道徳武芸研究 武術の流派名について考える(7)

 道徳武芸研究 武術の流派名について考える(7)

意拳はまた大成拳と称することもある。大成は中国武術では小成、大成の語があり、一通り武術の形に習熟するのが小成で、これには六年ほどかかるとされる。一方、大成は自分で拳を深めて行くことのできる段階でこれには十年の歳月を要するとされる。そうしたところからすれば、大成拳には大成にまで至ることのできる完成されたシステムの拳という意味があると考えられる。張壁は「大成拳の命名と大成拳の解説」で「大成」とは「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」ということであり、王陽明の「知行合一」でもあるとしている。つまり心身が適切なバランスを保たれて、正しく活用されている状態ということである。太気拳は正式には太気至聖拳というらしいが、この「大成」と「至聖」をつなぐものとして「大成至聖文宣先師孔子」があるのではなかろうか。これは孔子の呼び方のひとつであり、孔子廟には大成殿があるし、至聖廟と称されるものもある。つまり澤井が学んだ時には大成拳が使われていたのではないかと思われるのである。そしてそれは孔子、儒教をイメージさせるものであったために、大陸が共産化して孔子が批判されるようになってからは意拳の方を主として使うようになったのではないかと推測されるわけである。


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