投稿

7月, 2022の投稿を表示しています

道徳武芸研究 静坐と武術(16)

  道徳武芸研究 静坐と武術(16) 中国での静坐と武術、日本での禅と武術、インドでの瞑想と体位(体操)法、こうしたものが時代や地域をこえて必然として修されるようになるのは、こうした組み合わせが心身のコンディションを調えるのに適しているからに他なるまい。ここで重要なことはこうした修行を経ることで枠組みにとらわれない自由さが見出される可能性が生まれたことにある。つまり二つの視点を得ることで実際のエクササイズの方法という枠組みから離脱する契機をつかみやすくなったわけなのである。人は体というものを持つ以上、それに何らかの作用を及ぼそうとするなら一定の「枠組み」を用いざるを得ない。しかしそれに囚われすぎると、場合によってはかえって不調を招くことにもなる。前回に触れた白隠は禅ということに囚われ過ぎて具合を悪くしてしまった。そこで一旦、別の方法をとることで禅のとらわれから脱することができたわけなのである。つまり二つ目の「視点」を得ることで囚われの危機を脱することができたのである。静坐にしても武術にしても本当に重要なことは自分自身をどのようにあるべき形にして行くかに他ならないのであり、自分を一定の枠組みに入れ込むことではない。

道徳武芸研究 静坐と武術(15)

  道徳武芸研究 静坐と武術(15) 静坐も武術ももとを正せば太古の「導引」から出たものであった。つまりこれらは本来的には源を同じくするのであり、おおきくいうなら「養生」術に属するといえる。また「養生」とは「衛生(生を衛る)」を目的としているわけである。「衛生」は現在の日本での言い方をすれば「護身」となろう。つまるところ「「導引」の目指していたのは「護身=衛生」であったのであり、そうした中で「導引」が攻防の技術へと特化して行くのもある意味で当然の成り行きであったと理解される。すでに見てきたように静坐と武術は中国において次第にひとつのものとして修されるようになるのであるが、これが日本では禅と武術がひとつのものとして行われたのと同じであることも既に述べた。またインドでは瞑想を主体とするラージャ・ヨーガが体操法を含むハタ・ヨーガへと発展して行ったとされる。確かに長い時間の瞑想は心身に大きな負担をかけることがあり、白隠のように心身症を引き起こす原因ともなり得る。そのために体操などにより体の調整をしておくのが適当なのである。ちなみにヨーガの体位法は中国の研究者の中には中国の導引がインドに伝わったものとする見方を披瀝している人もいる。単なる中華思想によるものか、また今後なんらかの形で実証されることがあるのか。興味深いところもある。

道徳武芸研究 静坐と武術(14)

  道徳武芸研究 静坐と武術(14) それでは「強兵」を作るためには如何にして「門派の壁」を越えれば良かったのか。それは日本のように柔道や剣道といったひとつのものに統一してしまわなければならなかったのである。柔道、剣道はよくできていて、安全に試合もできるし「闘争心」や「団結心」を養う西洋体育の側面も有している。「強兵」にあっては自分で考えて行動してはならない。上からの命令に服従すれば良いのであり、そうしたものが競技を通して養われることになる。また軍隊や警察などの「武術」は基本的な攻防の動きがわかっていれば十分なのであって、精緻な心身の働きを会得する必要はない。あえて故人が生き残る必要もないわけである。合気道などが試合を廃しているのは目先の勝ち負けにこだわるのではなく、精緻な心身の働きをじっくりと会得させようとするために他ならない。精緻な心身の働きを観察するのは「静坐」も同様で、武術も静坐も本来、基本的な立ち位置は同じなのである。人の体は千差万別である。それに合わせて、いろいろな形が考案されて、それが門派となった。重要なことは修行者自身、あるいは指導者が我欲にとらわれることなく自分の求める動きを追究することである。つまり「門派の壁」など本来的にはなかったのであり、それがあるように思えたのは人の欲望(名誉欲、金銭欲など)が作り出した幻想に過ぎなかったのである。

道徳武芸研究 静坐と武術(13)

  道徳武芸研究 静坐と武術(13) また孫禄堂は太極拳や八卦拳、形意拳などの動きを「静」や「柔」を強調するものに改める。こうして「静坐」に近づけることで「門派の壁」を越えようとしたのであるが、これも新たな「孫家拳」という門派を生み出すに過ぎないで終わってしまう。本来「門派の壁」として問題視されたのは、それがあることにより中国が「強種強民」くわえて「強国」たるの弊害となっていることにあったのであり、それは民間の精武体育会でも同様であった。つまり強い国民を育てて、強い国にしようとする方途として、日本の柔道や剣道といった「武道」の有効であることが中国で認識されて、そうしたものを通して最終的には「強兵」としての国民を育てようとする意図があったのであろうが、孫禄堂など一部の武術家が人の根源的気質としての「性」を開くことにこだわったために、武術には「静」や「柔」が求められ、人の本来的に有している「自由な心身」を開くことになってしまうのである。結局「門派の壁」を越えるという命題の結論は真反対の方向へと向かったことになり、現在の中国武術のおおきな太極拳に代表されるような潮流を作り上げることになった。これは人の自然な心身の働きに合致するものであるから、あるべき「潮流」を形成しているとすることができよう。

