道徳武芸研究 倭刀と苗刀〜照葉樹林文化論の周辺から〜(3)

 道徳武芸研究 倭刀と苗刀〜照葉樹林文化論の周辺から〜(3)

辛酉刀法あるいは単刀法とも称された「倭寇の刀法」が苗刀と呼ばれるようになるのは1921年、曹コン(金偏に昆)が定めてからであるとされている。曹は高級軍人でもあり政治にも携わっていた。それが滄州で武術を教えた時に苗刀という名称を初めて用いたとされている。「苗」といえば苗(ミャオ)族が思い出される。現代でもそうであるが、変わった風習や名前などは「少数民族のもの」という共通認識が中国ではある。中国刀と全く異なる操法の刀術は、これが少数民族のものと捉えられるのは自然であり、その時に「ミャオ(苗)刀」と聞けば「苗族の」と思うのも当たり前と言えよう。しかし、実際のところ苗族にはそうした刀法は伝わっていない。何故、曹コンはあえて苗刀という名称を用いたのか。加えて中国での名称は一字名は分かりにくいので、二字であるのが普通である。一部に苗刀を「細身の刃」であるからとする解釈もあるが、そうであるなら細身をいう「苗条」を冠して苗条刀とするのが妥当であろう。これをあえて分かり難い一字名を用いているのには相当の理由がなければなるまい。そのヒントとなるのが「苗族、日本人起源説」である。二十世の初頭、人類学を研究していた鳥居龍蔵は東アジア各地で調査を行ったが、その中で中国南方の少数民族の調査もなされている。そして苗族の民俗に日本との共通性を見出したのであった。これは後に照葉樹林文化地帯(インドの東あたりから中国の南方そして日本までも含み、餅や納豆などの発酵文化を初めとして多くの共通点が見出されている)ともいわれる「稲作」文化地帯に共通するもので、苗族も日本人も共にそうした文化地帯に属している。そのために生活習慣などに共通性が認められたわけなのである。こうしたことから一部には「苗族は日本民族のルーツ」とする俗説も出されるようになって行く。曹が苗刀を唱えるのが二十世紀中葉であることからすれば、あるいは曹は「苗族、日本民族源流説」を知っていたのかもしれない。


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