係性は密接となる。そうなると一見して拳を突き出す「線」の動きと見えるものも、実際には「点」の連続が「線」の軌跡を作っているに過ぎないことになる。つまり太極拳においては「起点」と「終点」の区別はなく、すべてが起点であり終点である「点」の連続となっている。こうなると太極拳における実戦性とは起点から終点までをどのように扱うかにあるのではなく、「点」をどのようにコントロールするかにあることになる。相手に接触した、その一「点」の力をいかにコントロールするかが第一の課題となるわけである。そうであるからその力は寸勁といった3センチの距離からさらに短い分勁(3ミリ)、そして冷勁、接勁などの完全に密着した状態での力の使い方と深められることになる。これはまた粘勁などと称することもある。

道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(3)

  道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(3) およそ武術の動きを構成するのは「速さ」と「威力」である。速く相手に攻撃が達して、その力が大きい程、有効な攻撃ということになる。ただ一定の威力を得ようとするならば、ある程度(数十センチくらい)の距離は必要となる。そうした中で速さを得ようとするならば距離を短くするより他にない。しかし距離を短くしてしまえば威力はその分、減退してしまう。そうであるから如何にして「速さ」と「威力」のバランスを考えてシステムを構成するのか、が武術の套路を考える上での基本となる。「母拳」はそのバランスの比較的良いところ、平均的なところを取るので、大きく言えばどの門派、あるいはボクシングや空手などにおいても違いが少ない。よく試合になると門派の特色が出ない、とされるのはルールに最適化した動きになるからである。もし何らのルールも無い試合であれば門派の特色は出やすいが、こうした「真剣勝負」を練習として行うのは実質的には不可能である。

道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(2)

  道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(2) 以下に述べるように理論的にいって太極拳には砲捶は存在し得ないことをしても陳家太極拳の理論は太極拳そのものとは大きく異なっていることになる。陳長興の頃には砲捶と外から入ってきた太極拳があったが、陳一族以外には陳家の拳(砲捶)は教えないことになっていたので、拳を学びに来た楊露禅は太極拳しか学ぶことができなかった。それが有名になって陳三品は陳家の拳こそが太極拳の源流であるとして、陳家太極拳を称するのであるが、その演武を見れば動きの理論の違いは明白であり、「陳家は太極拳の源流」といった先入観がなければとても陳家と楊家が同じ理論の拳であるとは思えまい。また陳家では砲捶が行われていたということであれば、そこに何らかの「母拳」のあったことが想定される。おそらくそれは通臂拳的なものであったのであろう。他にも陳家溝では中国では広く練習されている洪拳なども入っていたとされるから、そうした拳を独自に工夫したのがエッセンスとしての砲捶であったと思われる。おそらく時代と共に砲捶以外のいくつかの拳は練習されなくなり、ただ砲捶だけが残った。結果として練習が難しくなったために陳長興が太極拳をヒントに基礎鍛錬の套路として一路を考案したのではなかろうか。

道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(1)

  道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(1) 一般的に中国武術は基本である「母拳」と応用である「砲捶」とで構成されている。またこれらは死套路、活套路などと称されることもある。ただ太極拳に砲捶の存在を見ることはできない。ちなみに陳家太極拳には砲捶があるが、陳家太極拳は理論的には太極拳そのものではなく、その基本は通臂拳にある。通臂拳の理論を陳一族が独自に変化発展させたのが陳家太極拳である。太極拳は何度か陳家溝に入っていたようであるが、陳長興の時には太極拳によって大きな変革が陳家の拳である「砲捶」にもたらされた。陳長興は陳家の砲捶の基本となる套路を考案したのである。これが一路で、陳家の砲捶は新しく太極拳の影響を受けて考案された一路と従来の砲捶である二路により構成されるようになる。その後に楊露禅が北京で太極拳を広めるようになると陳品三などが楊露禅の「太極拳の源流」を名乗って陳家の砲捶を太極拳と唱えるようになった。本来は陳一族の拳ではなかった太極拳であるが、それが北京を中心に広く知られるようになったことで、逆に自らの拳を太極拳と称するようになったのである。

宋常星『太上道徳経講義』(23ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(23ー4) こうしたことは天地に限るものではない。天地は永遠ではない。それは人においても同様であることは言うまでもない。 天地の道は自然そのものである。寒暖に誤りがなく、どのような時でも円滑に動いている。山河は静かに落ち着いており、万物は育っている。陰陽の二気は盛んで、化して万物となる。「一」なる気が周り、これが化して雨となる。強雨や長雨は天地によるものであるが、その働きが極めて甚だしくなれば、それをまったくの自然であるとすることはできない。そうしたことがどうして長続きしようか。そうであるから「こうしたことは天地に限るものではない。天地は永遠ではない。それは人においても同様であることは言うまでもない」とあるのである。 〈奥義伝開〉人は死ぬ。それが「自然」のことである。そうであるから殊更に死を重視することもない。また生まれるのも同様で、全く特別なことではない。鎌倉時代の明恵は生残、死後はただ一日が過ぎただけである、と言っている。生きている今日も亡くなった明日も、等しく一日が進んだだけというのである。人が死を悲しむのは永遠に生きることができないという現実を見せられるからであろうが、生死は自然のことなので、死は諦めをもって対するより他はなかろう。