宋常星『太上道徳経講義」(8ー9)

  宋常星『太上道徳経講義」(8ー9) 善能を事とし、 水の善は一に留まるものではない。あらゆるものを潤し、万物を育て、舟や筏を渡す。体の汚れを流して、物を煮る。その場その場による働きを持っている。その時その時で適切に働いている。これらはすべて水の善なる徳の働き(能)である。そうであるから「ずばらしい働き(善能)」とあるのである。もし人において、その徳なる「性」が完全に現れているならば、心神は活発に働き、事や物に応じて適切に動くことができるであろう。自分と他人との間において何らの執着もない。これがつまり「すばらしい働きをよく用いる(善能を事とし)」ということなのである。 〈奥義伝開〉「善能」は後に儒教でいわれる「良能」と同じである。これは老子から千年ほども後であるから、説明が細かくなって人の「善」から「良能」が生まれるとする。そしてこの「善」は人の本来の気質である「性」によるものであるから、老子のいう「善能」も「性」に由来するものと考えて良い。そうであるから「良能」は「善能」ということもできるわけである。老子のいう「善」も人間の本来的な部分に存しているもので、それを努力して得るのではなく無為自然であればそのままに表れ出ることになる。

宋常星『太上道徳経講義」(8ー8)

  宋常星『太上道徳経講義」(8ー8) 善治を政(ただ)し、 水が万物を育てることを「政し」とする。水が天に昇れば雨露となる。地に降れば河川となる。それぞれであるが天下にあまねく水は及び、万物を育てる働きをしている。水の徳は万物を潤し、その生成の変化は無窮で計り知れない。そうであるから「善治を政し」とあるわけである。水の政(ただ)す働きは、聖人が天地において、化育を助け、人々を安らかにし、万物を和合させるのと同じである。こうして天下のあらゆるものの存在意義を尽くさせるわけである。それぞれがその生を全うする。このように聖人はすべてが適切に治まるようにと働きをしている(善治を政す)のである。 〈奥義伝開〉「治」は整えるということで、水は善く整え正す働きがあることが述べられている。これは水の浄化作用をいうものと解することができるであろう。水により体の汚れを落とすことはどこにでも見られることであるし、それは現在でも放射能汚染を結局は水で洗い流さなければならないのを見れば、如何に水の働きが時代や環境を越えて有益であるかを知ることができる。水は汚れても、それを本来のきれいな水に戻すことができるわけで、そのことはどのように汚染されても水の本質は変わらないということである。それは人の「性」も同様で、どのように欲望に汚染されてもその本質は変わらない「善」を有しているとされる。

宋常星『太上道徳経講義」(8ー7)

  宋常星『太上道徳経講義」(8ー7) 善信を言い、 水は本来的には言葉を発することはないが、入江や海を見ると波立っていて、そこには音を聞くことができる。それは渓谷でも聞こえるし、滝でも聞こえて来る。これがつまりは水の「言」なのである。満月となる三日前から潮が満ちてきて、新月の三日後には潮が引いてくる。その時は正確で、何ら変わることがない。水の誠実(信・まこと)であることはこのようである。ここに聖人を見てみると時が熟した時に行動が起こされる。そしてそれには必ず自然の法にかなっている。そうであるから疑いもなく天下のあらゆることに通じているということができるのである。「信」とは永遠に疑われることのないものである。そうであるから水の「善信」と聖人の「善信(善なる信)」とは同じなのである。ために「水の善信」がここで説かれている。 〈奥義伝開〉ここでの「信」は信ずるというのではなく、誠・真ということである。宋常星は「言」を波音、水音のように解しようとしているが、必ずしも「音」としなくても、「語る」ととることも可能であろう。水は「信」を語り、教えているということである。それは水が法則により正確に姿を変えることにある。個体化(氷)するのも、機体化(水蒸気)となるのも常に一定の温度においてそれが発生する。それはあらゆるものが「法=道」によって動いていることを教えているわけなのである。

道徳武芸研究 静坐と武術(12)

  道徳武芸研究 静坐と武術(12) 門派が生まれる前にその根源として「性=先天」があることの発見は「静坐」に通じる「静」や「柔」が武術の中に見出されたことによるものであった。形意拳の三才式の「静」や八卦掌、太極拳の「柔」は本来的には「性」を開く有益な方法であると見なされるようになるのである。これは武術の「文」化でもあり、ここに「文武の合一」を見ようとする人々もいた。こうした中に王向斉の考案した意拳では、攻防の動きである形を廃して混元トウとする立つだけの功法をベースとしてより「静坐」に近いシステムを構築しようとしたのであった。王向斉はこれにより武術の根源が開かれ「最強の動き」が得られると思っていたようであり、混元トウの練功に加えて自由な打ち合いをも重視した。しかし混元トウの「静」や「柔」を通して開かれたのは古くから内丹や静坐でいわれる「太和の気」であった。「太和の気」は和合の気で、それはもちろん人の根源的な気質である「性」の働きそのものであるのであるが、その働きが井戸に落ちようとする子供に思わず手を伸ばして助けようとする心の働き、とされるような人を助ける心身の働きなのであった。つまり「静坐」へ近接すればするほど攻防への執着がなくなることとなって、意拳はシステム上の崩壊を招くことになる。

