宋常星『太上道徳経講義」(10ー9)
宋常星『太上道徳経講義」(10ー9)
為して恃(たの)まざれば、永くして宰(つからど)らず。
聖人の心は天地と変わりがなく、物をも自己をも共に忘れて執着を持つことがない。天下の民と共にあって意図することなく道徳を実践して、無為の境地へと入らしめる。こうして人が人を治めるべきなのであり、それは有為にしてなされるべきものではない。聖人は「あるべき」を万民に示しており、それはあらゆる存在に先んじている。そうであるから「天下の長」とされる。つまり道と天地は同じなのであり、道の恩を施すことは父母のようでもあるとされる。天下のあらゆることを忘れて自然のままにあって、意図的に為すことはない。自己と他人の区別はなく、上下の違いも存しない。そうなればどうして「主宰」する気持ちの生じることがあるであろうか。そうであるから「何らかの行為をしてもそれに執着しなければ、永く中心にあって活動していてもその地位にこだわることはない(為して恃まざれば、永くして宰らず)」とあるのである。
〈奥義伝開〉これも前回と同様に行為やその結果に執着しないのが「自然」であり、それがあるべき状態であると教えている。たとえ永く中心的なポジションにあっても、その地位に執着することがないのが好ましいとされている。ただ現在の社会においては、肩書があった方が便利なことも事実であろう。そこで老子は「恃(たの)まざれば」として、自分は肩書などに執着しないが、そうしたもので判断をする愚かな人には肩書を示して納得させるがよい、と教えている。こうしたところが老子のおもしろさである。