宋常星『太上道徳経講義』(23ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(23ー3) つまり飄風(大風)は朝だけに吹くのではなく、驟雨(長雨)は一日で止むものではないのである。 「飄風」とは、恣(ほしいまま)に強く吹く風のことである。「驟雨」とは長雨が降り続くことである。陰陽が適切に得られていれば、自然の風雨となり、陰陽が適切でなければ、「飄風」「驟雨」となる。これらは自然の道ではないので、その勢いは長く続くこともない。一時のことに過ぎない。こうして天地の荒れ狂う気を排しているわけである。あらゆることは機が熟して起こり、終わりを迎える。不条理なことが止まないことはない。そうであるから「飄風は朝だけに吹くのではなく、驟雨は一日で止むものではない」とされている。こうしたことは「調和が失われている」とされ、そうであるからひじょうに荒れ狂っているのであり、それが「飄風」「驟雨」の暴風、暴雨となっているわけである。修行をする人はこうしたことを戒めとしなければならない。もしそれを知ることがなければ、いろいろと不都合が生じてくることであろう。右も左も分からず無闇に動き、間違ったことを正しいと考え、正しいことを認めることがない。すべてがそうなってしまう。そうであるから充分に注意しなければならない。 〈奥義伝開〉ここでも冒頭の「希言自然」を「希言は自然なり」としたのでは、「故」で始まるこの一節がうまく続かない。自然というものを説明しよう、と宣言しているから、その第一の例として暴風や長雨が挙げられるわけである。どのような現象でも必ず終わりが来るのが「自然」なのであり、それは後に「自然」の特徴として挙げられる「失」に通じるわけである。あらゆるものには終わりが来る。それを人為によって阻止しようとすれば無理、矛盾が生まれる。

宋常星『太上道徳経講義』(23ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(23ー2) 言葉で語られないのが「自然」である。 天地を言わなくても、天地に道は存している。聖人は多くを語ることがないが、聖人は道を実践している。これらは全て自然ということの特徴とすべきところであろう。「言葉で語られない」というのは世間一般の言い方では言葉にしないということであり、言語化に執着しないということである。つまり「自然」をあえて言葉で表現するというのでもないし、しないということでもない。時によって必要に応じて適宜、適切に語られるということである。そうであるからこれを「自然」といっている。自然とは強いて為されないことであり、作られたものではない。そうであるからそれで煩うこともないし、迷わされることもない。その意味は無窮で、そうであるから「言葉で語られない」とされている。現在の人を見ると、ある時には語ることを好んで言語化するのを良しとするし、ある時には言葉で語るのには限界があるとする。そしてやたらにいい加減なことを言って、白いものを黒いと言ってみたり、良いことを悪いことのように言ってみたり、言行が一致していなかったり、事象と理屈が一致していなかったりする。そうなれば国を滅ぼし家を失うことにもなってしまうであろう。身を害して命を失うことにもなろう。これらは全て困惑して不自然なことを言ってしまったからである。充分に注意しなければならない。 〈奥義伝開〉冒頭の「希言自然」を一般的には「希言は自然なり」とする。通常「希言」は聞こうとしても聞くことができなず、言おうとしても言うことのできない「言葉」であるとされている。それが「自然」であるというのであるが、それでは意味が全く分からない。この部分は「希(こいねがわ)くば自然を言わん」と読みたい。自然ということをここに述べてみよう、ということである。そしてそれは「道」であり「徳」であり「失」であることが後に示されている。老子の語ることはひじょうに論理的、合理的であり、曖昧な神秘的なものであるとの先入観をもって読むと全く価値を減じてしまう。

道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(4)

  道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(4) ブルー・スリーの截拳道も、門派の枠組みにこだわることなく、中国武術やボクシングやレスリング、合気道、柔道などの「有効な技」を積極的に取り入れている。これはブルース・リーの研究ノートともいうべき『截拳道への道』を見ればよく分かるし、映画の「ドラゴンへの道」では、従来の形を捨てることで有利に攻防を展開できるようになることが最後の格闘シーンで示されている。意拳はあたかも「技」を持たないように誤解されているが、例えば王向斉の「意拳拳譜と八法訓練の法則」という論文には意拳には九種の拳型があるとして「劈、讃、崩、砲、横、裹、踏掌、托掌、指掌」があげられている。そして、この中で「劈」から「横」は形意拳の五行拳と名称は同じであるが、形は違っており、「劈」なら卦形意拳の「劈」で示されてた力の使い方だけを受け継ぐものとして、その形にこだわることなく適切な動きが模索されるとしている。他には十二形拳も仿生拳として同様な理解で拳型があるとする。このように意拳ではまったく「技」を排してはおらず、従来の形を墨守しないというところに真義を有していることを知らなければ誤った道に入ってしまうことになる。

道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(3)

  道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(3) 中国武術においても、その発展を考えた場合に知の共有がなされなければならないと思われるようになった。武術において知の共有を可能なさしめるソフトの面では王向斉や孫禄堂がひとつの答えを出したし、ハードの面では中央国術館を筆頭とする国術館体制(各省にその分館を置く)が作られた。そこでは少林拳や太極拳などいろいろな武術が教えられていた。意拳はあらゆる武術の技は「意」の働きによる動きである、とするもので、こうした意識レベルにあっては一見して大きく異なる激しい動きも、柔らかな動きも、等しく「意」の働きとして還元することが可能となるわけである。また孫禄堂は「柔」という視点からあらゆる武術はひとつとなることができると考えた。結果として孫の伝えた太極拳も形意拳も八卦掌も似た動きになっている。ただ孫禄堂のように拳の形を変えてしまうのは、新たに一派を生み出すに等しい程の大変な作業に成ってしまうし、これでは新たに門派を作ったに過ぎないという問題点も指摘されている。それはともかく孫禄堂もあらゆる武術を排するのではなく、あらゆる武術を含んでの統合という視点は王向斉と等しくしていた。