道徳武芸研究 静坐と武術(11)

  道徳武芸研究 静坐と武術(11) 近代になって交通も発達して来て人々の交流が盛んになると中国武術の世界ではそれぞれの地域で閉鎖的に練習されていた「門派の壁」が問題視されるようになる。これは日本の柔道の影響もあるようで、日本の軍事力が強くなったのは強い兵隊がいたからであり、それは柔道や剣道によって鍛えられたためではないかと考えられるようになったのである。一方、中国では個々の門派が「最高」「最強」を称しているばかりで、これでは国家、国民の役に立たないと考えられたのである。そこで「国術運動」が起こり、各地に国術館を作って、中央国術館が統括するという構想が実行に移された。その一部は実現されたものの戦争も拡大したこともあって、中途でこの計画は挫折してしまう。中央国術館では掛け軸に武術の動きを描いたものを作成するなど(今ならDVD教材)の画期的な試みもなされていた。こうした風潮の中で、武術の根本である「性」つまり先天を開けば「門派の壁」を越えられるのではないかとする考えが生まれる。

道徳武芸研究 静坐と武術(10)

  道徳武芸研究 静坐と武術(10) およそ動物は人間にはない「能」を有している。空を飛ぶことができたり、早く走ることができたり、強い臂力を持っていたりする。ではなぜ人間にはそうした突出した「能」がないのか。それは人間が「知」を持っているからであると考える。人には突出した「能」はない。しかし「知」によりそれを得ることは可能である。つまり飛行機を発明することで鳥を越える「能」を人は手にすることができるのである。自動車を発明することでどんな動物よりも優れた走行能力を手にすることができるのである。人に突出した「能」がないのは、人が中庸にある存在であるからといわれる。人の「性」は中庸を得ている。一方、動物の「性」は中庸を欠いているので、突出した「能」を持っている。そう考えるのである。こうした視点からすればオリンピックに出るような優れた運動能力を持っている人が、普通の人より短命であることも多いのも、その生き方に中庸を欠いていたからと考えられるわけである。

道徳武芸研究 静坐と武術(9)

  道徳武芸研究 静坐と武術(9) 古代の中国において「静坐」は導引の一部として生まれたわけであるが、導引においては動物の動きが模倣されることが多かった。それがまた武術にも受け継がれて猴拳であるとか、蟷螂拳、蛇拳などが考案されるのであるが、そこにおいて興味深いのは動物の動きに似ているものと、似ていないものがある点である。一般的な猴拳は猿の動きに近いものが多いが、通臂拳などは白猿通臂拳などと称されるものの猿の動きを模倣することはない。また蟷螂拳も構えこそ蟷螂に近いが全体の動きそのものは全く蟷螂とは違っている。それはどうしてか、というならそもそも導引においてもそうなのであるが、動物の動きから学ぼうとしたのは個々の動物の有する「能」であった。猿であればすばやい動き、熊であれば強い臂力、鳥は軽やかさ動きといったそれぞれの「能」を会得しようとしたのであった。しかし長い歴史の中でいくら鳥の翼のようなものを身につけても空を飛ぶことができなかったように、その「能」を得るには動きを模倣しただけでは不可能であることが分かってきた。そこで考えられたのは「能」を生み出す根源としての「性」であった。動物の「性」を解明してそれを会得すれば、「性」から生み出される「能」も会得できるのではないかと考えられたのであった。

宋常星『太上道徳経講義」(8ー6)

  宋常星『太上道徳経講義」(8ー6) 善仁とともにし、 水の徳は、万物に施されているがそれを水が誇ることはない。万物を利しているがその報いを求めることはない。それは散じては雨や露となって、万物を潤し水の徳を受けさせている。流れれば河川となって、船舶を通行させる。天下の人々の渇きを癒やし、物を育てる。人々は日々、水を使わないではいられない。少しも水の仁から離れることができないのである。そうであるから「(人々は水の善なる恵みであるその仁の働きと共にある)善仁とともにし」としているのである。

宋常星『太上道徳経講義」(8ー5)

  宋常星『太上道徳経講義」(8ー5) 善淵を心とし、 深く測り難いのを「淵」とする。水は無心ではあるが、その中には光明が沈んでいる。静が沈んでこれを「外」において養うのである。よく万物の「性」を知って、よく万物の 「形」を見れば、生物の「機」を知ることができるであろう。物が変化をする微妙な様子は見ることができない。すべては水の「性」である無心の心徳によっているからである。「淵」は深い。それにおいて示されている「理」は至微である。その「道」は至深である。そうであるので「善淵を心とす」と述べられている聖人の心は、静をして万物の理としているのであり、その深いことは知るべくもない。また動をして万物の用としているのであり、その働きは尽きることがない。要するに「善淵」とは奥深いということである。 〈奥義伝開〉先にも述べたように老子の「静坐」は「淵」の感覚を得ることをひとつの目安としていた。これは更にそこに「光」を感得することを宋常星は述べている。これは「静坐」の実体験によるものであろう。内丹では心境の変化を「陽光三現」として三度を限りとして、光の体験をすると教えている。つまり三度以上の光の体験は「静坐」が幻覚など誤った道に入っていることを示すとする。『莊子』には「虚室生白」の教えも見えている。

