宋常星『太上道徳経講義』(53ー1)

 宋常星『太上道徳経講義』(53ー1)

天地は「無為」をして大いなる「道」としている。それをして万物は生まれ育まれる。聖人も「無為」である大いなる「道」をして、国を治め民を安んじる。これはまた無為の道であるから、その「跡」を見ることもできないし、何らかの「範囲」が区切られるものでもない。天地の働きのまま無私の徳のままに行われる。人の心の正しい「理」により、自然のままに行われて、全く私欲によることはない。それが無為であり、有為をして行われるのではない。そうであるから古の聖なる王は、善く天下を治めることができた。誤った統治をすることがなかった。国家の風紀の乱れることもなかったわけである。王は農時を妨げることなく、全て統治は無為をして行われ、それは自然の「理」のままであった。もし、統治を行う者に少しでも恣意的な気持ちがあれば、統治される者も恣意的となるのであり、そうなれば日々「有為の風」は盛んとなろるし、自分勝手なことを行う人も増えて来ることであろう。このような状況になれば「有為の害」は増えて行き、あらゆる所に及ぶであろう。まさに、ここで説かれているのは、こうしたことである。この章では、まさに「大いなる道」の重要であることが説かれている。「道」は天地そのものであるから、天と人とは(共に「道」であることにおいて)等しく、物と人にも区別はない。それらは全て「道」なのである。「無為」なのである。もし、こうした「道」を離れれば、大いなる「道」は行われなくなってしまうことであろう。 


〈奥義伝開〉ここで老子は大いなる「道」が実践された世の中は「搾取」のない社会となると教えている。税を搾取する役所は無くなるし、税を治めるための田は荒れ放題、税を入れる倉は空となる、というのである。ここで老子が述べていることは近現代に実践された「共産主義」の欠点を言い当てているものとも言える。つまり党・政府の廃止、国有化される生産労働の廃止、生産の国有化の廃止など、である。ただこうなると共産主義ではなく無政府主義に近いかもしれない。無政府であれば社会を管理する機関がないことになって社会生活が円滑に進まないと思われるかもしれないが、仮想通貨のシステムは通貨の信用を政府に頼らず、使っている人たちが共同で担保する仕組みである。こうした技術開発が見られることからすれば、将来的には老子の言うような社会が実現して行くのではなかろうか。


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