道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(2)

  道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(2) 日本では意拳はただ渾元トウという立っているだけの練功法をやっていれば攻防の力を得ることができる拳法と考えられているが、本来はそうではない。事実、意拳にはいろいろな攻防の技がある。むしろ意拳というシステムは、それを練れば「あらゆる技を取り入れることができる」というものなのである。近代になって中国武術界では「門派の閉鎖性による弊害」が唱えられるようになった。そこには清朝の始まる頃には中国の方が発達していた諸科学が、二百年後あたりには全く西洋に追い抜かれたという現実があった。その原因となったのは知の共有の問題である。実際のところ清朝にあっても個々の科学はかなりの発展を見ていたのであるが、それが各分野で「秘伝」とされたために他の分野で活かされることが無かった。例えば数学の成果は工学に活かされることはなく、化学の成果も医学で応用されず、ただ知的な探究に留められたままであった。一方、西洋では「大学」なども設けられて広く知の共有が積極的になされた。こうしたことが急速な科学の発展を促した原因として中国で知られるようになったわけである。

道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(1)

  道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(1) かつて日本ではノストラダムスの大予言として1999年の7月にこの世の終わりが来ると信じられていたことがあった。それは一時は社会的な騒動にもなる程であった。これについては大々的に「予言」を紹介した五島勉の原典についての不理解の問題も指摘されているが、キリスト教ではミレニアムとして、ある千年の終わりにこの世は終末を迎えて千年王国の時代に入るとする考え方がある。そうであるから「何時から千年王国が始まるのか」について人々は少なからざる関心を持っている。千年王国に入れば地上天国が実現して、すばらしい生活が約束されていると考えるからである。そうであるからもし1999年の7月にこの世が終わるとしても、それは不安をもって迎えられるのではなく、おおいなる期待をもって待ち望まれるものであったわけである。このように同じ「この世の終わり」でも文化的背景が違えば、その受け取り方は全く異なったものになってしまう。これは意拳においても同様である。

宋常星『太上道徳経講義』(23ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(23ー1) 道が天地を生んでいるので、道は天地の本である。天地は万物を生んでいるので、天地はまた万物の本でもある。人は天地の間に存している。その身は天地によっている。性は太極により、万物とその徳を「一」にしている。つまり道と「一」なのである。そうであるから聖人は道と大いなる同化にあり、自分と道とを同一化している。それは人においても同様で、大いなる同化の徳は人も等しく有している。それはただ天に順じることであり、あらゆる存在に対して親疎を持つことはない。遠近もない。それが道というものである。道はあらゆるところに行われ、古今を通じて働いている。それは徳でもある。徳は過不足なく働き、思いもよらないところまで及んでいる。万民は道と「一」であり、天下に道はだた「一」つしかない。万民は徳と「一」であり。天下に徳はただ「一」つしかない。ここではこうした自然の妙を言わんとしている。それは民が好んで得ようとするものであることは間違いない。 この章では自然ということが重視されている。昔の聖人は自然の道を語って天下にそれが行われていることを信じていた。そうであるから天下の民は道を得ることができれば楽しいので道によってものを得ていた。また道によってものを失っても楽しいので失うことを厭うことはなかった。こうしたことは全て優れた聖人に見られたことであり、それは天下に道が行われていたことを信じるに足らしめることでもある。つまりこれらは自然によって得ることを楽しんでいるということであり、すべては自然に帰するということなのである。 〈奥義伝開〉ここでは「自然」とは何か、が説かれている。老子は「自然」とは「道(合理的思考)」であり、「徳(合理的思考の実践)」であり「失(社会からの離脱)」であるとする。その根底にあるのは「自由」である。老子は「樸」や「嬰児」のような生まれたままで手の掛かってない状態が生きる上で最もあるべき姿であると考えていた。そしてそれを阻害するのが社会であり集団であるとした。もし本当の自由を手にしたいならば社会や集団から離脱しなければならない。しかしたとえ山の中に籠もっても人は完全に社会から離脱することはできない。老子は基本的には内的な離脱をすれば、当面はそれで良いと考えていた。

宋常星『太上道徳経講義』(22ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(22ー5) 古く「不完全であることは完全である」と言われているのは、どうして嘘と言えようか。(これまで述べてきたことからすれば)誠に完全であるということになろう。 この章句は一章の総括である。初めには「不完全であることは完全である」とあり、これは古くから伝えられている聖なる語である。天下の人ではたしてこの意味を知る人が居るであろうか。天下、国家は完全であることを求めなくても完全である。君臣、父子にあっても完全であることを求めなくても完全である。それはそれぞれに「一」を抱いているからに他ならない。一般に「不完全」と見えることも、つまりは「完全」であるということである。天下の人は、「不完全」でなければ完全である、と思っているが、それはいまだ「至誠の理」を得ていないからである。もし、この「至誠の理」を「不完全」であるものに用いれば、天下の理でこの「至誠の理」に服さないものはないのであるから、「古く『不完全であることは完全である』と言われているのは、どうして嘘と言えようか。誠に完全であるということになろう」ということになる。人ははたしてよく自分は「不完全」であると思って他人に従うであろうか。その曲がっているのを受け入れることができるであろうか。窪みに陥ることを良しとするであろうか。自分で判断しなければ迷うことはないし、古いものは新しくはない。自分で見ることなく、決めつけることなく、行うことなく、維持しようとしなければ、そこには「不完全」であるものは損しない。こうした深い教えを得ることができるであろう。そしてそうなればどうして「一」を抱くことがないのを天下の方式となすようなことができようか。 〈奥義伝開〉太古の神話に出て来る女媧はコンパスと定規を持っている。これは文明の始まりを象徴するもので、人が合理的思考によって道具を生み出した事実を示している。こうした太古の知恵のひとつに「不完全であることは完全である」があったのであるが、その本当の意味は忘れらていた。これは「道」でも同様である。老子は第一章で「道」は「タオ」といったような不可思議なものではないことに警鐘を鳴らしている。