宋常星『太上道徳経講義」(8ー4)

  宋常星『太上道徳経講義」(8ー4) 善地に居て、 「善地」とは安静無事な地のことである。もし、これが危険な地であったならば、「善地」とすることはできない。つまり、水の善の「性」とは、上から下に流れて、危険な地に留まることがなことなのである。静を守って、柔に順じていて、流れても、止っても、静や柔が失われることがない。その妙用は無限で、尽きるおそれさえもないとされる。そうであるからこうした水の善なる「性」を「善地」といえないことなどあるであろうか。人は高い地位を貪り、貴い権威を望むが、そうしたものも何時かは失われてしまうことを知らない。こうしたものがどうして「善地」といえようか。老子は功績により名誉を得ても、それにこだわることなく身を引けと教えている。これこそが本当の「善地」であるからである。 〈奥義伝開〉「善地」とは変化をする「地」のことである。それは社会的な地位でもあるし、財産や信条、常識とされるものであるかもしれない。そうしたものを死守しようとするとそこは「善地」ではなくなる。あくまで変化をするのが「善地」なのである。一見すればこうした「地」は「善地」ではないと思われるかもしれないが、自然の働きがそうなっているのであるから仕方がない。これを「あるべきもの」つまり「善」なるものと見るのが正しい認識であり、これをベースにしなければあらゆるものを正しく認識することはできないこととなる。

道徳武芸研究 静坐と武術(8)

  道徳武芸研究 静坐と武術(8) すでに見たように中国において「静坐」は導引の一部として生まれ、発展してきたのであるが、導引はまた武術としても展開されるようになる。そうであるから武術と静坐はシステム上においてけっして遠い関係にはないわけである。八卦拳の孫錫コンは静坐を熱心にしており、内丹家であった趙避塵の高弟でもあった。また趙避塵は秘宗拳の達人てもあったとされる。このように武術を練る者も「静坐」を求めるし、内丹という「静坐」を修する人も多くは武術を習得していたのである。日本では茶や花が早くから禅と近い関係にあった。それは喫茶や立花が共に禅宗寺院と関係しているからでもある。武術と禅とが関係を持つのは近世になってからで、沢庵や柳生宗矩あたりからその関係が見え始め、山岡鉄舟に至って今日いわれるような「剣(拳)禅一如」のような考え方が広く知られるようになった。プロセスは違っていても結局は日本でも中国でも静坐と武術はひとつのものとして修練されるようになったわけである。

道徳武芸研究 静坐と武術(7)

  道徳武芸研究 静坐と武術(7) さて静坐であるが、これが発生したのは養生法においてであった。導引のひとつとして静坐が生み出されたのである。もちろん「静坐」という言い方は後世のものであるが、その源となったのは「亀蛇の呼吸」といった類のもので、とにかく無駄なエネルギーを浪費しないで動かないでいることが、長生きをする秘訣と考えられていたのである。こうしたことを空海は『三教指帰』で唾液さえも漏らすことを嫌うとして余りに無意味な執着の様子を揶揄している。しかし、これも後にはこうした過度にエネルギーの消費をしないようにすることは滞りを生むとして否定されることになるが、こうした流れの中から「静坐」が生み出されたことは事実である。そこで新たに見出された動かない功法としての価値としては「逆」がある。「逆」とは常に外に向かう意識の流れを反対に内へと向けようとするものである。またそれは「静」を極めることでもあった。これには「廻光返照」とする秘訣がある。こうした意識の本来ある流れをさらに円滑に行うように促すことで「至高体験」としての「善」の体験を自己の意識の中へのフィードバックして、意識の変革へと導くことが可能となるのである。ジョージ・レナードの『魂のスポーツマン』にはいろいろなスポーツや武術における「至高体験」の事例が示されているが、こうした体験は得意な体験として記憶されるだけで忘れられてしまう。それをそうではなく自己の意識の変革までにつなげるためには「廻光返照」のような準備をしておく必要があるのである。

道徳武芸研究 静坐と武術(6)

  道徳武芸研究 静坐と武術(6) 静坐はただじっとして内面を見つめるだけである。そうであるので姿勢も自由とされるし、時間の決まりもない。重要なことは姿勢を保つことによって内面を見つめることだけである。できるだけ内面に心を向かわせるには外的・身体的なストレスは少ない方が好ましい。そうであるから横になって「静坐」をしても構わない。横になる姿勢は古くから「睡功」として伝わっている。これは釈迦の涅槃の時の姿と同じである。寝釈迦とも称される釈迦のこうした像は中国や日本ではあまり見られることがなく、多くは東南アジア地域に存している。これはまた大般涅槃という釈迦の最高の瞑想の境地に入った姿でもあるので、仏教を修行する者はこの境地を目指すべきという意味もあるものと考えられる。これらの上座部地域では、悟りという最終結果がいまだに追究されているのに対して、中国や日本の大乗地域では悟りに至るプロセスである菩薩行の方が重視されている。こうした違いが坐像(悟りへに向かう姿)が重視されるのか、寝像(最高の意識状態にある姿)がよく作られるのかの違いとして現れているのかもしれない。

