道徳武芸研究 武術の流派名について考える(8)

 道徳武芸研究 武術の流派名について考える(8)

柳生心眼流も流派名としては特異である。仙台藩の記録では心眼流として記されているようであるが、これに柳生があるのは流祖ともいうべき竹永隼人が柳生宗矩から新陰流を学んだためとされている。しかし、そうであるなら柳生より新陰流の方の名が取られるべきではなかろうか。また柳生家では新陰流とのみ称していて、その本流としての矜持を持っている。ちなみに小野派一刀流を伝承する小野家でも自分の流派は「一刀流」であるとしている。竹永隼人が新陰流を学んで流派を開いたならば、新陰流から心眼流で良いであろう。あるいは新陰流柔術、将軍家の学ぶ剣術であることを憚(はばか)るならば新蔭流なども考えられる(居合の田宮流には民弥流と称する伝承もある)。そもそも柳生新陰流という名は講談などで広まった名称であり、武術の世界では用いない。思うに心眼流は四代目とされる小山左門を中興の祖としていて、この頃に関東などにも広く伝えられたようであるから、小山あたりから柳生を冠した呼称が広まったのではないかと推察される。


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