道徳武芸研究 知的遊戯としての「合気」術(4)
道徳武芸研究 知的遊戯としての「合気」術(4)
近世の武術の伝書は技の名が「一、」「一、」として記され(一つ書き)、その名称も禅語(斬釘截鐵ざんていせってつ等)や仏教(金翅鳥王剣こんしちょうおうけん等)といった語が使われることも少なくない。しかし大東流では技法名を見ることはできないし、加えて「一か条」「二か条」とする西洋的な表記の仕方を見ることもできる。また大東流では「御信用の手」であるとか「おしきうち(御式内?)」といった日本語として意味の取れない語も伝えられている。そして流派名も「やまと(大東)流」であるとする証言もあるし「合気柔術」といった特定の技術の名称を流派に付すことも他には見られない。「合気は教えない」というのに流派名に「合気」を付すのも理解できない。これでは手の内を明かしてしまうことになってしまう。大東流としておけば、ただの柔術であると見てくれるが、合気柔術と言ってしまえば、「合気とは何か」と疑問を持たれて、それを探られてしまいかねない。