道徳武芸研究 静坐と武術(5)

  道徳武芸研究 静坐と武術(5) 「善」が開かれるのは天機によるもので、それを意図的に行うことはできない。また「善」が開かれるのは特別なことではなく、日常的に多く開かれている時がある。その事例を示したのが「五経」である。五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」であるが、「易経」はいうなら占いの記録である。そこには古代人の欲望が包み隠すこと無く表れている。そうした中であるからこそ意識の根源にある「善」を最もよく知ることができるわけである。「書経」は政治、「詩経」は文学、「礼記」は習俗、「春秋」は歴史を記したものであるが、そうした中にも「善」の現れを見ることができる。つまり人々の普通の生活の中に「善」は発現しているのである。そうした事例を自覚的に見出そうとするのが「五経」として「易」などが儒教に取り入れられた理由であった。つまり「善」は静坐をしたから発現するものではない。「善」そのものは常に現れているが、それを自己において定着させるには内面を見つめることができなければならない。そこで静坐が求められるわけである。

宋常星『太上道徳経講義」(8ー3)

  宋常星『太上道徳経講義」(8ー3) 衆人の悪(にく)むところに処(い)る。故に道にちかし。 「衆人の悪むところ」とは卑しい、汚くい、下賤であるようなところである。水の徳にあっては、人の上に居続けるようなことはない。衆人の情に逆らうようなことはない。水は高いところから下へと流れて行くのであり、その流れたり留まったりするのは水そのものの意図によるものではない。たとえ卑しい、汚い、下賤なところであっても、そこに流れないということはないのである。それがつまりは水の徳なのである。そうであるから水の徳は道の徳に近いとされる。人はどうして高いところを好み、貴いものを愛するのであろうか。権力を求めて争い、名誉を求めて争うのであろうか。利害や成功失敗の分かれ目(機)は、どこにでもあるのであり、長い、短いとか、高い、低い(下)といった相対的な位置感覚は、どこにでも存している。こうした妄心が生み出すいろいろなものは尽きることがない。聖人はそうしたところには居ることなく退いて(謙)、自分の世界にとどまっている。自らを卑下して世俗の競争の価値観から離れて安らかに居るのであり、自分が折れることで他人を良い立場に置こうとする。自分が高い地位にあることを望まず、自分が偉大であると振る舞うこともない。つまり水の善の「性」は、聖人の道と変わりはないのである。そうであるから水は「衆人の悪(にく)もところに処る」のであり「故に道にちかし」とされている。 〈奥義伝開〉人々が嫌うのは一定の価値判断によるものである。しかし見方を変えると価値のないものからも価値が見えてくる。人はどのような状態にあっても学ぶことはできるのであり、修行を深めることが可能なのである。「失敗から学べ」というのも「悪(にく)むところ」の価値のあることを教える言葉といえよう。

宋常星『太上道徳経講義」(8ー2)

  宋常星『太上道徳経講義」(8ー2) 上善は水のごとし。水は善にして万物を利して争わず。 水とは物質であり、五行の始めに位置する。太極の初めでもある。水は「一」から生まれて、六(陰)となる。気は五行に分かれているが「一(土)」に集約される。水の「性」とは、太陽の「精」でもある。水の「質」とは、万物の形の多様さの「妙」でもある。そうであるから「上善」とされる。水はそれぞれの物に利益をもたらす。それぞれの時に応じて適切に働くが、特定の物だけに限って働きをなすようなことはない。それぞれに適切ではない働きをすることもない。高いところの水は下に流れるし、流れる時には流れ、止まるべきところではその流れを止めている。すべてはあるがままで自然にそうなる。自然の妙がそこにはある。そうであるから「万物を利して争わず」とされている。聖人は道徳を人に教えるのに、仁義を説いて善を勧める。聖人は自分の能力を誇ることもなく、他人の善の実行についてどうこう言うこともない。ただ他人のことを考えて(捨己従人)、相手の立場に立って私を重視することのないのは水の徳と同じである。そうであるから争いそのものが生まれることがないのである。老子は「上善は水のごとし」「水は善にして万物を利して争わず」ということでこうした意味を説いている。 〈奥義伝開〉老子は「善」を見出す静坐の境地を「淵」をして形容している。その流れで、ここでは上善を「水」をもって説明しようとする。しかし水害というものがあるではないかといわれるかもしれないが、老子のいう「利」とは自然の働きをそのままに行わしめる、ということであって、けっして人間にとって有益であることに限らない。水が増えて堤防が決壊するのは自然のことであり、それは人が自然と争って堤防を築いているところに原因があると考えるのである。

宋常星『太上道徳経講義」(8ー1)

