宋常星『太上道徳経講義」(10ー11)
宋常星『太上道徳経講義」(10ー11)
この章では始めに「抱一」が述べられているが、それは「抱元守一」の道ということである。もしよく「抱元守一」することができれば、「営魄」は自然であり、自然を離れることがない。そうであれば、自己の先天の真気は、必ず「一」となる。そうなればその気は必ず柔和になる。そうなればこれを「嬰児」の状態とすることができる。こうして「嬰児」のようであれば、「徳性」は一体となり、至淳、至善、無欲、無為となって、道と一体無二となるのである。
〈奥義伝開〉「抱一」とは魂魄を「一」つのものと捉えることである。この場合の「魂」は霊的な体で、「魄」は物質的な体のことである。武術の混元トウはただ立っているだけであるが、それは「抱一」つまり霊的体と物的な体の統合を行おうとしている。これが馬歩トウ功のように両手を胸のあたりにあげる姿勢となると肉体が意識化されて魂魄を分けることになる。こうして「魂」と「魄」とが分けられることで、武術の修行(用)に入ることが可能となる。このように具体的な目的を持った修行をしよとするなら「一」から「二」へと展開がなされなければならない。老子は「一」は「二」を生み、「二」は「三」を生んで「万物」が生まれるとするが、「三」は魂魄の分離を「体」として「用(技術)」を加えることである。武術であれば攻防の技術を加えることで、あらゆる形、動きを作り出すことが可能となるのである。