道徳武芸研究 静坐と武術(8)
道徳武芸研究 静坐と武術(8)
すでに見たように中国において「静坐」は導引の一部として生まれ、発展してきたのであるが、導引はまた武術としても展開されるようになる。そうであるから武術と静坐はシステム上においてけっして遠い関係にはないわけである。八卦拳の孫錫コンは静坐を熱心にしており、内丹家であった趙避塵の高弟でもあった。また趙避塵は秘宗拳の達人てもあったとされる。このように武術を練る者も「静坐」を求めるし、内丹という「静坐」を修する人も多くは武術を習得していたのである。日本では茶や花が早くから禅と近い関係にあった。それは喫茶や立花が共に禅宗寺院と関係しているからでもある。武術と禅とが関係を持つのは近世になってからで、沢庵や柳生宗矩あたりからその関係が見え始め、山岡鉄舟に至って今日いわれるような「剣(拳)禅一如」のような考え方が広く知られるようになった。プロセスは違っていても結局は日本でも中国でも静坐と武術はひとつのものとして修練されるようになったわけである。