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道徳武芸研究 「護身用之手」から「御信用之手」へ〜秘教「護身の法」を考える〜

  道徳武芸研究 「護身用之手」から「御信用之手」へ〜秘教「護身の法」を考える〜 東アジアにひとつの秘教の伝統があった。それは「護身の法」である。秘教としての「護身の法」が古く「九字」という形を取っていたことは『抱朴子』(317年)によって確認される。この教えは日本では十七条憲法で「和」として示される。「やわら(和)」かさは、それがあれば争いを避けることができると教えている。こうした教えを聖徳太子が知り得たのは秘教である「護身の法」の教えを受けたことによると考えられる。それが分かるのは「片岡山」伝説である。それによれば道端で飢えている人に出会った聖徳太子は食物を与える。太子は、その人物が「真人=道教の奥義を得た人物」であると知っており、その人の墓を見に行かせた所、そこには屍体が残っていなかったことが報告される。これは仙人が俗界を離れる方法のひとつである尸解であり、聖徳太子はそうした「真人」についての深い知識を得ていた、つまり秘教の伝授を受けていたことを、この片岡山伝説は示しているのである。つまり聖徳太子は「護身の法」の教えを受けていたのであり、それが十七条憲法の「和」の思想として表れていると考えられるのである。 この「和(やわら)」かさの教えは後には「柔術(やわら)」となって具象化される。大東流柔術の伝書では柔術の技を示した後に「右 御信用之手」とあって、大東流の柔術の技がすべからく「御信用之手」を基本としていることが分かるようになっている。「御信用之手」については、そうした用語が他にないこともあり意味が分からないとされるが、一部ではこれは「護身用之手」ではないかとも言われている。「御信用之手」が「護身用之手」であり、それが柔術のベースであることからすれば、柔術の根源は「和」つまり「護身の法」にあるとすることができる。また大東流がほぼ相手の攻撃を受けての技であることからしても理の当然としてこれは「護身の法」の範疇にあるものであるから「護身之手」と解することが妥当であると分かるのである。 「護身用之手」は実際的には「合気上げ」であるとして良いのであるが、それは「両手をそれぞれに使って相手の攻撃を制すること」と定義することができよう。同じことは八卦拳では「乾坤手」と称するものに見ることができるし、唐手では「夫婦手」とされている。つまり両手をそれぞれに使って、相手...

丹道逍遥 文始真経(二柱篇 六〜十)「幻視」の視点〜長沢蘆雪「朧月図」〜

  丹道逍遥 文始真経(二柱篇 六〜十)「幻視」の視点〜長沢蘆雪「朧月図」〜 ここで「幻視」とは「虚」の世界を視ていることを意味する。仙道では、この世は「実」と「虚」で出来ていると考える。この「虚」の感覚に覚醒することが「練己」で、仙道は「練己」に始まって「練己」に終わる。つまり「虚」への気づきがあれば「練精化気」が始まるのであり、そして完全に「虚」の世界への覚醒が果たされると「還虚合道」の境地に達する。こうしたシステムは何を表しているかというと、つまりは途中の「修行」のプロセスは必然ではない、ということである。こうしたことを前面に押し出しているのが文始派である。勿論、その他の派も多かれ少なかれ「修行」は必然ではないことは述べている。しかし、完全に「修行」を否定してしまうと、そもそも「仙道」が存在することの意義がなくなってしまう、と誤解されかねない。つまり文始派は文始派がひとつの派として存在することを必ずしも求めてはいないのである。本来は「修行」などしなくても「真の自己」への覚醒があれば、あるべき生き方ができると教えているのが仙道なのである。 つまり既に人は「虚」を認識し得ているのであるが、殆どはそれを忘れて「実」の世界にしがみつこうとしている。また、いろいろな「修行」をしても「虚」を知ることができていない人が居るのは「実」である「修行」を手放すことができないからに他ならない。今回、紹介する長沢蘆雪の「朧月図」は「虚」の世界が実によく表されている。それがおもしろいのは「月」そのものを描くのではなく、背景を薄暗く丸く描くことで、何も描いていない紙の白が「月」に見えている点である。これはつまり「虚」をして「実=月」を表現していることになる。 これはフェイクニュースや陰謀論などでも同様で、実際は「(フェイク)ニュース」や「陰謀」そのものは「嘘」なのであるが「周囲」を意図的に選択された「(嘘を含む)情報」で固めることで、ひとつの「像」が見えてくるように仕掛けているわけである。本来は「実」である情報を組み合わせることで「虚」の「真実」が導き出されるのであるが「実」の中に嘘が入っていたり「不都合な真実」が隠されていたりすると、結果として導き出される「虚」の世界は「実」との兼ね合いで、深い真実を知ることのできる真の「虚」ではなく単なる「嘘」の虚像になってしまう。 オカルト...

道徳武芸研究 金陵八卦掌故事「七十二暗腿の謎」

  道徳武芸研究 金陵八卦掌故事「七十二暗腿の謎」 金陵八卦掌とは南伝八卦掌とも称されている系統で「金陵」つまり南京に伝承された八卦掌の系統である。本来、八卦掌は董海川が北京に伝えたものであったが、1912年に中華民国が成立すると首都が北京から南京に移動する。これにともない太極拳を始めとする多くの北方の武術が南方へと伝えられたのであった。金陵八卦掌は陳済生が1950年代に南京薬学院で教えていたものに淵源している。この系統は董海川から程廷華、そして趙慶長に伝えられたものである。50年代というが『金陵八卦掌』には「解放の初め」とあるので49年あたりからということであろう。この頃は専ら太極拳を教えていていたらしい。それは八卦掌が「古い時代のもの」と見なされかねない風潮があったためのようである。ちなみに簡化二十四式が制定されるのが1956年であるから一般的に太極拳は「運動」であり人民のためのものであるが、八卦掌などの「武術」は「排除されるべき旧時代の遺物」と見なされかねないものであったようである。『金陵八卦掌』を著した袁子府(1942年生まれ)は陳の弟子である。同書には「八卦掌の解けざるの謎」として七十二暗腿が取り上げられている。 「私(=袁子府)が八卦掌を習い初めたころ八卦掌には七十二暗腿なるものがあるのを聞いた。『暗腿』という名前からすれば『見えない腿法』であるということになる。七十二腿というのはあまりに多いのではないか、と思ったが、とにもかくにも『すごい』腿法であろうと思って、それを習うのを楽しみしていた。熱心に練習していれば必ず七十二暗腿を教えてもらえると思っていた」 しかし結局は七十二暗腿を教えられることはなく、今に至るまで、それについては「謎」のままであるという。しかし後年、ある種の悟りを得たとしている。これは師の陳済生の「八卦掌の歩法は腿法である」とする教えによる。つまり八卦掌におけるあらゆる腿法は歩法の変化に過ぎないのであり、その基本となるのは扣歩と擺歩である、ということであった。袁は扣歩と擺歩の腿法への変化について以下のように述べている。 扣歩は「扣腿、別腿、踹(せん)腿」が腿法への変化として挙げられる。 擺歩は「鎖腿、踹腿、截腿」が腿法への変化として挙げられる。 つまり歩法は基本(体)であり、腿法は応用(用)なのである。つまり実戦で用いる腿法の基...