宋常星『太上道徳経講義』(44ー5)

 宋常星『太上道徳経講義』(44ー5)

そうであるから極端なこわだりのあるものであれば、大きくそれを失うことになる。

ここまでに述べられていることを、よく考えてみると、「名」や「富」を貪るのは、すべて「欲愛の心」によるものであることが分かる。それが「名」や「富」を貪る心を起こしている。またそれが甚だしければ、自分の心身を消耗してしまうことになる。そして気力を奪われ、最後には自分で正しい判断をすることもできなくなってしまう。そうであるから、ここでは「極端なこわだりのあるものであれば、大きくそれを失うことになる」として、世の人を戒めている。何ごとにあってもやり過ぎるべきではなく、執着の度を越せば、心身の消耗も甚大となる。それはまたひとつの定まった「理」であるとすることができる。道を修している人は、必ず己の身を大切にして、外的な事柄に執着してはならない。自らの性命(根源的な心と体のエネルギー)を大切にして、社会的な栄誉にこだわってはならない。そうしたものにかかわれば、心身に大きな負担となることであろう。


〈奥義伝開〉執着の深いもの程、それを失った時のダメージは大きくなる。あらゆるものは永遠に有することはできないのであるから、そうしたものに深い執着を持っても、所詮は叶わない夢なのである。仏教では「苦」から離脱しようとして、かえっていろいろな「苦」しい修行をしている。キリスト教では本来、考えなくても良い「罪」があるとして悩まなければならなくする。人が生きていく内には多少の「苦」や「罪」なるものが出てくるのは仕方がない、と執着をなくせば、あえてそうした迷信に係る必要も消えてしまう。


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