宋常星『太上道徳経講義』(22ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(22ー4) 自分で見ようとしないからよく明らかにできる(明)。自分で決めつけないので明確である(彰)。自分で行わないので功績となる(功)。自分で維持しようとしないので長持ちをする(長)。これらはただ争わないということである。そうであるから天下にあっても争いというものは存することができないわけである。 天下の人には、自分で見たり、決めつけたり、行ったり、維持しようとしたりする気持ちがあるので、「抱一の道」を得ることができないのである。切に思うのは自分で見るのは自分で見ることのできる範囲であって、他人の見ている範囲をまでも見ることはできない、ということである。つまり全てを見ることはできないのであるから、全てを明らかにすることもできないわけである。聖人は自分では見ようとはしない。あるがままを眺めるだけである。そのままで自分の意図を入れることがない。そうであるから物事の究極の理を究めることができる。表面的には移り変わって行くものの究極のところの「理」を知ることができる。上においてはよく天の動きを知り、下にあってはよく地の様相を見ることができ、中にあってはよく人や物の「理」を知ることができる。古今の変化、秩序を明らかにし、あの世とこの世の微妙なあり方をよく知ることができる。これは聖人が意図して見ようとすることがないために知ることのできる奥深い「理」であり、こうしたことを知ることのできるのを「真見」と称する。こうした「真見」であれば本当の「理」を明らかにすることができる。ここにある「自分で見ようとしないからよく明らかにできる」とはこういった意味である。自分で決めつけるとは、この決めつけが自分から発せられているわけで、それは必ずしも他人の認めるところではない。そうであるからこうした決めつけによっては最終的な明確さは得られない。明確さとは物事を明らかにするということである。そうであるから聖人は自分で決めつけるようなことはしない。物に応じてそれを明らかにするのであり、事に応じて明らかにする。それは理によって明らかにすることであり、道によって明らかにすることでもある。つまるところ明らかにするとは、道を明らかにするということである。徳を明らかにするということである。理を明らかにするということである。性(人の本来的な心の働き)を明らかにするということで...

道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(8)

  道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(8) 八卦拳では始めに体を両儀(上半身と下半身)に分けて、次に四象(四肢)に、そして八卦に分けて、それぞれの体の動きを感じる。ちなみに八卦は内四掌として「心、腎、肝、肺」が示されていて内的な動きを感じる。外四掌は「頭、背、腹、腰」に分けてより微細な体の外面な動きを観察する。これに習熟したなら六十四卦に分ける。六十四卦は「多くに」ということで、套路としては羅漢拳が用いられる。つまり攻防の動きの中で内外の動きを「点」の集合として感じようとするわけである。これと同じ視点に立っているのが太極拳で、太極拳でゆっくり動くのは、点の集合としての動きを観察しやすいからに他ならない。形意拳が八卦掌を取り入れ、太極拳を取り入れたのは、当初の三才式をどのように具体化するかといった問題意識があったからであり、現時点の最も優れた三才式の套路として、しばしば太極拳が練習されている。最後にピラミッドに戻れば、ピラミッドもキューブ形の石を積み上げて形にしている。キューブの石であればいろいろな形のものを作ることができることを示している。これも基本的には微細な分割を行うことで全てが等しいものとなるとする視点といえよう。

道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(7)

  道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(7) あらゆる動きが三才式によって統合される、これが形意拳のたどり着いた答えであった。これにより形意拳では、直線的な動きとは全く反対の曲線的な動きをする八卦掌をそのシステムの中に統合することが可能となったのである。これは地である□と、天である○が、人である△において統合されるものでもあった。そこでこうした練法を三才式と称したわけである。実は○と□あるいは△の統合は古今東西の神秘学の課題であった直線と曲線といった相反するものを統合し得るところに何らかの隠された「英知」があるのではないかと考えたわけである。これを統合する方途は形意拳の「虚」だけではなく、実は八卦掌のもとになった八卦拳でも有されていた。それは「分割」である。両儀から四象、八卦、六十四卦と体を分割して行くことで、あらゆる動きをいうならば点の集合と捉えるのである。確かに点を連ねていけば円でも直線でも等しく描くことができる。

道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(6)

