宋常星『太上道徳経講義』(12ー2)
宋常星『太上道徳経講義』(12ー2)
五色は人の目をして盲(もう)ならしむ。
「五色」とは青、黄、赤、白、黒で、これは五行に配されてもいる(五行の正気)。物に在って、人はそれを「目」で見ることができる。「目」は六根の中の第一の根である。人が五色を見分ける時は、まさに「目」によっている。それはまた実際には見ることがなくても、無色の物であっても、それを識別することができることは言うまでもなかろう。もし「目」が塵に曇らされたならば、色を見ても本当の色を識別することはできない。物があればそれを見る。心はそれにつれて動く。もし、心で見たままを受け取ることができないならば、見ているものを正しく捉えることはできない。たとえ五色があって、それを識別することができないとしたら、それは見ても見たことにはならない。目が見えない人と何ら異なるところが無い。ここで「五色を正しく識別しようとしても、曇った心は人の目で正しく五色を見ることをできなくさせる(五色は人目をして盲ならしむ)」とあるのは、まさに心が正しく色を識別できていないことを言っている。修道をしている人は、もしどのような好ましい色の像を見たとしても、けっしてその形にとらわれてはならない。貪愛の心を起こしてはならない。特に好んではならない。「目」による捉われを忘れて、つまり光あふれる無極、そこに意識(神)を置いて十方を見る。そうすれば「目」による誤った認識を得るようなことはなくなる。
〈奥義伝開〉ここに「五色」とあるのは、先入概念のことを言っている。我々は既に「白」という概念を得ているので、白いものを見れば「白い」と認識するが、実際は「白」にもいろいろな白がある。グレーに近いものもあれば、クリーム色に近いものなどもあるのであって、これを「白」という概念でくくってしまい、分かったような気になってはならない、と老子は教えている。聞くところによればデジタル技術を使えば一万色が作り出されるらしい。こうなるともはや人間の認識を超えているかもしれないが、便利な先入概念は気をつけなければ微細な部分を見落として、本質を見失ってしまうことにもなりかねない。