道徳武芸研究 知的遊戯としての「合気」術(1)

 道徳武芸研究 知的遊戯としての「合気」術(1)

「合気」については、いろいろな考え方があるが、ここでは「相手の反応を利用してその体勢を崩す方法」であるとする。こうした「原理」は基本的には柔道やレスリングにも使われているので何ら特異なものではない。「合気」が特異であるように見えるのは、そこで使われている「反応」が、極めて微細なレベルのものを使おうとしているためである。そうした微細なレベルでの反応のコントロールを練習するためには「条件」が一定でなければならない。特に「合気」を習得するための稽古においては不確定な条件をできるだけ排除した環境でなければならないのである。これは科学の実験でも同じで、水を凍らせる場合でも、汚れた水を使うと0度で氷り始めることを観察することはできない。野口英世は試験管の洗浄を自分で厳格に行っていたとされるが、これも実験に不確定な要素が入りこまないようにするためである。これは「合気」の習得に限ることではないが、技を習得するには出来るだけ不確定な要素が入らない環境であることが求められる。剣術では攻撃する方を上位者が行うのも、そうした配慮からである。正しい攻撃をしなければ、正しい受けを学ぶことはできないのである。


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