  道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(6) 実質的には「虚」を練るとされる三才式は、一種のリラックス法で余計な力を入れない、適度なタイミングで力を抜き、入れることのできる心身を養うものである。そうであるからあらゆる動きのベースとすることが可能となる。西洋ではランニングが全ての基本であるとするが、これは足腰に負荷をかけて、上半身には力を入れない、そうすることである種のリラックス状態が得られる。よくランナーズハイなどといわれるが、そうした意識状態になるとされている。これはまさに三才式と同じである。王向斉の三才式の写真が残っているが実に気持ち良さそうにしている。△というのは下に重心があって上は負荷が掛かっていない状態である。植芝盛平はよく「合気道は三角体でやらなけばならない」と教えていたが、この「三角体」とは重心が落ちていて、上半身がある程度リラックスした状態であり、これを中国武術では「沈身」と称している。この「沈身」から発せられる力が「沈墜勁」である。

道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(5)

  道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(5) さて三才式であるが、これは本来は劈拳の動きを用いるのではなく、渾元トウであり、ただ立っているだけの功法である。これは「虚」を練ることを目的としていて、それによって「実」の曲線の動きと直線の動きが統合されると考えられていた。これは後天(実)の陰陽が先天(虚)の渾沌でひとつになっているのと同じ理論によるものである。形意拳は本来は直線の動きが主であった。これに次第に八卦掌を取り入れることで曲線の動き(滾勁)が加えられて行った。三体式は擺歩で踏み出すがこの時に劈拳とは違って滾勁が強調されている。この滾勁は相手を絡め取る働きを有していて、鷹捉などと称されることもある。こうした曲線と直線の動きを統合するのが三才式なのである。三才式で「虚」の感覚を得ることであらゆる動きはそこにおいて「統合」される。こうした基本的な考え方は意拳にも受け継がれている。よく日本では意拳は「一つか二つのトウ功だけをやっていれば良い」と武術の技を排除する流派のように捉えられているが、実際は混元トウをしていればあらゆる動きを統合できるという視点に立つもので「虚」を体得していれば、あらゆる門派の動きを自分のものとして取り入れることが可能となるのである。
  宋常星『太上道徳経講義』(22ー3) そうであるから聖人は「一」を抱くことを、天下の方式とするわけである。 ここの一文では、これまでを総括している。前半は「抱一の道」を説いており、要するに聖人の有する「理」とは抱かれた「一」であり、ただ「一」を抱くことを天下の方式(天下に通ずる基本原理)としている。よく「一」の「理」を考えてみるに天下のあらゆる存在、出来事にはそれぞれの「理」があるのであり、異なる存在、出来事で同じ「理」によるものはない。一方で「理」があるということでは「一」であり、共通していると考えることもできある。これらはあらゆる存在、出来事においていうことのできるものである。例えば「仁」は「愛」から生まれているが、ここにおいては「愛」が「一」つの「理」ということになる。「義」は「別(人それぞれが個々人として認められるところに、その間に義が生まれる)」から生まれているが、ここでは「別」であることが「一」つの「理」といえる。「礼」は「敬:に依っているが、ここでも「敬」は「一」つの「理」である。「智」識は「知」ることに依っているが、ここでも「知」ることが「智」識の「一」つの「理」となっている。「信」じることは「実(まこと)」であることに依っているが、ここでも「実」は「一」の「理」である。こうした「理」は人の心に存していて、生まれながらに有しているのであるが、自分で合理性そのものを変更することはできない。そうであるから自分勝手な解釈で「合理的思考」が行われる、つまり非合理的な考え方になってしまうと、「不完全」であるものは「不完全」であり、「完全」なものは「完全」であるにすぎなくなってしまう。曲がっているものは曲がっているもの、真っ直ぐなものは真っ直ぐなものとなる。窪んでいるところを満たすこともできないし、古いものを新しくすることもできない。自分の思うところが少なくなければ、得なければならないと思うものも少なくならない。多く学ばなければ迷うことも少なくならない。これらは全て「抱一の道」を得ていないからそうなるのである。聖人は「抱一」を天下の方式としている。抱くのはただ「一」であるが、その応用は無限である。つまり天下に通用するような人は、教えなくても自ずから「一」を抱いているのであり、およそこの世に存在しているもので「一」を抱いていないものなどない。そうである...

宋常星『太上道徳経講義』(22ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(22ー2) 不完全(曲)であることには完全(全)であることへの可能性がある。曲がっている(枉)ものには真っ直ぐ(直)になる可能性がある。窪んで(窪)いるところには満ちて(盈)いる状態へ移行する可能性がある。古い状態(弊)には新しくなる(新)状態へ移行する可能性がある。少ない(少)状態にあれば得る(得)ことのできる可能性がある。多い状態に(多)あれば惑う(惑)可能性がある。 人は誰でも不完全(曲)でなければ完全(全)であることを知っている。曲がって(枉)なければ真っ直ぐ(直)なのであり、窪んで(窪)そこに何もないことがなければ満ちて(盈)いるわけである。古く(弊)なければ新しい(新)。自分が自分に限界を設けることが少な(少)ければいろいろと得る(得)ことができる。「一」を抱えることが無ければ、むやみに多くを求めることになる。これらは全て小を良しとして大を好ましくないものとしている。末を良しとして本を好ましくないとしている。近いところだけを見ていると、遠いところを見ることはできない。全体を見ているからこそ不完全(曲)でなければ完全である(全)ことが分かるわけである。つまり不完全とは完全を害するものに過ぎないであり、曲がって(枉)なければ真っ直ぐ(直)となる。曲がっているのは真っ直ぐであることが失われているに過ぎないからである。窪んで(窪)なければ満たす(盈)ことはできない。そうでなければ何かを入れることはできないからである。古く(弊)ないものは新しく(新)なる可能性がある。古いからこそかえって新しくなれるわけである。殊更に自分が得ようとして得たものは、かえって失いやすい。「一」を抱くことなくして多くを求めたならば、かえって多くを失うことになる。しかし聖人においてはそうしたことはない。聖人は不完全であること(曲)をして自らを養うのであり、他人の評価を求めることもなく、喜びを得ようともしない。自らを貴いものとは考えず、偉大であるとも思わない。他人がどう思おうと構わず、自己を評価することもないが、人であっても、家でも国家でも天下でも、どこにあっても自分を完全に保つことができている。身心、性命ともいまだ完全にそれを保てないなどといったことはなかった。そうであるから「不完全(曲)であることは完全(全)である状態へ移行する可能性がある」とあるの...

