宋常星『太上道徳経講義」(8ー1)

 宋常星『太上道徳経講義」(8ー1)

この章で老子は「水」のあり方を徳を示すものとしている。それは争うことがないということである。つまり争わないということが天地自然の道を得るということになるわけである。昼夜止むことがないのは、大道の働き(つまりそれは水の働きに等しい)であり、乾坤、大地、万物を潤している。生成を促して止むことなく、終わることがない。それが水の働きなのである。聖人は「一源」において万物を総ている。これは昔から今にいたるまで変わることなく、時に応じて適切な働きをする。体と用とを兼ね備えているわけである。「水」は、上善は争うことがないというこうした妙義をそのままに示している。

ここでは『淮南子』のいう「勢いが良いのは下る水であり、あまり勢いのない水の流れには浮かぶこともできる」「高いところから下る働きを水は持っている」と同じことが語られる。これらはすべて「水徳」である。聖人の特性の妙義ということができる。


〈奥義伝開〉水は温めれば蒸発し、冷やせば氷となるなど状態によってさまざまに姿を変える。しかし根本の「水」であることはな何ら変わらず。水蒸気となった水も冷やせばまた元の液体となるし、氷も温めれば同様に元の姿となる。これはあらゆるものが「性」を有し、それが働く時には天には天の働きをし、地は地の、人は人の働きをするというのと同じである。こうした多彩は変化ができるのは「性」が虚であるからと考える。


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