  宋常星『太上道徳経講義」(8ー1) この章で老子は「水」のあり方を徳を示すものとしている。それは争うことがないということである。つまり争わないということが天地自然の道を得るということになるわけである。昼夜止むことがないのは、大道の働き(つまりそれは水の働きに等しい)であり、乾坤、大地、万物を潤している。生成を促して止むことなく、終わることがない。それが水の働きなのである。聖人は「一源」において万物を総ている。これは昔から今にいたるまで変わることなく、時に応じて適切な働きをする。体と用とを兼ね備えているわけである。「水」は、上善は争うことがないというこうした妙義をそのままに示している。 ここでは『淮南子』のいう「勢いが良いのは下る水であり、あまり勢いのない水の流れには浮かぶこともできる」「高いところから下る働きを水は持っている」と同じことが語られる。これらはすべて「水徳」である。聖人の特性の妙義ということができる。 〈奥義伝開〉水は温めれば蒸発し、冷やせば氷となるなど状態によってさまざまに姿を変える。しかし根本の「水」であることはな何ら変わらず。水蒸気となった水も冷やせばまた元の液体となるし、氷も温めれば同様に元の姿となる。これはあらゆるものが「性」を有し、それが働く時には天には天の働きをし、地は地の、人は人の働きをするというのと同じである。こうした多彩は変化ができるのは「性」が虚であるからと考える。

道徳武芸研究 静坐と武術(4)

  道徳武芸研究 静坐と武術(4) つまり「中庸」とはいうならば「日常」ということで、静坐が見ているのはあくまで日常生活をどう生きるのか、である。人が人としてあるべき行動をする根底にあるのが「善」であり、それは人の本来である「性」に備わっているものと考える。「善」とは「他者との共存の実践」である。人類学的にもホモ・サピエンスは体格が優れたネアンデルタール人が生き残れなかったのに、現在まで繁栄を続けることができたのは「群」化する能力があったからとされる。いろいろなことを共同して行うことができたので生き残ることが可能であったとされている。静坐ではこうした「善」を開くのであるが、「善」そのものはかなり頻繁に現れている。冬の日だまりで気持ち良くなった時や桜の花の咲いたのを見た時、あるいは入学式や結婚式など、いろいろな場面で「善」なる心が開かれることがある。そこには多幸感や感謝の気持ちなども含まれている。そこで問題なのはこうした「気持ち」がその時だけで忘れられてしまうことである。天機を得て「善」が開かれても、それをそのまま流してしまう。その原因は何かというと意識の内向が十分ではないからとされる。儒教ではこれを「敬(つつしみ)」がない、道教では「廻光返照」ができていないとする。天機を得た時、意識の内向が生じているのであるが、日常的にそうした意識の流れを扱うことをしていないので、しばらくすると内向する流れは消えてしまい、何時もの外向する流れだけとなるわけである。

道徳武芸研究 静坐と武術(3)

  道徳武芸研究 静坐と武術(3) また静坐では「三昧」を求めない。「三昧」も意識の集中であるが、神仏像や炎などに「集中」したり、「観想」をして熟達すると「三昧」に入るとされる。「三昧」に入ると無念無想となり、近くで大きな音がしても心が乱れることはないとされる。また「三昧」の結果「悉地」という悟りの境地に入るとされる。インドでは悟りを実証するものとして超能力が求められるようである。ヨーガの経典などでも悟りと超能力は関係ないが、悟れば自ずからそうした力は偉えるとする。仏教でも「神通」としていくつかの超能力をあげている。静坐ではこうした能力はまったく顧慮することがない。川の水の上を歩いたり、前世がどうであるかを知ったりすることに現実的な意義がないからである。現在から見ればこうした「超能力」はトリックが妄想によるもので、人には「超人志向」というものがあるらしく、これは超自然な能力の妄想まで行かなくても、オリンピックやはては大食い選手権でも見ることのできるものであるが、儒教ではこうしたことを試みること自体が「中庸を外れた不適切な行為」と考えるのである。

道徳武芸研究 静坐と武術(2)

道徳武芸研究 静坐と武術(2) また静坐では雑念を払うということはできないし、必要ないと考える。人は意識がある限りにおいて何らかの思念は発生するものであり、それを無理に生じないようにさせることに意味はないとするのである。また瞑想には坐法は呼吸法、手印などの基本的な姿勢から「集中」「観想」「三昧」などの意識状態を表す教えも存している。「集中」や「観想」はいうならば雑念を払うための方法である。雑念を生じさせないように別のものに集中をする。また神仏の姿を強くイメージすることで意識に雑念の入り込む余地をなくさせる。これは雑念の代わりに別のものを置き換えているだけということができよう。密教では「身、口、意」として「身」には手印を、「口」には真言を、そして「意」には観想を行うことを求める。およそ人の意識の及ぶところにすべて何かをして、思念の発生をコントロールしようとするわけである。このように雑念を払うために別のものに集中したのでは根本的に雑念を払ったことにはならない。これはまた「雑念」を「正念」に置き換えたとすることもできようが、こうしたことは「教義」を深く心に刷り込む働きが一方ではあるり、教義」を提唱する側には、修行者をコントロールするのに便利であるが、修行者にとっては大きな心的抑圧となる。