宋常星『太上道徳経講義』(22ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(22ー1) 大道が生まれるのは、「一」においてである。暦が始まるのも「一」においてである。「一」は万物の本始であり、万理を統べる根本(統宗)でもある。この「一」は「無極」といわれることもあるが、それは声も無く、臭いも無く、形も無いところの「一」であるからである。また「一」は「太極」ともいわれることがある。それは物事の「体(基本)」と「用(応用)」を共に含んだ根本の「一」であるからである。もし、こうした「一」を得ることがなければ、造化の働きは生まれず万物が生ずることもない。そうであるから天地・万物は、それぞれが共に交わって、形やその認識(象)が生み出されているのである。もし、こうした「一」を得ていなければ、それぞれにおいて無極の理も得ることはないし、太極の性をも備えていることはない。そうであるから聖人は心に「一」を得て、天の理と渾然一体となっている。あらゆることに「一」は存しているのであり、そうであるからそれぞれに働き(用)を持つことができている。それはまったくの例外もなく、その根本において備えられている。君臣、父子においても、三綱(君臣、父子、夫婦の間の道)五情(喜、怒、哀。楽、欲の感情)にあっても、「一」を含まないものはないのであり、「一」があるからこそこうした関係性が適切に保たれているのである。天や地のあり方、古今にわたる人や物において「一」を有していないものなどはないのであり、「一」がなくして個々の働きを有することもない。この章ではこのような「一」について述べられている。こうした理を知っている賢者にあっても、はたしてよく「元」を抱えて「一」を守っている人が居るであろうか。心に深く太極の理を得ている人が居るであろうか。 身体の「一」は、まったく造化の「一」と同じである。「一」を知ることは全てを理解することであり、これ以上の悟りはない。よく「一」をして自らを修めれば、必ず修養は成るものである。ここで述べられる「一」を抱くということは、あらゆることに通じる天下の方式で、よく「一」を得ることができれば、あらゆるものは「誠」に帰することになる。 〈奥義伝開〉老子の言う「一」とは「合理的な思考」またはそれによって得られた「新たな認識」のことである。老子は万物を貫くものがあると考える。それが「道=道理」であり、それとはつまりは合理的な思...

道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(4)

  道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(4) 三才式、三体式が「拳」ではなく「式」とされているのは「統合」ということに元目を置いた特殊な練法であるからに他ならない。そうであるから劈拳などのように「拳」としないで、「式」として区別している。三才式で「統合」しようとするのは、天・地・人の三才である。三体式では梢節、中節、根節であり、要するに全身の動きを協調したものとしようとしている。三体式で劈拳を変形した形が用いられるのは、劈拳が形意拳の基本である起落翻讃の全てを分かりやすく表現しているために他ならない。例えば讃拳であれば起や翻(腕のねじり)や讃(力の集中)は明確であるが落は小さな動作で行う。また崩拳であれば起落が明確ではない。このようなことがあって基本を習得するのに便利な劈拳が三体式として、全身の動きの協調を練るものとして練習されているわけである。またこの時、構えの姿勢でしばらく静止して功を練る場合もある。こうした方法による鍛錬は形意拳に限るものではなく少林拳を始めいろいろな武術で行われている。こうした方法も心身の協調を練るのに適当であることはいうまでもなかろう。ちなみに太極拳の楊健侯は太極拳の一つ一つの動作でしばらく静止をする鍛錬をよく弟子に課していたというし、呉鑑泉は頭の高さに糸を張って、それを越えて姿勢が高くなった弟子を容赦なく打ったとされる。

道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(3)

  道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(3) 前置きが長くなったが、真理の「普遍性」を前提にピラミッドの形から何かの力を読み取ろうとする時、植芝盛平の唱えた三元によるもの面白いかもしれない。三元は一霊四魂三元八力とする合気道の力の使い方をまとめた中に属しており、これは流、柔、剛であり、○△□で表わされる。三元は天地の形を表すものであるから、そうした真理の「普遍性」からすれば、四角錐であるピラミッドからは□と△は確認できるが、○は見られないということになる。しかしピラミッドの頂上には冠石(キャップ・ストーン)という特別な石が載せられていたとされ、あるいはそうした中に○につながるモチーフがあったのかもしれない、とも考えられる。これを古代中国の宇宙観である三才でいうと、天は○、地は□で、人が△となる。冠石が何らかの○のモチーフを有していれば、ピラミッドはまさに三才・宇宙そのものの象徴ということになる。こうした三才を体現しようとするのが形意拳の三才式であるが、形意拳において三才式、三体式は混乱があって、正しく伝わっていないところが多いように思われる。三才式と三体式、劈拳の区別さえも曖昧になっていることも多い。

