宋常星『太上道徳経講義」(8ー7)
宋常星『太上道徳経講義」(8ー7)
善信を言い、
水は本来的には言葉を発することはないが、入江や海を見ると波立っていて、そこには音を聞くことができる。それは渓谷でも聞こえるし、滝でも聞こえて来る。これがつまりは水の「言」なのである。満月となる三日前から潮が満ちてきて、新月の三日後には潮が引いてくる。その時は正確で、何ら変わることがない。水の誠実(信・まこと)であることはこのようである。ここに聖人を見てみると時が熟した時に行動が起こされる。そしてそれには必ず自然の法にかなっている。そうであるから疑いもなく天下のあらゆることに通じているということができるのである。「信」とは永遠に疑われることのないものである。そうであるから水の「善信」と聖人の「善信(善なる信)」とは同じなのである。ために「水の善信」がここで説かれている。
〈奥義伝開〉ここでの「信」は信ずるというのではなく、誠・真ということである。宋常星は「言」を波音、水音のように解しようとしているが、必ずしも「音」としなくても、「語る」ととることも可能であろう。水は「信」を語り、教えているということである。それは水が法則により正確に姿を変えることにある。個体化(氷)するのも、機体化(水蒸気)となるのも常に一定の温度においてそれが発生する。それはあらゆるものが「法=道」によって動いていることを教えているわけなのである。