道徳武芸研究 静坐と武術(1) 

  道徳武芸研究 静坐と武術(1)  静坐は儒教で行われる瞑想であり、日本でも陽明学が紹介されるようになった江戸時代あたりから多くの儒者が静坐をしていたようである。ただ日本の場合はいずれも書物を通して静坐のあることを知るしかなかった。またその書物にしても、ほとんど具体的な方法については書かれていない。江戸時代の儒者もどのような静坐をしていたのか明確ではない。それは静坐が方法を重視しなかったことにも関係している。そうであるから禅を批判するのに「座り方の練習をしている」ということがよく言われている。確かに禅は結跏趺坐というかなり難しい座り方に習熟することが求められる。そして長時間、姿勢を正しての坐禅ができなければ「専門家」として認められることはない。これは「釈迦に習う」ということが前提としてあるからで、経典によれば釈迦は常に結跏趺坐をしており、悟りを開いた時には7日間坐禅をしたとされている。これと同じことをすれば悟りが得られるとする考えが禅宗の前提としてある。

宋常星『太上道徳経講義」(7ー3)

  宋常星『太上道徳経講義」(7ー3) もってそれ無私にあらずや。故によくそれ私を成す。 聖人の徳性は、本来は「一誠」であるに過ぎない。「誠」とは「無私」である。つまり「無人」であり「無我」である。先に「無」があり後にも「無」がある。それはただ「その身を後にする」「その身を外にする」というだけのことに過ぎない。「一」とはこの世にあって「公明正大」であることであるが、それは自ずから生ずるものではない。これをあまねく天下に及んで余すところはなければ、どのような場面であっても「徳」を施すことができる。国家にあっても、人にあってもその「私」を完成することができるのである。そうであるから「もってそれ無私」としているのである。そうであるから「もってそれ無私」といって「公明正大」であることを強調している。そなれば「よく私を成す」ことができるのである。無私であって、「私」としての行為を成すことができる。聖人は天地と同じなのであるから、天地を観れば聖人を知ることができるし、聖人を観れば天地を知ることも可能なのである。聖人と天地はだだ「一」なのである。 〈奥義伝開〉人が本来、存しているのは「天地」のレベルのシステムの中であり、為政者などが作ったシステムではない。そうであるから、そうしたものに利用価値が無いと判断したならそこから離脱することは可能である。しかし人為的に作られたシステムは、なかなか離脱を許さない場合が多い。そこで次第に自分の存在を消して行く(身を後にする)ようなことをしなければならないこともある。また簡単に離脱できるときには離脱する(身を外にする)。こうして世間というシステムから離脱したら生きていけないように思い込まされている人も多いが、人は本来、世間より更に大きな天地のレベルのシステムの中にあるのであるから、小さな人為で作られたシステムを離脱しても問題はない(身は存す)。また天地のレベルでシステムを考えることこそが本来の自分自身を知ることにもなるのである(私を成す)。

宋常星『太上道徳経講義」(7ー2)

  宋常星『太上道徳経講義」(7ー2) 天は長く、地は久しい。天地はゆえによく長く、かつ久しく、もってそれ自らは生ぜず、故によく長生す。 この章では「無私」が説かれているが、それは「大道長久」ということを譬えているのである。天地は始めには混沌としていた。これが「天地の一静」である。混沌の後にそれが分かれて天地が成った。それは元の混沌と変わることなく高明であり、元のように広く厚い。そうであるからよく長く、かつ久しくあることができるのである。どう思われるか分からないが、天は大いなる父であり、地は大いなる母と私は深く思っている。父の道は、よく万物を生むのであり、母の道はよく万物を長養する。生まれ育てる天地の働きは尽きることがない。長く養われて絶えることなく成長し、休むことがない。そうなるのは天地が無私であるからである。休むことなく生まれ育てているのは、地の道が無私であるからである。つまりあらゆる働きは無私であることによっているのであり、それがなくして自ずから天地の造化が生じているのではない。つまり「自ずから生ぜず」とは無私のことであって、そうであればこそ天地はよく長生することができるのである。 〈奥義伝開〉天地が「長久」であるのは、「自らは生ぜず」であるからであり、それを「無私」であるとする。自分で天地は生まれようとして生まれたのではなく、自ずから生じたために「長久」であることができるという。「無私」とは「無為」と同じで、これにより全体と調和している。全宇宙と調和していれば、そのシステムが存する限りは、それを構成する「部分」である天地も存在し続けることができるはずである。 これをもって聖人は、その身を後にするも身は先んじ、その身を外にするも身は存す。 厳密に言えば、天地人は、本来は同じ理によっているのではないが、人はどうして天地が長く久しいことを知らないのであろうか。天地が長く久しく存しているのに、人がそうではないのは人は生きている間に、心に絶えることなく生きていたいと考えているからである。こうした思いはあらゆる人において大きく違ってはいないであろう。もし天地が、そうした思いを持っていたとしたら、天地は長くかつ久しく存することはできないであろう。聖人は天地の道を体しているので(生きることに執着しても長生きができるわけではないという)「空生の理」を会得している。ある...

