宋常星『太上道徳経講義」(8ー9)

 宋常星『太上道徳経講義」(8ー9)

善能を事とし、

水の善は一に留まるものではない。あらゆるものを潤し、万物を育て、舟や筏を渡す。体の汚れを流して、物を煮る。その場その場による働きを持っている。その時その時で適切に働いている。これらはすべて水の善なる徳の働き(能)である。そうであるから「ずばらしい働き(善能)」とあるのである。もし人において、その徳なる「性」が完全に現れているならば、心神は活発に働き、事や物に応じて適切に動くことができるであろう。自分と他人との間において何らの執着もない。これがつまり「すばらしい働きをよく用いる(善能を事とし)」ということなのである。


〈奥義伝開〉「善能」は後に儒教でいわれる「良能」と同じである。これは老子から千年ほども後であるから、説明が細かくなって人の「善」から「良能」が生まれるとする。そしてこの「善」は人の本来の気質である「性」によるものであるから、老子のいう「善能」も「性」に由来するものと考えて良い。そうであるから「良能」は「善能」ということもできるわけである。老子のいう「善」も人間の本来的な部分に存しているもので、それを努力して得るのではなく無為自然であればそのままに表れ出ることになる。


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