道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(2)

  道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(2) ピラミッドパワーに熱心だったのは山田孝男氏で、瞑想指導者として知られていた。晩年は大月にピラミッド形の家を建てて、そこで瞑想などの指導をしていたようである。私は同氏が八王子の高尾に住んでおられた頃に何回かマインドコントロールの指導を受けたことがある。その時に型紙でピラミッドの形の帽子のようなものを作ってそれを被って瞑想をすると良いなどと聞いた。またそのセミナーでは松田隆智氏とも何度か会った。時に『八卦掌入門』に出ていた張さんという方と一緒の時もあった。直接には知らないが、かつて「武術」の編長をしていた生島裕も山田孝男氏に瞑想を学んでいたらしい。意外なところで縁というものは繋がっているようである。現在は静坐において瞑想を深めるために補助的な器具はもちろんのこと、マントラ、図像なども用いるべきではないと考えているが、そうした思いが当時からなんとなくあったのか、心をコントロールするという方向性には興味が持てなかったのを覚えている。

道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(1)

  道徳武芸研究 ピラミッドパワーと形意三才式(1) ピラミッドパワーと聞いて「!」と思った方は50歳以上ではなかろうか。日本でピラミッドパワーのブームがあったのは1980年前後あたりであった。それはピラミッドの形が空間に潜在する特殊なエネルギーを使うことのできるものであるとする疑似科学に依るものであった。例えば四角錐に組んだ枠の中にリンゴなどを入れておくと、そばに置いたリンゴは腐敗しても、中に置いていあるものは乾燥してミイラ化するというような「実験」が、テレビなどを通してよく見せられれていた。他には切れない刃物がピラミッドの中に置くと切れるようになった、などおよそ真実味のない話が「実しやかに」語られていたのであった。熱心な人の中にはピラミッドの形に棒を組んで、その中で瞑想している人も居たし、そうしたグッズも売られていた。今、考えると全くの似非科学で取るに足りないことのように思われるが、それがかなりの熱量をもって受け入れられていたことは横尾忠則の『我が坐禅修行記』(1978年)などでも見ることができる。

宋常星『太上道徳経講義』(21ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(21ー5) 私がどうして「衆甫」がそうであると知っているのかは、以上に述べたことに依る。 「衆甫」の秘密の意味とは全く「真の真精(根源のエネルギー)」ということである。それは全く「真の真信(根源の秩序)」でもある。出る機、入る機の間において、始めは出る機が働き、それが変化して物となり、またついには入る機となって、道に帰することになる(個々の道の現れとしての物は生まれ滅ぶが、その物に付けられた「名」が永遠に受け継がれる)。仮に道をして道を観るとすれば「衆甫」の理が分かろう。これは物を通して道を観ることでもある。こうして根源に達してその「元」を窮める。つまりこれが「衆甫」の玄理なのであり、始めに道を得れば「衆甫」がどのようなものかが分かるであろう。そうであるから「私はどうして『衆甫』がそうであると知っているのかは、以上に述べたことに依る」とあるのである。そうであるから善く道を観る者のは、必ず物をしてこれを観るのである。善く物を観るとは、必ず道をしてこれを観るのであり、道を離れて物を観るのではない。物を離れて物を観るのではない。物を観るとは、物の入る機(生まれる機)を観るのである。道を観るとは、道の出る機(滅する機)を観るのである。人は結局のところ「杳」「冥」「恍」「惚」を観て、「衆甫」のそうである道理を知ることができるのであろうか。そこにはシンボル(象)があり、物がある。精があり、信がある。深遠な徳(孔徳)の容(かたち)は全て「一」をしてこれが貫かれている。 〈奥義伝開〉あらゆるものごとの始まり(衆甫)は人がそれを認識することに依る。人が認識しなければ物としてコップがあったとしても、それがコップとして使われることはない。そしてこうした新たな認識を見出すベースとなるのは合理的な考え方(道)である。「徳」のある世の中において人は自由であり、平等でなければならない。しかし、現在は一部の収奪者によって、自由や平等が制限されるのが当然と思い込まされている。老子はそうしたことが「新たな認識」を得ることで徐々に打破できると考えていた。

宋常星『太上道徳経講義』(21ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(21ー4) 杳であり冥である、そうした(意識の)中に(物を生み出す)エッセンス(精)がある。そのエッセンス(精)は全く誤りのないもの(真)あって、そこには「信(注 規則性)」が認められる。昔から今に至るまで、その名は伝えられていて、つまりそこに「衆甫(あらゆる)」を閲(み)ることができる。 道が物を生むとは、一つの法則によって一つの物が生み出されるということではない。これは無の中に秘密があるのであるが、このことは「杳」であり「冥」であるともいえる。「無」と「杳」や「冥」は言い方は違っているが、表そうとしていることは同じである。もちろん「無」や「杳」「冥」の字義は全く同じではない。しかしそれで表現しようとしていることは同じととらえるべきであろう。「杳」「冥」の中には道理(理)もエネルギー(気)もある。つまり根源的なもの(元精)があるわけであり、そこには虚霊の思いも及ばないような働きが有されている。ただそうしたものが確固として存在していると考えるべきではないが、それが存在していることは間違いのないことでもある。そうであるので「杳であり冥である、そうした(意識の)中に(物を生み出す)エッセンス(精)がある」とされている。そしてこの「精」からは天や地が生まれる。人を生み物を生む。つまり「元精」とは天、地、人の根本なのである。天地にあってこの「元精」と関係しないものはなく、天地は「元精」から生まれているので悠久であるわけである。人や物もまた「元精」と深く関係している。そうでなければ人や物が生み出されることはない。こうした働きに何かを加えようとしても加えるべきものはない。何かを削ろうとしても削るべきものはない。毀たれることもないし、滅ぼされることもない、まったくの「真」なる存在なのである。そうであるから「そのエッセンス(精)は全く誤りのないもの(真)」とされている。また「元精」は常にあって滅びることがないのみならず、時機を違えることなく、秩序を乱すこともない。確かなものとして存しているのは時間が正しく過ぎて行くのと同じであって、周り巡って滞ることがない。あらゆるものがそうした中に生まれて、何ら変わることがない。そうであるから「そこには『信(注 規則性)』が認められる」とされている。もしこの「信」ということが分かったならば、その悟りはあらゆる...

