道徳武芸研究 武術の流派名について考える(6)
道徳武芸研究 武術の流派名について考える(6)
陳発科が北京に出て陳家太極拳を教えた時に既に広まっていた楊家などの「太極拳とは違う」と言われても、発科は「我々はこのように拳を練っている」というだけであったとされる。つまり発科が生きた二十世紀初頭あたりの陳家溝では陳家太極拳という名称が必ずしも定着していなかったことをこれは示していよう。つまり他との交流がなければ個々の名称がことさら意識されることは少ないということである。ちなみの日本では太気拳という流派があるが、これは太極拳が発想の基にあるのではなかろうか。「太極」「太気」ともに「タイ・チー」である。また「太気」という語には特段の意味が無い。一般に中国武術にはそれぞれに意味を持つ名が付されるものである。太気拳の基になった意拳は形意拳の形(かたち)を排してその奥にある「意」のみを重視したという流派の技法の特色を名としている。