道徳武芸研究 武術の流派名について考える(2)
道徳武芸研究 武術の流派名について考える(2)
空手は唐手が元の言い方であるが、琉球時代は一般的には「手」とされていたらしい。「手」とは方法、技術といった意味で格闘術のようなニュアンスがあったものと思われる。この「手」は全て中国から伝えられた中国武術が基になっているので、わざわざ唐手いうこともなかたのであろうが、長い歴史の中で地域による独自の発展もあったらしく那覇手や首里手などに分化して行くが、これも後に琉球以外に「手」が知られるようになって、そう呼ばれるようになったに過ぎない。これは唐手も同様である。「手」だけであれば意味が分からないので中国拳法といった意味で唐手と称されるようになったわけである。それが日本本土に伝えられると、より思想性を持った雅名として「空(くう)」の文字に変えられて空手となった。また地域的な背景でいえば琉球時代は地域の閉鎖性が強く、その交流はきわめて限られたものであったとされる。そうであるからこの地域の「手」と、あの地域の「手」を区別する必要は無かった。互いに交流がないからである。これは蟷螂拳でも同様で、衛笑堂が雑誌のインタビューで「我々はただ蟷螂拳とだけ言っていた」と証言している。七星や梅花などが冠せられるようになるのは別の地域の人が蟷螂拳の存在を知るようになってからなのである。