宋常星『太上道徳経講義」(7ー1)

  宋常星『太上道徳経講義」(7ー1) 天地は大道の「用」の表れであるとされている。それは至誠であり、無妄であるとされる。大道の「体」は万物として表れており、およそ物で大道を「体」としていないものはない。すべては穆(ぼく つつしみ)に包まれており、万物は生まれ生まれて尽きることはない。天地は無私であり、聖人も天地と同様に無私である。道を行うにあたっては親しくても疎遠であっても、貴い相手でも卑しい相手でも、常に徳をして対するのであり、相手が賢くても愚かでも、身分が高くても低くても、無私で対する。それは天地は万物を生むのが、それは天地による「私」的な行為なのであるが、実際は「無私」の行いとしてなされるからである。聖人が万物を成すのは確かに私的な行為であるものの、それは天地の無私と同様なのである。これはつまり聖人の行為は、天地の大道の明らかな表れであるということである。この教えの悟りを得た者はこうしたことをよく考えてもらいたい。 無私とは、あらゆる物が無我であるという道のことである。至誠、無妄でなければ「有」として存在することはできないのであり、他人と自分が一体でなければあらゆる行為も行うことはできないのである。聖人は無私である。そうであるから天下において行われることを「私」的に実践することができるのである。

道徳武芸研究 形意拳の五行説(4)

  道徳武芸研究 形意拳の五行説(4) 形意拳の起源伝説では始めに有名な岳飛が少林寺に伝えられていた内経を見てこれのあるのを知り、槍の名人である姫際可が伝え、最終的に完成したのが李能然であるとされる。つまり形意拳には岳飛、姫際可、李能然の三人が関わったとされるのである。この伝説は確かに形意拳の母拳である五行拳の構成によく合っている。つまり五行拳には「起落」で縦の円を使う劈、讃拳と、「翻讃」でネジリと集中で横の円を使う崩、砲拳、そして丸い滾勁で縦と横の円を使う横拳である。横拳の古い形は砲拳と同じく斜めに真っ直ぐ打つので、これは「翻讃」を使っているが、新たらしい形では「起落」「翻讃」を共に使って丸く勁を用いている。これにより八卦掌を取り入れる枠組みができたということができよう。いうまでもないことであるが「起落」の動きである劈拳や讃拳にも「翻讃」は入っている。崩拳、砲拳にも「起落」の要素は含まれている。もし劈拳や讃拳に「翻讃」の要素が全くなかったならば、「姫際可」の時に崩拳や砲拳が生み出されることはなかったわけである。

道徳武芸研究 形意拳の五行説(3)

  道徳武芸研究 形意拳の五行説(3) 崩拳は「木」で「肝」であるが、これはいうなら肝臓のある横腹の動きをいうもので、形意拳の拳訣では「熊膀」とされる。簡単にいえば左右の腰の切れである。崩拳や砲拳は「起落」よりも槍を突き出すような前後の動きが中心となる。砲拳は「火」で「心」であるが、これは拳を打つ時に胸を開くようにすることを意味している。古い形の砲拳は両拳を腰にとって打ち出すが、陳ハン嶺の伝えた形では一旦、両手をやや下で合わせて、一気にあげて拳を打ち出すので、胸を開く勢いが明確になっている。横拳は「土」で、これは五行では「脾」となる。脾は食べ物から気や血を生む働きがあるが、形意拳における「土」は四季の土用と同じく変化を促す働きを象徴するものと考えるべきである。実際は横拳では滾勁が示されている。この「珠」のような力の使い方によればスムーズに攻防の動作を行うことが可能となる。横拳は古くは砲拳と同じく斜めに真っ直ぐ拳を出していたが、陳ハン嶺の伝えた形では横から前方へと拳を運ぶように

道徳武芸研究 形意拳の五行説(2)

  道徳武芸研究 形意拳の五行説(2) 劈拳は呼吸を練るものであるから、これを「木」として「肺」に当てている。呼吸とは「フン」と「ハアー」である。劈拳は二つの動作から成っているが、始めの拳を突き出す動作が「フン」、掌で打つのが「ハアー」となる。形意拳の拳訣では「起落」とされるものである。これを一連の動作として練る場合には拳を挙げる時に吸って、掌を打ち下ろす時に「ハアー」と吐く。劈拳は形意拳の根本をなすものであり、システム上からすればこれを五行の中心である「土」としなければならないが、形意拳における五行説は、そのシステムを説明するために用いられているのではなく、あくまで拳訣との関係を示すものであるから、システム上は中核となる劈拳であるが、それを「土」とするのではなく「金」にあてている。次の讃拳は「水」で「腎」とするが、これは「腰をやや後ろに引く」という拳訣によっており、そうであるからこの動作は「腎を意識して」とすることができる。よく問題となるのは讃拳の拳の出し方で「突き上げるように出す」とするものと「口から吐き出すように前に打つ」とするものとがある。これは「腎」で腰を引くその動きとバランスをとる形で拳が出されなければならない。そうであるから突き上げるのでも、突き出すのでもなく、腰との関係によって動きが決まるのであって、個々人の腰の位置が体全体とどのような関係にあるかによって決まるものとされている。