宋常星『太上道徳経講義』(57ー2)

 宋常星『太上道徳経講義』(57ー2)

「正」をして国を治め、

「正」とは偏らない状況をいう。道徳、仁義を民が知ってそれに親しみ、重視をする。こうしたことは全て「正道」ということができる。古くから治国は「正」をもって行うものであった。君臣や父子の道は「正」をもって為されなかったことはないのであり、礼楽や尊卑の区別は「正」をしてそれが行われるべきである。民の心における天の徳は「正」をしてそれに復することができる。国家の風俗は「正」によってあるべき状態となるのであり、そうなれば道徳が広く行われるようになり、仁義は自然に国中に広まることであろう。そうしたことを「『正』をして国を治め」としているのである。


〈奥義伝開〉「正」については後の「聖人」の言で、聖なる王が「静」を好めば民は自ずから「正」されるとある。「静」は無為の修身のあり方をいうものである。中国武術で「静」を重視するのも「暴力装置」である武術を「正」しく用いるために他ならない。そしてその力は防御のために使われるべきである。もっぱら一人形を用いて、あまり相対練習をしないのは、武術の力を攻撃技として使わないようにするために他ならない。また一人形で攻防の動きを抽象化させるのは攻撃しようとする「思い」と「行動」が直結しないようにするためである。それにより相手の攻撃しようとする「思い」と「行動」のタイムラグのあることが体得されて、その間に相手を制することができるようになるのである。


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