道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(2)

 道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(2)

日本では意拳はただ渾元トウという立っているだけの練功法をやっていれば攻防の力を得ることができる拳法と考えられているが、本来はそうではない。事実、意拳にはいろいろな攻防の技がある。むしろ意拳というシステムは、それを練れば「あらゆる技を取り入れることができる」というものなのである。近代になって中国武術界では「門派の閉鎖性による弊害」が唱えられるようになった。そこには清朝の始まる頃には中国の方が発達していた諸科学が、二百年後あたりには全く西洋に追い抜かれたという現実があった。その原因となったのは知の共有の問題である。実際のところ清朝にあっても個々の科学はかなりの発展を見ていたのであるが、それが各分野で「秘伝」とされたために他の分野で活かされることが無かった。例えば数学の成果は工学に活かされることはなく、化学の成果も医学で応用されず、ただ知的な探究に留められたままであった。一方、西洋では「大学」なども設けられて広く知の共有が積極的になされた。こうしたことが急速な科学の発展を促した原因として中国で知られるようになったわけである。


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