道徳武芸研究 「合気」の柔術史的展開について〜その矛盾と止揚〜(1)
道徳武芸研究 「合気」の柔術史的展開について〜その矛盾と止揚〜(1) 「合気」はそれを単に技術として太極拳のように「粘」と捉えたならば、それをして相手を倒すことに何らの矛盾もないが、これを「和合」であるとか「愛」であるとかの理念を介することになれば相手を倒すことに「合気」を用いることに矛盾が生じてしまう。これが合気道を実戦で使う場合のいうならば「足かせ」となっている側面もある(有効な技への展開が難しい)。日本の柔術史から言えば合気道はそのシステムにおいて現在のところ頂点にあるとすることができるであろう。日本の柔術史のベースにあるのは「柔(やわら)」である。これは日本人の民族性から出たもので、既に聖徳太子の十七条憲法の時には争いを解決する手段として「和」が示されていた。「和」は古い文書には「やわらかき」と仮名が振ってある。つまり争いには「和=柔」をして接することで解決をせよと教えていたのであって、どちらかが正しいとか、力の優劣による等の解決策は教えられていない。こうした争いを回避する「和」の理念を「柔」として具体的な攻防の技術にするには近世の柔術の出現を待たなければならなかった。ただ「柔」のイメージは既に出雲神話にタケミカヅチがタケミナカタを投げるシーンで、その腕が「氷の柱」のようになって、掴んでも力が入らなかったとする記述に見られる。それは、あるべき理想としては語られていたが、あくまで「神話」の世界の話しであった。