道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(1)
道徳武芸研究 ノストラダムスと意拳〜その文化的背景〜(1)
かつて日本ではノストラダムスの大予言として1999年の7月にこの世の終わりが来ると信じられていたことがあった。それは一時は社会的な騒動にもなる程であった。これについては大々的に「予言」を紹介した五島勉の原典についての不理解の問題も指摘されているが、キリスト教ではミレニアムとして、ある千年の終わりにこの世は終末を迎えて千年王国の時代に入るとする考え方がある。そうであるから「何時から千年王国が始まるのか」について人々は少なからざる関心を持っている。千年王国に入れば地上天国が実現して、すばらしい生活が約束されていると考えるからである。そうであるからもし1999年の7月にこの世が終わるとしても、それは不安をもって迎えられるのではなく、おおいなる期待をもって待ち望まれるものであったわけである。このように同じ「この世の終わり」でも文化的背景が違えば、その受け取り方は全く異なったものになってしまう。これは意拳においても同様である。