道徳武芸研究 静坐と武術(13)

 道徳武芸研究 静坐と武術(13)

また孫禄堂は太極拳や八卦拳、形意拳などの動きを「静」や「柔」を強調するものに改める。こうして「静坐」に近づけることで「門派の壁」を越えようとしたのであるが、これも新たな「孫家拳」という門派を生み出すに過ぎないで終わってしまう。本来「門派の壁」として問題視されたのは、それがあることにより中国が「強種強民」くわえて「強国」たるの弊害となっていることにあったのであり、それは民間の精武体育会でも同様であった。つまり強い国民を育てて、強い国にしようとする方途として、日本の柔道や剣道といった「武道」の有効であることが中国で認識されて、そうしたものを通して最終的には「強兵」としての国民を育てようとする意図があったのであろうが、孫禄堂など一部の武術家が人の根源的気質としての「性」を開くことにこだわったために、武術には「静」や「柔」が求められ、人の本来的に有している「自由な心身」を開くことになってしまうのである。結局「門派の壁」を越えるという命題の結論は真反対の方向へと向かったことになり、現在の中国武術のおおきな太極拳に代表されるような潮流を作り上げることになった。これは人の自然な心身の働きに合致するものであるから、あるべき「潮流」を形成しているとすることができよう。


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