宋常星『太上道徳経講義』(21ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(21ー3) 道が物となって現れるのは、ただ恍であり惚である意識の中からである。恍や惚といった意識の中ににシンボル(象)が生まれる。恍や惚といった意識の中に(生まれたシンボルによって)物が生み出される。 ここで述べられているのは、道がどのようにして物としての形を持つか、である。それは道の中に「物」が含まれているかというと、そうではない。また道には何ら「物」となるものがないかというとそうとも言い切れない。道の中に「物」が有るとは言い切れないのは、無の中から有が生まれるという不可思議がここにあるためである。無いとも言い切れないのは、無の中から生まれる有は、完全な意味での有ではない、不確かな存在でしかないからで、これが「恍」であり「惚」であるとされている。こうした微妙な表現は有と無の狭間で「物」が顕現していることを示している。またそれは何らかのシンボル(象)であるともいえる。確固としたシンボルを求めても、それでは捉え切れるものではない。「物」それ自体は存在しているのであるから、それを求めようとしても、「物」それ自体を道の中に得ることはできない。つまり道の中には決まった形としての「物」があるわけではないし、一定の形をもった「物」が存しているのでもない。そうであるから「道が物となって現れるのは、ただ恍であり惚である意識の中からである。恍や惚といった意識の中ににシンボル(象)が生まれる。恍や惚といった意識の中に(生まれたシンボルによって)物が生まれる」とされている。ここでの「物」という字は、実際の「物」を指しているともいえるし、そうでないということもできる。つまり「物」とは万物ということでもあるのであって、個々の「物」をいっているわけではない。人の心が虚霊となった状態は言葉で表現することは難しい。こうした状態は、どのような存在(物)として「物」をとらえるのであろうか。心が虚霊であれば、この世のあらゆる物的存在をそこに有することができる。そうであれば虚霊にはすべての「物」が存していることになる。もし虚霊についての真伝を得ることができたならば、外的な「物」の存在に迷うことなく、内的な「物」の存在にとらわれることもない。それは虚をして虚を合わせることであり、無の中に有を生むこと、無象の中に自然に有象を得ること、無物である中に自然に有物となることなの...

道徳武芸研究 中国武術の「秘訣」の世界(8)

  道徳武芸研究 中国武術の「秘訣」の世界(8) 王向斉は静坐と練拳の中間に「高い姿勢での馬歩トウ功」を考案した。本来、馬歩トウ功は腰を低くして鍛錬を行うが、それでは長い時間できないので、高い姿勢にして三十分や一時間など長く姿勢を保って静坐の功をも同時に練ろうとしたのであった。しかし、こうした高い姿勢での馬歩では静坐と同じ功を練ることはできない。静坐で最も重要なことは「安定」である。姿勢が「安定」することで心身のリラックスが得られる。ロボット工学などを見ても分かるように二足で立つということはかなり難しい。二足で立つためには心身のいろいろな部位が使われていなければならない。そうしたものを外すにはやはり坐った方が良い。「居敬」やそれにつらなる「舍己」を得るには静坐を行うというのもひとつの方法である。また「従人」は単なる攻防において使われるだけではなく、相手の気持ちや考えを知る方途ともなる。こうしていろいろな拳訣・秘訣を知ることで、その奥深い教えを受け取ることが可能となる。

道徳武芸研究 中国武術の「秘訣」の世界(7)

  道徳武芸研究 中国武術の「秘訣」の世界(7) 鄭曼青は太極拳で第一に大切なこととして「舍己(己を捨てる)」を挙げている。これは既に紹介した「舍己従人」に関係している。ただ「己を捨てる」といってもどのようにすれば良いのか分からない。この拳訣は静坐の秘訣である「居敬窮理」をして解することができる。「敬(つつしみ)に居て、理を窮める」という意味の「居敬窮理」であるが、この教えも自分の考えにとらわれることなく、「つつしみ」の気持ちで、理論を探求せよということであり「舍己従人」の一般的な意味である先入観なく相手の言うことを理解する、というのと同じである。つまり「己を捨てる」とは「つつしみ(敬)」の心を以て相手に接するということなのである。こうした意識の流れを得るには静坐で内面を見つめる(回光返照)を行うのが良い。 前回には鄭曼青に画期的な拳訣をもたらした人物として紹介した左莱蓬は、金丹派の静坐をよくする人物でもあったという。また八卦拳の董海川もよく静坐をしていたとするエピソードが伝わっているし、孫錫コンは先天派の静坐の趙避塵の高弟でもあった。