道徳武芸研究 知的遊戯としての「合気」術(3)

 道徳武芸研究 知的遊戯としての「合気」術(3)

「知るや人 川の流れを打てばとて 水に跡あるものならなくに」は西郷頼母が武田惣角に与えた歌で、「知っている人が居るであろうか。川の流れを打っても、そこに一時は波紋を残すことが出来るが、すぐに流れによってその跡は見えなくなってしまう。時の流れに逆らうことはできないことを知らなければならない」という教えが込められている。一般には剣術家であった惣角に「剣の時代は終わった。これからは柔術の時代である」と教えたとされている。これが記されたのは、1898(明治三十一)年であり、これより三年前の1895年には大日本武徳会(剣術、柔術、弓術などを教える)が設立されて、その柔術部門では嘉納治五郎の「柔道」が中核を占めていた。こうした時代背景からすれば頼母のイメージしていたものは剣術というだけではなく、旧時代の相手を殺傷するための武術一般を言うもので、新しい心身鍛錬の方法としての「柔術」が普及されなければならないことを教えていたのではないかと思われるのである。こうした革新性、近世ぶ術との断絶は伝書の形式にも見られる。興味深いことに大東流の伝書は従来の武術の伝書とは全く形式を異にしているのである。


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