道徳武芸研究 静坐と武術(12)
道徳武芸研究 静坐と武術(12)
門派が生まれる前にその根源として「性=先天」があることの発見は「静坐」に通じる「静」や「柔」が武術の中に見出されたことによるものであった。形意拳の三才式の「静」や八卦掌、太極拳の「柔」は本来的には「性」を開く有益な方法であると見なされるようになるのである。これは武術の「文」化でもあり、ここに「文武の合一」を見ようとする人々もいた。こうした中に王向斉の考案した意拳では、攻防の動きである形を廃して混元トウとする立つだけの功法をベースとしてより「静坐」に近いシステムを構築しようとしたのであった。王向斉はこれにより武術の根源が開かれ「最強の動き」が得られると思っていたようであり、混元トウの練功に加えて自由な打ち合いをも重視した。しかし混元トウの「静」や「柔」を通して開かれたのは古くから内丹や静坐でいわれる「太和の気」であった。「太和の気」は和合の気で、それはもちろん人の根源的な気質である「性」の働きそのものであるのであるが、その働きが井戸に落ちようとする子供に思わず手を伸ばして助けようとする心の働き、とされるような人を助ける心身の働きなのであった。つまり「静坐」へ近接すればするほど攻防への執着がなくなることとなって、意拳はシステム上の崩壊を招くことになる。