宋常星『太上道徳経講義』(23ー3)

 宋常星『太上道徳経講義』(23ー3)

つまり飄風(大風)は朝だけに吹くのではなく、驟雨(長雨)は一日で止むものではないのである。

「飄風」とは、恣(ほしいまま)に強く吹く風のことである。「驟雨」とは長雨が降り続くことである。陰陽が適切に得られていれば、自然の風雨となり、陰陽が適切でなければ、「飄風」「驟雨」となる。これらは自然の道ではないので、その勢いは長く続くこともない。一時のことに過ぎない。こうして天地の荒れ狂う気を排しているわけである。あらゆることは機が熟して起こり、終わりを迎える。不条理なことが止まないことはない。そうであるから「飄風は朝だけに吹くのではなく、驟雨は一日で止むものではない」とされている。こうしたことは「調和が失われている」とされ、そうであるからひじょうに荒れ狂っているのであり、それが「飄風」「驟雨」の暴風、暴雨となっているわけである。修行をする人はこうしたことを戒めとしなければならない。もしそれを知ることがなければ、いろいろと不都合が生じてくることであろう。右も左も分からず無闇に動き、間違ったことを正しいと考え、正しいことを認めることがない。すべてがそうなってしまう。そうであるから充分に注意しなければならない。


〈奥義伝開〉ここでも冒頭の「希言自然」を「希言は自然なり」としたのでは、「故」で始まるこの一節がうまく続かない。自然というものを説明しよう、と宣言しているから、その第一の例として暴風や長雨が挙げられるわけである。どのような現象でも必ず終わりが来るのが「自然」なのであり、それは後に「自然」の特徴として挙げられる「失」に通じるわけである。あらゆるものには終わりが来る。それを人為によって阻止しようとすれば無理、矛盾が生まれる。


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