道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(3)
道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(3)
中国武術においても、その発展を考えた場合に知の共有がなされなければならないと思われるようになった。武術において知の共有を可能なさしめるソフトの面では王向斉や孫禄堂がひとつの答えを出したし、ハードの面では中央国術館を筆頭とする国術館体制(各省にその分館を置く)が作られた。そこでは少林拳や太極拳などいろいろな武術が教えられていた。意拳はあらゆる武術の技は「意」の働きによる動きである、とするもので、こうした意識レベルにあっては一見して大きく異なる激しい動きも、柔らかな動きも、等しく「意」の働きとして還元することが可能となるわけである。また孫禄堂は「柔」という視点からあらゆる武術はひとつとなることができると考えた。結果として孫の伝えた太極拳も形意拳も八卦掌も似た動きになっている。ただ孫禄堂のように拳の形を変えてしまうのは、新たに一派を生み出すに等しい程の大変な作業に成ってしまうし、これでは新たに門派を作ったに過ぎないという問題点も指摘されている。それはともかく孫禄堂もあらゆる武術を排するのではなく、あらゆる武術を含んでの統合という視点は王向斉と等しくしていた。