道徳武芸研究 倭刀と苗刀〜照葉樹林文化論の周辺から〜(4)

 道徳武芸研究 倭刀と苗刀〜照葉樹林文化論の周辺から〜(4)

倭寇の刀法がなぜ「苗刀」でなければならなかったのか。それは倭寇の刀法が苗族から由来するものであるといったイメージをそこに付与したかったからではないかと思われる。日本民族のルーツは苗族である。そうであるなら日本人の使う刀法も苗族に由来すると考えられる。こうした発想はデニケンの宇宙人が文明をもたらした、とする説と同じである。どうしても西洋人以外に優れた文明を持つことを認めたくないための苦し紛れに「宇宙人」が持ち出されることになる。シュタイナー(人智学)にも似た傾向があって、どうしても西洋に起源をもって来ようと論理を緻密に組み立てたことで、かえって各所に矛盾を生んでしまった。それを後の人が破綻のない論理として理解しようとするので、「シュタイナーの神秘学は難解である」ということになる。それはさて置き、曹コンも日本の大陸侵略の激化していた時に、優れた刀法が日本に由来するものとは認めたくなかったのであろう。長い日本と中国の文化交流史においては専ら中国から文化はもたらされるものであったが、倭寇の刀法は現在のアニメと並んで中国に逆輸入された得意な例であったとも言える。


このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(3)

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(2)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)