宋常星『太上道徳経講義」(10ー10)
宋常星『太上道徳経講義」(10ー10)
これを玄徳と謂う。
「玄徳」とは「天徳」のことである。天の徳は玄玄(奥深く)として測りがたいものである。そうであるから「玄徳」という。聖人の道が天と同じであるということを詳しく考えてみるのに、「徳」とは生み育てるということであり、その恩はあらゆるものに及び、その深いことは測り知れないほどであるが、それを誰も見ることができない。その広さも極まりないので、誰もそれに名を付けて現敵的に理解することができない。そうであるから、そうした徳はただ玄玄としており、天に唯一無二のものとする他ないのである。そうであるからこれを仮に「玄徳」と呼んでいるのであって、それは以上に述べたようなことによっているのである。
〈奥義伝開〉「玄」とは「暗い」ということである。漆黒の闇が無限の空間の深さを感じさせるような感覚を老子は「玄」であり「道」であるとする。「玄徳」は「玄」の「徳」であるから、これを「道」の「徳」つまり道徳ということも可能である。そしてそれは無為自然ということでもあった。ここで重要なことは玄徳、道徳が常に人々との関わり、社会実践において実行されるという点である。これは陽明学などの生活実践こそが修行の場であるとする「事上磨練」とも共通している。また仏教の菩薩道(善なる行為の社会実践)などが、中国や日本で広く受け入れられたのも、老子の教えのような「土壌」があったためと思われる。