道徳武芸研究 静坐と武術(7)

 道徳武芸研究 静坐と武術(7)

さて静坐であるが、これが発生したのは養生法においてであった。導引のひとつとして静坐が生み出されたのである。もちろん「静坐」という言い方は後世のものであるが、その源となったのは「亀蛇の呼吸」といった類のもので、とにかく無駄なエネルギーを浪費しないで動かないでいることが、長生きをする秘訣と考えられていたのである。こうしたことを空海は『三教指帰』で唾液さえも漏らすことを嫌うとして余りに無意味な執着の様子を揶揄している。しかし、これも後にはこうした過度にエネルギーの消費をしないようにすることは滞りを生むとして否定されることになるが、こうした流れの中から「静坐」が生み出されたことは事実である。そこで新たに見出された動かない功法としての価値としては「逆」がある。「逆」とは常に外に向かう意識の流れを反対に内へと向けようとするものである。またそれは「静」を極めることでもあった。これには「廻光返照」とする秘訣がある。こうした意識の本来ある流れをさらに円滑に行うように促すことで「至高体験」としての「善」の体験を自己の意識の中へのフィードバックして、意識の変革へと導くことが可能となるのである。ジョージ・レナードの『魂のスポーツマン』にはいろいろなスポーツや武術における「至高体験」の事例が示されているが、こうした体験は得意な体験として記憶されるだけで忘れられてしまう。それをそうではなく自己の意識の変革までにつなげるためには「廻光返照」のような準備をしておく必要があるのである。


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