道徳武芸研究 武術の流派名について考える(4)

 道徳武芸研究 武術の流派名について考える(4)

交通が発達すると人の交流も増えて情報の伝達も盛んになる。そうした中で楊澄甫の伝える太極拳と呉鑑泉の伝える太極拳が違っていることへの疑問が呈されるようになったらしい。そうした中ある時、上海で楊澄甫と呉鑑泉の推手の演武が行われることになった。それぞれの弟子たちは一触即発の危機感を持って見ていたが、何事もなく終わった。楊澄甫は「呉家には太極拳の奥義が伝わっている」と弟子に語ったとされている。つまり表現の形は少しく違っていても、内実は同じ太極拳であるとの評価を下したわけである。こうした経緯も含めてであろうが、呉家の伝える拳も、楊家の拳も共に太極拳として認められてそれぞれ呉家太極拳、楊家太極拳と称されるようになったと思われる。ちなみに太極拳は、本来は十三勢と称されていた。これは張三豊が考案した十三の技法の原理によって動作が構成されているからである。これが後に王宗岳によって太極拳と称されるようになった。


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